ごっこ遊びの必要性

子どもが自由に因果マップを描き、反事実を探求していることに比べ、大人は空想世界と現実世界を区別していること。区別することで有益な活動に空想世界を活かすということを大人は行っているという差があることをゴプニックは言っています。このような差は幼い自分と大人の自分とで一種の役割分担をしているのではないだろうかというのです。

 

こうした役割分担は、大人と子どもの特性に、まだこれ以外にも違いをもたらしているようです。その一つが「自制する力」です。赤ちゃんと幼児、子どもと大人では、抑制すること、つまり衝動的な行動を自制する力に大きな違いがあります。大人が大きな目的のために目先の楽しみを我慢できるのはこの自制する力があるからですし、子どもが遠慮しらずと言われるのはこの力が弱いからです。この力は脳の前頭前野の変化と関連があるということが分かってきていますが、ゴプニックはこの自制の力がないからこそ、子どもは大人よりもより探求するのではないかと言います。

 

「自制心がない」というのは日常生活をうまくこなすという意味では欠陥として捉えられます。しかし、この欠陥として捉えられる「自制心のなさ」は逆に言えば、子どもが架空の世界での想像において、役に立ちそうな可能性に限らず、どんな可能性でも探求することに制約がないことにも繋がります。それに比べ、大人は現実世界との兼ね合いを考えると差し迫った未来の反事実を重視します。要は実益に伴ったものを想像してしまうことがほとんどでしょう。このように大人と子どもではその想像する幅の広さや探求の意味というものがちがってきます。人類はこういった限りない探求を許すことで、子どもが大人よりも多くを学べるように進化してきたのではないかとゴプニックは言うのです。

 

もちろん、子どもたちはごっこ遊びをするにあたって「世界や他人のことを学んでいる」といった自覚はないでしょう。しかし、「子ども期」におけるごっこ遊びをするということは非常に重要な活動であり、仕事でもあるのです。

 

このように考えると、ごっこ遊びの環境を保育の中に環境として用意しておくことの重要性を感じます。子どもたちはただ単に様々な役割を楽しんでいるというのではなく、役割を通して、その社会を学び、探求しているのだということが見えてきます。そして、そこで起きることの見通しや段取り、コミュニケーションといったものにも反事実や心の因果マップが利用されます。人と関わる遊びというのはそれだけ想像力を求められます。相手の気持ちを察することや思いやりを持つことは心の因果マップを持っているからだということが分かります。

 

「遊びは学び」とひとえに話すことが多かったのですが、こうやって理論を含め、その遊びの意味を探求していくことは非常に意味のあることということを強く感じます。