会話

先日、とある大学での授業をお受けすることがありました。生徒の意見を聞きながら話をすることが求められる内容だったのですが、実際学生を目の前にして話すと、なかなかいつものように話すことができず、生徒と関わる中でも「硬さ」であったり、「気負い」のようなものを自分が持っているように感じました。自分が思っている以上に気を使っていたのかもしれません。ただ、そういった自分の状態を理解すると「あぁ、気負っているな。」と思おう。そのうえで、「自分は非常勤講師ではなく、ある園の副園長としての改めて考え意見を言おう」「生徒は現場に出るときに誰に、何を言われ、見られるのか」ということを改めて考えると、すっと肩の力が抜け、こちらが「教えなければいけない」ではなく、生徒の「知りたいもの」はなんなのかを見ることができました。

 

こういった自分を振り返るといういわゆる「メタ認知」というものは保育をする上でも非常に重要になってきます。そして、保育であったり、教育を行うにあたっても、子どもと関わるにあたっても「我を顧みる」ことは本質を見直す瞬間になります。「なんのために教育や保育は大切なのだろうか」や「子どもとの関りはこれが適切であっただろうか」と本質に立ち返るためには冷静さがなければ、立ち返ることができないでしょう。もしかするとこれがベテランと新人との大きな違いかもしれません。

 

歴の長い先生はそれだけさまざまな問題を経験として解決してきました。それは「事例」が多いとも言えます。この事例が多いことで見通しを持つ「余裕」が生まれ、冷静さに繋がっているのだろうと思います。逆に言えば、新人であっても、冷静さをもっていれば、様々な物事に目を向けることができるようになるのかもしれません。単に「冷静」といわれても何を指すのかわからないことがありますが、「様々な面に目を配らせることができる余裕」が「冷静」といえるのかもしれません。

 

次に、「冷静」になった後に、物事に対して「何のために」や「どうとらえるか」という視点が必要になります。この際、気を付けなければいけないのが「自己中心的」であったり、「自分視点」になることではないでしょうか。この視点で物事を見てしまうと「相手にとっての自分」ではなく「自分にとっての相手」になり、他力本願になってしまいますし、何事においても「相手のせい」なとらえ方になってしまいます。あくまで、「相手にとって何が聞きたいのか」「何を言いたいのか」を目的に話をしなければいけないのだろうと思います。それが「会話」なのだろうと思うのですが、そう考えると「会話」というコミュニケーションを行うためには「相手に何を話すか」以上に「自分を振り返ること」や「相手を見ること」「自己中心的ではいけない」といったことなど、非常に複雑な感情のコントロールが根底にあるということが見えてきます。