失敗の大切さ
一時期、「モンスターペアレンツ」という言葉がはやった時期がありました。今でも、幼稚園や保育園に保育だけではなく「躾」まで求めるような保護者もたくさんいます。日本の場合、特に小学校以上では「学校指導」だけではなく「生活指導」まで行っています。以前、東進ハイスクールの林修先生がこのことが日本の「学校指導の質を下げる要因」であると言っていました。そして、モンスターペアレンツが生活指導まで学校に求めるので質を下げているという話をしていました。海外やトップクラスの学校ではこの生活指導にかかる時間は少なく、その分、教員は余暇活動などが保障され、より魅力的な先生になることで、学習指導にもいい影響が出るというのです。また、最近では園での様子をすべて知っていたいというステレオタイプの保護者が増えてきているようです。
コーエンは現場の様子を見て「なんでもかんでも与えようとする保護者はそれが愛と思おうとして、子どもを甘やかしすぎる。でも結局犠牲になっているのは子どもの性格であり、そういうケースがここでは非常に多いんです。リバーデールの最大の問題の一つだと思います」と言っています。
このことは何も裕福な家庭だけの問題ではなく、すべての親の問題です。日本でも例外ではありません。わたしたちは子どものためにできるかぎりのものを差し出したい、子どもがほしがるもの、必要とするものはすべて与えたい、ほんの少しでも不快な思いをさせたくない、大小さまざまの危険から子どもを守りたいという、本能ともいえる切実な願望があるのは当然でしょう。それでいて、子どもに何より必要なのはいくらかの困難であるともわかっているのです。自分で乗り越えられると子ども自身が納得するためにも、少々の難題や損失は必要で、親としては、毎日のようにこうした厄介な問題と格闘し、半分でも正しい決断ができれば幸運であると考えています。しかし、本来はこのジレンマはプライベートな問題として家の中だけで認められることですが、高い授業料を払って子どもを通わせている学校のような公の場で指摘されるのは別問題なのです。
そもそもリバーデールの学校の目的は子どもたちの人生における可能性の「天井」を高くすることではなく、「床」を堅持することであり、子どもが上流階級から転げ落ちることのないようなつながりや保障を与えることです。リバーデールが親たちに提供するのは他の何よりも、失敗のない人生への保険なのです。そのためにはどうしたらいいのでしょうか。リバーデールの保護者が問題とするところはどこなのでしょうか。問題はそこです。そして、これまでの様子から見て、ランドルフも気づきます。ここで若者の気質を育てる最良の方法は、深刻に本当に失敗する可能性のある物事をやらせてみることであるということです。
ビジネスの場合であれ、スポーツや芸術の分野であれ、リスこの高い場所で努力をすれば、リスクの低い場所にいるよりも大きな挫折を経験する可能性が高くなります。しかし、独創的な本物の成功を達成する可能性も高くなるのです。ランドルフは「やり抜く力や自制心は、失敗を通して手に入れるしかない。しかし、アメリカ国内の高度にアカデミックな環境では、たいてい誰も何の失敗もない」と言っています。
KIPPの生徒がリバーデールの生徒よりも有利な点はここだと思うとディビット・レヴィンは言います。「うちの子どもたちが教育を通じて日々経験している課題は、リバーデールの子どもたちとは全く違います。結果として、うちの生徒のやり抜く力は多くの点でリバーデールの生徒のそれよりもはるかに大きい」と言っています。
子どもたちは日々の中で様ざまな遊びを行っています。その中では試行錯誤をして遊んでいます。そして、保育者はその様子を見ていますが、時に手を出したくなる時があったり、先回りして教えたくなったりします。しかし、それこそ子どもたちにとっては大きなお世話なのでしょうね。