相手の理解

人に指示を出すときに、気を付けなければいけないことが多々あります。誰しもが「自分は正しい」と思っています。だから被害者意識を持ってしまったり、知らず「ワンマン」な指示を出してしまったりするのです。これは自分自身も気を付けなければいけないことでありますし、慎重にならないといけないことだと日々感じています。それほど、相手の立場に立って物を見るというのは難しくもあります。うまく、「自分の側」から「向こう側」に意識を移して考えることができるのでしょうか。その一つの方法が「ひたすらその相手についての質問をする。そして、それについて答える」ことだと言っています。これは私も日ごろから心掛けていることでもあります。

 

これは自分自身の経験でもあるのですが、意外と「指示や決断をしなければいけない」立場になると、相手のことをおもんばかってもいれないことが多々あります。これまでは、やはりしっかりとしている威厳のある人といった印象、つまり「引っ張るリーダー」が印象にあったのですが、さまざまな状況を見ていると、何でもやってしまうリーダーや指示ばかりのリーダーでは人が育たず、逆にお節介になる場合もあるということに気づきました。そのため、人が「動きたくなる」ようなリーダーにならなければいけないと思うと、相手を「動かす言葉がけ」を模索する必要があります。そうなると相手をしっかりと見て、反応を予測して話さなければいけません。結果的に相手と向き合わねばならず、「相手の理解」は最優先事項になります。コーチングするにしても、大切なのは相手との関係であり、関係づくりにおいて、相手の理解は大切なことになってきます。

 

また、これは相手との信頼関係だけではなく、相手に指示の内容をどう届けるかの理解度にもつながっているのではないかと思います。自分の「思うがまま」の指示をすると「結果何を言いたかったのだろう」ということも起きてしまいます。相手がこの指示をどう受け止めて、どう考えるのだろうかと考えなければ、指示が伝わらないことも多くあります。相手を理解するというのは様々な点で考えなければいけなく、うまく関係を作ることで、チームや集団はうまく回っていくのだろうと思います。

 

以前、保育において、怖い先生がいるにあたって「子どもが大人の顔色を伺う」ということが話題に上がりました。このことにどう考えるでしょうか?「顔色を伺う」というとあまりいいことのように感じません。しかし、「今の子どもたちは人の顔色を伺わなさすぎる」と言われるとどうでしょう。最近の子どもたちはこちらが話していてもお構いなしに話している子どもが多くいます。私の園では「自由と規律」が理念に掲げています。「個」を育てるといっても、なんでもいいわけではありません。一定のルールの中で自己発揮しなければ、自分にとっても、集団にとってもいい結果は起きないのです。そのためには、「相手を思いやる気持ち」ということが重要になってきます。割と「先生と子ども」といった関係性において、トップダウンになりがちな関係性を作ることが多くあります。しかし、子どもも一人の人格者という意識は持たなければいけません。

 

「相手のことを思いやる」ということや、相手を知るために「相手の質問をする」という行為はまず相手を一人の人間として認めることから始まるのだろうと感じます。