受ける側

では、無礼な扱いをもし、受ける側であったらどうでしょうか。クリスティーン氏は無礼な態度を受けたときにうまく、自分の反応を制御できないと、短時間のうちに、自体が全く手に負えないものになってしまう恐れがあると言っています。そのため、賢い振る舞いが必要になるのです。どういった時でも決して自分を忘れてはいけないのです。なぜなら、感情というものは伝染性が強く、周囲に大きな影響を与えるからです。行事等、保育園でも職員が落ち着かない環境になる時期があります。そんな時に、イライラしている人と一緒にいると、知らず自分自身もイライラしてしまうことがあります。「売り言葉に買い言葉」という言葉があるように、感情は伝染し、気づけば自分が影響を受けていることを忘れてしまうのです。特に、怒りというのは伝播しやすく、増幅されやすいのです。その時には自分の行動に対して「やってしまった」と思うことの内容に気を付けなければいけません。絶対に慎むべきなのは「その場ですぐにやり返すことだ」とクリスティーン氏は言います。そんなことをすれば、相手のレベルまで自分を落とすことになるのです。そして、自分の名誉が傷つくことになってしまうのです。

 

では、無礼な扱いを受けた場合、相手と話し合うべきか否か迷う場合があります。そういった時に次の3つのことを問いかけてほしいといいます。①加害者となった同僚に何か言い返しても、身体的な危険はないか。②その無礼な振る舞いは意図的なものか ③その人が無礼な態度をとったのは初めてか です。すべての問いに明確に答えは出せないことが多いと思います。特に動揺しているときはなおさらです。そういったときには同僚や家族、信頼できる先輩、友人などに訪ねたほうがいい場合もあるのです。そして、この3つの問いへの答えが「イエス」だったら、相手をする。相手の言動であなたがどういった気持ちになったかを告げるのです。

 

その際、相手のところへ乗り込んで話をする場合には事前に準備が必要です。「話し合うタイミング」「安全な場所」「双方が気分よくいられる場所」「証人または仲介者としての第三者」。自分の言っていることが正しいかをリハーサルしておくことも良い。大切なことは話に行くときには「どうすれば最もお互いにとって利益になるか」を最優先に考えるようにする。話をするときには中心となる問題だけ話し、互いの人格については決して触れない。触れるのはあくまで相手の行動である。話をする際には言語以外でのコミュニケーションにも気を配り、声の調子などには気を付ける。「何を話すか」ばかりに気を向けるのではなく、「どう話すか」にも注意しなければいけません。つまり、細かな態度、視線、表情、無意識の動き、話すテンポ、などです。相手が感情的になったり、怒りをあらわにするようなことがあっても、できる限り、咎めたりせず、そのままにしておいた方がいいそうです。その方が、対話が実りあるものになるのです。相手の感情を受け入れる意思を示したほうが良い結果になることが多いのです。相手の言葉を言い返すようにするだけでも、相手を理解したという意思が伝わる。そういったように謙虚な姿勢を見せることで、相手には好ましく映り、信頼も得らえるということがいくつかの実験でも証明されているのです。

 

そして、忘れてはいけないのは「話し合いの目的」です。目的はこれからより良い仕事をするためにお互いにどうすればいいのかを話すことなのです。そして、相手ももしかすると誰かに不当な扱いを受けていると感じているのかもしれません。実は職場の外に問題を抱えているのかもしれません。話し合いをする際には「共感」をすることが重要なのです。

 

と、まぁ、こういったことをクリスティーン氏は言っています。話し合いをする際に、気を付けることを挙げています。確かにその通りですし、共感力や相手の感情を受け入れることで、話し合いが冷静なものになるというのはよくわかります。そして、何よりも感じるのが、ここで挙げられていることは、そのまま保育の現場でも起きていることです。子どもたちの喧嘩においても話し合いがもたれますが、その時に「相手の気持ちを考える」ことや「話す目的から脱線しない」ことなどは子どもでも同様です。クリスティーン氏は言っている内容はそのまま保育にも転換できるのです。面白いですね。人が話し合うプロセス、コミュニケーションの下となるプロセスは大人だろうと、子どもだろうと変わらないのです。見方を変えると、「無礼な人」というのは乳幼児期や生きていく経験の中で、こういった経験値が少ない人なのかもしれません。こういった本がでて、人気があるというのはこういったことを改めて「学ばなければいけない」時代なのかもしれません。