脳科学研究と課題

子どもの脳の臨界期における議論は何も日本だけでおきているわけではありません。1997年アメリカのヒラリー・クリントン大統領夫人(当時)が「子どもの脳をうまく発達させるための教育」というシンポジウムを開催しました。ほかにも2002年パリで行われたOECDの基調講演では、ローラ・ブッシュ大統領夫人が、フォーラムのテーマ「安全」「平等」「教育」「成長」はどれも重要としつつ、「『教育』がすべての要である」と述べました。こういった発言をうけて、ヨーロッパなどの先進国では、「教育」への関心が急速に高まり、特「脳科学と教育」への取り組みが一層強化されることになります。また、日本でもニューズウィーク日本語版で「脳科学」の特集が立て続けに起きたことにより、日本でも「脳科学」に関心が深まってきました。

 

こういった流れを受け、文部科学省は「脳科学と教育」研究がスタートすることになります。これは脳科学者や教育関係者、医者、心理学者などが集まり、日本の子どもの発達を科学的に調査・研究する検討会が立ち上がります。そして、その中に今回紹介している小西行郎氏も入っているのです。その研究の中では、まだまだ脳科学というものの取り組みは慎重であるべきだとの一定の答えが出ていたようです。というのも、これはこれまででも紹介した通り、「臨界期」を単に「教育的効果の高い時期」と捉えられるのは危険だからといった考えだからです。特に、私がこれらの研究の中で重要だと思う視点においては「子どもたちをよくするということだけでなく、子どもをより理解するということがまずあるべきだ」という視点です。あまりにも、「子どものために」という視点で子どもを一緒くたにしてみることは危険なように思います。それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人格はあるわけです。それを一つの入れ物のように扱うことの危険性はあるように思います。一つのレッテルを貼って子どもを見るという危険性は確かにあるのかもしれません。

 

これは脳科学の研究における4つの課題にも上げられます。その一つ目の課題が「個人差をどう扱うか」というものです。科学の比較実験において、「有意差」というものがあります。実験においては簡単に言うと「間違う確率が5%以下であれば統計学的には有意である」という考え方です。誤差が5%以下であれば、その結果は有意な結果であるというのです。しかし、小西氏は赤ちゃんを研究する場合、「有意差の有無」だけで片付けていいのかと問題があるというのです。なぜなら、人間の赤ちゃんの場合、「個人差」や「個人の中での差」が顕著に表れるからです。それは実験時の体調や時間帯、睡眠状態、お腹の好き具合、機嫌によっても左右されます。毎回単一の結果が出るとは限らないのです。つまり、そういった様々な環境においての結果は不安定なものであるという前提があるのです。

 

ほかにも小西氏は赤ちゃん研究においての課題を挙げています。