裕福な地域
レヴィンとランドルフが「何が気質を育てるのか」ということを共通項として研究していますが、彼ら二人を取り囲む環境は大きく違います。レヴィンのいるKIPPアカデミーがある環境は全員が黒人かヒスパニックで、ほぼ全員が低所得者層の過程の子どもです。そして、ランドルフがいるリバーデールのミドルスクールがある場所は裕福な土地柄であり、体制の側の人間が子どもにも体制の側の人間になることを学ばせるために送り込むような学校です。しかし、そのどちらにも「気質を育てる」ということに課題を置いているのです。
そして、それはその地域柄において受け方は違っていたります。たとえば、レヴィンとランドルフが考えた「24の強みが将来の子どもたちの性格に大きく関わっている」「そして、それは企業に入ることや大学に行くことに役立つ力となる」といった、24の強みは実際に役立つものが含まれていることを生徒や親に納得させることにも違いが生まれます。たとえば、KIPPの子どもたちにとっては、性格の改善が大学に行く助けになるというのは強力な誘因としてあります。そのため、気質について真剣に考える動機ともなります。なぜなら、KIPPの生徒たちにとって、強みを習得するのは他の人々の成功の謎を解く試みでもあるからです。だから“成功する人々がどんなふうか、その秘密を教えてあげる”といえばいいのです。しかし、リバーデールの生徒にとっては大学を卒業することは当たり前なのです。どうしたら成功できるかを知るのに、教師に頼る必要がないのです。自分よりも前の世代の家族もみんなそうであるコミュニティにあっては、気質を伸ばすアイデアというものにピンとこず、なかなか伝えることが難しいと言っています。
これほどの、違いが地域によっても大きく違うのですね。これは日本においても、制度や自治体や人口によって同様のことが言えると思います。分かりやすいのは過疎地が都市部下でも、保育や教育のあり方の違いは多くあります。たとえば、待機児の対応一つとっても大きく違います。地域によっては待機児が多いところもありますが、場所によっては過疎で子どもがいないという場所もあります。地域によって、住む人々も違えば、公園の量、道路の道幅、どれも違います。その土地に応じた、保育のあり方があります。そのため、ここで言われていたKIPPアカデミーとリバーデールの受け止め方も違うということが見えてきます。
では、リバーデールのような裕福な地域ではどのような家庭の子どもを育てる方法が必要というのでしょうか。それについて、「特権の代償」という本を書いたマデレン・レヴァインは「アメリカの裕福な家庭の子どもを育てる現行のシステムや方法はかえって子どもたちを打ちのめしている」と話しています。そして、著書の中で、「裕福な両親の子どもたちが中学校あたりから精神面の問題を持ち始める率は思いもよらないほど高い」という自らの主張を裏付けるための様々な調査や研究をあげています。それによって「今日の富裕な親たちは子どもと精神的に距離を起きたがり、同時に高いレベルの成果を要求する」と言っています。そして、これが子どもたちにとって有害な影響を与え「強烈な恥辱と無力感」を作り出す可能性があるというのです。このレヴァインの著書はスイヤ・ルーサーの研究を基にしています。それはどういった研究だったのでしょうか。