続 心で叱る(平成24年度12月)

今、幼稚園では12月に控えているフロアーコンサート(音楽発表会)の練習でたくさんの曲と楽器の音色が、楽しそうに流れています。担任と子供達が新年度から温めてきた曲が、少しずつ合奏曲になったり可愛いお遊戯に仕上がったりしていくこの過程が子供達一人ひとりの成長につながっている事を実感します。そして、先生と子供達との信頼関係が確実に深まっていくのも分かります。

さて、先月の『葉子せんせいの部屋』では、“叱る”という事について書きました。綴りながら10年以上も前のある出来事を思い出したので、今回はそれを紐解いてみます。

それは、年長組を担任していた時の事。クラスの中には、とてもやんちゃなボス的存在の男の子S君がいました。ボス的な存在になっている事はその子の課題でもありました。良い所をみつけ他の子供達にもその子自身にもその子の良い所に気づかせてやりたいと思って関わった一年間でした。そんなある日、保育室で昼食後の片づけをしていた時です。一人の男の子K君が、何人かの男の子に何やら言っていました。言われている男の子達はしょんぼりしています。様子が変だったので、近くに言って耳を傾けていました。すると、「S君が、一番に外に出てサッカーするんだから、先に出たらダメだぞ!」と言っているのです。どうやら、K君はS君の言わば“命令”を受け、男の子達がS君より先に外にでるのを阻む役目になっていたようでした。私は、その状況を把握した時、とても悲しい気持ちになりました……いえ、違います。ショックでした。私は、これは見逃せないと思い、個人的にもクラスの問題としても話し合い厳しく叱りました。話を聞けば、K君は自分の気持ちに反して、言われたまま意地悪したようでした。意地悪な事を言ったりしたりした事自体よりも、悪い事と分かっていながら強い立場の子の指示に従ったというK君の行動が情けなかったのです。自分で善悪の判断をし、いけない事はいけない!と友達に言える子になって欲しかったのです。私は、こんな事がクラスの中で起こった事も考えれば考えるほどショックで、半泣きしながら二人を叱りました。S君とK君にはそれぞれに考えて欲しい事が違っていたので、別々にも叱りました。もしかしたら、次の日、K君は幼稚園に来ないかもしれないと思う程厳しく叱りました。自分の住む世界が大きくなるにつれて、このように自分で善悪を判断し行動しないとならない場面が増えてきます。いけない事と知りながら人の言いなりになる子にはなってほしくなかったのです。将来、自分の考えと責任で行動できる大人になって欲しい…という想いの一心で叱りました。

その翌日、K君がお母さんからの連絡ノートを持って来ました。私は厳しく怒った事へのお叱りを頂戴したかと思いながら開きました。すると、そこにはこう書かれていました。

『昨日は大変お世話になりました。迎えに行って車に乗り込むと、すぐ、「お母さん、今日、僕、すっごーく怒られたんよ!」と張り切って(?)話し始めました。何かワルサでもしたのかと思って聞いてみると、人に言われて意地悪をしたという事だったので、びっくりしました。私の想いを話すと「葉子先生もお母さんと全く同じ事を言ったよ。すっご~く怒ったよ。そのままの大人にならないで!!って言った。」との事でした。「僕、すご~くイヤだったんよ~。」と言うので、「何がイヤだったの?」と聞くと、「もちろん!人にイヤな事をしてしまった事。」という返事でした。「じゃあ、葉子先生に怒られた事は?」と聞くと「う~ん、けっこう嬉しかった」との事でした。先生が愛情いっぱいに叱って教えてくださったんだなぁと嬉しく思いました。ありがとうございました。』

私は、お母さんからのこの文章に、その時のK君の涙と後悔の気持ちを思い出し涙がでました。また、叱られた事をお母さんに全て話せる親子関係にも感心しました。私達は“人”を育てています。将来どんな場面でも、どうにかこうにかしながらでも強く正しく生きて行ける“人”に育ってほしいのです。そのためには私達も真剣に向き合います。世の中で許されない事があるという事を教えたいからです。大好きな先生が…大好きなお父さんが…優しいお母さんが、こんなに怖い顔で怒ってる…これは大変な事なんだと感じるはずです。叱る方も、“本気”にならないと子供の心には響きません。“叱らない子育て”にも賛成ですが、叱らなければならない部分から目をそらし、それを覆い隠すように良い所を褒めていくような“叱らない子育て”では成功するとは思えません。“叱る”は“諭す”事だと思います。生き方を見つけ出すための道標をあちらこちらに立ててやることだと思います。その道標を立てる時に、ある時は気付かれないようにそ~っと…ある時は優しく…またある時はガツン!と…と色々な方法で立てて行く事、その中に“叱る(諭す)”があるのです。

私は、その時にここまで考え、S君とK君を叱ったのではありません。ただ、“本気”だったのです。“叱る意味”に気付かせてくれたのは、お母さんからいただいたこの連絡ノートの文章とK君がお母さんにつぶやいた『(葉子先生に怒られて)けっこう嬉しかった…』という言葉でした。私は、『先生は、K君からこの言葉を聞けて、その100倍も嬉しいよ。わかってくれてありがとう。』と書きました。