障害者教育から学ぶこと

「できること」「できないこと」を受け入れるということはなかなか簡単ではありません。先日の障害児・者の話にも言えることですが、「できないこと」を矯正するよりも「できることを探す」ことの大切さは何も障害者に言えることだけではなく、今の時代に必要な考え方であるように思います。

 

小西氏は「私たち人間は、『やればできる』と思っています。脳科学もそれを後押ししています。しかし、『やればできる』と疑いもなく信じ続けることは、ともすれば、子どもを『できる』『できない』で見ることにつながりかねません。『やればできる』という考えは、裏を返せば、『できない子ども』を社会からしめだすことにつながりはしないでしょうか」というのです。

 

この考えは「うつ病」の治療とも通じるところがありますね。簡単に私たちは「頑張れ」と言ってしまいます。しかし、一生懸命頑張っている人からすると「これ以上何を頑張ればいいのか」ということになります。現に障害者の人たちは非常に困難なものを持っています。そのため、頑張ってもどうしようもないこととも向き合い、受容していかなければいけないことも人より、おおくなります。小西氏は「ほんの少し見方を変えるだけで『できない』ところから出発している障害児教育から、私たちが学ぶべきことはたくさんあります」と言っています。

 

よく言われる「個性を伸ばす教育」というのはその一つであり、障害児教育は個性を伸ばす教育そのものなのです。なぜなら、一人一人の子どもの心身状態が全く異なり、一人一人の子どもの把握が、すべての始まりになるからです。では、普通学級においてはどのように考えればいいのでしょうか。成績が悪い子ども、情緒面で不具合のある子どもは、他の面でも評価されない傾向にあります。物差しは学力であり、対人関係になります。しかし、養護学校においては普通学級のように物差し自体がなく「いい物差し」を探さなければならないと小西氏は言います。まさに「無いものねだりより、いいとこ探し」をしなければいけないのです。また、障害者教育においては毎日の生活リズムがゆるやかです。教師はゆっくりと子どもの様子を観察し、評価を急がず、その子どもに合わせた指導をすることができるのです。そのため、障害児はゆっくりですが、発達してきます。こういった一つ一つのステップが親と子が互いに幸せを実感する瞬間につながるのです。

 

こういった一人一人の教育が今の子どもたちにとっても必要と言われながらも、なかなかうまくいっていないのが現状です。今自園では、「選択制」を通して子ども一人一人にできるだけ寄り添った環境を作ることを目的として行っています。それはこういった活動を通して、「できたか」「できていないか」ではなく、自分で自分をコントロールするということが大切なことと思っているからです。そして、小西氏がいうように「できる」「できない」で子どもを判断するのではなく、子ども自身が自ら主体的に「できた」と実感してほしいからなのです。