社会の変化

トップマネジメントの役割

トップマネジメントには多元的な役割があるとドラッカーは言っています。これからマネジメントをしていくにあたって、その役割を意識するというのは大きな影響を与えそうです。そして、その役割とは6つに分けられます。

 

1つ目は事業の目的を考える役割。「我々の事業は何か。何であるべきか」といってことを考えることです。2つ目に基準を設定する役割。それは組織全体の規範を定める役割であって、目的と実績との違いに取り組まなければいけないのです。その主たる活動分野において、ビジョンと価値基準を設定しなければならない。3つ目は組織を作り上げ、それを維持する役割。明日のための人材。特に明日のトップマネジメントを育成し、組織の精神を作り上げなければいけません。そして、トップマネジメントの行動、価値観、信条は、組織にとっての基準となり、組織全体の精神を決めます。それに加えて、組織構造を設計しなければならない。4つ目はトップの座にある者だけの仕事として渉外の役割がある。様々な機関とのやり取りにおいて、それらの関係から様々な姿勢についての決定や行動の影響を受ける。5つ目の役割は行事や夕食会への出席など数限りない儀礼的な役割。こういった付き合いは逃れることができない時間のかかる仕事である。6つ目は重大な危機に際しては、自ら出動するという役割。著しく悪化した問題に取り組むという役割です。有事には最も経験があり、最も賢明で、もっとも傑出したものが出動しなければいけない。法的な責任もあり、放棄することのできない仕事である。

 

6つの役割を見ていくとそれは決して企業だけにいえることではなく、非営利の組織においても例外ではないように思います。どのような組織においてもマネジメントをするということは6つの役割が同じように求められます。

 

ドラッカーはあらゆる組織にとって、トップマネジメントの機能は不可欠であると言っています。もちろんトップマネジメントが行う具体的な機能は個々の組織によって特有ではあります。問題は「トップマネジメントは何かではなく、組織の成功と存続に致命的に重要な意味を持ち、かつトップマネジメントだけが行いうる仕事は何かである」とドラッカーは言います。

 

マネジメントする側に立った時に、では、自分の役割は何なのだろうかと悩んだ時期がありました。現場に入るわけではない、しかし、現場に対してのアプローチはしていかなければいけない。自分自身現場にいた経験もあるので、どういった話を聞きたくて、どういわれたら嫌なのかということはわかってはいたつもりなのですが、なかなかそれがうまくいかない時がありました。しかし、信念や理念をもったことや、自分から試行錯誤して行動していくことで見えてきたこともあり、なにより、自己評価をし続けることが一番大切であったことのように思います。そのうえで、「トップマネジメントだけが行いうる仕事は何か」と問い続けることは重要になってきます。そして、理念や信念は変わらなくとも、時代よみ、社会を知るためには柔軟でなければいけません。そこを見通すことの必要性、物事をマクロで見ながら、その反面、大局も見なければいけないのを感じます。ドラッカーはトップマネジメントの役割が、課題としては常に存在していながら仕事としては常に存在しているわけではないという事実と、トップマネジメントの役割が多様な能力と性格を要求しているという事実がトップマネジメントにはあると言っています。確かにこういったことを考えていくとなるほどなと考えさせられることが多くあります。

労働における5つの次元

ドラッカーは仕事と労働について、マネジメントは「生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない」と言っています。そして、仕事と労働(働くこと)は根本的に違うと言っています。確かに仕事をするのは人であって、仕事は常に人が働くことによって行われることは間違いないが、仕事の生産性をあげるうえで必要とされるものと、人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違うというのです。そのため、仕事の論理と労働の力学の双方に従ってマネジメントしなければならないのです。つまり、働くものが満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗であり、逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗であるのです。また、ドラッカーは働くことは人の活動であるといっていて、人間の本性でもあるとしています。そして、これを労働における5つの次元として挙げています。

 

一つ目が「生理的な次元。」人は機械ではないので、機械のように働くことはできない。一つの動作しかさせられないと著しく疲労します。心理的な退屈や生理的な疲労もある。人はそれぞれのスピードやリズムがあり、同じ一定のスピードやリズムで働くことには適さないなど、生産性をあげるためには予測できることが一番だが、ある程度の余裕を持たすことやそれぞれに合わせた環境を作っていかなければいけないのです。でなければ、仕事にとっては優れた環境であっても、人にとっては最悪な環境になりえてしまうのです。二つ目の次元が「心理的な次元」です。これは人にとって、働くことは重荷であると同時に本性でもあるということです。ドラッカーは働くという行為を人格の延長であるといい。自己実現であり、自らを定義し、未渦からの価値を測り、自らの人間性を視るための手段であると言っています。もし、人が働かなくてもいい、労働のない社会が実現したとしたら、人は人格の危機に直面するだろうというのです。

 

三つ目は「社会的な次元」組織社会において、働くことが人と社会をつなぐ主たる絆となり、社会における位置づけまで決めるというのです。人は働くことで社会に属し、仲間を作る欲求を満たす手段でした。アリストテレスは「人は社会的動物である」と言いましたが、人は社会との絆のために働くことを必要とするといったのです。そして、働くことを通じて社会との結びつきは、時として家族との結びつきよりも意味を持つのです。それは若い独身者や子どもたちが独立した後の年配者について言えます。四つ目の次元は「経済的な次元」です。労働は生計のもとであり、存在の経済的な基盤であるのです。しかも、それは経済活動のための資本を生み出し、経済活動が永続するための基盤をもたらし、リスクに対しての備えであったり、明日の職場をつくりだし、明日の労働に必要な生計のもとを生み出します。そして、このことは私有、国有、従業員所有のいずれであっても避けられないというのです。五つ目は「政治的な次元」集団内、特に組織内で働くことは、権力関係が伴います。組織では、誰かが職務を設計し、組み立て、割り当てます。こうして労働は順序に従って遂行され、組織の中で昇進したりしなかったりします。このように権力は誰かが行使するようになるのです。

 

ドラッカーはこれまでのマネジメントのアプローチではこの5つの次元のうち、一つだけを唯一のものとした改善をしているところに誤りがったとしています。そして、多くの経済学者は経済的次元が他のすべての次元を支配するとしていたと言います。しかし、マネジメントをするためにはこの5つの次元とそれらの関係について、今日以上に知らなければいけないとドラッカーは言います。

 

確かに、保育者において職場を選ぶ視点は意外と「賃金面」ではなく、「人間関係」であったり、「職場環境」「仕事量」といった部分であったりします。保育現場においてはそのほとんどは「人間関係」において成り立っています。なおのこと、経済面だけでは続けることは難しい部分があるように思います。こういった働く人を取り囲む「次元」を理解しておくことでマネジメントの指標は見つけていくことができるのですね。

公的機関のマネジメント

ドラッカーは公的機関についても話しています。マネジメントというのは企業だけに限らず、政府機関、軍、学校、研究所、病院、労働組合、法律事務所、会計事務所、諸々の団体など、いずれも組織であり、マネジメントを必要とするとしています。そして、これらの企業以外の組織、公的機関こそ、現代社会の成長部門であり、成長部門はサービス部門であると言っています。当然そこには様々なスタッフがおり、企業内サービス部門においても、マネジメントがあり、成果を上げるためにマネジメントしなければならないとドラッカーは言っています。

 

そして、こういったサービス機関は、政府機関や病院のような公的機関であれ、企業内サービス部門であれ、すべて経済活動が生み出す余剰によってコストが賄われていると言います。それらは間接費、すなわち社会的間接費あるいは企業内間接費によって賄われているのです。平たく言うと企業においては利益から出たものの転用であり、公的機関は税などによる社会的な費用で運営されており、自前の売り上げで運営されているというものではありません。そして、こういったサービス機関は現在社会の支柱であり、社会構造を支える一因であると言っています。社会や企業が機能するには、サービス機関が成果をあげなければならないというのです。しかし、公的機関のせいかは、立派どころか、なるほどと思わせるレベルにも達していないとドラッカーは言います。

 

これは手厳しい指摘ですね。学校や病院は一昔前に比べると巨大化しており、予算は急増しているが、その反面あらゆるところで危機に瀕しているといのです。確かに少子化になり、大学は定員割れが多く出ています。病院においても、残る病院とつぶれる病院といったように格差が出てきているという話を聞いたことがあります。郵便や鉄道はどうでしょう。19世紀にはさほど苦労はなくマネジメントされていたのが、今日では巨額の補助金を受けつつ膨大な赤字にあえぎ、しかもサービスは劣化しているといっています。そのために国営から民間に日本は変化していっていますね。中央政府や地方自治体も、一層の成果を求めて絶えず組織改革を行っている。こういった中、あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっているというのです。それは貢献と成果のためではなく、そこにいる者のためにマネジメントしているとの不安さえあるというのです。

 

では、公的機関は不要なのか?というと、やはり社会の支柱ということもあり、廃止ができるものではありません。なぜなら、公的機関こそ、社会に貢献すべきところが多分にあるからです。そのため、ドラッカーは「われわれに与えられてた選択は、サービス機関が成果をあげるための方法を学ぶことにほかならない」と言っており、そおためにマネジメントが必要だと言っています。

事業と保育

今日の企業は、組織のほとんどあらゆる階層に、高度の知識や技術を持つものを多数抱えていると言います。そのため、企業そのものや企業の能力に直接影響を与える意思決定が、組織のあらゆる階層において行われているのです。当然、それぞれで漠然とではあっても、自らの企業について何らかの定義を持って意思決定を行っているのですが、企業自体がその「自社の定義」をもっており、それを伝えていなければ、あらゆる階層の意思決定が、それぞれ違い両立不能な矛盾した企業の定義に従って行われることになるのです。そのため、あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「我々の事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠であるとドラッカーはいいます。

 

ドラッカーは自らの事業は何かを知ることほど、簡単で分かりきったことはないと思われるかもしれない。しかし、分かり切った答えが正しいことはほとんどない「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの責任であると言っています。そして、企業の失敗や挫折の最大の原因はこの企業の目的としての事業が十分に検討されていないことだと言っています。逆に成功を収めている企業の成功は、「われわれの事業は何か」を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによってもたらされていると言っています。

 

これは保育にとっては各現場での保育カリキュラムや保育のねらいといったものが企業で言う「事業」にあたるのかもしれません。それぞれのクラスやチームで園の理念を理解した上で、クラス運営をしていかなければいけない。そのためには、園がどういった理念を考えているのか。どこに目的があるのかといったことを理解し、実践していくことが重要になってくるのだと思います。そのため、マネジメントをする側の人の役割は園の理念をしっかりともち、その理念を周りに浸透するための方針を持っていなければいけないということなのだと思います。そして、それを実現するにあたり、ドラッカーは「その出発点は顧客でなければいけない」と言っています。事業は社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義されるのです。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的であり、その実現が事業なのです。

 

そのために、では「顧客」とは保育や教育の世界において誰のことを指すのでしょうか。このことを知ることは組織や企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いとなるのです。この問いに対する答えによって、企業が自らを定義するかがほぼ決まってくるとドラッカーは言います。

イノベーションから保育

ドラッカーは企業の目的は顧客の創造にあるといっており、そして、そのために企業は二つの基本的な機能を持つと言っています。その一つが前回紹介した「マーケティング」でありますが、次にドラッカーは「イノベーション」がもう一つの機能であると言っています。

 

ドラッカーは顧客の側に立ち、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」といったことをマーケティングとして行うだけでは企業は成功しないと言っています。「企業が存在しうるのは、成長する経済のみである」というのです。したがって、企業の第二の機能は、イノベーションすなわち、あたらしい満足を生み出すことなのです。経済的な財とサービスを供給するだけではなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならないのです。そして、企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常により良くならなければいけないと言います。そして、イノベーションの結果もたらされるものは、よりよい製品、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足です。

 

イノベーションとは発明のことではなく、技術のみに関するコンセプトでもない。経済的なイノベーション、さらに社会的なイノベーションは技術のイノベーション以上に重要であるとドラッカーは言っています。イノベーションとはただ単なる技術革新ではなく、人的資源や物的資源に対し、より大きな富を生み出す新しい能力をもたらすことというのです。そのため、当然マネジメントにおいては、社会のニーズを事業の機会として捉えなければならないのです。

 

このことは保育にも言えることです。日本における教育のありかたは江戸時代の寺子屋文化から、西洋の教育文化が入ったのち、終戦においても教育の形は大きく変わっていません。海外の保育を見ていても、主体的な保育が繰り広げられているにもかかわらず、日本ではいまだに画一的な保育が繰り広げられています。時代と世界の流れにとって教育が社会と離れている印象も受けます。時代や社会において、もとめられる人材は変わってきている以上、教育や保育においてもイノベーションが行われなければいけない時代になっているのではないでしょうか。小手先だけの保育方法ではなく、そもそもの子ども観や社会における子どもの認識や先入観というものを変えることもイノベーションとして必要な気がします。そして、これがドラッカーのいう技術的なイノベーションではなく、社会的なイノベーションであるということと同じことのように思います。

 

企業と社会というものがこれほどまでに意識されるべきものというのは、意外でした。結果的に「顧客の満足度」というものに至るのですが、それが利潤目的なのか、社会貢献なのかという出発点の違いだけで大きくその意味合いは変わってくるであろうし、そこで働く社員においても、こういったモチベーションは大きな意味を持つようにも思います。そして、それは教育においても、非常に近しいものを感じます。組織の本質というものや組織の目的の見方というのは保育や教育においても、同じことが言えます。