社会の変化
ドラッカーは仕事と労働について、マネジメントは「生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない」と言っています。そして、仕事と労働(働くこと)は根本的に違うと言っています。確かに仕事をするのは人であって、仕事は常に人が働くことによって行われることは間違いないが、仕事の生産性をあげるうえで必要とされるものと、人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違うというのです。そのため、仕事の論理と労働の力学の双方に従ってマネジメントしなければならないのです。つまり、働くものが満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗であり、逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗であるのです。また、ドラッカーは働くことは人の活動であるといっていて、人間の本性でもあるとしています。そして、これを労働における5つの次元として挙げています。
一つ目が「生理的な次元。」人は機械ではないので、機械のように働くことはできない。一つの動作しかさせられないと著しく疲労します。心理的な退屈や生理的な疲労もある。人はそれぞれのスピードやリズムがあり、同じ一定のスピードやリズムで働くことには適さないなど、生産性をあげるためには予測できることが一番だが、ある程度の余裕を持たすことやそれぞれに合わせた環境を作っていかなければいけないのです。でなければ、仕事にとっては優れた環境であっても、人にとっては最悪な環境になりえてしまうのです。二つ目の次元が「心理的な次元」です。これは人にとって、働くことは重荷であると同時に本性でもあるということです。ドラッカーは働くという行為を人格の延長であるといい。自己実現であり、自らを定義し、未渦からの価値を測り、自らの人間性を視るための手段であると言っています。もし、人が働かなくてもいい、労働のない社会が実現したとしたら、人は人格の危機に直面するだろうというのです。
三つ目は「社会的な次元」組織社会において、働くことが人と社会をつなぐ主たる絆となり、社会における位置づけまで決めるというのです。人は働くことで社会に属し、仲間を作る欲求を満たす手段でした。アリストテレスは「人は社会的動物である」と言いましたが、人は社会との絆のために働くことを必要とするといったのです。そして、働くことを通じて社会との結びつきは、時として家族との結びつきよりも意味を持つのです。それは若い独身者や子どもたちが独立した後の年配者について言えます。四つ目の次元は「経済的な次元」です。労働は生計のもとであり、存在の経済的な基盤であるのです。しかも、それは経済活動のための資本を生み出し、経済活動が永続するための基盤をもたらし、リスクに対しての備えであったり、明日の職場をつくりだし、明日の労働に必要な生計のもとを生み出します。そして、このことは私有、国有、従業員所有のいずれであっても避けられないというのです。五つ目は「政治的な次元」集団内、特に組織内で働くことは、権力関係が伴います。組織では、誰かが職務を設計し、組み立て、割り当てます。こうして労働は順序に従って遂行され、組織の中で昇進したりしなかったりします。このように権力は誰かが行使するようになるのです。
ドラッカーはこれまでのマネジメントのアプローチではこの5つの次元のうち、一つだけを唯一のものとした改善をしているところに誤りがったとしています。そして、多くの経済学者は経済的次元が他のすべての次元を支配するとしていたと言います。しかし、マネジメントをするためにはこの5つの次元とそれらの関係について、今日以上に知らなければいけないとドラッカーは言います。
確かに、保育者において職場を選ぶ視点は意外と「賃金面」ではなく、「人間関係」であったり、「職場環境」「仕事量」といった部分であったりします。保育現場においてはそのほとんどは「人間関係」において成り立っています。なおのこと、経済面だけでは続けることは難しい部分があるように思います。こういった働く人を取り囲む「次元」を理解しておくことでマネジメントの指標は見つけていくことができるのですね。
2019年11月18日 5:00 PM |
カテゴリー:社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ドラッカーは公的機関についても話しています。マネジメントというのは企業だけに限らず、政府機関、軍、学校、研究所、病院、労働組合、法律事務所、会計事務所、諸々の団体など、いずれも組織であり、マネジメントを必要とするとしています。そして、これらの企業以外の組織、公的機関こそ、現代社会の成長部門であり、成長部門はサービス部門であると言っています。当然そこには様々なスタッフがおり、企業内サービス部門においても、マネジメントがあり、成果を上げるためにマネジメントしなければならないとドラッカーは言っています。
そして、こういったサービス機関は、政府機関や病院のような公的機関であれ、企業内サービス部門であれ、すべて経済活動が生み出す余剰によってコストが賄われていると言います。それらは間接費、すなわち社会的間接費あるいは企業内間接費によって賄われているのです。平たく言うと企業においては利益から出たものの転用であり、公的機関は税などによる社会的な費用で運営されており、自前の売り上げで運営されているというものではありません。そして、こういったサービス機関は現在社会の支柱であり、社会構造を支える一因であると言っています。社会や企業が機能するには、サービス機関が成果をあげなければならないというのです。しかし、公的機関のせいかは、立派どころか、なるほどと思わせるレベルにも達していないとドラッカーは言います。
これは手厳しい指摘ですね。学校や病院は一昔前に比べると巨大化しており、予算は急増しているが、その反面あらゆるところで危機に瀕しているといのです。確かに少子化になり、大学は定員割れが多く出ています。病院においても、残る病院とつぶれる病院といったように格差が出てきているという話を聞いたことがあります。郵便や鉄道はどうでしょう。19世紀にはさほど苦労はなくマネジメントされていたのが、今日では巨額の補助金を受けつつ膨大な赤字にあえぎ、しかもサービスは劣化しているといっています。そのために国営から民間に日本は変化していっていますね。中央政府や地方自治体も、一層の成果を求めて絶えず組織改革を行っている。こういった中、あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっているというのです。それは貢献と成果のためではなく、そこにいる者のためにマネジメントしているとの不安さえあるというのです。
では、公的機関は不要なのか?というと、やはり社会の支柱ということもあり、廃止ができるものではありません。なぜなら、公的機関こそ、社会に貢献すべきところが多分にあるからです。そのため、ドラッカーは「われわれに与えられてた選択は、サービス機関が成果をあげるための方法を学ぶことにほかならない」と言っており、そおためにマネジメントが必要だと言っています。
2019年11月17日 5:00 PM |
カテゴリー:社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
今日の企業は、組織のほとんどあらゆる階層に、高度の知識や技術を持つものを多数抱えていると言います。そのため、企業そのものや企業の能力に直接影響を与える意思決定が、組織のあらゆる階層において行われているのです。当然、それぞれで漠然とではあっても、自らの企業について何らかの定義を持って意思決定を行っているのですが、企業自体がその「自社の定義」をもっており、それを伝えていなければ、あらゆる階層の意思決定が、それぞれ違い両立不能な矛盾した企業の定義に従って行われることになるのです。そのため、あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「我々の事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠であるとドラッカーはいいます。
ドラッカーは自らの事業は何かを知ることほど、簡単で分かりきったことはないと思われるかもしれない。しかし、分かり切った答えが正しいことはほとんどない「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの責任であると言っています。そして、企業の失敗や挫折の最大の原因はこの企業の目的としての事業が十分に検討されていないことだと言っています。逆に成功を収めている企業の成功は、「われわれの事業は何か」を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによってもたらされていると言っています。
これは保育にとっては各現場での保育カリキュラムや保育のねらいといったものが企業で言う「事業」にあたるのかもしれません。それぞれのクラスやチームで園の理念を理解した上で、クラス運営をしていかなければいけない。そのためには、園がどういった理念を考えているのか。どこに目的があるのかといったことを理解し、実践していくことが重要になってくるのだと思います。そのため、マネジメントをする側の人の役割は園の理念をしっかりともち、その理念を周りに浸透するための方針を持っていなければいけないということなのだと思います。そして、それを実現するにあたり、ドラッカーは「その出発点は顧客でなければいけない」と言っています。事業は社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義されるのです。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的であり、その実現が事業なのです。
そのために、では「顧客」とは保育や教育の世界において誰のことを指すのでしょうか。このことを知ることは組織や企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いとなるのです。この問いに対する答えによって、企業が自らを定義するかがほぼ決まってくるとドラッカーは言います。
2019年11月16日 4:00 PM |
カテゴリー:社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ドラッカーは企業の目的は顧客の創造にあるといっており、そして、そのために企業は二つの基本的な機能を持つと言っています。その一つが前回紹介した「マーケティング」でありますが、次にドラッカーは「イノベーション」がもう一つの機能であると言っています。
ドラッカーは顧客の側に立ち、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」といったことをマーケティングとして行うだけでは企業は成功しないと言っています。「企業が存在しうるのは、成長する経済のみである」というのです。したがって、企業の第二の機能は、イノベーションすなわち、あたらしい満足を生み出すことなのです。経済的な財とサービスを供給するだけではなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならないのです。そして、企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常により良くならなければいけないと言います。そして、イノベーションの結果もたらされるものは、よりよい製品、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足です。
イノベーションとは発明のことではなく、技術のみに関するコンセプトでもない。経済的なイノベーション、さらに社会的なイノベーションは技術のイノベーション以上に重要であるとドラッカーは言っています。イノベーションとはただ単なる技術革新ではなく、人的資源や物的資源に対し、より大きな富を生み出す新しい能力をもたらすことというのです。そのため、当然マネジメントにおいては、社会のニーズを事業の機会として捉えなければならないのです。
このことは保育にも言えることです。日本における教育のありかたは江戸時代の寺子屋文化から、西洋の教育文化が入ったのち、終戦においても教育の形は大きく変わっていません。海外の保育を見ていても、主体的な保育が繰り広げられているにもかかわらず、日本ではいまだに画一的な保育が繰り広げられています。時代と世界の流れにとって教育が社会と離れている印象も受けます。時代や社会において、もとめられる人材は変わってきている以上、教育や保育においてもイノベーションが行われなければいけない時代になっているのではないでしょうか。小手先だけの保育方法ではなく、そもそもの子ども観や社会における子どもの認識や先入観というものを変えることもイノベーションとして必要な気がします。そして、これがドラッカーのいう技術的なイノベーションではなく、社会的なイノベーションであるということと同じことのように思います。
企業と社会というものがこれほどまでに意識されるべきものというのは、意外でした。結果的に「顧客の満足度」というものに至るのですが、それが利潤目的なのか、社会貢献なのかという出発点の違いだけで大きくその意味合いは変わってくるであろうし、そこで働く社員においても、こういったモチベーションは大きな意味を持つようにも思います。そして、それは教育においても、非常に近しいものを感じます。組織の本質というものや組織の目的の見方というのは保育や教育においても、同じことが言えます。
2019年11月15日 5:00 PM |
カテゴリー:社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
保育園や幼稚園、こども園といった保育機関においても、「組織」という形態であることは疑う余地のないものであり、その原理というものは共通しているものであると思います。そのため、ドラッカーの経済学から読み取れるものもたくさんあり、参考になる部分も多くあります。前回、企業の目的は顧客の創造である。ということが話で出てきましたが、そこには2つの基本的な機能があるというのです。それはマーケティングとイノベーションです。この内容を保育の中に照らし合わせてみるとまた違った見え方がしてきます。
まず、企業においてマーケティングとはどういった部分にあるのでしょうか。私はてっきりマーケティングとは「消費者に対しての売り文句」といったものなのかと単純に思っていたのですが、ドラッカーは「消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである」としています。つまり、その主体は消費者にあるのです。そして、「企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する」と言っています。やはりここにも企業は社会のためにあり、社会が求めることを実現するが企業としてのあり方ということが読み取れます。
しかし、これまでのマーケティングは私が考えていたように、販売に関係する全職能の遂行を意味するにすぎなかった。つまり、「売る」ということが目的になっていた。しかし、真のマーケティングは顧客からスタートするのです。すなわち、現実、欲求、価値からスタートするのです。「われわれは何を売りたいのか」ではなく、「顧客は何を買いたいのか」であり、「我々の製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」というのです。そのため、マーケティングの理想は販売を不要にすることであるとドラッカーは言っています。マーケティングが目指すものは顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることであるのです。そのためには、顧客自体を知っていなければいけません。
このことを保育に置き換えて考えてみると、また面白いものが見えてきます。まず、間違ってはいけないのが企業で言う「顧客」というもの、つまり主体であるものが誰なのかということです。当然それは「子ども」であることは間違いのないことです。つまり、そのサービスを受ける主体はこどもです。このことがブレてはいけません。そして、その「顧客」の現実や欲求、価値からスタートするのです。この受け止め方は非常に難しいですね。私はこのことに対して、乳幼児教育を考えていかなければいけないのは、その恩恵というものは有形ではないものであり、将来役に立つ「生きる力」という目に見えない部分にあるということです。つまり、これからの社会において、必要な力を私たちは考え、予想し、形にするための方針を考えていかなければいけません。そのためには子どもの発達や社会の見通し、必要な力など、様々なことを見通していくことが重要になってきます。そして、それを子どもたちに伝えていくことが乳幼児教育におけるサービスになるのだと思います。やはり、この論説からみても、保育の本質を考えることは組織において重要なマーケティングにもなるのですね。
つぎにドラッカーはイノベーションが企業における基本的な機能だと言っています。
2019年11月14日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 社会の変化 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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