近隣諸国を見て

最近ニュースを見ていると、中国の尖閣諸島問題や韓国の慰安婦、GSOMIAの問題など、周辺諸国との問題が日本では多々あります。反日が起きているということもニュースなどで放送されているのを見ると日本と各国はあまりいい関係ではないのかもしれないと感じます。日本の中でも嫌韓、嫌中は起きていますし、私自身も国としてはあまりいいイメージがないのは事実です。

 

そんな中、昨年や一昨年は韓国や中国に行く機会が少しありました。見守る保育を伝えることや現状の各国の保育がどういったものかを知る一つの機会として、上海と威海、韓国にも行く機会がありました。実際のところを言うと、どの国も保育や教育については非常に強い関心があり、国の事情も相まって、かなり試行錯誤しているという現状があるということです。韓国ではかなり強い受験戦争があり、教育や保育においても子どもたちは勉強に向かうということをかなり強く意識させられているということでした。そして、保育においても、私立と公立とでは少し格差があるようでしたし、実際に社会に出るときに失業率の高さや就職難といったものがかなり重くのしかかっているようです。一方、中国では、少子化がかなり進んでおり、一人っ子政策の余波もかなり大きく出ているそうです。学習格差も大きく、子どもたちは大人に対し少ないので、家庭ではまるで「皇帝」のようだと言われることも多いようです。

 

しかし、中国においても、韓国においても、トップクラスの学校の学力は高いことがあります。その反面、若者の非認知スキルにおいては課題があるということが見えてきたそうです。そこで「見守る保育」というものが注目され、各国からも藤森先生が講演を依頼されることが多くなっています。意外にそれぞれの国の個々の人を見ていくとそれほど、反日という印象は受けませんでした。

 

どの国も子どもは将来の人材であるということには気づいていますし、保育はその人材を作るために非常に必要なコンテンツであるということに気づいています。そして、私が感じたのは社会主義国ならではのスピード感です。保育をかえるということに一度なると、一斉に変わる様相は日本とは大きく違います。

 

こういった海外研修を受けると日本は教育については2週遅れていると揶揄されているということがよくわかります。教育に向かう国を上げた姿勢は海外に比べると遅いように感じるのです。このままの姿勢で保育や教育が進んでいくとこの先かなり苦しい時代に日本は突入していくのではないかと感じざるを得ません。

 

これまでの非認知能力や遊びの意味、これまで保育の中でも「通説」と言われたことが大きく変わってきている時代になっているように感じます。そんな中、現場を担う人材はよりそのことを強く感じなければいけないのではないかと思います。これまでの「当たり前」はこれからの「当たり前」とは大きく違うということを考えなければいけません。