子どもの気質と親

保育士をしていると自分が保育をしている側にも関わらず、子どもたちからも影響を受けていることを感じます。それは親にとっても同じことで、自分が親になることで「親として、子どもに育てられている」ことは多くあります。人は子どもがいることで親になりますが、それと同時に「親としても育てられるのです」。ゴプニックは「子どもは親からの影響を受けるばかりではなく、自分の方からも親に影響を与えることが分かってきた」と言っています。そのため、子どもの行動の違いは、親の行動にも違いをもたらすと言います。

 

子どもが二人以上いる親は、きょうだい間であつかいにかなりの差が出ることがあるそうです。児童虐待においても、このことが言えるそうで、きょうだいのうち誰か一人に虐待が集中します。特に病弱な子や神経質な子は虐待を受けやすいそうです。虐待のような極端な例には及ばなくても、子どもによって親の接し方に差は出ることはよくあります。

 

たとえば、要求が多く気難しい子どもとの親の関わり方と、おっとりして手のかからないその子のきょうだいの母親とは同じ人物でも違う人物ように感じるかもしれません。性質の違う子どもに同じように接するのは無理というものですし、仮に同じ接し方をしたとしても、それがもつ意味は子どもによってまるで違ってしまいます。たとえば、バウンサーに入れて遊ぶことを子どもに進めたとしても、活発な子どもと臆病で気の小さいでは、反応は大きく違います。

 

このように子どもの生まれつきの性質と環境の相互作用については、色々な研究があります。心理学者は養子やふたごの研究から、「反社会的行動」「神経症的傾向」「薬物依存傾向」などなど、様々な形成と環境の関係を研究してきました。みじめな親のもとに生まれても、その後、健全な養親に育てられた子どもは、みじめな大人になるリスクがわずかに高いだけになります。逆に健全な親のもとに生まれ、みじめな養親に育てられた子どものリスクも同じ程度です。ところが、みじめな親から生まれ、みじめな養親に育てられると、両方のリスクを足したより遥かに大きなリスクを背負ってしまいます。遺伝的リスクと環境リスクは単純に足されるのではなく、掛け合わされるのです。さらに不運なのは、遺伝的リスクと環境リスクは往々にして同時に降りかかります。なぜならば、たいていの子どもは遺伝子ばかりでなく、環境も親から受け継いでしまうからです。

 

遺伝的素養というのは変えることができませんが、環境要因というものは変えることができます。逆にいえば、大人ができることというと子どもに合った環境を作ることが一番重要なことであるのかもしれません。以前にもゴプニックの遺伝と環境にあったように時として、遺伝子要因を環境要因によって変えることができるのです。このことについて、ゴプニックはどのように考えているのでしょうか。