脳と社会

人間は言語を利用し、コミュニケーションを効率よく行っていくことによって、ネアンデルタール人と比べ、社会や集団を形成し、様々なトラブルを避けることや、協働できるなどができるようになり、生き抜いていくことにつながっていきました。つまりは社会形成を行うことができたことが人間の生存戦略において非常に重要な意味あいがあったといえるのです。しかし、このような社会行動自体は生物界にも多く見られます。人間の特徴はこの社会形成は他の生物よりも群を抜いて、複雑で大きいものでした。そのうえ、文化を生みだし、知識を伝え、家族を越えたグループ間で分業や経済活動を行い、さらに政治や宗教などの社会制度まで作り出していったように、質においても他の生物とは大きく違っているのです。人間の本質的な特徴というのはこういった社会形成にあるのは間違いないでしょう。しかし、これはある問題を生み出します。

 

人間の特徴が社会であるということは、逆に問題も社会的なものであることが多いのです。たとえば、会社や学校などの社会組織をどう維持していくのか、家庭内問題やいじめ、戦争や差別なども社会的な問題から生まれているとも言えます。それほど、ヒトの生活において「社会」というのは重要であることが分かります。

 

この社会形成において、今の世の中を考えてみると、どんどん人は社会とは離れていっているように感じるのです。また、子育てにおいてはなおの事、その様相は非常に大きな影響となっているように思います。核家族が多くなり、家庭には子どもが一人しかおらず、母子と一対一で見ることになるといったような社会の印象というのは今の時代でも根強くあります。「子どもは母親がみるもの」という意識はこれまでの社会の形成といったことを考えると非常に危険な環境であるようにも思います。

 

社会を形成するために人は脳を大きくし、コミュニケーションを取れるようにカスタマイズしたにもかかわらず、今その唯一無二の能力を捨てようとしています。果たしてこのことが何を示しているのか。それと共に、教育や保育においても、子どもたちの生きる環境というものはどうあるべきなのか、どうやら、このことに関して教育や保育と脳というのは大きく関係しているのだろうと思います。

 

保育という仕事はそれだけ、多岐にわたる学問に通じているのだと改めて感じます。