2000年(平成11年度)平成12年1月

西暦2000年という千年紀(millennium)の記念すべき年を迎えました。ところが、例のコンピューター2000年問題(Y2K)に遭遇し、年末には世界中が大きな不安の中に追いやられていましたが、幸いにして大きな問題や事故もなく新年を迎えることが出来ました。それだけに、今までの対策が完璧に近いほどとられてきた証でもありました。


そんな中、小渕総理のテレビでの呼びかけもあって、各家庭での生活必需品の備蓄も大わらわであったようです。私の妻も停電になったときの暖房を心配して「石油ストーブを買っておいた方がいいのではないか」と聞くので、「寒かったら布団の中で寝正月と決め込めばいいよ」といって、なに一つ買うことなく新年を迎えました。準備したのは、トイレ用に風呂の水をいっぱいに張っておいたのと、飲み水をポリバケツに1杯分ほど入れておいただけでした。「電気や水がなくてもしばらくは生きられるよ」という、開き直りの気持ちでの不安解消です。


その後のニュースを見ると、日本でも、何万、何十万円と買いそろえた人、アメリカでは10万、20万ドル(100、200万円余)以上も準備をした人もいて、その処分に困っている話題も報じられていました。このことで思い出したのが、昭和49年(1974年)のオイルショック時のトイレットペーパー騒ぎです。トイレットペーパーがなくなるという話が広まり、みんなが一斉に買いだめに走り店頭から姿を消してしまったのです。


このように、人間の持つ何かに対しての不安感が、ある特異な行動として顕れるのです。そのようなときの、各個人の、対処の仕方の違いは、それぞれの経験や人間性、あるいは生きる姿勢によって大きく違ってくるように思います。今回の2000年問題のときも、戦中戦後の物のない時を経験している人、あるいは登山やキャンプのような自然体験をたくさんしている人と、飽食の時代と電化製品の中で何一つ不自由なしに育った人との対処の仕方は、おそらく、大きな違いがあったのではないかと思います。今回の2000年問題で、日本では、それほどまでにフィーバーしなかったのは、オイルショックのときの経験が生きていたのかもしれません。あるいは、阪神淡路大震災を経験して、それなりの準備が出来ていたのかもしれません。経験が知恵を与えてくれるのです。


子育てについても似たようなことがあります。最近よく耳にする「育児不安」という言葉に代表されるように、親の育児に対する不安は、様々な問題を引き起こす要因にもなっています。典型的な例が幼児虐待事件です。我が子に対して何故と思われる方がほとんどだと思いますが、近年、急増しているのです。虐待にまでは発展しなくても、育児に対する不安は多かれ少なかれ、ほとんどの親が持ちます。初めての経験だから当然のことなのです。

これも、不安の持ち方が違うのはもちろんですが、同じような不安を抱いたとしても、親の対処の仕方が、今まで育った環境でずいぶんと違う場合があります。大家族や兄弟の多い家庭で育って、子供の頃に叔父や叔母の子の子守りや弟や妹の世話をした経験のある人と、核家族で兄弟も少なく、子供の頃から赤ちゃんを抱いたことのない人との経験の違いからくる対処の仕方はずいぶんと違うことがあります。これらも、経験からくる知恵の差なのです。

そのようなこともあって、今の若い世代が、子供の頃から赤ちゃんを抱いたこともなく大人になっていることにも、育児・子育て不安に繋がっているのではないかと、文部省も、「子どもたちがのびのび育つ教育環境の実現」の一環として、「高校生が幼稚園等で幼児とふれあう体験学習の機会の充実」の計画づくりに着手し始めました。
学校でこのようなこともしなければならなくなったぐらい、私たちは、物質的な富と便利さを得た代償として、人間としての何かとても大切なものをずいぶんと失ってきたような気がします。今年は20世紀最後の年です。新たな21世紀には、いかにして、失われた人間の大切な心を取り戻すかが問われるのではないでしょうか。