みる技術②

「みる技術」というのは、まず、「見えてるつもりでも、見えていない」という子の前提を知っていることが大きな大前提であるということを前回紹介しました。では、そのことを踏まえて、武神氏は「みる技術」というのはどういったものであると言っているのでしょうか。

 

武神氏は「みる技術は 『知る×説明できる』であると定義しています」と言っています。前回も紹介したように人の目から入ってくる情報は、頭に入ってくる情報の75%と大きな部分を占めています。ただ漠然と見るだけではなく5つの漢字で示される「みる」ができれば「知る」ことにつながるのです。これは前回紹介した5つの「みる」「見る・視る・観る・看る・診る」ですね。しかし、これらの「みる」をしていても、残りの25%は同時に「みることができない」可能性があるのです。ここまでが前回の内容です。

 

実際、このことをコミュニケーションに当てはめると、あなたにとって相手は他人ですから、いくらよくみていても、やはり「見えていないこと=知らないこと」もたくさんあるのです。「みる技術」を持っている人は、“自分には知らないこともある、ということを知っている”ということが分かっているのです。当たり前のことといえば当たり前のことですが、人は「この人は○○なひとだ」と先入観やレッテルを貼ってみてしまいがちです。たとえばよく遅刻してくる部下に対して「だらしないからだろう」と決めつけるのではなく、「遅刻する日は体調が悪いのかもしれない」という発想を持てるかということです。つまり、「みる技術」を持っている上司は「部下のことをよく知らない」という自覚を持っているのです。この「かもしれない思考」これは「みる技術」をもっている人が共通してできることです。

 

そして、この「みる技術」がある人は、相手について知っているだけではなく、「説明できる」ところまでいっています。つまり、これはあいては何を言われたら、やられたら喜ぶのか、仕事がはかどるようになるのか、何をしたら嫌がるのか、仕事ははかどらなくなるのか。などなど相手の「取扱説明書」を書くことができるのです。このように「知る」ということと「説明できる」ということできることで「みる技術」ということにつながっているのです。

 

こういった違う視点から人をみるということは非常に大切なことであり、特に子どもに対しては、重要になってくる関わりであるように思います。そして、この根底には「共感力」というものが根底になくてはなりません。「相手がなぜそういうのか」「どういった意味があるのか」「本質的に何を言いたいのか」それを察していかなければいけないのです。それにはこちらもある程度の余裕がなければいけません。子どもにおいても、大人においても、人との関わりにおいてはそれほど大きな違いはないのではないかなと保育士になってとても感じます。「相手を思いやる気持ち」というのはなにも子どもだけにつけさせるものではないのです。大人同士の関わりにおいてもこの気持ちは忘れずに持っていなければ人はいい集団にはなれないのですね。