老いと親(平成17年度10月)

9月23日、秋分の日の運動会は、開会して間なしの頃、10分くらいの間、雨が降りましたが、その後は好天に恵まれ、無事、終了することができました。子供達が楽しそうに活動している姿は、保護者の方はもちろんですが、おじいちゃんやおばあちゃん、ご近所の方々の心をずいぶんと癒してくれたのではないかと思っています。いつも、スピーカーの大きな音や声で迷惑をかけているはずのご近所の方々が観に来て下さることも嬉しいかぎりですが、ましてや、その人達が子供達から元気がもらえるとさえ言ってくださって、こんなにありがたいことはないと感謝しています。


幼稚園の子供達は、時々、老人ホームへ慰問にでかけますが、子供達のかわいい姿は、お年寄りの一番の喜びとなり、子供達から元気をもらうことができると、いつも心待ちにしていてくださいます。おじいちゃんおばあちゃんの顔が一度に明るくなり、嬉しくて涙を流しながら子供達の手を握って離さないおじいちゃんおばあちゃんの姿もあります。
私にも年老いた両親がいます。父が大正3年生まれの91歳、母が大正7年生まれの87歳です。それも、田舎での二人暮らしです。長男、長女は東京住まいで、私が三次です。ずっと寂しい思いをさせていることがいつも気がかりでいます。


三人とも親孝行をしたい気持ちはあるものの、それぞれの仕事や家庭の事情で両親だけの二人暮らしを余儀なくさせています。
一方、親は親で、子供達が一緒に住もうと声をかけても、長年過ごしたこの家が一番良いと言って腰を上げてくれません。
そういうことで、二人が元気でいる間は、それはそれで良いかと思いながら過ごしていましたが、4ヶ月前、父親が脳梗塞で倒れ、急遽、入院しました。おかげ様で元気にはなったものの、右手と右足が不自由になり、車椅子の生活となりました。子供達が自分達の家に来るように誘っても、子供達の家に行くと迷惑をかけるからと動こうとしません。自分達が若いときには祖父母や両親を一生懸命世話をしてきたのに、自分達が老いてきたら子供達に迷惑をかけまいと気遣っています。


田舎の昔の家ですから、そのままでは車椅子の生活はできません。止むを得ず、退院することを少し伸ばしてもらい、10月早々から改装することになりました。
ところが、大正時代に生まれ育った人達は、本来、一番多感で希望に満ちた青春時代を、大東亜(太平洋)戦争で出兵したり留守家族を必死で守ってきたり、また、広島、長崎への米軍による原子爆弾投下による被爆、敗戦を経験して、日本中、生活が困窮した凄惨(せいさん)な時代を過ごし、その後も必死で働き、今の日本を築き上げてきた世代なのです。そのうえ、大家族で両親や祖父母の世話をし、敗戦後、都会から親戚を頼ってきた人達をも受け入れ、子供を育て学校にやり、本当に人一倍の苦労を、身をもって体験してきた世代です。


そのため、ほんの少しの贅沢もできず、常に、「もったいない、もったいない」という生活をしています。そういうことで、いざ家を改装しようとすると、それを壊したらダメ、捨てたらダメとなかなか改装の話が進みません。しかも、自分達はもうすぐ死ぬのだから、もったいなくてお金をかけたくないとまで言います。少しでも子供達にお金を残してやりたいと思っているのです。もうすでに、還暦を迎えた子供達に対してなのです。「老いては子に従え」という言葉があるように、とにかく子供の言う通りに改装をするようにと説得を続けて、やっと、工事の依頼までこぎ着けることができました。


自分自身、なかなか親孝行ができないでいることを恥ずかしく思いながら過ごしていますが、「親思う心に勝る親心」と言うように、年老いてもまだ子供達のことを心配してくれています。
別な意味で親のことを一番心配してくれるのは、たいていの場合、孫たちです。親が子育てをしているときは責任もあり、精神的な余裕もなく必死ですし、子供に対して厳しく接しなければならないことも多くあります。ところが、孫がかわいくてしようがないおじいちゃんおばあちゃんは無条件でかわいがります。おじいちゃんおばあちゃんからの愛情を一身に受けて育った孫が大人に成長した頃は、自分をかわいがってくれたおじいちゃんおばあちゃんはすっかり年老いています。そのため、一番、お年寄りのことを心配しているのが孫なのです。


私の実家は、もう建て替えないかぎり、孫達が住むのにはほとんど満足を感じる建物ではないのです。両親が他界したら取り壊すしかないような建物です。私自身、誰も住む人がいなくなったら取り壊すしかないと思っていました。庭の松の木も剪定を怠ると一度に松葉が茂り、見るに絶えない姿になってしまいます。今年もそのままにはしておけないので、松の剪定をしてきましたが、庭木は常に管理していないと、すぐに荒れてしまいます。年老いた母も、私が松の木の剪定をしている姿を見て申し訳ないと思っているようで、母はその松の木を切り倒そうと考えていましたが、かわいがって育った孫で兄の息子である私の甥坊がしきりに反対します。子供の頃、夏休みや冬休みになるといつも泊まりに来ていた甥坊にとっては祖父母と過ごした日々のことや心を癒してくれた庭の樹木や古い家、周りの自然が、甥坊の心の中にしっかりと焼き付いているようです。その甥棒は、すでに社会人となり東京に住んでいますが、空き家になっても時々泊まりに来ると言っています。


いずれにしても、若い人達も、いずれ、年老いていきます。80歳、90歳と聞くと、若い人たちは、自分はまだまだ先と実感がありません。ところが年老いてみると、人生ってそんなに長いものではありません。すぐにやってきます。先日、田舎に帰ってきたとき、その集落の家のほとんどが世代交代していて、子供の頃のおじいさんおばあさんは誰一人いなくなっていて、友達もすっかりおじいちゃんおばあちゃんになっていました。一日一日を大切にしながら、しっかりと生きていきたいものです。