これからの教育の目的

新学習指導要領には学校の段階と学校種の違いを越えて共通するものがあるそうです。それはどういった文章かというと「これからの学校には、こうした教育の目的及び目標の達成を目指しつつ」といった文章の後に「一人ひとりの児童が、自分の良さや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることが出来るようにすることが求められる」とあります。

 

この文章から読み解くにかなり「自己肯定感」の意味合いに重要性があることが見えてきますね。この本では自己肯定感は「自分が大切な一人の人間であり、学ぶことを通して成長できる存在と認識する事」としています。当然、「一人一人の個人として存在していい」というのは一人では認識できないので、こういったところに「協働的な学び」が必要とされる課題があるのでしょう。

 

また、この著書では周囲の人との関わりや大人に苦しいときに助けを求めれば手が差し伸べられる経験を通して、必要な時に「助けて」といえる力の重要性なども挙げられています。だからこそ、大人は注意深く子どもを見守ることが必要とありました。

 

その際に、教師は「何を教えたか、ではなく、子どもたちが何を学んでどのような力を身につけていくか」ということに重点がおかれ、学ぶ喜びを児童に示さなければいけません。そのための子どもの参加や参画が重要になると書かれています。

 

ここまでの文章を見てどうでしょうか。私からするとこの内容が小学校で示されるというのは何とも考えさせられます。なぜなら、ここで言われる内容は乳幼児教育においても同様の目的があるからです。乳幼児教育においては特に「成績」というものはありません。小学校の教育要領においては学校での教育は「できるようにする」という語尾が多くあります。つまり「習得する」ことに目的がおかれています。一方で、幼稚園教育要領や保育所保育指針、認定こども園教育保育要領では語尾には「感性を豊かにする」や「味わう」「豊かにする」が多くあります。つまり、習得ではなく、そこで磨かれる「感性」などの目に見えない力が目的とも言えます。それは「学ぶ喜び」の芽生えが目的なのかもしれません。そうであるならば、「参画や参加」ということは乳幼児から必要であるといえます。

 

長らく、乳児や幼児は「何もできないもの」という捉え方が当たり前にありましたが、実際のところ、小学校などの教育改革において、乳幼児教育の役割というのはとても大きいように感じます。