お次の方・・・・・どうぞ(平成28年度)
先日の運動会では、たくさんの応援をいただきありがとうございました。子供達はみんな生き生きと、自分の今持てる力を一生懸命に発揮してくれたように思います。この経験が、子供達をまたひとつ大きくしてくれるものと信じています。
さて、それは、夏休み中のプレイルームでの出来事でした。子供達が部屋の中で遊んでいる時、トイレから女の子の声が聞こえて来ました。「葉子せんせ~い!葉子せんせ~い!来て!!」──行ってみると、年中組の女の子がトイレットペーパーの芯を持って呼んでいたのです。「あらあら、ごめんね。待っていて!すぐに替えてあげるからね。我慢できる?!」と聞きながら替え、「はい、お待たせ。行っていいよ。」と言うと、「ううん、私はもう行ったの。私で、ちょうどトイレットペーパーがなくなったから…。」と、その子は次の人が困らないように、紙が無くなった事を教えてくれたのでした。私は、てっきりトイレに行ったらトイレットペーパーが無くて困って焦っているのだと思っていました。「そうなんだ。○○ちゃんは大丈夫だったんだね。良かった。ありがとうね。」と言うと、その子はすぐにまた友達の所へ行って遊び始めました。職員室でもよくある事なのですが、私が印刷したりコピーをしたりしようと思ったら印刷用紙やコピー用紙が無くなっていて、「だ~れ!? 最後に使った人!次の人が困るでしょ~!用紙を補給しておいてよ!」と、先生達に小言を言う事がよくあります。たまたまだったのか、忙しくて気が回らなかったのか、忘れていたか……ブツブツ言いながら私が補給します。そういう私も人に小言が言えるほどではありませんが……(お恥ずかしい事ですが…)。大人でも分かっていてもなかなか当たり前の事が当たり前にできないのです。次の人の事まで気が回らないのです。
『立つ鳥跡を濁さず』という言葉があります。“立ち去る者は、その場所が、見苦しくないよう、きれいにしておくべきである”というたとえですが、これは人が人と関わり合いながら共に生きて行くための最低限のマナーだと思います。何事もなかったかのように物事をきちんと整理整頓しておくのです。その事で、次にそこを使ったり見たりする人が困ったり気分を害したりする事のないようにという気遣いです。物質的な事だけではなく、気持ちの上での話でもあります。大人社会においては、そういう所で人間性を見られる事にもなります。立ち去ったその跡に、その人の気持ちが表れます。
我が家の稲刈りを手伝いに来てくれていた義兄が、刈った後、竹ぼうきとちりとりを持って藁で散らかった道路を掃除しようとしてくれていました。「自然にきれいになるかもしれないけど、みんなが通る道だからね。汚したままじゃあ、気が引けるからね。」と…。単に、自分の家の稲刈りの片付けとしてではなく、次にここを通る人が気持ちよく通れるようにという気遣いです。きれいになったその道路から『稲刈り中お騒がせしました。どうぞ通ってください。』の気持ちが表れます。
また、大学生の我が家の娘達がお盆に帰省して来た時の事。彼女達の帰省を楽しみに掃除をしたり夏用の布団を出したりして、それぞれの部屋を整えておきました。帰って来てその事に気づいた二人が「部屋を整えてくれててありがとう!家に帰ってきたぁ~って気がする!」と言ってくれました。数日過ごして、また大学に戻った後の娘達がいなくなった部屋を見ると、二人がそれぞれ使った枕と布団のカバーが外してあり、ベッドと部屋がきれいに整えられていました。それを見て彼女達の『お母さん、数日間ありがとう。』という言葉とは違う感謝の気持ちが伝わってきました。
トイレットペーパーが無くなったのを知らんふりできなかったり次の人の事を考えたりした女の子の自然な行動が、凄く輝いて見えました。“お次の方どうぞ”と心から言える思いやりの心だと思います。その時、あまりにも自然過ぎて、やり過ごしそうでしたが、よく考えると、それはとてもとても大切な気遣いのある振る舞いで、それをわずか4歳の子供が普通にできる事に大変感心しました。私は、少し時間が経って、その女の子に「○○ちゃん、さっきはありがとうね。次の人がきっと助かっただろうね。」と声をかけました。その女の子はきっと先生に褒めてもらいたいとか、良い事をしたかったという気持ちではなく、その子にとっては極自然な事で、次の人の事を思って、紙が無くなったのをそのままにしておけなかっただけの事なのです。
“片付ける”とはそういう事なのだと思うのです。自分の行動にピリオドを打つだけでなく、更に次の人の気持ちを考えて行う──ここまでを言うのだと思います。その“次の人”はもしかしたら“自分”かもしれない、そうだったら、どうなっている事が気持ちの良い事なのかを考えられる人になってほしいと思います。よく、今の若者はコミュニケーション能力が不足していると言われます。コミュニケーションとは、直接、人と会話をしたり触れ合ったりする事だけではなく、人を想う心を自然に行動に移す事もそれに値すると思います。それが普通にできる子供達の姿を認めてあげる事で、いずれ、世の中を担う頼もしい若者達に育つ事に繋がって行くような気がします。
実は、子供達の純粋な行動に、私達大人も大切な事を気付かされたり学んだりする事って結構あるんですよね。反省!
2016年9月30日 4:00 PM | カテゴリー:葉子先生の部屋 | 投稿者名:ad-mcolumn