記憶

子どもが暗示にかかりやすいのは、情報そのものの真偽というより、情報の出所が見極められないことから生じていると言われています。そこで、ゴプニックたちは子どもの被暗示性が記憶の出所の理解に関係があることを確かめる実験をおこないました。

 

まず、子どもに映画を見せ、その後色々な質問をしたのです。その一部は記憶の出所に関するもので、「その男の子が黄色い長靴を持っているのを、なぜ知っているの?映画会で見たから?その子がそう言ったから?」などと質問します。これとは別に、被暗示性を調べるための誘導質問も行いました。たとえば、映画に出てくる長靴は黄色ですが、わざと「その子は赤い長靴を持っていなかった?」と聞いてみます。すると記憶の出所をよく覚えている子ほど、誘導尋問に乗りにくいことが分かったのです。出所がはっきりと分かっていれば、4歳の子でも誘導尋問には乗らなかったのです。

ところが、3歳児は自分の信念が何に由来するのかも、以前の自分はどう思っていたかも、よく思い出せません。これは以前紹介した「誤信念」の実験からでもわかると言います。キャンディの箱を開けたら鉛筆が出てきたのをみて、子どもは驚き、がっかりします。ところがそのあと、「箱には何が入っていると思う?」と聞くと、たった今予想外の事実にびっくりしたにも関わらず、鉛筆と答えたのです。ほんの少し前に抱いた信念をきれいさっぱり忘れてしまったのです。

 

この実験を通して、さらに幼児は過去の信念だけでなく、過去の願望も忘れてしまうのかも確かめる実験をゴプニックは行います。まず、子どもにクラッカーが欲しいかどうかを尋ね、欲しいと言ったら、お腹いっぱいになるまでクラッカーをあげました。そのあと、クラッカーを食べるまえ、ここに座ったときは、クラッカーが欲しかったかと聞きました。すると三歳児の半数は「ううん、全然」と答えたのです。これにより、過去の物理的な出来事はすぐ思い出せるのに、その出来事について自分が何を感じたかは、あまりよく覚えていないということが見えてきたのです。

 

クラッカーにしても、鉛筆にしても、目の前で見て、体験しているのです。しかし、そのわずか数分後にはきれいさっぱり忘れてしまっているのです。直前の意識体験なのだから明らかであり、忘れるはずがないにもかかわらず、数分前に起こった体験を思い出せないのです。

 

これと同じようなことは大人でも起きます。たとえば、だいぶ月日が経ってから同じ間違いを犯すことがあったりします。あとになって記憶を都合よく作り変えてしまうことがあります。子どもの場合はそれがたったの数分のうちに起こるのですから、やはり子どもの住んでいる世界は、大人の世界とはだいぶ違うのではないかとゴプニックは考えています。

 

子どもたちの記憶はわりと刹那的に解釈されているのですね。大人は未来にも過去にも意識や記憶や見通しをもって生活します。それに比べ、子どもたちの記憶は実に「現在」にフォーカスが当たっているように思います。つまり、そこにある現実をしっかりと記憶し、注意し、情報を取り込んでいるのでしょう。見方を変えて、子どもたちの様子を考えていくと、子どもたちは「今」をまさに生きているのですね。