時代を受けて立つ力を誇りに(2021年度3月)2022年3月

3学期になってから新型コロナウイルス感染拡大により、幼稚園休園と自由登園という対応に、子供達や保護者の皆様には大変なご心配とご苦労をおかけした事と思います。保護者の皆様のご理解とご協力、また幼稚園や職員の事を気遣うたくさんの励ましのお言葉をいただきました事に心よりお礼申し上げます。

新型コロナウイルス感染症により、幼稚園はこれまでにない経験をしています。この度の経験でふと思い出す事があります。三次中央幼稚園が開園してからこれまで、様々な出来事や苦難があったと聞いています。50年前、開園間もないこれからという時に「昭和47年7月豪雨」で三次市は大変な災害を受けました。幼稚園の園舎内も、勿論園庭も、水害により大変な被害状況でした。しかし、当時の園長 伊達正浩は即座に職員に動員をかけ、ホールを片付け市民の避難所として場所を提供したそうです。当時の事を写真を見せながら私達職員に語ってくれた事があります。その時の園長の真剣な顔から、市民や保護者の方々そして職員皆で協力して支え合って乗り越えて来た事への誇らしい思いが伝わって来ました。

新型コロナウイルス感染症により、今、世界中が災害級の非常事態とも言われています。世の中の在り様がすっかり変わってしまいました。幼稚園もコロナ禍における子供達の学びの場としての在り方をここ数年間ずっと考えさせられています。いろいろと制限された中であっても、これまで通り子供達に豊かな経験を与えるためには、今までの形や方法にこだわらない新しい発想の転換が必要となりました。それは、一つひとつがお手本も実例もない事へのチャレンジです。

次から次へと変わるコロナ情勢と向き合いながらの生活は、この一年間ずっと続きました。今年度の幼稚園の「入園式」「参観日」「運動会」「年長組のスペシャルデー」等々……全てが新しい事にチャレンジしながらの行事でした。世の中では、三密を避ける・大きな声で話さない・マスク着用等を求められますが、子供達の世界でそれはとても難しい事です。むしろ避けなければならないとされている事は、逆に子供達には必要な事だと思うのです。人と人との関わりや直接肌に感じる温もり、会話を交わす、相手の表情を見て気持ちを読み取る等、これらに触れながら子供達の心は育っていきます。でも感染防止には必要な事──。このジレンマを抱えながら対策を考える事も日常生活におけるチャレンジでした。


自由登園の間の事です。感染防止のために登園を控える子供達もいて、なかなかクラス全員が揃わない事を寂しく思っている子供達がたくさんいました。「今日は○○君来るかな?」「今日は○○ちゃんと一緒に縄跳びしよう」と思っても、来ない…。遊んでもお弁当を食べてもなんだか寂しくて調子が出ない…。そんな子供達の気持ちが手に取るようにわかりました。

ある朝、久しぶりに登園して来てやっと会えた年中組の女の子ふたりが「○○ちゃ~ん、久しぶりだね。一緒にお部屋に行こう!」と肩寄せあって幼稚園に向かって行きました。ふたりは足取りも軽くとても楽しそうに中門を入って行きました。それは、どの学年、どのクラスでも見られた光景でした。

また、約一カ月休んでいた年長組の男の子が久しぶりに登園して来た時の事、中門で私は「○○君、おはよう!元気に来てくれたね。」と声をかけましたが、どことなく元気がありません。「どうしたの?」と聞くとうつむいて小さな声で「どうせ僕の事、みんな覚えてないと思う。忘れてるよ。」と言うのです。私は、その男の子が休んでいる間ずっと幼稚園や友達を恋しく思っていた気持ちと、久しぶりの幼稚園でドキドキしている気持ちで小さな胸を痛めていた事を思い、その子を思わず抱きしめてしまいました。「そんな事ないよ。お部屋に行ってごらん。みんなが○○君を待ってくれてるから。先生も喜んでくれるよ。」と言いました。すると、その横から同じクラスの友達が「○○君来たんだね。僕もいっぱい休んだよ。まだ○○君も来てないし、○○君も……。」と普通に声をかけてくれました。それから二人は、何やら笑って話をしながらお部屋に向かって行きました。きっと、子供達はみんな日常とは違う生活の中で戸惑っていたはずです。そんな時に「僕だってそうだよ。」「私だって同じ気持ちだよ。」と思いあえる友達の存在が、安心させてくれたり元気にさせてくれたりしたのでしょう。

できなくて残念だと思える事も、物足りないと思える事もあったかもしれませんが、コロナ禍での経験は決して嘆かわしい事ばかりではないと思います。思うように友達に会えない寂しさと同時に「友達」と「クラスの仲間」の存在の大切さに子供達はあらためて気付き、“友達っていいな”“たくさんの仲間がいるって楽しいな”と思えたのです。楽しい時はそれが当たり前過ぎて気付かなかった事が、寂しさを味わう中で学べたかもしれません。また、したくても出来ないならば、それに代わる事や方法をみんなで考えていろいろな行事を楽しんだ時の達成感──それは自分達の自信になり、生活を豊かにする力になるでしょう。この時代を過ごしている子供達を「かわいそうな子供達」にしないためには、私達大人が今の状況を前向きに捉えコロナ禍だからこそ子供達の中に育っている特別な力を見つけ、さらに導いていく事が大切なのではないかと思います。まだしばらく続くと思われるコロナ禍で経験する一つひとつが、私達大人にとっても子供達にとっても成長の原動力になっていく事を信じたいと思います。

年長組の子供達は、そんな時代の中でもうすぐ幼稚園を巣立って行きます。夢いっぱい抱いて一年生になります。欲求が満たされにくい、思った事が叶いにくい時代かもしれない。でも、それだからこそ、同じ時を過ごして来た特別な友達と一緒にベストを尽くす力を発揮して欲しいのです。友達の大切さを一番分かっている子供達だからこそ、困難な事もきっと分かり合える仲間を探し、一つひとつを丁寧にクリアしていくその醍醐味を味わいながら、日々過ごせる事を願っています。コロナ禍で得た力に誇りをもって成長して欲しいと心からエールを送ります。

50年前の災害を幼稚園と子供達のためにと前向きに乗り越えた時の当時の園長が抱いた誇りが、今また深くわかるような気がしています。

今こそ育てたい表現力(2021年度1月)2022年1月

明けましておめでとうございます。年末は寒波に襲われましたが、年明けには落ち着き穏やかな新年を迎えられた事と思います。一昨年から昨年……そして今年も新型コロナウイルス、また新たな変異株「オミクロン株」とどう向き合うかを問われながらの年明けとなりました。緊張感はこれからも続きそうですが、『withコロナ』を前向きに捉え、この一年も明るい気持ちで過ごしたいと思います。

さて、昨年、ある新聞に「マスクを外せない若者 もはや顔パンツ」という記事が掲載されていました。そのタイトルを見ただけでどんな事が書かれているかは、だいたい見当がつきました。コロナ禍でマスク生活が続き、自分も人もそれに慣れて……いや「慣れた」を超えて今や、マスクを外した顔を見られる事に抵抗を抱く人が増えて来た。──それは、若者だけではなく、多くの年齢層の人が同じ気持ちを抱いているというのです。思えば、こんなに長くマスク生活になる前は、インフルエンザが流行する冬にマスクをする事にでさえ鬱陶しく思うほどでした。それが、いつの間にか、マスクで顔半分が隠れている事により感染予防としてだけではなく、自分のコンプレックスや表情をぼやかし、対人関係を楽にする事ができる格好のアイテムになってしまったようです。これでは、真っ向からコミュニケーションをとろうとする能力や気持ちに弊害をおよぼしてしまうのではないかと少し心配です。そう言う私もマスクでほんの…ほんの少しばかり年をごまかせているのかも??(……でもないか 笑)

それはそれとして、新型コロナウイルス感染症が一時落ち着いた国では、早々とマスクを外して生活をする人々の映像が流れていましたが、ワクチン接種の効果だけに頼るのは恐ろしい気がします。日本ではまだまだ感染予防のためにほとんどの人がマスク生活をしています。実際に、今の状況ではこれまでの感染予防対策は、変わらず続けていかなければならないでしょう。マスクをしていると、表情をぼやかす事ができて、相手から本音を探られずに済む事がメリットのように捉えられている反面、コミュニケーションが必要とされる場面では、実に気持ちが伝えにくく伝わりにくい事はデメリットである事は確かです。顔半分が隠れているのですから、相手の表情は見えにくく“目は口ほどにものを言う”とは言え、目だけではなかなか気持ちが読めません。誰もがマスクをしているのですから、自分の気持ちも伝わりにくくコミュニケーションが実に取りづらい環境の中に今私達はいるのです。

幼い子供達のマスク着用については、着用する事で発生するリスクを考え強要せず、着用した場合は、大人が細やかに着脱の管理をする事が必要だとされています。しかし、

自分で管理できるようになる小学校以上になると、ほとんどの子供達が着用しています。相手の表情や感情が読みづらいこの環境の中で成長する今の子供達に、「こんな世の中だから仕方ないね」と済ます事は、これから社会に出て世の中を担う大人になるために必要な事を欠落させてしまうのではないかと思うのです。マスクが離せない今だからこそ、子供達には、口元や顔の表情だけに頼らない「表現力」の育ちが必要になってくると思っています。

楽しい時にはつい鼻歌を歌ったり、大きな声で笑ったり、スキップしたり、踊ったり……嬉しい時にはヤッター!と飛び跳ねたり、走り回ったり、手をたたいて喜んだり……悲しい時には涙を流したり、肩をガックリ落としたり……身体のどの部分を使ってでも自分の気持ちを表す事が出来ます。また、そうしている人を見てその人の気持ちを察する事が出来ます。ありがたい能力です。それに加え、私達人間は、道具を使う生き物として、様々な方法で表現する事ができます。言葉、文章、絵、音楽、製作等を通して、自分の気持ちを伝え合いわかり合うのです。話す、聞く、書く、読む、見る、描く、奏でる、作る──そうしてコミュニケーションをとりながら、豊かな気持ちで人として人の中で生きて行く事ができます。

子供達は、たくさんの物を見たり聞いたり触れたりしながら、いろいろな感情を抱きます。「わぁ、きれい」「楽しい」「嬉しい」「怖い」「悲しい」etc. その心の動きを素直に表現する事で、周りの友達や先生とその感動を共有します。そして充実感を得ながら感性を豊かにし、潤った人間関係を築くのです。抱いた感情を素直に表現できる力を養いたいと思います。気持ちを伝え合う方法はいくらでもある事や、その大切さや喜びの大きさを知って欲しいと思います。「きょう、○○ちゃんに“あそぼうね”ってお手紙を書いて来たんだぁ~」「みて!みて!先生の顔描いたよ」「先生!音楽かけて!踊りたい!」──子供達から、自分の気持ちを表現しようとする声があちらこちらで聞かれます。たくさんの友達や先生達と関わり合い、様々な経験をする中で表現力が育っているのです。子供達は、2学期から音楽を通して気持ちを表現する楽しさを探っています。音楽に合わせて踊ったり、楽器を使って演奏したりして、その曲から抱くイメージを自分達なりに伝えようとチャレンジしています。日常生活での感動と様々な表現経験をリンクさせながら、自分の感情を相手に伝える楽しさを味わっています。これも一つの表現力の育ちです。マスク生活の今だからこそ、育んでいかなければならない力ではないかと思います。これは、子供達だけでなく、私達大人もその力を磨き、コミュニケーション力を高めていくべきかもしれません。コミュニケーションにわずらわしさやマスクによって表情を隠す事に安心感を抱き始めているとしたら、そんな時こそ、子供達と一緒に色々なものを見たり聞いたり経験したりしながら、そこに生まれる感情を素直に伝え合う生活を大切にしてみたらいいのかもしれません。

「マスク生活の中で育っている子供達だから仕方ない」と言わせない!───。子供達の生き生きとした表現力の育ちを願いながら、締めくくりの3学期を過ごして行きたいと思います。  今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。

チャレンジのそれからそれから(2021年度12月)

「コロナ…コロナ…」と落ち着かない中、いつの間にか、あちらこちらでクリスマスやお正月の話題が聞こえて来る季節になりました。大人にとっては気ぜわしくなる時期ですが、幼稚園では、紅葉したイチョウやアメリカンフウやモミジで彩られた園庭で、深まる秋をもうしばらく子供達と一緒に満喫したいと思います。

その園庭で、この秋子供達はいろいろな経験を楽しみました。『稲刈り』『ブドウの収穫祭』『冬野菜作り』『芋ほり』『わんぱくチャレンジ週間』『お祭りだよ!さくら組全員集合!2021!』等々…。その一つひとつの経験で子供達は様々なチャレンジをしました。例えば、『稲刈り』──春、年長組の子供達が、バケツ田植えに挑戦しました。植え方を教えてもらい丁寧に植え、実った稲穂を本物の鎌を使って刈りました。難しい事にも真剣に挑戦しました。植えたり刈ったりは、年長組の子供達でしたが、他の学年の子供達は、苗がどのように生長していくのかを毎日楽しみに観察する事が出来ました。『冬野菜作り』は、年中 年少組の子供達が中心になって苗や種を植え付けました。満3歳児クラスの子供達は、来春に向けてイチゴやチューリップを植えました。収穫できる日を楽しみに毎日観察しています。美味しい野菜やイチゴができるか、チューリップがきれいに咲くかな?と挑戦です。そして、お家の人達にも一日だけ観ていただいた『わんぱくチャレンジ週間』──学年毎に様々な種目に挑戦意欲をもって頑張り、自分の力の大きさに気付きました。頑張る後押しをしてくれる友達の存在の大切さにも気付きました。

先生達は、幼稚園でたくさんの経験を通し成長して欲しいと願いながら子供達と関わっていますが、時に子供達は私達が思った以上にその挑戦により成長の実を結ぶ事があります。『わんぱくチャレンジ週間』終盤に入った頃の事です。鼓隊演奏を頑張っている年長組の様子を毎日見ていた他の学年の子供達が、その姿に憧れて「僕たちもやってみたい!」と真似るようになりました。段ボール箱や倉庫にあった洗面器を使って太鼓を作ったり、筒と新聞紙やビニールを使ってカラーガードを作ったりして、見様見真似で鼓隊演奏ごっこ(?)をするようになりました。それは、わんぱくチャレンジデー以降、なお、盛んになり「先生!曲かけて!」と年長組さんが演奏した曲に合わせて園庭の真ん中で繰り広げられる小さな子供達の堂々とした鼓隊パレードが毎朝の光景となりました。それを見守る年長組の先輩の目の優しいこと!「カラーガードはこんな風に回すんだよ」「この線を歩いてごらん」と教えてくれたりもしていました。鼓隊演奏だけではありません。リレーや踊りをアレンジ?しながら小さな学年の子供達が楽しむ姿もしばらく続きとても賑やかでした。また、『お祭りだよ!さくら組全員集合!2021!』では、年長組さんが楽しんだ次の週には、園庭で全学年が参加してのお祭りパレード。手作り獅子舞で小さな学年の子供達の頭や手を優しく嚙んであげたり、大うちわであおいだりして盛り上げてくれました。そして、保育室に作ったお店屋さんやゲームコーナーにお客さんとして招き、年長組だけのスペシャルイベントが園全体のイベントになったようでした。その時の年長組の子供達は、自分達が楽しんだ時とは違う顔つきでした。年下の子が困ったり悲しんだりしないように、低い姿勢になって教えてあげる姿、買った品物で持ちきれない荷物を一緒に持ってあげたり、部屋を案内してあげたりする姿が誇らしげで自信に満ちていました。そして、小さな学年の子供達は、刺激を受けて○○屋さんごっこを自分達のクラスで始めたり、廃材でいろいろな物を作ってみようとしたりする姿が見られるようになりました。年長組のチャレンジが、みんなに広がり、みんなのチャレンジに伝染していったのです。
こうして、上の学年と下の学年の関わりがあちらこちらで深まっていたある日の朝、

登園してきた満3歳児の男の子が、中門で難しそうに手を消毒していました。体操服袋が重たくて腕を伸ばせなかったのです。それに気が付いた年長組のある男の子が「(体操服袋を)持ってあげよう」「先に消毒していいよ。お兄ちゃんが持っててあげるから」と言って助けてあげていました。また、年少組の女の子がなかなか保育室に向かって行けないでいると、丁度登園してきた年長組のある女の子がその子の手をそっと握ってお部屋まで連れて行ってくれました。年少組の女の子は安心してついて行きました。それらの様子がとても自然で嬉しかったです。困っている小さなお友達を愛おしく大切に思う気持ちとお兄ちゃんお姉ちゃんを頼りに慕う気持ちが通い合ったのだと思います。これまでの様々なチャレンジを通し、見て来た先輩の姿や後輩の姿に心を動かされた事がきっかけとなり、子供達主体のあそびに発展していき、学年を越えた関わりが深まったからなのではないかと思います。私は、子供達が学年を越えて良い関係を築いていた事に感心しました。そして、チャレンジが、こういう形で繋がり子供同士で育ち合っている事にも嬉しく思いました。

チャレンジのおもしろさを知った子供達は、自分に大きな自信を持つ事が出来ます。その自信が次のチャレンジに向かう気持ちを後押しします。自分の中に秘められていた力に気づいたり開花させたりするきっかけになります。頑張った後にだけ見えてくる景色の中で子供達は今、ますます自信をもって楽しんでいるのです。そして、“人を認め合う”“人を思いやる”“人に優しくする”“人を敬う”“人に習う”……そんな気持ちも、たくさんの経験を通しチャレンジする事で生まれて来るのかもしれません。

「チャレンジのそれから」は、“人として成長するチャレンジ”にもじわじわと結び付いていくのです。

チャレンジのそれから…それから──まだまだこの先、何かに繋がるはずです。

三次中央幼稚園のブログをチェックしてみてください。そんな子供達の様子を覗いていただけると思います。

僕たち私たちのチャレンジ(2021年度11月)

今年は、秋になっても昼間は夏の名残を思わせるほど暑い日が長く続きました。そんな暑さから一変、今月の中旬になって急に寒さを感じるようになり、園庭の落ち葉も増えて来ました。先生達は、子供達に落ち葉いっぱいの園庭で秋の深まりを楽しませてあげようと、毎朝していた掃き掃除も回数を減らす事にしました。(さぼっているわけではありませんよ。笑)

さて、今週は、『わんぱくチャレンジ週間』を行っています。すでに、子供達のチャレンジしている様子をお家の方に観ていただいた学年もあります。年長組の鼓隊演奏から始まり、どの学年も、友達や先生達と競技に一生懸命参加していました。そんな中、お子さんがチャレンジしている姿をどのように感じていただけたでしょうか?

「チャレンジする」という事について考えてみます。子供達は、赤ちゃんの時から好奇心を抱き、いろいろな物を見たり聞いたり触れたりして認識していきます。危なっかしくて目が離せなくなる時期こそ、その一つひとつの経験が生きていく術(すべ)を学ばせてくれているのです。好奇心が赤ちゃんをチャレンジャー(笑)にします。

人は、人生の中で幾度となく苦難や問題に出会います。何事もなく人生を送るなんて事はほぼありません。これらの壁を乗り越えるために力を出す気持ちになる事、また、前向きな目標達成や成功成就に向けて努力する事を「チャレンジする」と言うのでしょう。私も、これまで幾度となくピンチを味わい、その度に夢や目標を持って自分なりに向き合いながら、なんとか生きて来た気がします。そのために頑張ろうとして来た気持ちは、これまでの人生を前向きに送るためには必要な事だったような気がします。

子供達は、日々の生活の中でも“あんな風にしてみたい”“あの人のようになりたい”“できない事ができるようになりたい”等と目標を持ち、その目標に近づこうと一生懸命チャレンジします。幼稚園では、いろいろな環境や経験を通して、子供達の中にそうしたチャレンジ精神を育てたいと思っています。『わんぱくチャレンジ』として取り組んで来たこれまでにも、子供達一人ひとりの“頑張りどころ”がたくさん見えてとても頼もしく思いました。かけっこで一番になる事を目標に頑張る子、一番になれず悔しくて次は頑張りたいと意地を見せる子、また、走る事が苦手でもみんなの応援を受けて最後まで走ろうと頑張る子──。大好きな踊りがもっと上手になるようにと練習していた子、人前が苦手でなかなか踊る事が出来ず、それでもみんなと一緒に広い舞台に立つ事を目標に頑張っていた子──。チャレンジは子供によって様々です。そのどれをとっても、今の自分を超えようとする意欲です。そのけな気でもあり頼もしくもある姿に感動します。チャレンジには、一歩踏み出す勇気・やる気・元気が必要です。頑張っても上手くいかない時もあるでしょう。諦めたくなる事もあるでしょう。でもそんな時、(みんなと同じじゃなくてもいい。あなたの目標に向かって、何度でもどんなに時間がかかっても頑張ろうとする気持ちが、あなたを将来最強のチャレンジャーにしてくれる。)───と言う気持ちで応援し、勇気・やる気・元気を引き出してあげたいと思います。

そして、幼稚園のみんなで『わんぱくチャレンジ』という一つの活動に取り組みながら頑張っている友達に触発され、自分もやる気が湧いて来たり、一生懸命頑張っている友達を認め合う事で、一緒に頑張ろう!という気持ちになったりします。友達一人ひとりの持っている力に気づき敬愛の気持ちを抱きます。仲間の励ましや応援もチャレンジ精神をかきたてる大きな力になります。それは、仲間意識の深まりに繋がります。

そんな仲間と、これまでいろいろな事にチャレンジし迎えたチャレンジデー当日、満3歳児クラスの子供達は、いつもの幼稚園とは違う一日を楽しみみんなと元気に過ごしました。年少児の子供達は、たくさんの人の前で小さな心と身体で走ったり踊ったりしました。そのチャレンジにたくさんの拍手をもらい自信を持ちました。年中組の子供達は、友達と共に力を合わせて勝負にも挑みました。クラスの友達と力を合わせる楽しさも感じたようです。年長組の子供達は、自分達の種目だけではなく、幼稚園の先輩として、責任感を持って小さなクラスのサポート役としても活躍しました。そして、この週明けには自分達のチャレンジを楽しむ予定です。お家の人達にご覧いただくのは一日だけですが、その一日は、決して最終結果ではありません。できたできないではなく、認めてあげて欲しいのはチャレンジしている姿や意欲です。それによって今後の子供達の挑戦意欲にますます火が付きます。子供達は大人になるまで、ずっとずっと発達途上です。今は通過点。まだまだ子供達はいろいろな場面で今の自分を超えられるようにチャレンジして行くはずです。この度の『わんぱくチャレンジ』だけではなく、幼稚園でのお子さんの様子を観ていただく時には、いつも自分の力を試したり超えようとしたりする姿に拍手をおくってあげてください。お家の人に認められた挑戦意欲は、これから先出くわすであろう様々な問題に勇気をもって向き合い、充実した人生を切り開く力になるのです。

また、チャレンジする事によって、新しい自分を発見したり、自分の中に潜んでいた才能や力を掘り出す事も出来ます。特に子供達にはまだ見えぬ可能性がいっぱいです。チャレンジしなかったら……今の自分のままでずっと続くとしたら……この可能性を引き出すきっかけもなくなります。チャレンジしながらその時その時に抱く想いや目標が見えて来た時の喜びは、それなしには得る事も出来ません。ちょっとした事へのチャレンジでも、その積み重ねが力となり、子供達の身体に脈々と培われていくのだと思います。

失敗・挫折・成功を繰り返しながら自分なりに目標を伸ばしたり拡げたりできる人は一生涯成長し続けるのでしょう。これからも、子供達がチャレンジする醍醐味を味わえる環境と好奇心くすぐる生活をたくさん用意していたいと思います。

栗ごはん(2021年度10月)

時折、夕方の西の空が真っ赤に染まり秋を思わせてくれます。夜、耳をすませば、涼やかな虫の声が聞こえて来る…そんな季節になってきました。

先日、知人から大きくてきれいな栗をたくさんいただき、休日の半日を使って剥きました。皮を剥くのは大変だけど、剥いている間いろいろな事を思いながらゆったりとした時間を楽しみました。

栗を見ると思い出す事があります。私の娘達が幼稚園の頃の事、まだ元気だった義父母が「奥の山にある栗の木にたくさん栗が実っているよ。」と教えてくれたので、休日になったら娘達に栗拾いをさせてやろうと計画をしました。そして休日、身支度をし籠と火箸を持ってゆっくりゆっくり裏山に向かって歩いて行くと大きな栗の木が見えて来ました。「ほら、あれがおじいちゃんとおばあちゃんが言っていた栗の木だよ。たくさんあるといいねー。」と言うと、二人の娘が先に栗の木の下まで走って行き、すぐに「あった!あった!」「みーつけた!」「ここにもあった!」と籠に入れ始めました。「待って待って!イガイガがあるから、気を付けてよ!手で触ったら痛いよ!」と心配して叫ぶと、小さな手に大きな栗の実を握っていたのでした。あれ?変だぞ?と走り寄ってみると、イガから外されたきれいな栗の実があちらこちらにゴロゴロ落ちていたのです。「えっ?どうしてこんなに実が落ちているんだろう?」空のイガもたくさん落ちていました。落ちた拍子に外れた??こんなにもたくさん??──不思議でした。それから籠いっぱい拾って家に帰ると、義母が待ってくれていました。「おばあちゃん!たくさんあった!」と娘達が見せると「そう!たくさん採れて良かったね!お母さんに栗ごはんを作ってもらいなさいね。」と目を細めて一緒に喜んでくれました。そして、私は「お義母さん、すっごくたくさん落ちていてビックリしました。喜んで拾っていましたよ。」と言うと、義母が私の耳元で「お父さんが朝早く山に行ってイガを剥いて栗をまいておいてくれたらしいよ。」と言ったのです。それを聞いてやっと合点がいきました。(そうでしょそうでしょ、それしか考えられないですよ)と思いました。大きな栗の木や生っている実、落ちている栗のイガ、足を使ってイガから栗を取り出す……これらを体験させたい私の思惑は空振りとなりました。だけど、おじいちゃんおばあちゃんの私達親とは違う優しさや愛情が吹き出す程愉快でありがたく思いました。ただただしんどい思いをさせずに喜ばせてやりたい、という計算のない純粋な愛情です。

私達親は、栗の木を見せて栗の生り方やイガの痛さや剥き方を教え学ばせたいといろいろな事を経験させようとします。これは、とても大切な事です。子供の将来を考え人として生きる上で大切な力を育てていく事または、その環境を用意するのは親の責任でもあります。それは、親の仕事で、おじいちゃんおばちゃんの役割ではないような気がします。おじいちゃんおばあちゃんには、孫の喜びや悲しみにいつでもどんな時でも寄り添って味方になってくれる、子供にとって安心安全な居場所となってもらえれば十分なのではないでしょうか?

義母が亡くなり、娘達の子守り役はもっぱら義父でした。仕事が終わり私が帰宅するまでの時間をあの手この手で安全に過ごさせてくれていました。いつも「ちゃんと宿題したよ。おやつもおじいちゃんが買ってくれたよ。」と私が帰るなり報告してくれ娘達はおかげさまで寂しがる事も無く、むしろ留守時間が充実しているようでした。「おじいちゃんの用事でホームセンターについて行ったら、おじいちゃんが自転車を買ってくれたんだー。」と大買い物にビックリ!「跳び箱が苦手って話したらおじいちゃんがこれを作ってくれたよ。ブランコが好きって話したらこれも作ってくれたよ。」と広い作業場が体育館のようになっていたのにもビックリ!そして、ずっと先になって「実は……」と白状した事がありました。いつも算数ドリルの宿題は、おじいちゃんとの共同作業(?)で、孫が問題を言いおじいちゃんが計算機で答えを出してくれていたと言うのです。その姿を想像すると可愛くて微笑ましくて叱る気にはなりませんでした。おじいちゃんが「ありゃありゃ、お母さんにバラしたのかぁ。お母さん叱らないでやってや、あんまり時間かけてしんどそうにしていたもんで、おじいさんが手伝ってしまったんよ。かんにんかんにん。」と笑いながら話してくれました。孫達とおじいちゃんのチームワークの良さ(?)に、親子にはない関係を感じ、いろいろな形の愛情を受けて育ててもらえている事に感謝さえしました。

思春期になれば、私の母に恋や進路の相談等をしていたようでした。母が「お母さんには言えない相談をしてくれたよ。これはおばあちゃんとふたりだけの秘密だ。」と言っていました。どんな時でもどんな事でも聞き役で「そうかそうか。うんうん。」と受け入れてくれる、孫達にとっては大切な居場所でした。

敬老の日、お子さん達はおじいちゃんやおばあちゃんの愛情に感謝したでしょうか?いえ、きっとおじいちゃんおばあちゃん方は、孫達に感謝して欲しいなんて思ってはおられないと思います。無償の愛ですから。ただただ可愛いくて大切だと思ってくださっているそんな愛に元気な笑顔を返してくれたりたくさん話してくれたり、「おじいちゃんおばあちゃんだいすき!」と言ってくれたりする事で、喜んでいつでもウエルカムの居場所を用意してくださるのではないでしょうか?そんな安全地帯になってくださっている事に私達親の方が「ありがとうございます」と言わなくてはいけませんよね。
大人になった娘達は今でも、おじいちゃんおばあちゃんの事を懐かしく思い出し、その存在の大きさに親とは違う“ありがとう”の気持ちを抱いているようです。栗ごはんを食べながらいつも家族でこんな思い出話になります。「またその話?」と同じ話を何度もして笑われてしまう私も、そろそろおばあちゃんの立場で物事を考える年になったのでしょうか?
“敬老の日”がやけに気になるのはどうしてだろう………?(苦笑)