自己評価の大切さ

宮口氏は非行少年たちから学ぶ子どもの教育を挙げています。その内容を見ていると決して特別なことではありません。しかし、我々保育者や教育者から見ても子どもたちに向き合うときによく考えなければいけない内容でもあるように思います。

 

宮口氏は非行少年によっては入院後8か月ごろから大きく変わり始める少年たちがいると言います。彼らは「少年鑑別所や少年院に入ったときは、反省しているように見えたけれど、今は違う、本気で変わるのは今しかない」と述べ、犯罪を行った頃の自分がいかに馬鹿なことを思っていたり、言ったりしていたかを客観的に分析できるようになるのです。そして、この「変わろうと思ったきっかけは何か?」ということは学校教育へのヒントになると言っています。その理由はもちろん、「家族のありがたみ、苦しみを知ったとき」や「被害者の視点になったとき」などがあります。ほかには「将来の目標が決まったとき」や「信用できる人に出会えた時」「勉強が分かったとき」「人と話す自信がついたとき」など、理由は様々ですが、ここに大きく共通するのは「自己への気づき」と「自己評価の向上」です。

 

人が自分の不適切なところを何とか直したいと考えるときは「適切な自己評価」がスタートとなります。行動変容には、まず悪いことをしてしまう現実の自分に気づくこと、そして自己洞察や葛藤を持つことが必要です。適切な自己評価ができるからこそ「悪いことをする自分」に気づき、「また悪いことをやってしまった。自分ってなんてダメなやつなのだろう。」「いつまでもこんなことをしていられない。もっといい人になりたい」などといった自己洞察・自己内省が行えるのです。そして、理想と現実の間で揺れ動きながらも、自分の中に「正しい規範」を作り、それを参照しながら、「今度からがんばろう」と努力し、理想の自分に近づいていくのです。そのためには自己を適切に評価できる力、つまり、「自分はどんな人間なのか」を理解できることが大前提なのです。

 

少年院では集団生活が強いられ、教育ではとことん自分に注意が向けられます。これまで好き勝手に生きてきて、自分を顧みず、何かあっても他人のせいにしていた彼らが、自分はこれまでどう生きてきたか、どれだけみんなに迷惑をかけてきたか、支えられてきたかを、振り返らされます。このように自己に注意を向けることで自己洞察や自己内省が生じる背景に、自覚状態論というものがあります。

 

これは自己に注意が向くと、自分にとってとても気になっている事柄に強く関心が向くようになります。その際、自己規範に照らし合わせ、その事柄が自己規範にそぐわないと不快感が生じます。この不快な感情を減らしたいという思いが、行動変容するための動議付けになる、というのです。

 

たとえば、万引きをしようとする少年が、自己に注意を向ける機会があると、万引きという行為自体についても関心を向けるようになります。そして、「万引きはわることだ」といった規範をその少年がもっていれば、そんな自分を不快に感じ、万引きをやめるきっかけになるというのです。

 

自己に注意を向けさせる方法として、他人から見られている、自分の姿を鏡で見る。自分の声を聴く、などがあります。かつて飛び込み自殺が多かった札幌の地下鉄では鏡を設置したことで、自殺者が減ったといった報道がありました。事実関係を直接調べたことはないと宮口氏は言いながらも、これは鏡で自分の姿を見ると自己に注意が向けられ、「自殺は良くない」という自己規範が生じたからではないかというのです。

 

つまり、この理論を通して見るのであれば、学校においても、先生は生徒に「君を見ているよ」というサインを送るだけでも効果があるのではないかというのです。そして、週人数のグループワークではメンバー同士であれば、お互いを密に観察するので、それだけでも効果があるというのです。