日々思うこと
クリスティーン氏は「礼節」を持つことは組織に力を与え、仕事の効率や成績が上がると言っています。では、逆に「無礼」な人が多いとどうなるというのでしょうか。これについてクリスティーン氏は「職場で誰かに無礼な態度を取られていると感じた人は、例えば次のような行為に出ることが分かった」と言っています。これは驚きの内容でした。①48%の人が、仕事に欠ける労力を意図的に減らす。 ②47%の人が、仕事にかける時間を意図的に減らす。 ③38%の人が、仕事の質を意図的に減らす。 といったように、職場環境によっては、これだけの悪影響が出るというのです。
私は常々、職場における雰囲気や風土によって、人の仕事への向き合い方が変わると思っています。そして、そのことに対して、影響力を持つのが「リーダー」でもあると思っています。どうやら「無礼」ではうまく集団が影響し合うことはできないのでしょう。
では、礼節のある人とはどういった人なのでしょうか。これについて7万5000人以上を対象とした国際的な調査では、優れたリーダーとみなされている人の多くが、他人から「思いやりがある」「協力的」「公平」という評価をされていると解ったそうです。どうやら、礼節とはこういったところから見えてきます。そして、礼節ある人は発想、情報、人をつなぐ役割を果たすことができるとも言っています。
「リーダーがチームのメンバーに丁重な態度で公平に接すると、メンバーが個人としても、チーム全体としても、高い業績を上げることが分かった。リーダーが礼節があることで、創造性は高まり、誰かが何かミスをしてもそれが早く見つかること、そして、誰もが自分の意志で率先して行動を起こすこと、メンバーの精神的な消耗が少ないことがいえる」と言ってます。そして、「他人を丁重に扱っていれば、その人の助けを得られる可能性は高くなる」というのです。
逆に失敗するリーダーは無神経で、人を不快にさせる、弱いものいじめをするという共通の性質があると言われるそうです。また、その次に多いのがよそよそしく、傲慢であるといった性質が続きます。そうすると権力があれば人はついてくるが、無神経で、敬意の無い態度で接していると、特に重要な場面で部下は助けになってはくれないでしょうし、情報の共有を渋るかもしれない、できるはずの努力を怠り、使えるはずの資源を使わない可能性があるというのです。
それでは、なかなか、うまくチームは動いていきません。長い間私は、リーダーに必要な資質は強い理念であり、誇りや志が何よりも大切なのであろうと思っていました。しかし、それだけではいけないのでしょう。こういったように礼節や無礼な態度で、人と関わるうえで必要になるのです。ある意味でこういったことが自然とできることが「カリスマ」なのかもしれません。しかし、こういったことを踏まえ、自分を変えていける原動力になるのは、思いであり、理念や志なのだろうと思います。そのどちらも、持ち合わせることで、組織はよりよくなっていく力を持つのだと思います。
2020年9月10日 5:00 PM |
カテゴリー:日々思うこと, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
組織をまとめていく中で、人を使うことの難しさを感じることがあります。それは子どもにとっても同じことです。保育においても、子どもと大人の相性はあります。家族でも相性はあるように、人との関わりの中で、どう付き合っていくのかというのは非常に大きな問題であるのだろうと思うのです。
以前、「リーダーシップ」について話をする機会がありました。組織においても、リーダーシップをとることは大切なことです。そして、リーダーシップ論を考えていくと、保育において子どもとの関わり方は、リーダーシップ論に近いものを感じます。
クリスティーン・ポラス「Think CIVILITY 礼儀の正しさこそ、最強の生存戦略である」を今読んでいますが、そこには「リーダーは自分の欠点をよく認識し、また、自分の言動が他人にどう影響するかも自覚していなくてはならない。周囲から見て近づきやすく、また現実的にものが見られる人間であることもだいじだ」と言っています。リーダーはその言動をしっかりと考えなければいけないというのです。そして、その発言が人にどのように受け止められ、どういった影響を与えるのかを自覚していなければいけないというのです。組織におけるリーダーにおいてもこういった資質は必要です。そして、それはその組織において、風土であり、文化を作ることになります。リーダーの言動は他に影響を及ぼすのです。
では、これは保育ではどうでしょうか。やはり同じことが言えるのではないでしょうか。子どもにやさしくなかったり、高圧的な態度を取ると、子どもも顔色を伺ったり、子どもそのもののありようはどんどん無くなっていきます。また、子どもの情動的なものにも影響がでるかもしれません。
また、クリスティーン氏は「マキャベリズムの意見に賛成し、礼節が大事だと思わない人は、皆を丁重に扱ったら、自分の権威をもはや尊重しなくなるのではないかと恐れる」と言っています。実際、自分自身もそれが該当するような意識を持つときがあります。しかし、ある実験で、ある教授を選ぶときに、礼節ある人の方が有利なっているということが分かりました。能力は優れているが、気難しく態度は横柄という人よりも、能力がまずまずで礼節ある態度の人が選ばれることの方が多いのです。なかには能力は高く、横柄で気難しい人が教授になることもあります。しかし、その場合、その人はそれだけ「仕事ができた」だけであり、礼節が備わっていれば、無礼でなければ、より成功していたのではないかとクリスティーンは言います。
組織を作っていく中で、リーダーシップというのは非常に大切な心持であり、スキルであるとも思っています。しかし、よくみていくと、それは組織だけではなく、保育においても、同様に共通するスキルであるということが見えてきました。続けて読み解いていきたいと思います。
2020年9月9日 5:00 PM |
カテゴリー:日々思うこと, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
最近ニュースを見ていると、中国の尖閣諸島問題や韓国の慰安婦、GSOMIAの問題など、周辺諸国との問題が日本では多々あります。反日が起きているということもニュースなどで放送されているのを見ると日本と各国はあまりいい関係ではないのかもしれないと感じます。日本の中でも嫌韓、嫌中は起きていますし、私自身も国としてはあまりいいイメージがないのは事実です。
そんな中、昨年や一昨年は韓国や中国に行く機会が少しありました。見守る保育を伝えることや現状の各国の保育がどういったものかを知る一つの機会として、上海と威海、韓国にも行く機会がありました。実際のところを言うと、どの国も保育や教育については非常に強い関心があり、国の事情も相まって、かなり試行錯誤しているという現状があるということです。韓国ではかなり強い受験戦争があり、教育や保育においても子どもたちは勉強に向かうということをかなり強く意識させられているということでした。そして、保育においても、私立と公立とでは少し格差があるようでしたし、実際に社会に出るときに失業率の高さや就職難といったものがかなり重くのしかかっているようです。一方、中国では、少子化がかなり進んでおり、一人っ子政策の余波もかなり大きく出ているそうです。学習格差も大きく、子どもたちは大人に対し少ないので、家庭ではまるで「皇帝」のようだと言われることも多いようです。
しかし、中国においても、韓国においても、トップクラスの学校の学力は高いことがあります。その反面、若者の非認知スキルにおいては課題があるということが見えてきたそうです。そこで「見守る保育」というものが注目され、各国からも藤森先生が講演を依頼されることが多くなっています。意外にそれぞれの国の個々の人を見ていくとそれほど、反日という印象は受けませんでした。
どの国も子どもは将来の人材であるということには気づいていますし、保育はその人材を作るために非常に必要なコンテンツであるということに気づいています。そして、私が感じたのは社会主義国ならではのスピード感です。保育をかえるということに一度なると、一斉に変わる様相は日本とは大きく違います。
こういった海外研修を受けると日本は教育については2週遅れていると揶揄されているということがよくわかります。教育に向かう国を上げた姿勢は海外に比べると遅いように感じるのです。このままの姿勢で保育や教育が進んでいくとこの先かなり苦しい時代に日本は突入していくのではないかと感じざるを得ません。
これまでの非認知能力や遊びの意味、これまで保育の中でも「通説」と言われたことが大きく変わってきている時代になっているように感じます。そんな中、現場を担う人材はよりそのことを強く感じなければいけないのではないかと思います。これまでの「当たり前」はこれからの「当たり前」とは大きく違うということを考えなければいけません。
2020年8月21日 5:00 PM |
カテゴリー:日々思うこと |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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