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先日、GOOGLEニュースにヒューマノイドの記事が出ていました。それは家庭用の「NEO GAMMA」というヒューマノイドのプロモーションビデオでした。これはあくまでイメージビデオなのですが、ちょっとしたタスクをこなし、自然言語で人とコミュニケーションできる。そんなヒューマノイドが家庭に入ったときの風景を実機で描いたイメージビデオとしてはとてもよくできた内容で、近未来にこういった風景が当たり前になるのではないかと思うほどのものです。この記事を受けて、職員とこれからの社会について話をしたのがとても面白かったです。

 

まず、このヒューマノイドの話ですが、今こういった計画の中でロボット開発はかなり進んできており、運動能力はかなり進んでいます。ランニング、ダンス、宙返りなど運動機能だけではなく、細かい指先の動きやものを持つこともできるようになってきています。「NEO GAMMA」のイメージビデオではロボットが掃除機をかけたり、洗濯物を運んだり、食卓までワインを運んできたりと動きは人間ほどなめらかではないものの、まさにお手伝いさんのような動きをしています。こういったロボット開発において、世界中の投資家が大規模な投資を行っているのを見るとそれほど遠くない時代に当たり前の光景になるかもしれません。

 

この話をしているときに職員が「政治もAIなどに頼る時代になる可能性はあるかもしれないのでしょうか?」と疑問を話してくれました。この時私は「確かにあるかもしれない」と思ったのですが、もしAIが政治にまで影響が出てくる場合、ある一定の条件があるように思います。「人間が人と議論するのが嫌」「人と話すのが煩わしい」「簡単に答えが欲しい」といった人と関わることができなくなったときやそこが煩わしくなったときにAIが活用されるかもしれないと思いました。しかし、それにはとても怖い未来が待っているように思います。AIはあくまで過去のデータの蓄積から最適解を求めるものだとしたら、今の実態とはかけ離れた方法を提案するかもしれないということです。例えば、技術革新などは戦争が起きると飛躍的に開発が加速します。つまり、戦争を簡単に判断しかねません。戦争を終わらせるために核の使用を安易に出すかもしれません。これは極端で偏見的な思い込みかもしれませんが、あり得るようにも思います。実際、AIの苦手分野は「人間の感情や心理を理解できない」というものがあげられています。また、「倫理観による判断が困難」とも言われています。まぁ、そう考えると政治をAIに任せるということは起きないようにも思いますが、起きるとすれば人間が人間としての特性が無くなったときのように思います。逆に言うと、AIができない仕事、代替できない仕事は「ひらめく」といった創造的な思考であったり、人の気持ちを汲み取るといった実に「人間的」なものといえるのでしょう。

 

そして、これからつけなければいけない力はAIができない部分の力を伸ばす必要があるということがわかります。このように話していくとAIやロボットというものが少し怖いことのように思いますが、逆にそれらを効率よく使えば、とてもいいツールになりますし、良きパートナーともなります。「頭の良さ」というものの質がこれからは大きく変わってくるでしょうね。そして、これからこういった時代が子どもたちが大人になったときには実用段階になっているかもしれないと考えると今から保育のあり方も考えていく必要があると感じます。