育つ環境・時代

宮口氏は非行少年たちの相手が何を考えているのか、表情の読み取り方など、聞く力や読み解く力、見る力が弱いといった認知機能の弱さがあると言っています。そして、それは対人スキルにおいても影響が出ているというのです。相手に嫌われないために、悪い行為に手を染めるといったように、自分たちの生き残りの手段のために非行化を行うといったこともあると言っています。

 

そして、それは社会構造にも問題があると宮口氏は言っています。現在、日本の経済産業において、第3次産業であるサービス業が全職業の約7割を占めているそうです。昔は自然に働きかけて生計を立てる第一次産業や職人仕事のような第2次産業は激減し、人間関係が苦手だからといって人間関係に重きを置かない職業は選んでられなくなりました。つまり、対人スキルに問題があると、仕事を選ぶうえでも不利になるのです。対人関係が苦手で、就活で何十社かれも面接で堕とされたりする学生はざらにいるのです。しかし、その一方で

対人スキルがトレーニングできる機会は確実にへってきてきました。SNSの普及で直接会話や電話をしなくても、指の動きだけで瞬時に相手と連絡がとれます。携帯電話が普及していないその昔、相手の家に電話を掛けるときには、本人以外の家族が出ることが多くありましたので、それなりに電話を掛ける時間帯や言葉遣いなどの最低限の礼儀は心得ていなければなりませんでした。今ではそんな必要はなくなりました。宮口氏はこのように対人スキルがうまく機能できないのは昨今の社会形態において対人スキルを鍛える環境が少なくなってきている現状もあるのではないかと言っているのです。

 

確かに職人仕事というのは昨今非常にすくなくなっているのは確かですね。すし職人など、昔は徒弟制度があったような職業においても、今では専門学校にいくことで習うことができますし、「技を盗む」という時代から「技は習う」という主体が受け身になってきているのもあるように思います。以前、麴町中学校の工藤勇一氏の本の中で言われていたことですが、最近の子どもたちは受け身になっていて、その結果、「他責」になっている子どもの様子がよく見られるということを言っていました。本来教育は「習いに行く」ものであり、「習いに行かなければいけない」ものではなかったのではないかと思うのです。しかし、それが「must(~なければならない)」ものになると主体は受け身になり、「なぜ、教えてくれないのか」といったように「周りのせいにする」意識が生まれてしまいます。今の若者の意識においてこういった「他責」という意識は意外と強いのではないでしょうか。

 

どこかで「誰かのせい」にする意識から歪んだ対人スキルを得やすい時代でもあるように思います。また、SNSなどの技術進歩も一つの要因であると宮口氏は言っています。私はSNSを否定するつもりはありません。情報を得るためのツールとしては非常に有用なものであると思います。しかし、それは使い方を間違うと凶器にもなるのです。SNSは顔を合わすこともなければ、言葉を交わらすこともありません。そして、匿名です。そう考えると常に受け手を考えて発信するといった非常に高度なコミュニケーション能力を求められるように思います。しかも、多くは不特定多数に送られます。SNSが悪いのではなく、SNSが使われるための土台を作ることができていない教育現場や保育現場、子どもを取り囲む環境に本質的な問題があるのかもしれません。非行少年たちは結果として、そのあおりを受けているようにも思えますし、今の子どもたちは昔よりも子どもたちが育つうえで過酷な環境なのかもしれません。