現場の責任

前回紹介した3つの条件が働きがいにつながるものであり、仕事に責任を持たせるための条件であるとドラッカーは示しています。そして、これらの条件は働くものが自らの仕事、集団、成果について責任を持つためのいわば基盤であると言います。そのため、それらを持たせることはマネジメントの責任であり、課題でもあるのです。しかし、この条件に取り組むべきはマネジメントする側だけが一方的に取り組むべき問題ではないと言います。これらの条件すべてにおいて、実際に仕事をするもの自信がはじめから参画していなければならないのです。仕事、プロセス、道具、情報についての検討に初めから参加しなければいけないのです。そして、それぞれの知識、経験、欲求が、仕事のあらゆる段階において貴重な資源とならなければいけないのです。

 

仕事をいかに行うべきかを検討することは、働くものとその集団の責任であり、仕事の仕方や成果の量や質は、彼らの責任であるというのです。したがって、仕事、職務、道具、プロセス、技術の向上は彼らの責任といえるのです。これは厳しい要求です。しかし、満たすことのできる要求なのです。

 

実際、仕事をすることにおいて、責任をもつことの重要性は非常に感じます。当然、その責任を負うということは厳しいことも多くあります。しかし、その中で、行動を起こすことによって成果が生まれ、そして、そこで得た感覚は知恵や経験となります。成果は自信につながります。たびたび、職場においても、マネジメントをしていく中で、トップダウン型の組織形態ではなく、ボトムアップ型の組織構図のほうがうまくいくように思います。なぜならばそれはドラッカーも言うように「仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。かれらこそ唯一の専門家である。仕事とは総合的なものである」というように、現場を任せている人たちの経験や技術はとても大きな資産であるということもいえるからです。そして、その働いている人それぞれのスキルアップのためには研修をすることではなく、研修で学んだことを実践することであり、結局は現場が動くことでスキルアップになっていくのです。そして、そのためには責任をある程度、持つ必要があるのだと思います。良かれと思って、マネジメントをする側が前に出ることは現場のスキルアップの瞬間を無くしてしまいかねないのです。

 

マネジメントをする上で、こういった現場にいる働く人に対する環境作りというものが大切なのではないか、とドラッカーの内容を見ているとより感じます。「現場に責任を与えること」ということが働きがいにつながりますし、そして、そこから見えるより良い組織づくりにおいて、マネジメントの向かうべき方向性はしっかりと見通していかなければいけないというのがわかります。