めだか(平成12年度)9月

夏休みの間に、幼稚園の園庭に流れる小川の改修をしましたが、上流には小魚が住めるよう、小川の中間に堰(せき)を作りました。

それを知った20年ぐらい前のPTA副会長だったお母さんが、早速、倉敷にはいっぱいいるといって、彼女の友だちに連絡して、メダカや川エビを手に入れて、たくさん持ってきてくださいました。その日は、私は海に魚釣りに行って留守をしていたので、女房(子供の館保育園の園長)とそのお母さんが小川の中に入れてくれました。

ところが、そのお母さんが帰られてしばらくすると、たくさんのメダカが堰を越えて、子供たちが入って遊ぶ下流の方に移動しているのに気づいたのです。そのままだと溝に逃げてしまいます。大慌てで水の出口をふさぎ、目の細かい網を買ってきました。そして、メダカをすくおうと小川に入ったのです。ところが、メダカに近づくと、すぐに逃げてしまいます。なかなか網に入ってくれません。どうしたものかと途方に暮れて、小川に足を入れたまま、石の上にじっと座っていました。

そうしていると、しばらくすると、メダカの方から足下に近づいてきます。じっとしていると、メダカの方から近づいてくるのです。そして、近づいてきたメダカを一匹ずつすくい上げ、上流に戻すことができたのです。気がついたら夕方になっていて、半日がかりでメダカすくいをしていたのです。

ところが、「メダカすくいがとても楽しくて楽しくて」と、その時の様子を子供のように喜々として話してくれます。「子供の頃にこんな経験をいっぱいしておきたかった」というのです。彼女の生まれ育ったところが、工場地帯で川が汚れはじめた頃で、子供たちは川で遊ぶことを禁止されたのです。そのため、川に入って遊んだ経験がないといいます。

一方、私の場合は、山河に囲まれて育ったので、夏休みには朝から夕方まで川で泳いだり魚を捕ったりして遊んでいて、まさに「かっぱ」そのものでした。
私が小学生の頃にはどこにでもいたメダカですが、今は特別な場所でしか見つけることができません。幼稚園の小川が完成して水を入れると、シオカラトンボ(雄)とムギワラトンボ(雌)が早速やってきて、水にお尻をつけながら卵を生み込んでいます。環境が良くなると、昆虫や小動物の繁殖がよみがえってくることを目の当たりにしています。


この夏休みに子供たちはどのような体験をしましたでしょうか。お金をかけて遊ばなくても、ちょっと田舎の方に行くと、まだまだ自然が豊富で、子供たちの遊ぶところがいっぱい残っています。お父さんやお母さんが、ちょっとだけ意識して、小川に入って川遊びをしたり、昆虫を捕って遊ぶことを子供たちと共にしてくださると、子供たちは命をよみがえらせたかのように、目を輝かせて、喜々として遊びます。自然は子供たちに好奇心や冒険心を誘発させてくれます。その中での様々な経験が意欲や探求心や思いやりの気持ちの基を育ませてくれるのです。

最近の子供は、ほとんどの子がといっても良いくらい、ファミコンなどのゲームで遊びます。そのゲームをみていると、多くのソフトは、相手を攻撃するものばかりです。ところが、以前から危惧していることなのですが、怖いのが、成長期の脳の神経細胞が、どうも、攻撃性の強い配線になってしまうのではないかということなのです。近年、「17才の少年」の事件が度々報道されます。今まで、日本人の犯罪の中では、あり得なかったような、信じられないような事件が続いています。もしかして、この子たちが育った時期が、ゲームに熱中していた、ブームとなった、時期と重なるのではないでしょうか。


お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんは、ほとんど海水と同じ成分だと言われる、羊水の中で育ちます。しかも、わずか妊娠10か月間の中で、海から生物が生まれ、何十億年とかかって人間になっていった過程をすべて通るともいわれています。幼児のや児童の育ちも同じようなことがいえます。経験すべきことを経験して育たないと人間としての望ましい発達をみることができないのです。「自然は偉大な教師」というように、自然との関わりは子供たちの様々な知恵や豊かな感性を育んでくれます。子供たちの「あそび」を再考してみていただきたく思います。


今年の夏休みも、卒園児が訪ねてきてくれました。24才になる千幸ちゃんという子で、幼稚園を卒園すると同時に、お父さんの転勤に伴って、広島市に引っ越しました。それっきり会うこともありませんでしたが、8月に入って間なしに、お母さんと、婚約者の彼を連れて、幼稚園を訪ねてきてくれたのです。彼との婚約が決まって、急に幼稚園を訪ねたくなったというのです。幼稚園のころをとても懐かしく想い出しながら、彼に楽しそうに話している姿はとてもほほえましく感じました。昨年も、人生の転機で悩んでいたとき、急に幼稚園に行ってみたくなったと、新幹線に乗って、東京から来てくれた子がいました。幼稚園は「心のふるさと」なのです。そういう幼稚園であることを嬉しく思います。