集団における環境

前回の話から「はなす技術」ができる人は、意識してか無意識なのか、相手のいいところを見ようとする姿勢を持っているということが分かります。逆に相手のほめるところを見つけられない人は「はなす技術」がないと言えるのです。そして、一番良くないのは粗探しをする人です。それは結果として、主体的な行動には結びつかないのです。相手を「ほめる」ことで、自分の好意が相手に伝わり、そういった関係性は相手が「期待に応えよう」という意識につながるのです。そして、そういった関係性は「はなす技術」の「任せる」につながるのです。

 

今の社会はSNSでも人間関係でも、「あらさがし」が多くみられるように思います。これには日本の教育現場でも同じことが起きています。日本の多くの教育現・保育現場で言えることだと思いますが、基本的に「子どもとは何もできない状態で生まれてくる」という「白紙論」がいまだ非常に根深く、それが結果として「~できるようにする」という意識を根底に教育や保育が進められていることがまだまだあります。本来、学びや勉強といったものは「勉強したい」といった、本人のモチベーションから生まれるものであるが、現状はどうも「勉強させられる」「受験のため」といったように、子ども本人の主体性とは離れたものになっているように感じます。事実、日本人の多くは「勉強が嫌い」といっており、自分から勉強するということに対してあまりいいイメージがありません。

 

このように子どもの教育と同じような手法で、「新入社員のいいところを見つけて、自立させ自信を持たせ独り立ちさせる」よりも「教える=できるようにする」といった教育方法につながっているように思います。結果として、働く人とマネジメント、上下関係も含めて、コミュニケーションが「できるところをより伸ばして自信につなげ、より仕事の幅を広げていくといった」ポジティブなものから、「できないところをできるようにする」というようにネガティブなものが土台となってきているように思います。そして、結果として、「主体性」や「自立」といったものよりも、「他律、他責」といった関係性になり、メンタルヘルス不調への影響にもつながるようなになっているように思います。

 

これまでのメンタルヘルスの関わりにおいても、大人の問題だけではなく、子どもの保育教育においても共通することがおおくあり、こういった経験の有無が結果として、大人社会にまで影響しているからなのでないかと感じるます。子どもの環境においても、ネガティブな環境よりも、ポジティブな環境である方が主体性や情緒の安定にも影響します。そして、それが結果として学業においてもいい影響が出るということが言われているのです。

 

こういったポジティブな環境を持つことは大人も子どもにとっても、主体性を持つことにつながります。このことは企業や組織という枠だけではなく、教育現場の子どもとの関割においても同じことが言えることをよく考えておかなければいけませんね。