性格

いくら勉強ができても、KIPPアカデミーの生徒のようにその時代はよくても、その先に気持ちが持続しなかったり、目的を見失ってしまうことがあります。それは日本においても、就職しても長続きしなかったり、ひきこもってしまったりと社会問題になることが多いです。そして、このことには「気質」が大きく関わってきます。『オプティミストはなぜ成功するか』を著したセリグマンはこのことに対して「性格の強みと美徳」という本を書いています。これは「好ましい気質の科学的な分析」を始めようとする試みで研究されています。

 

まず初めにセリグマンは「性格」とは話をややこしくする言葉であると言っています。なぜなら、それは人によって意味するところが大きく異なるからです。また、それは特定の価値観への執着を表す言葉として表れることが多いというのです。つまり、時代とともに「よい性格」という意味が変わることは避けられようがないのです。ヴィクトリア朝のイギリスではよい性格の人物は、貞操、倹約、清潔、敬虔(けいけん)、礼儀作法などに重きを置く人のことでありました。西部開拓時代のアメリカであれば、良い性格といえば度胸や過剰なまでの自信、創意、勤勉さ、気概などを持ち合わせていることでした。しかし、セリグマンは著書を共に書き、共同研究をしているミシガン大学のクリストファー・ピーターソンとともにこうした歴史に伴う変化を超え、現代北米の文化の中だけではなく、どの時代のどんな社会でも評価される性質をつきとめようとしました。それはアリストテレスから孔子、ボーイスカウトからポケモン図鑑に至るまで、あらゆるものにあたって、多くの場所で高く評価されると思われる24の性格の強みをリストにまとめました。このリストには勇敢、市民性、公正、賢明、高潔といった従来高く評価されてきた特徴も含まれています。また、愛、ユーモア、熱意、美をめでる心といった情緒の領域に踏み込んだものもあります。さらに社会的知性(人間関係における力学を認識したり、異なった社会状況にすばやく適応したりする能力)、親切心、感謝の心といった日々の人間関係に関わるものもあります。

 

セリグマンとピーターソンの書くところによれば、ほとんどの社会において一定の道徳観を持っていることは長所とされ、多くの場合その道徳は宗教上の規則や制限と重なります。しかし、性格の強みの話をしようとすると、道徳の価値は限られたものとなる。なぜなら、道徳的な行いとは単に高い権威や規則に従っているだけの場合があるからです。彼らは「美徳は規則よりもはるかに興味深い」と言っています。セリグマンとピーターソンによれば、24の強みの真価はある特定の倫理体系との関わりから生じるのではなく、それが現実に利益を生むこと、つまりその強みをもっていることによって実際に何かが得られることにあると言います。そして、こうした強みを育てることは「良い人生」、つまり幸福であると同時に有意義で充実した人生へと通じる確かな道の一つであると言っています。

 

求められる人材というのは時代によって大きく違います。昭和初期などは「企業戦士」といわれるほど、トップダウン型に適応できる人が求められました。しかし、現在ではそういった良しとされていた性格は「イエスマン」や「言われたことしかできない」とネガティブな意味で捉えられる言い方に言い換えられています。確かに時代によってその性格の良し悪しは変わるのかもしれませんし、権威や宗教による規則や制限によって「道徳」のとらえ方も違うということが言えます。では、どうしたら、これからの変化のある社会や多様性を求められる社会で「豊かに」生きていくことができるのでしょうか。セリグマンとピーターソンは性格において、あることを定義しています。