新しい体験

ゴプニックは赤ちゃんの意識状態のイメージをつかむには、大人が見知らぬ国に行ったときに似ていると言っています。なぜなら、見知らぬ国に行くと当然周りは見たこともないものばかりです。新しい情報がどっと押し寄せてくることになります。そして、その情報のどれが大事なことで、何を切り離していいかを判断することが難しく、自分で選り分けることはほとんどできません。自分の意図や判断以上に、外部の物や出来事に左右されるところが赤ちゃんと似ているのです。また、これは会議や商談などといった特定の目的やツアーで決められた訪問地があるわけでもないぶらり旅であれば、その傾向は一層強まります。

 

そうした旅は目的を持たないことが目的といえます。そのため、異文化の手触りを丸ごと楽しむことこそが旅の醍醐味なのです。偶然見つけた品や想定外の出来事から、豊かで生き生きとした情報が得られるのです。旅上手な人は心を空にして偶然の出会いを受け入れられる人だとゴプニックは言います。

 

このように旅をする人は赤ちゃんのように、何が待っているか分からないところで、なんでもいいから新しい発見をしたいのです。旅先では自国では気にしない細かいところにも目が留まります。様々な文化を見て、聞いて、感じてを繰り返していくうちに、自分の文化や国についてもっていた因果マップが修正され、旅先で得た知識から、日本のこと、イタリア的な情熱、フランスのウィットにとんだ生活が想像できるようになります。「旅は心を広げる」とよく言いますが、これは本当ではないかとゴプニックは言っています。旅をしているときの私たちは、子どものように好奇心を解放し、色々な人と出会うだけではなく、自分自身も再発見するのです。

 

確かに、私もいくつかの国を海外研修という形で行かせてもらったことがあります。海外の保育を見ていくことは確かに参考になり、学ぶこともたくさんありましたが、それ以上に海外の保育を見ることは、自分の国の保育を改めて考える機会にもなります。因果マップを書き換えるということをゴプニックは言いますが、そこから見えてくる保育の様子を受けて、多くの引き出しを自分たちに与えてくれることになりました。また、そういったとき、私たちは「外部からの情報を遮断せず、注意と意識が高揚した状態にある」と言っています。そして、「生きていることを強烈に感じる。たった数日の旅でも、あふれるばかりの意識体験を持ち帰れる」のです。たった数日しかいなかったにも関わらず、その経験はかなり鮮明に脳裏に残っているのは、こういった注意と意識が高揚した状態にあるからなのでしょうね。日常的な無意識の中で繰り返される日々より、はるかに刺激的で目に入るものすべてが好奇心の対象であるから、こういった意識に残ることができるのでしょう。

 

赤ちゃんがこういった意識の高揚感のなかで、日々を過ごしているというのは、まさに日常の中で、見るものがすべて新鮮で好奇心にあふれている状態なのでしょう。そう考えると安心基地の必要性やキョロキョロと落ち着きのない様子になるのも納得がいきます。赤ちゃんはすべての環境において、新鮮さしか感じていないのです。そのため、より多くのことを学び、体験することができるようにするには大人は不安になったときに帰ってこれる環境でなければいけないのです。