おやつ(平成16年度)11月

昨年のことでしたが当時27歳の私のいとこの娘と女房が話している時に、「明日、地球が滅びるとしたら、最後に何を食べたいと思う?」と聞いていたことを思い出しました。
その子は、「ファーストフードのチキンナゲット」だと言います。女房は、「○○寿司屋さんのトロの握り」が食べたいと言います。今度は、私に訊きますので、「梅茶漬け」と返事をしたことを覚えています。その答えの中で一番びっくりしたのが、「チキンナゲット」と言う返事です。ファーストフード店の人が聞いたらすごく喜んでくれる話ですが、私にはとても心配な返事でした。その子の子供の時からの様子を知っていますが、かなり、ファーストフード中心の食生活をしている家庭だったのです。ちなみにと思って、東京にいるその女の子と同い年の、私の次女に電話をして同じ質問をしてみると、「茶漬けかうどん」と言って、最後は「うどん」を選びました。


私の家では和食中心で、既製品や惣菜を買うことも無く、ほとんど女房の手作りでした。昔からの質素な和食です。もちろん、インスタントラーメンやカップヌードルのような食品はほとんど口にしませんでしたので、娘二人も、ファーストフードでのチキンナゲットの味も余り知りません。
女房の「○○寿司屋さんのトロの握り」と言う返事は、最近、口にした一番美味しいものを、もう一度食べたいと思う、現実的な返事です。娘と私は、死ぬ前の心の整理だったのかとも思っています。


この、「最後の晩餐」の話を思い出したのは、放課後児童クラブに顔を出した時に、ちょうどおやつの時間だったのですが、テーブルの上におやつがずいぶんと残っているのです。どうして残しているのだろうと、首をかしげていると、児童クラブの先生が、「今日は豆菓子とおせんべいなのですが、最近の子は甘いものや硬いものを余り食べないのです。牛乳も嫌いな子が多く、ジュースやサイダー系だと喜んで飲むんです。」と言います。「じゃ、どんなおやつが好きなの」と訊くと、「スナック菓子やアイスクリームのようなものです。」と、返事が返ってきました。


放課後児童クラブの家庭は共働きですから、手作りのおやつなど、なかなか作ってやる時間が無いのだとは思いますが、スナック菓子の袋を片手に食べている姿を想像しただけで、なにか寂しいものを感じ、おやつだけではなく、食生活はどうなのだろうと気がかりになってきました。


昨年のことですが、幼稚園に2歳の女の子を連れてこられた方がいらしたとき、応接室でそのお母さんとお話をしていると、女房がプリンをカップから出して、お皿に盛って、その女の子に「どうぞ」と言って出してくれました。
ところが、その女の子はぐずり始め、このプリンはいやだと言うのです。嫌いなのかと思うと、そうではないようなのです。プリンには通常、茶色いカラメルソースが上からかけてあります。ところが、その子の場合、いつもカップに入ったままのプリンを食べていましたから、カラメルソースはカップの底に在るもので、その子にとっては、上からカラメルソースをかけてあるのはプリンではないのです。それだけではなく、その子は、カップに入ったままのプリンを食べ進んで、最後に甘いカラメルソースに行き着くのが楽しみだった様です。


このように、おやつをカップのままや袋に入ったままを与えていたのでは、余りにも味気ない子育てのように思えてなりません。
お店で買ったおやつも、袋のまま与えるのではなく、ちゃんとお皿に盛って出してやると、そこにもお母さんの温かさを感じてくれると思います。
ましてや、7月の「つぶやき」で書いた「買い食い」にもあったように、お小遣いを与えて、子供が勝手に好きなものを買って、道を歩きながら立ったままで食べている姿は、余りにも無責任な子育てだと思えてなりません。小学生、中学生に万引きする子が多いと言うのも、お小遣いを与えっぱなしにして、放任状態が大きな原因になっているのかもしれません。


一番望ましいのは家庭での手作りおやつです。時々はお母(父)さんの手作りのおやつを食べさせて欲しいと思います。子供たちはお母(父)さんが作ってくれたということに温かさと愛情を感じながら食べてくれますから、余計に素敵なおやつとなっているはずなのです。子供の感じる温かさと愛情は、自分が大人になって家庭を持つイメージとなっていくのです。


話は変わって、10月22日に、年長組の子供たちが「おむすび」を握りました。そのお米は、この春、子供たちが田房葉子先生の家の田んぼで田植えをさせてもらってできた「ひとめぼれ」と言う銘柄です。
主任の先生とさくら組の先生がお米を炊いてくれました。子供たちは皆、手をきれいに洗って、手のひらに水をつけながら「おむすび作り」に挑戦します。水を多くつけすぎた子のおむすびはベチャベチャなおむすびです。水のつけ方の少ない子は、手のひら中、米粒だらけとなっています。それでも、2個、3個と握るうちにだんだんと要領を得て、上手になっていきます。梅干も上手に入れて握られるようになってきています。最初からずいぶんと上手な子供たちがいます。先生が「おむすびを握ったことのある人?」と訊くと、さすが、ほとんどの子が、握った経験があり、一回も握ったことの無い子は年長組62人のうち、15人だけでした。
7升ほど炊いたご飯も、瞬く間に、おむすびに出来上がりました。出来たおむすびを、他のクラスの先生や子供たち、子供の城保育園の先生たちにも配ってまわり、事務室や私のところまで持ってきてくれました。
子供たちは、自分たちの握ったおむすびですから、「おいしい、おいしい」と言いながら、2個も3個も口にほおばっています。いままで、梅干を食べることが出来なかった子までが、梅干を平気で食べています。


自分たちで田植えをして、それがお米になり、自分たちでおむすびを作ったことで、余計に美味しかったのだと思います。おむすびを食べながら、お米をお店で買うことしか知らなかった子も、「コシヒカリと言うのもあるよ」と、お米の話をしています。このように、自分たちで田植えをして、実った稲をお米にしてもらい、自分たちでおむすびにして食べることで、いろいろなことを感じ取ってくれたものと思います。きっと、これからは、お母(父)さんの作ってくれる食事にもかなりの興味を示してくるのではと思います。その子供の気持ちを裏切らないよう、惣菜やインスタントやファーストフードに頼らない食事や、袋のまま与えない、お皿に盛ってやるおやつを心がけて欲しいと思います。