心の中の鬼退治(2020年度3月)2021年3月

昨年の初夏、我が家の庭の隅っこにフキを数本見つけました。来年の春には、この場所でフキノトウを見る事ができるかもしれないと、ちょっとした楽しみにしていました。寒い間はそんな事も忘れていましたが、柔らかい春の光を感じる休日に「そう言えば…」と思い出しその場所に行ってみると、ちゃんと小さなフキノトウが土の中から数個頭をのぞかせていました。この一年大変な事がいろいろあったけれど、ちゃんと春はやって来てくれたんだねと嬉しくなりました。

暦の上では節分を境に春が始まります。節分と言えば「豆まき」。古来、季節の変わり目には悪い事が起きがちだとし、その邪気を追い払うために行われるようになった年中行事です。幼稚園でも2月2日には「豆まき」をしました。その日までに先生達は子供達に「豆まき」の由来や意味について紙芝居や絵本などを読み聞かせながらわかりやすく話をしました。当然ですが、子供達は「鬼=怖いもの」というイメージを持っているので、警戒しながらその日を迎えました。鬼の登場から「鬼は外!福は内!」と叫びながらの豆まきによる鬼退治劇では、自分の身を守る為に一生懸命に豆まきをする子供達は皆真剣そのものでした。この日本の古来から伝わっている行事について考えてみます。

幼稚園には鬼が来た翌日、子供達から聞いたところによると「家には“お父さん鬼”が来たよ。だから怖くなかった」とか「めっちゃ怖い鬼が来た」とか「幼稚園で退治したから、もうお家には来なかった」等いろいろでした。鬼に対して、子供の反応も親の受け止めも様々だった事が伺えました。鬼は確かに怖いものです。今の世の中、その受け止め方も賛否両論です。ただ単に鬼を登場させて怖がらせるのではなく“賢く健康に成長しますように”“災いもなく平和にすごせますように”との願いが込められています。邪気を祓い新たな気持ちで先を生きる力をつけるという先人の願いが込められた大切な日本の伝統のひとつのような気がします。私達が幼い頃には「嘘をついたら鬼や閻魔様に舌を抜かれる」と脅かされながら、「嘘をつく事はいけない事」だと教わりました。見えないこの得体の知れない怖いものには逆らえないという縛りから、いつの間にか規範意識を身につけたような気がします。大人になるまでずっとその事を本気にしていたわけではなく、成長するにつれていろいろな経験を積みながら本当の物事の善悪の判断が鬼を頼らずしてできるようになったのです。昔の歌ですが、「トイレの神様」という歌があります。(古いですね)おばあちゃんが、トイレ掃除が苦手な孫にトイレにはきれいな神様がいて掃除をしたらべっぴんさんになるという歌があります。また妊娠中にトイレ掃除をすると可愛い子が生まれる等という迷信があります。これまた得体の知れないものを信じ、汚い所をきれいにする事で気持ちを清らかにできる事を習慣づけられました。この得体の知れない「鬼」とか「女神様」を恐れたり信じたりする経験は自分への戒めなのではないかと思うのです。

子供達には節分の豆まきの意味を、“心の中の鬼を追い払い、きれいな心にする事によって幸せを呼ぶのだ”と話します。子供達それぞれに、「みんなの心の中にはどんな鬼がいるか見てごらん」と言うと、服の首元から胸の中をのぞき込み、いろいろな事を言っていました。「野菜が食べられない鬼!」「泣き虫鬼!」「ケンカ鬼!」「おしゃべり鬼!」…。思いつく悪を鬼に変えて言っていました。子供達もちゃんとわかっているのです。それが心の中でわるさをするために、偏食をしたりすぐに泣いたり喧嘩をしたり、人の話を聞けずにいたりするのだと、自分のせいではなくその得体の知れない何者かのせいにするのです。それさえいなくなれば、良い子に…強い子になれると信じているのです。無病息災を祈り身体の鬼を追い払う事で気持ちが強くなり病からも災いからもどうにかして逃れられると信じているのです。子供が自責の念に駆られなくてすむ…ある意味優しい?行事かもしれませんね。

人間は誰もが“善の心”と“悪の心”を持っています。そして、この善と悪の心を戦わせながら社会に順応して生きています。悪の心が誰かを傷つけたり、自らが悪に染まってしまったりする事もあるかもしれません。そんな時、善の心が「それでいいのか?それはいけない事じゃないか?」と戦うのです。その戦いに勝利しながら規範意識をもって生活しています。子供のうちは、周りの大人達に悪から守ってもらい、善の道を照らしてもらえています。でも、大きくなるにつれて世界が広がり、自ら闘わなければならない状況に何度も出くわす事が増えてくるはずです。右か左か?諦めるか頑張るか?進むか止まるか?を選ばなければならない時にどちらが善でどちらが悪となるのかを冷静に判断できる力が必要です。そのためには、自分の弱さとか欠点を知り、そこを何とかしようと自ら努力する強い心を持ち合わせていなければならないのです。そういう事を子供達に伝え、強い意志を持った大人に育てるために、この行事が残されて来たのだと思います。節分の豆まきをした後で、お迎えを待つ子供達に「今日の鬼は怖かった?」と聞くと「凄く怖かったよ~でも泣かなかったよ」「豆を鬼に命中させてやっつけたよ」「園長先生は大丈夫だった?」等と口々に話してくれました。「心の中の鬼はどうなった?」と聞くと服の首元からまた胸を覗き込み「うん!もういない!」と安心した顔で答えました。自分で自分の心の中の鬼を追い払うことができたと思う事で、心身共に健やかな賢い自分になれた事を喜んでいたようでした。

3月はひな祭り(桃の節句)、5月にはこどもの日(端午の節句)があります。これらの伝統行事もまた、大切な子供達の健やかな成長を願う年中行事です。そこに飾る一つひとつの物にも全て、その願いに通ずる意味合いを持たせてある事に愛を感じます。昔とは生活様式も変わり、様々な伝統行事は時代と共に薄れがちです。かつて良い薬もなく簡単にお医者様に診てもらう事の出来なかった時代から伝えられている子供達の健やかな成長への願いや祈りの行事は、世の中が混乱しているコロナ禍の今だからこそ意味を見つめ直し、私達は次の世代に大切に繋いでいかなければならないのではないかと思います。

もう少ししたら59名の子供達が、幼稚園から巣立って行きます。この子達が、どんな境遇に身を置く事になっても、自分の中の“善”と“悪”の心を戦わせながら正しい道を選びそれを信じて生きていく事のできる大人になって欲しいと願っています。また、子供達は新型コロナウイルスにより様々な事が制限された一年を過ごしてきました。しかし、そんな中だったからこそ新しい価値との出会いがあったはずです。それに出会わせるために私達は知恵を出し合っていろいろな事に挑戦してきた一年でした。子供達と一緒に、どうしたら楽しめるか?もっと豊かな生活にするためにどんな事ができるかな?と絶えず考え心の中で闘い葛藤してきた一年でした。できない環境の中で何とかできるようにする豊かな発想が必要だった一年を共に過ごしてきた子供達は実にたくましく、人を大切な存在として求め合う愛情深い子供達に成長してくれていると信じています。

どうか自分の力を試してみたくなるような夢溢れる未来がこの子達を待ってくれていますように…

ものの見方 考え方(2020年度2月)2021年2月

もう間もなく立春、春の訪れです。心なしか、少しだけ日も長くなってきたような気がします。新型コロナウイルスのニュースの中、「今年の花粉は…」という春目前ならではの話題に耳を傾けました。これまでの日常生活様式が狂ってしまっても、季節はこうして必ず約束通り巡って来ます。なんてホッとする事か……。

さて、今シーズンは、たくさん雪が降り3学期の初めには、たっぷり雪遊びを楽しむ事ができました。雪の日の休日の事……、私の家は、街から少し外れた山際に位置していて、雪が降っても除雪された道まで降りて出るのに苦労します。怖いので、あえて家から車では出掛けません。冬ごもり気分です。雪かきをして道を広げないと出掛けられなくて、幼稚園で「雪が降って楽しい!」と思う気持ちとは別の次元で、実際は寒いやら不便やらで大変です。そんな時に、我が家から少し離れた所に住む義理のお兄さんが、車で雪をかき分けながら届け物を持って来てくれました。私が「おはようございます。この辺、雪で大変ですよ~!そんな中ありがとうございました!」と大雪に嘆きながらお礼を言うと、義兄が「いや~ぁ、ここはすごくきれいだね~、見渡す雪景色が素晴らしい。植木に被った雪や下の方の家の屋根や田んぼに積もった雪がきれいに見えるじゃない。すごい!」と雪景色を見ながら言いました。私は、その義兄の言葉を聞いて、あらためて家の周りを見渡しました。すると、それまで私が見ていた景色とは全く違って見えたのです。なるほど、この景色は他の場所では見る事ができない銀世界(少し大げさですが…)なんだな。雪どけまでのほんの数日間、楽しませてもらおうかな?と、気持ちにゆとりが持てました。

私が嫁いで間もない頃、用事があって訪ねて来た実家の母が、田植えの準備で並べられたたくさんの苗を見て、「わぁ~!きれいですね!緑色がすごくきれい!ずっと見ていたいくらい。向うの山の色と空の色と苗の緑とが何とも言えないですね。」と姑に言った事がありました。確かに、緑色に敷き詰められた苗はきれいと言えばきれいだけど、その時は、農作業の大変さを知らない母の言葉に、(何て能天気な事を言うの!)と、恥ずかしいやら申し訳ないやらの気持ちを抱きました。でも、その言葉に姑も「そうですよね~。おかげさんできれいな苗ができました。」と笑っていました。もしかしたら、姑は大切に育てた苗をそういう見方で関心を持ってもらえた事に誇りを持てたのかもしれません。大変!大変!と思うだけではなくて、見る角度や見る方向を変えてみると、見え方感じ方が全く違ってくるのです。大変な事は百も承知、でも、私達の力ではどうにもならない事ならば、共存する気持ち──受け止める気持ちで目を向けるのです。その気持ちの持ち様で幸せな気持ちになれるのです。

コロナ禍の今、私達は、世界的な歴史に残る程の大変な年をもがきながら過ごしています。そして、それはまだしばらくは続くと思われます。会いたい人にも思うように会えず、行きたい場所にも行けず、医療機関が…経済が…と、言えばきりがないくらいとても生きにくい世の中に様変わりしてしまっています。ともすれば、“不安”が“不満”に“寂しさ”が“孤独”に…人の気持ちが悲壮感に陥りやすくなっています。それでも、どこにも行けない家時間を楽しく過ごす良い趣味に出会えたり、日頃目を向ける事のなかった家族の在り方を考える良いきっかけができたりもするでしょう。また、会いたくても会えないその人が自分にとってどんなに大切で尊い存在であるかが再認識でき、もっと大切に思えるようになったり、テレワークが「働き方改革」の推進を活性化させたり……と、意外にも、違った所に光を見出す事ができて、ほんの少し気持ちが明るくなります。

どこかの中学校では、生徒達が秋に行う体育祭に向けて3密回避をベースに種目や開催方法を考え企画し、協力し合って生徒達だけで安全で楽しい体育祭を行ったという話も聞きました。また、先日、共通テストが行われました。首都圏等で緊急事態宣言が出されるほどの感染拡大の中、さぞかし受験生もそのご家族も感染を恐れながら緊張の毎日を送っておられた事だろうとニュースを見ていると、試験後の受験生がインタビューを受けていました。「今まで、健康の事を一生懸命に気を付けて支えてくれた家族に感謝しています。」とか、「オンラインでいつも先生が励ましてくださったので、孤独にならずにいられました。とてもありがたかったです。」と話していました。大人達が何とかしてこの困難を乗り越えさせてやりたいと自分達のために力を注いでいてくれている事に感謝の気持ちを抱かずにはいられなかったのでしょう。このコロナ禍を過ごしている子供達にとっては、不自由で残念な事も多いですが、制限された中で今までに例のない何もない所から、“いかにして”と知恵を働かせ考え、同じ目的をもつ仲間達と協力し合い実践する──その力は凄いものだと思います。そして、自分の力を最大限に発揮できるようにと、色々な方法で支えてもらえている事に心から感謝できる若者が、今だからこそ育っている事を感じます。もしかしたら、この世代の若者たちは、将来、奇想天外な発想を持ち、仲間を大切にし、人に感謝しながら世の中を動かしてくれる実に頼もしい人材となり得るかもしれません。

この状況、誰だって大変なのは百も承知!一つの物事を同じ角度からばかりみても、見える景色は同じです。少し、角度や場所を変えてみたら、見える景色が変わります。もしかしたら、違って見える景色の中に違う発見や光や希望をみつけられるかもしれないのです。根本的に新型コロナウイルスを解決できるものではありません。私達では、大きな事は動かせないかもしれませんが、自分自身の物の見方を少し変えてみれば、それにより失ってしまいそうな元気な心をとり戻す事はできます。

先日、卒園児のお父さんの計らいで、今年度卒園する年長組の子供達に風船をプレゼントしていただき、一人ずつメッセージを書いて空に飛ばしました。「ころなにならないでね」「ころなにきをつけて」等と書いた手紙が、風船と共に空高く飛んで行きました。それから数日後、愛知県と滋賀県に飛んで来たとの連絡がありました。一つは障害者施設に届き、電話をいただきました。もう一つは幼稚園帰りの親子連れの手で拾われ、拾ってくださったお母さんとそのお子さんから手紙が届きました。『コロナ禍の中、世の中も暗い話が多く大変な事も多い中、つけられていたメッセージで、家族、友達に話して、みんなとても温かい気持ちになり、頑張るパワーになりました。』と書かれていました。そして、拾ってくれた男の子の兄弟二人の写真が添えられていました。子供達のメッセージは、世の中の危機を抑え込むワクチンほどの効果はないかもしれないけれど、遠く離れた場所に住む“ともだち”と、共に希望を持って生きよう!と心通わせる事が出来たのは、ワクチン以上(?)の力だと思えました。今だからこその胸熱くなる出来事でした。

ものの見方、考え方は、私達の心の持ち様だと思うのです。嘆くより、“こう考えたらどうだろう”とか“こっちからも見てみよう(考えてみよう)、あっちからも見てみよう(考えてみよう)”と嘆きあえぐ気持ちをクールダウンして景色を見るゆとりをこんな時だからこそ持っていたいと思います。

お手伝いのススメ(2020年度1月)2021年1月

あけましておめでとうございます。新型コロナウイルス感染拡大の状況に警戒しながらもご家族でゆっくりと過ごされたお正月はいかがだったでしょうか?例年と違う過ごし方に、意外と新しい発見等もあったのではないでしょうか?明るい光に向かって笑顔で福を呼びながら今年一年を過ごして行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、冬休みの間、年末年始は何かと忙しく猫の手も借りたいほどではなかったでしょうか?そんな時、子供達は戦力として活躍してくれましたか?小さな手の子供達ですが、幼稚園では、クラスのため、先生のため、誰かのために…と、かいがいしく動いて手伝ってくれる事があります。これが結構頼りになります。だから、冬休み中もきっと張り切ってお父さんお母さんのお手伝いをしたのだろうなと想像します。

秋深まった頃の事です。朝、園庭の落ち葉掃きをしていたら「園長先生!小川の中にも落ち葉がいっぱい!掃除しないと!」と年少組の男の子数人が言ったので「みんなで掃除してよ~」と言うと「どうしたらいい?」と意欲を見せてくれました。「さつき組(満3歳児クラス)のテラスに置いてある“熊手”を持って来て!」と頼むと、「ん?なに?なんだって?」と初めて聞く名前に戸惑っていました。「とにかく行ってごらん。行ったらわかるから。」と行かせました。聞いたままを伝えたのか、さつき組の先生が教えてくれたのか、みんな熊手片手に小川に戻って来ました。その熊手は子供達でも使える小型の物です。どうやって使うのかわからないまま、初めて手にした熊手に嬉しそうでした。私は、その子供達に、「クマの手みたいでしょ、だから“熊手“って言うんだよ。」と教えてあげると小さな手で熊の手を真似してみて「はぁはぁ、ホントだ!」と納得!その後で、水の中からたくさんの落ち葉をすくって取る使い方を教えてあげました。私がして見せると面白がって「ぼくがやる!貸して!貸して!」と言ってせがまれた程でした。それから、その子供達は一所懸命に落ち葉をすくってくれていました。みんなで「ここに集めよう!」「こうやったらいっぱいすくえるよ。」「あっちの方がいっぱいあるよ。」「集める競争しようよ。」「よーいドン!」と、もはやあそびと化していました。きれいになった……とは到底言える感じではありませんでしたが、「園長先生!いっぱい集めたよ。クマの手”で上手に集めた!」と最後は得意気でした。その子達は手伝いというよりは遊んで楽しかった方が大きかったようでした。それでも「ありがとう!きれいになったわぁ。またお願いね。」と言うと「うん!またしてあげる!」とドヤ顔で違うあそびに行きました。

先生達はよく子供達に簡単なおつかいを頼みます。事務所にセロテープ等をもらいに行ったり、職員室の私の所まで先生からのお届け物を持って来てくれたりします。子供達は頼まれる事をよほどの事がない限り断る事はありません。それどころか、競うように「ぼくが行く!」「私が行く!」と言って手伝ってくれます。頼まれる事が嬉しいのです。そして「ありがとう」と言ってもらえる事も、先生の役に立てた実感が得られる事も嬉しいのです。

毎週水曜日にクラス毎にパンを分け入れたかごを各保育室に運ぶ手伝いをしてくれる年長組の男の子がいます。ある日手伝ってもらった事がきっかけになり、必ず、水曜日には声をかけなくても自分の仕事として職員室に来て手伝ってくれるのです。その子に先生が「小学校に行ったらこのお手伝いどうする?」と聞くと「水曜日は、幼稚園に来てパンを配ってから学校に行く!」と可愛い事を言ってくれるほどです。

子供達がしてくれるお手伝いはもっとたくさんあります。子供達にとってのお手伝いは“仕事”という名の“あそび”でもあるようです。手伝う事で先生やお家の人から「ありがとう」と言ってもらえ、何だか自分が役に立てた事が嬉しくて、心地よくて、そして特別感も得られる、それがまた楽しい……そう思える子供達の純粋さも可愛いですが、子供達の生活の全てが“あそび”だという事です。役に立っている自分が大人の仲間入りをした気分になれるのです。また、手伝う事でいろいろな力が育ちます。クマの手に似ている熊手を知り、使い方を覚えます。先生に頼まれたから…自分が行かないと先生が困ってるからと一生懸命にその責任を果たそうとおつかいに行きます。そこには責任感が育ちます。重たいパンのかごをどうやって運べば良いかをあの手この手で考え、仲間を呼んで来たり持ち方を変えてみたりする生活力が身に付きます。そして、何より大人の人に褒められたり感謝されたりすると自分に自信が付きます。その自信は自己肯定感にも繋がり、色々な事や様々な人に自信をもって関わっていける力になります。

年長組と満3歳児に姉妹がいるあるお父さんがれんらく帳に書かれていた事ですが、家のトイレにお姉ちゃんが入っていてなかなか出て来ないなぁと思っていたところ、しばらくしてトイレットペーパーの芯を持って出て来て、「もう紙がなくなって(妹の)○○ちゃんが後で入って困るから、新しいのをつけておいたよ。」と言ったそうです。その様子にお父さんは感動して思わず抱きしめたと書いておられました。お手伝いをしっかりさせてもらってほめてもらう…お父さんやお母さんに「ありがとう!助かったよ。」と心から喜んで言ってもらえる…“家族”という社会の中で自分の存在の大きさを感じさせてもらえる…そんな生活を続けていくと、自分の事だけではなく人と楽しく仲良く生活する知恵と力を身につけて行くのです。単なる“お手伝い”かもしれませんが、実は色々な事が子供達の中に育つのです。そして、その時の頼み方だったり言い方だったり、してくれた後の言葉がけ等、子供に向ける大人の接し方によってはその育ちの大きさが違ってくる気がします。せっかく楽しんでしてくれるお手伝いです。子供達が喜んで手伝ってくれるのなら、しっかり頼ってみてください。それがいずれ、社会から必要とされる大人として活躍する時の力になるような気がします。

この冬休みは、家族でお互いに向き合う時間がたっぷりあったと思います。子供達は小さくてもなかなかやりますよ!むしろ、小さい子供達の方が気持ちよく手伝ってくれますよ。冬休みに(そう言えば、大掃除を手伝ってくれたなぁ。)(お節づくりを一緒にしたがっていたなぁ。)(お皿洗いをしてくれたなぁ。)と思い返す事もあるのでは?上手にはできないかもしれませんが、やる気はいっぱいの子供達です。「手伝いたい!手伝いたい!(育ちたい!育ちたい!)」と言ってくれる時が大切です。

大人になった我が娘に、「ちょとぉ~!洗濯物くらいたたんでよ~!」と頼んで「え~ッ~」と思い切り嫌そうな返事をされるこの辛さ……。いったいいつからこうなった??皆さん!今のうちですよ(苦笑)

どんぐりころころ(2020年度12月)

今年のカレンダーが、残すところあと1枚になりました。未だ収束の気配を見せない新型コロナウイルスとの共存で大変な状況のせいか、これまでの一年が長かったような短かったような…そんな言葉にならない気持ちで11枚目のカレンダーをめくりました。

幼稚園では、これまでの慎重な生活の中、中止にしたり見送ったりしてきた行事に遠足や園外保育があります。園外に行かなくても、幼稚園の環境の中で十分に楽しさや発見や感動を与えられる生活にしていく事を先生達で意識的に展開して来ました。しかし、幼稚園のバスに乗って友達や先生と“お出かけ”をして、園内では味わえない感動を与えてあげたいという想いはずっと先生達の中にありました。そしてやっと10月の終わりから1クラス毎で園外に出かける事ができるようになりました。

満3歳児組や年少組にとって初めての“お出かけ”の日の事です。「おはよう!今日はお出かけだね!」と声をかけると「おはようございます!」の弾んだ挨拶が返ってきました。支度をして、バスに乗り込む子供達の喜びの気持ちは最高潮です。三次の名所「尾関山」に向かいます。バスの窓から見える尾関山までの三次の街並みは、普段お家の人と一緒に見るそれとは違って見えていたかもしれません。尾関山はそれはそれは見事な紅葉でした。行く所行く所に子供達の大好きなドングリが落ちていて、なかなか前に進めないほどでした。「み~つけた!」「あった!!」「ぼうしをかぶったドングリだ!」と、小さなモミジのような手で一生懸命に拾っていました。そんな時、どこからか♪どんぐりころころどんぶりこ~♪と歌声が聞こえて来ました。それを聞いた子供達がまた歌います。それに乗せられ私も一緒に♪どんぐりころころどんぶりこ~、おいけにはまってさあたいへん……♪と歌います。2番の歌詞は曖昧なのか1番を繰り返し歌っていたので、私は、それに続いて2番の歌詞を歌ってあげました。♪どんぐりころころよろこんで しばらくいっしょにあそんだが やっぱりおやまがこいしいと ないてはドジョウをこまらせた~♪ 拾いながら進んで行くとさっき見つけた物より小さなドングリが落ちていました。「アッ!ちいさっ!かわいいよ、えんちょうせんせいみてみて!」とそのドングリを愛おしそうに手のひらにのせて見せてくれました。その小さなドングリを拾っていると、♪どんぐりころころどんぶりこ~、おいけにはまってさあたいへん……♪と小さな声で囁くように歌う声が聞こえて来ました。みんな同じように歌い始めました。小さなドングリに向ける子供達の気持ちが込められた歌い方でした。小さくて可愛い・もろい・弱い・大切 などを声の大きさで表現していたのだと思いました。それを聞いて何だかとても温かい気持ちになりました。その時の自分の気持ちと情景がピタッとはまる歌を自分の知っている数々の歌の中からチョイスし、つい口ずさむ子供達の感性に感動しました。アニメソングやリズム主張の強い流行歌を口にするのではなく、♪「どんぐりころころ」だった事が嬉しかったです。木から離れコロコロ転がってここに落ちているドングリを想像しながら大切に拾っていたでしょう。

童謡は、子供達のすぐ近くにある様々な事を歌詞と曲で子供達が歌うために作られた歌です。見逃してしまいがちな情景を歌詞にして、子供達の感性をくすぐります。ドングリ目線のものがたりに触れ、♪やっぱりおやまがこいしいとないてはドジョウをこまらせた~♪の部分では、自分の気持ちを重ねてお家を恋しがる気持ちに共感します。そして、それからのドングリの旅を想像させます。何でもないような物事に心を持たせ、子供達の心をそこに寄り添わせる事ができるのが童謡なのだと思います。

私の義母が、孫をおんぶしながら童謡をよく歌ってくれていました。夏の畑で、きっと最近では幼稚園でもなかなか教える事のない『トマト』を歌ってくれていたのを思い出します。♪トマトってかわいいなまえだね うえからよんでもト・マ・ト したからよんでもト・マ・ト……トマトってなかなかおしゃれだね ちいさいときにはあおいふく おおきくなったらあかいふく♪ そこに生っているトマトがかわいい子供に見えてくるから不思議です。トマトに心を寄せる事が出来ます。

童謡には、そうした心を育てる大きな力があります。曲も素敵ですが、歌詞を噛みしめて歌うと目にしている物の現在より前の事、そしてその先の事を想像して楽しんだり悲しんだりおもしろがったり気にかけたりします。心が揺さぶられるのです。これを繰り返して行くうちに、心情豊かな人間性が培われるような気がします。

今は、情報化社会になり、こちら側が積極的にならなくても自然にいろいろな曲や歌が耳に飛び込んでくる世の中です。様々な音楽に出会い、それに触れる事によって感情が育ちます。私も、『懐かしの70年代ソング』等のような歌謡曲番組があると、その若かりし頃(笑)の悪事(笑)や家族や友達との思い出を重ねながらその時の感情が甦ります。流行歌などの楽曲は、放っておいても耳に入りますが、童謡やわらべ歌は、今や、教えてあげないと知るすべもない世の中になって来つつあるような気がしています。お父さんやお母さん、またはおじいちゃんやおばあちゃんが歌って聞かせてくれて受け継がれて来たこの童謡やわらべ歌で、私達は心を育ててもらいました。決して上手とは言えない母の歌声と童謡が重なって耳に残っています。このサイクルを崩してはもったいないです。何かを学ばせようとして、習い事等には急いでとびついてしまいがちですが、すぐ近くにこんなに素敵な心を育てる“教材”がある事を思い出してください。大好きな人の声で歌ってもらった童謡は、子供の心の財産になるような気がします。私達も昔から歌い継がれてきたたくさんの童謡やわらべ歌を幼稚園で歌っていきたいと思っています。

今日も、秋の童謡が保育室から聞こえて来ます。園庭では、はないちもんめの歌で子供達が遊んでいます。この子達が、日本の大切な心を育む歌を伝承してくれる大人になってくれたら嬉しいです。春には春を、夏には夏の、秋には秋を、冬には冬の、季節と生活を密着させた歌を歌い、その時々の心の中にある“情”という人間らしさを柔らかくほぐし、豊かな感性の種を植え育てて行きたいと思うのです。

先日、卒園児が可愛い男の子を出産しました。出産したばかりの写真をラインで送ってくれたその顔に、大仕事をし終えた母親としての強さと優しさを感じました。どうか、可愛い我が子にいつも優しい声でたくさんの歌を歌ってあげるお母さんになって欲しいと願っています。そして、赤ちゃんには、お母さんの歌を聴きながら心豊かに育っていく事を心から願っています。

育てたい力(2020年度11月)

衣替えとなり、久々に着た紺色のブレザーが小さくなっている年中・年長組の子供達…、入園式以来に袖を通した新入園児さんの少し大きめな制服姿…、どちらともとても新鮮に見えます。「良く似合うよ」と声を掛けられ、照れながらも嬉しそうに登園して来た衣替え初日の子供達が印象的でした。
さて、今年度は、新型コロナウイルスの影響で秋季大運動を開催する事が出来ませんでした。それに代わる活動として、“わんぱくチャレンジ週間”を企画しました。毎年行っていた形で出来なくても、何とかして子供達に運動会の経験をさせてあげたいと思い先生達で考えました。長い期間の中で身体をいっぱい動かしいろいろな事に挑戦しよう!そして、その姿を皆で応援したり認め合ったりする経験を楽しもう!という企画で、初めての試みとなりました。

それを企画するまでに先ず、先生達で“運動会で何が育つのだろうか?”“運動会をする意味は何?”から考えてみました。子供達は、幼稚園での日常生活の中で走ったり跳んだりしてたくさん運動をしています。三次中央幼稚園の庭には、小川やお山、大きなアスレチック、鉄棒、子供達が掘り返して遊び込んだためにできたデコボコの園庭、そして、その園庭に植えられたたくさんの木々……これは幼稚園に居ながらにして自然の中で遊び込める、子供達にとっては幸せな環境だと思っています。小川の岸から岸へジャンプして渡ったり、裸足で水の冷たさを感じたり、滑らないように踏ん張ってお山を登ったり下ったり、高い所から飛び降りたり、また、デコボコした園庭で転ばないようによけたり跳び越えたりしながら走って追いかけっこをして遊びます。このように子供達は身体をいっぱいに使って夢中で遊びながら知らず知らずのうちに身体能力を高めています。身体が鍛えられているならばそれで十分ではないか。それをあえて“会”にする意味はどこにあるのだろうか?と、教育の原点に立ち返るつもりでその意味を探ってみました。

私達は、「子供達の健康な身体を育てる」それに加えて、「生きるために必要な力を育てたい」と思いながら保育をしています。“苦手だと思っている事も頑張る”“目標に向かって努力する”“みんなで力を合わせる事の楽しさや大切さを感じる”“ルールを守ろうとする”“友達や自分の力を認め合う”“最後まであきらめない”等々──これから先、自分を支え、生きる勇気とエネルギーの土台となる力です。運動会では、様々なルールを持たせた競技やひとりの力ではできない演技をします。日々のあそびにはない競技上のルールを意識的に守りながら、日々のあそびで習得した身体能力を発揮します。ルールを設けられた平等な舞台の中で、ある時は自信を持ち、ある時は苦手意識を克服できるよう導かれます。そして、みんなの応援によって向上心を持ち、勝敗を競うものであれば、悔しい気持ちを次へのバネにもできるように──。日常のあそびでは子供達の意識は“遊ぶ”がメインです。速く走ったり、すばしっこくタッチの手を避けたりする瞬発力よりも「鬼になった、ならない」の方に子供達の意識は向きます。それが“運動会”では、運動をしている事に意識が向き、運動する事を通して、どうしたら一つの目標を達成する事ができるかを子供達に考え学ばせる事が出来るのです。そうしてみると、運動会をこれまでの形にこだわるのではなく、「育てたい力」をどのような方法で育てるか……という事にこだわるべきだと思いました。そうして考えたのが“わんぱくチャレンジ週間”でした。

何かにチャレンジするという事は、自分の中にある様々なハードルを上げたり下げたりの調節をしながら自分の力を試します。みんなと一緒にすると、友達の力を見て励まし合ったり認め合ったりしながら共にハードルを乗り越えようと頑張ります。「できない」と諦めそうな自分を奮い立たせてくれます。それは、かけっこや競技だけに限らず、一本のバトンをチームで繫ぐリレーでも、集団の美をみせてくれる遊戯や鼓隊演奏での表現でも、同じように、チャレンジする事で日常のあそびから育つ力に加え、更なる力が心と身体に育ちます。みんなで一緒にチャレンジしながらも、自分の力にチャレンジするのです。例えば、年長組が行ったリレーでは、走る事が苦手でも、自分自身としてのチャレンジは“最後まで頑張って追い越されても走りきる。そして、次の友達にバトンを渡す事”チームのチャレンジとしては“みんなでカバーし合ったり励まし合ったりしながらトップを目指す事”です。年中組や年少組、また一番小さな満3歳児クラスも、一人ひとりの…あるいはチームとしての頑張りどころにチャレンジしました。その姿を園全体で目の当たりにし刺激し合いながら過ごす毎日だったように思います。特に“わんぱくチャレンジ週間”の二週間は、園内で、“運動会”さながらに、年中組の子供達が横断幕や万国旗を作ってグラウンド上に張ってくれました。万国旗はたった2本でしたが、みんなでがんばろー!!という気持ちをいっぱい込めて作られていて、それはそれは賑やかに美しく秋空に映えていました。隣の子供の城保育園からは、「がんばれー」と書かれた横断幕で応援してもらいました。

この経験を通して「そうだ!この頑張る気持ちが凄い事なんだ!」「僕の力も私の力も、輝かせる事ができるんだ!」と、実感できる経験にしてあげたかったのです。その実感が、これからずっと子供達の心に「生きる力」として宿り続けて欲しいと願っています。

“わんぱくチャレンジ週間”が終わった翌週、園庭から、年長組が演奏した鼓隊の曲が流れて来ました。見てみると、年少組の子供達が空き箱や段ボール箱で太鼓やシンバルや指揮棒を作って鼓隊演奏(?)をしていました。年長組のお姉ちゃんお兄ちゃんがしていた入場や演技、そして退場までの流れ全てを真似ていたのです。そして、よく見ると、総指揮をしているのは年長組の子でした。どちらの顔も得意そうです。マイクを通して聞こえる年長組の子供達の声──「次はリレーですよ~並んで!」いろいろな色のカラー帽子を被った子供達が集まって来ました。学年入り混じってのリレーが始まりました。走るのは、学年対抗でも男女対抗でもクラス対抗でもなく、走る事にチャレンジしたいと思って集まった子供達で、並べたり人数調整や実況アナウンスをしてくれたりしたのは年長組の子供達でした。お兄ちゃん達に憧れて新たな目標をもった小さな学年の子供達……憧れてもらった事に自信を持ち、さらに幼稚園のリーダーとしての自覚が芽生えた子供達……。みんなみんなとても頼もしく輝いて見えました。

どうやら、“わんぱくチャレンジ週間”が子供達の中に育てた事は、私達が狙った以上だったようです。あっぱれ!あっぱれ!子供達!

※この時の様子は三次中央幼稚園のホームページのブログでも見ていただけます。併せてご覧ください。