記憶の内因性と外因性

2歳児に対して、動物園の記憶を実験者がそこで起こった出来事を聞いてみるという実験しました。すると、2歳児はその子自身の記憶であると同時に、母親の記憶のものとしても答えました。これと同じ実験を条件をコントロールして行ってみると、3歳とそれ以上とでは、記憶の種類が違っているらしいことが分かってきました。

 

たとえば、もし「27日の夜はどこにいましたか?」と言ったことを大人が聞かれると、過去数日間のエピソード記憶をたどり、その夜の記憶にたどり着きます。その日の出来事を回想するときには、たくさんある記憶の細部を想起します。このような記憶の再生法を自由再生(フリーコール)といいます。

 

一方、「27日の夜、そのバーで、黒いフェルト帽をかぶり、バイオリンケースを持った男を見ましたか?」と尋ねられた時のように、ある手がかりをきっかけにして再生される記憶もあります。これもエピソード記憶の一種ではありますが、心の中で自由再生されるのではなく、外から促されなければ再生されるものではありません。ここでいう「促す」というのは、母親が2歳児に動物園の象の様子を思い出させたり、商店街で迷子になったいきさつを大学生に実験的に「思い出させる」ように、真偽に関わらず直接答えを与えるのとは違い、あくまで記憶を思い出させる「手がかり」を与えるということです。この場合、再生される情報は本物なのですが、手掛かりがないと引き出せないのです。

 

このように自動再生のように記憶の再生が起こることと、手掛かりをもとに記憶が再生される仕方と2種類あります。これは注意に内因性注意と外因性注意とがあるのに似ています。記憶においても、内因性と外因性によって左右されるのです。

 

他にも単語リストを見せ、後でそれを自由に思い出してもらうのと、ある単語を教え、それを手掛かりに次の単語を思い出してもらうの土手は、後者の手掛かりを与えられる方が自由再生より多くの単語を思い出せます。特に幼稚園児では、その差が一段と大きくなるようです。この時期の幼児は手がかりさえあれば、極めて詳細な記憶を再生できますが、自由再生はうまくできません。

 

このことについてゴプニックは幼稚園児に「今日、なにしたの?」と聞くと「別に」とか「遊んだよ」というくらいで、なかなか詳しく教えてくれないのではないかと話しています。確かに、終わりの会で「今日は何が楽しかった?」と聞いても、割と大まかなことがらしか上がってこず、詳しく聞いても、「う~ん」と困ってしまう子どもは多いように思います。しかし、そこで起きた出来事を話して見たり、「こんなこともあったじゃない」と多少の手掛かりを与えると、答えが広がっていきます。しかし、だからといって全体の記憶が想起されたのではなく、それを手掛かりにした限定的な記憶であるのは確かですね。なるほど、子どもたちの記憶を想起させる方法においても、どれほどの記憶の引き出しがあるのか、幼児においてはどういった思考で記憶が思い出されるのかとても考えさせられます。