教育の本質とは
苫野先生は講演の中でまず、「教育の基本は何か?」と問いかけられ、その答えとして「教育の基本は自ら考える力をつけること」だと述べられていました。
その根拠として、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)の言葉を紹介されました。
「『あれしなさい、これしなさい、あれするな、これするな』と言われて育った子どもは、そのうち『息をしなさい』と言われなければ呼吸さえしなくなるだろう」(著書『エミール』より)
極端に思える表現ですが、昨今の「指示待ち人間」と言われる社会人や若者の様子を見ると、決して人ごととは言えないように思えます。つまり、将来私たちが求める人材や社会を担っていく人材を考える上で、この視点は重要です。ここにこそ、苫野先生が語られた「教育の基本は自ら考える力を育てる」という言葉の意義があるのでしょう。そして、そのために「教育の基本中の基本は『信頼して、任せて、待って、支える』」と強調されました。これは藤森メソッド(見守る保育)における藤森先生の考え方とも重なります。
また、ルソーは次のようにも述べています。
「大人は子どもを道徳的にしようと、規律を与え、叱り、説教する。しかしそれは、子どもをかえって不道徳にすることになる」
大人の一方的な規律は、子どもを嘘つきにしたり、他者を罰する態度(つまり、注意されすぎた子どもは友達にも同じように注意し、思いやりのない関係をつくる)につながります。だからこそ、子どもは「たっぷりと自分が尊重される」ことによって、初めて他者を尊重できるようになるのです。
ただし注意が必要なのは、この「尊重」という言葉の解釈です。保育の現場では「子どものいいなりになること」や「子どもが言うからと過度に寄り添うこと」を尊重と勘違いしてしまう場合があります。しかし、それは本来の意味での「尊重」ではありません。
「尊重」とは 子どもを一人の人として扱うこと です。そのためには子どもの意見にしっかり耳を傾け、大人と意見が違うときにはきちんと話し合い、互いに納得できる答えを考えることが大切です。奔放に育てすぎることも、一方的に規律を押し付けることも、いずれも子どもを「他罰的な人間」にしてしまう危険があります。
人間は原始から社会を形成して生き延びてきました。社会を形成することは人間の重要な特徴であり、その中で他者と自分とのバランスをとることが「道徳」につながります。つまり、道徳はルールとして外から与えられるものではなく、人とのやり取りの中で自然に形成されていくものなのです。
しかし現代では、「ルールをつくらなければ守れない」という発想に象徴されるように、自律よりも他律に依存する傾向が強まっているように感じます。それでも一方で、公教育の存在があることにより、私たちは人類史上大きなメリットを享受できる時代に生きている、と苫野先生は指摘されていました。
2025年9月26日 5:02 PM | カテゴリー:教育 | 投稿者名:Tomoki Murahashi