作ること(平成9年度)11月

親子でいろいろなものを作った10月18日の「親子のふれあいデ-」はいかがでしたか。子供たちがうれしそうに、楽しそうに過ごしている姿はもちろんのことですが、お父さんやお母さんがすごく楽しんでされている姿がとても印象に残っています。もちろん我が子と一緒に作っているということの喜びもいっぱい感じられての楽しそうな姿ではあるのですが、「作る」ことそのものの行為から味わうことのできる楽しさが、お父さんお母さんの楽しそうな様子として、見ている方に伝わってきたのだと思います。


「作る」という行為は、相手(対象物)に変化を与えることなのです。砂場の砂に変化を与えいろいろな形を作ったことも、段ボ-ルや竹を使って、隠れ家や竹馬、ぽっくり、拳玉等を作ったことも、白紙の模造紙に絵の具で等身大の大きな絵を描いたことも、石鹸や水から大きなシャボン玉を作り出すことも、対象物に変化を与え、その対象物そのものの姿とはまったく違った物を作り出す行為なのです。その対象物に変化を与える行為そのものが「創造」の世界なのです。


では、そのように対象物に変化を与えることがどうしてそんなに楽しいのでしょう。
難しい言い方になりますが、心理学の立場からいう、「有能さ」と「自己決定的」からくる喜びなのです。
砂や竹や段ボ-ル等の素材の持っている固有の特質が、その人の心に働きかけ、それに誘発されて、手に取り、イメ-ジを広げ、そのイメ-ジにそって変化を与えようとします。自分の持つイメ-ジにそって対象物に変化を与えていく(作り上げていく)課程の中で、自分で考え、判断し、決定し、作り、またイメ-ジを広げ、考え、判断し、決定して作り上げていきます。この心の働きを繰り返しながら、完成させていきます。このように、自分でイメ-ジしたことを、自分の意志で決め、自分で変化を与えることができている、できたという、自らが造り出しているチャレンジを征服することができるとき、「有能」で「自己決定的」であると感じることができるのです。そのことが、心の快感となり、喜びとして、楽しさとして感じるのです。そして、それをやりとげたことにより達成感を味わうのです。


「親子のふれあいデ-」でしたことは、確かに先生たちが企画したことではありますが、その企画によって子供や保護者の方が何かを作りはじめた(これを外的要因により動機づけられた行動といいます。)訳ですが、そこに準備されていた、その対象物に対して心を動かし、対象物を選び、それぞれのイメ-ジにそって作り上げていかれた行為は、自分自身の、自らの心の働きなのです。自分の心にイメ-ジを呼び起こし、そのイメ-ジにそって自ら造り出した目的(目標)にチャレンジし、征服(完成・達成)したことにより、快い刺激を受け、満足感を覚えるのです。(これを内発的動機づけによる行動といいます。)


作ることの楽しさやすばらしさはここに有るのです。その喜びが自らの自らへの報酬なのです。そして、その行為を通して、結果として、様々な能力や感情を発達させていくのです。
子供たちの「あそび」も同じなのです。遊びを通して様々な能力を獲得し、感情を発達させていきます。遊びこそ、子供の内発的動機づけの最たる、自発的な行為なのです。子供の自発的な遊びの経験の内容の豊かさこそが、能力や感情の豊かさにつながるのです。

しかしながら、今日の子供を取り巻く環境は、「あそび」を否定的にとらえる風潮が強く、以前は、地域での子供たちの異年齢集団の中で、遊びの伝承や発展が有りましたが、今では、異年齢集団もほとんど崩壊してしまいました。そのため、子供たちの豊かな遊びが消えていき、特に幼児や低学年の子供が上級生から様々な遊びや能力獲得していく機会がほとんど有りません。このことを補うためには、教師や親が意識的にその環境を造り出し、時には伝承し、豊かな遊びを取り戻してやらなければなりません。


そのためには、自発性を尊重するためにも、子供たちに「やらされている」という思いを持たせさないように仕掛けることがとても大切なのです。仕掛けなくても、子供自ら遊びを造り出すことは、最も得意とするところですが、幼児は生活経験が少ないだけに、ましてや、地域の異年齢集団がないだけに、十分な遊びを経験しないまま通り過ごしてしまいます。望ましい経験をさすためのきっかけを仕掛けてやることが大切なのです。