真の提案

職員と話をしているとき、相手にとって有力な提案ができているのかどうか悩むことがあります。どうも自分の提案が命令に聞こえるようなこともあるようで、「もっと認めてほしい」「こちらもがんばっているんですが」とこちらとしては提案しているつもりなのですが、どうやら相手にとっては命令のように聞こえていたり、相手を認めていないように聞こえてしまっていたようです。これは自分の中で深い悩みでもあるのですが、これにおいてコーチングでは「提案」とはどう考えたらいいのでしょうか。

 

鈴木氏においても「あなたの提案は本当に相手から『提案』してうけとめられているでしょうか」と言っています。本来提案とは「“イエスというか”“ノーというか”の選択を、相手に完全に委ねて初めて成立するもの」だと言っています。しかし、会社でも学校でも、上位にいる人に向かって、本当の意味での提案をする姿はあまり見かけないと鈴木氏は言っています。たとえば、「プレゼンの資料に市場動向レポートを入れたらどうだ」「もう少し英語に力を入れたほうがいいんじゃないか」形態は“提案”ですが、ほとんどが“命令”だったり、お節介だったりします。命令やお節介は、どうしても“やらされている”というところに相手を導いてしまうというのです。

 

もしかすると私はこれを今してしまっているのかもしれません。自分では「こうしたらいいんじゃないか」とか「こう考えてほしい」と言っていますが、それは押し付けをしすぎているのかもしれません。相手にもっと委ねる必要があるのかもしれません。そのため、多くの職員は聞きに来ますが「どうしたらいいですか?」と全部を聞きに来ます。それは考えるのをやめていると思ったのですが、そう仕向けているのは自分自身かもしれないのです。「イエスでもノーでもいい。判断はお前に任せた」というトーンで語られたとき、相手はその問いかけを“提案”として受け入れることができるとあります。そういった意味では自分の思う方向に相手を誘導している印象を与えているのでしょう。

 

では、どうしたらいいのか。鈴木氏は「基準はただ一つ、そこにノーという自由が与えられているかどうかです」なかなか、自分としては心がけているつもりだったのですが、実はそうではなかったことが分かります。また、物事がうまくいっていないことに対して、必要以上に恐れている部分もあるのかもしれません。「相手を信じる」ということがなかなか難しく、思い悩むことが多いのですが、信じようとしなければ、それはうまくいかないのかもしれません。どれだけ相手に委ねることができるのか、そう思ってもらえるようにするのかということもコーチングとして必要な目線なのかもしれません。