モラルと社会の同調圧力
最近「モラル」という言葉をよく聞きますし、よく感じます。ニュースを見ても、あおり運転やドローンの問題、SNSの問題などあげ始めればきりがありません。そもそもモラルというのは何を言うのでしょうか。無人島に一人でいるとそのモラルは必要とはされません。何をしても咎める人がいないだけに何でもできます。しかし、そこにほかの誰かいたら、ある一定の「ルール」がなければ安心して生活ができなくなります。しかし、それは「ルール」や「規律」であって、「モラル」と同義語ではないように思います。私は「モラル」というのは「思いやり」から始まる「暗黙のルール」だと思っています。
辞書でいうとモラルは「人が現実社会において守るべきとされる規範」と書かれいます。AIに聞いてみると「人が社会生活を送る上で守るべき倫理的な規範や道徳のことです。法的な拘束力はありませんが、個人の良心や価値観に基づいて行動を導く、善悪の判断基準として捉えることができます。」と出てきました。「法的な拘束力がない」というのが重要なところのような気がします。それは「個人の良心や価値観に基づく」という言葉に表されているとおり人によって千差万別であり、やはり社会と個人の価値観とを「すり合わせていく」という作業がモラルを守ることに重要なことのように思います。
そう考えると昨今の「モラルがない」というのはとても危険なことです。いかに個人だけの主張が強くなっている時代で、社会に対する影響が強くなっているのかということを感じます。そして、それらを「法律を整備しなければ守れない」社会というのも怖いものです。ドローンの問題もSNSの問題も法整備以前にそもそものモラルがあれば問題は起きなかったように思います。元日本代表の為末大さんが自身のNOTEで日本のモラルの高さについて日本の安全性について「安全安心は突き詰めると思い込みです。」と話していました。「近所の人も一定のモラルがある。という前提で私たちは『安心感』を得ています。しかし、もしも『やろうと思うなら』、どこにも安全はないことに気が付きます」といわれていました。確かにその通りだと思います。
そして、日本がモラルが高い理由について「高信頼社会を、同調圧力によって保ってきました。同調圧力はなんらかの形で社会に内包されていないと通じません。近代は地縁から解き放たれ自由になりましたが、同時に個人を内包する力も弱まりました。孤立と自由は表裏一体です。」日本は同調圧力が強い国だといわれています。「同調圧力」といわれると悪い意味でも捉えられますが、一方で、だからこそ逸脱した動きが抑止され安心できる人間関係にあるということも言えるようです。
だからといって「同調圧力がいい」とは私は思いません。それはその同調圧力に乗っかるだけでは意味がなく、その中で自分の意見を話すことや他者と自分を調整し、よりよい社会を作ることが重要だと考えているからです。結局のところ、思いやりを持った関係性というものが重要になってくると思っています。
2025年5月8日 3:05 PM | カテゴリー:社会 | 投稿者名:Tomoki Murahashi