今年は梅雨入りからわずか2週間で梅雨明けとなりました。青い青い空の下、プールあそびや泥んこあそびをたっぷり楽しんでいます。子供達には水まみれ泥まみれ汗まみれがよく似合います。泥んこになって遊んだ証拠の靴や体操服に驚かれているかもしれませんね。そんなお土産にも「よく遊んだね」と笑いながら洗濯をしてあげてください。
さて、毎年この時季になると、私は、父と母の事を深く思い出します。5月の「母の日」6月の「父の日」、そして、6月は私の母と父の命日の月でもあります。仏壇やお墓に手を合わせながら両親の事を思い出します。母とお別れをしてもう13年、父とは2年の年月が経つのに、今でも思い出すと涙が溢れます。
私は、亡くなった父や母の事を娘達に事ある毎に話して聞かせています。娘達にも私の父や母であるおじいちゃんおばあちゃんとの思い出がもちろんありますが、私との思い出話をする事で、私が一番大切に考えている家族への思いのルーツを感じてくれたらいいなと思うからです。娘達がまだ子供だった頃は、その思い出話も笑い話だったり懐かしむだけだったりでしたが、大人になってからは、いろいろな事を聞いてくるようになりました。「その時、おばあちゃんはお母さんに何て言ってくれたの?」「お母さんはどう思ってたの?」とか「おじいちゃんのその時の気持ちはこうだったと思うよ」「こういう事を言いたかったのかもしれないね」等と話し、親子の絆や家族の在り方を感じてくれているようです。
母が闘病生活になった時も父がそうなった時も、家族皆で一生懸命に最期まで支えました。そんな姿を見て、娘達は「家族っていいね。凄く大きい力になるよね。」と言うようになりました。そんな事、わかっていてもふと言葉が漏れる程実感する事もなかったのかもしれません。それは、同じく私にとってもそうです。この時ほど家族の在り方を考えさせられた事はありませんでした。病との闘いに辛がっている母を家族もまた心と身体が疲れないように、交代で見舞い勇気づけている間に、家族の大切さを実感しました。父の時もそうでした。これが、母と父が生涯を通して私達残された者に教えてくれた事だったような気がします。「弟姉妹でいつまでも助け合って仲良くしなさい」「家族を大切にしなさい」と……。
今、92歳の義父が2年前から施設でお世話になっています。コロナ禍で、面会も制限されて私はしばらく会えていませんが、夫や義姉が面会する度に送ってくれる動画で義父の様子を知る事が出来ています。温厚で優しい人なので、認知が入り寝たきりになっていても「ありがとうありがとう」「用心しなさい」と周りの人への感謝の言葉を忘れず、娘や息子へ気遣う言葉をかける姿に毎回胸があつくなります。その姿もまた私達に「いつも感謝の気持ちを持つ事」「無茶をせずにほどほどに……」という気遣いの気持ちを持つ事の大切さを教えてくれているように思います。その画像は、私の娘達とも共有します。おじいちゃんの様子を見て安心してくれていると同時に、耳を澄まして聞いていないと分からない程のおじいちゃんの言葉に教えられている事もあるようです。いつの時代も、私達子供は父や母の愛情と命を受けて大人になります。こうして、時代はどんどん巡り、家族の歴史が作られていく事を感じています。
幼い頃には、お母さんと一緒に居る事が“嬉しい”とか、お父さんに遊んでもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりして“楽しい”とかの感覚しかなかったような気がします。大好きという感情はもちろんありましたが、ありがたいとか大切な存在だという事を実感する事があまりなかったかもしれません。少し大きくなってからは、口うるさい母に歯向かったり厳格な父に素直になれなかったりしました。大人になって、就職・結婚・出産・子育て……と力を借りる事が増えてきたその頃に、やっと親のありがたみや大切さを感じ、親の背中を真剣に見つめるようになりました。そして老いていく姿を目の当たりにして、父や母が命をもって私への最後の“子育て”をしてくれているように感じ、それまでの生き様を見習おうと思いました。
私よりはるかに…はるかに若い保護者の皆様にも、お父様お母様の存在があり、自分を育ててくれた人へ抱かれている思いがそれぞれにおありでしょう。我が子に言っている言葉や態度を振り返ってふとご自分のご両親と重なる時がありませんか?私は、父から、「葉子の話し方や言う事が母さんに似てきた」とよく言われていました。みんな自分の親の背中や生き様に影響を受け学び……たまに反面教師にしながら生きて行くための柱となる物を自分の中に少しずつ積み上げていっていると思うのです。幼い子供達もすでにお父さんお母さんを見て「お母さん大好き!お父さん大好き!」と思いながら積み上げています。
子供達が毎日お家の人に見送られて……または、送って来ていただいて幼稚園にやって来ます。お父さんお母さんの「行ってらっしゃい」の言葉に送られながらやって来る子供達の様子は様々です。「行ってきま~す」と手を振って元気に来る子、タッチやムギュ~のスキンシップで来る子、言葉は交わさずともお家の人の手を離し照れくさそうににやにやっと笑いながら来る子、どの子も、「行ってらっしゃい」の言葉をお守りにして一日が始まります。「いってらっしゃい!」という言葉と温かい眼差しにどれだけの深い愛情が込められているかなんて、幼い子供達はまだ、本当には感じていないかもしれません。親子の…家族のありがたさを実感するのはまだまだかもしれませんが、保護者の皆様がお父様お母様から受けた愛情と教えを思い返しそれを我が子に少しずつ少しずつ繋いでいく事で、いつか「行ってらっしゃい」の意味と思いが心からわかる日が来ると思います。私達の親に教えてもらった事、親から学んだ事が生き様となり、その姿が道標になるよう子供達に伝えて行けたら……また、たとえ、いろいろな事情でそういう道標を与えてもらう事ができなかったとしても、ご自分が道標となるよう我が子に繋ぎ、これから家族の歴史を作って行く──これもまた親として幸せな事なのかもしれません。
アッ!私の場合は決して立派な生き様になりそうにないので、娘達には参考書程度にしてくれたらいいかな?(笑)
それにしても、いつの時代でも“お母さんお父さん、心からありがとうございます!
2022年6月30日 2:43 PM |
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幼稚園の庭がたくさんの作物や花で賑やかになっています。ゴールデンウイーク明けには、年長組の子供達がバケツ田植えをしました。年中組は保育室のテラスでひまわりを育てています。年少組や満3歳児の子供達もプチトマト、キュウリ、パプリカ等々、夏野菜の苗植えをしました。苗を見ただけでは「これがキュウリになるんだよ」と聞かされても「?????」……ピンときていないでしょう。今はそうでも、毎日観察していくうちに夏になり、小さなキュウリが生っているのをみつけた時どんなに驚くだろうかと楽しみです。子供達と一緒にたくさんの野菜や花を育てながら命の息づかいに触れ楽しみたいと思います。
さて、先日年長組は、書道教室をされている島田真由美先生を迎え“かきかた教室”をしていただきました。40分間という短い時間でしたが、島田先生との挨拶から始まり、机に向かう姿勢や鉛筆の持ち方を分かりやすく教えていただきながら名前書きを習いました。毎日一緒に生活している私達も“先生”ですが(笑)初めて会うその“島田真由美先生”にはまた違う眼差しを子供達は向けていたような気がします。少しだけ、“お勉強気分”を抱いていたのでしょう。いい緊張感が漂っていました。前以て、島田先生は一人ひとりに名前のお手本を書いてくださっており、子供達はそのお手本を見ながら静かに一生懸命に書いていました。年長組の子供達は、来年小学1年生になります。まだ先の話だけれど、子供達にとってそれは大変な憧れであり、自分が大きくなる事を実感できる節目として楽しみにしている事でもあるはずです。その楽しみを味わえる時間でした。
でも、みんながみんな字が書けるかというとそうではありません。「先生!書けたよ!」「見て!見て!」と先生達を呼んで得意気に見せてくれる子供達が出て来る中、サポートに来ていた先生がずっと付いてあげているひとりの男の子の姿がありました。その先生は丁寧に励ましながら教えてあげていました。姿勢とか持ち方とかを気にしている段ではなく、とにかくふたりで一生懸命紙に向かっていました。何度か繰り返し書いてやっと名前が書け、島田先生からはなまるをもらいました。つきっきりでサポートしていた先生は「よく頑張ったね!よく頑張ったね!」とその頑張りが愛おしくさえ思え、涙ながらにほめて一緒になって喜んでいました。書きたい気持ちで楽しみにしていた子供達は皆、書道教室の先生が用意してくださっていたお手本をあたかも「魔法のお手本」のように思っていたと思います。(これがあれば、先生の話をちゃんと聞いていれば書ける)と……。でも、そうではなかった。それを実感したその男の子は、もう書きたくない!やめたい!と諦めたくなっても不思議ではないくじけそうな気持ちの中、サポートしてくれる先生の励ましで踏ん張る事が出来ました。
また、ある女の子は、途中で紙と顔の距離が数センチになる程にして書いていました。どうしたのかと覗き込むと涙がこぼれていました。先生達が励ましていましたが思うように書ききれないまま“かきかた教室”は終わりました。その後、トイレに走って行きました。トイレから出て来たその子は涙顔でしたが、それは悲しい顔ではなくとても悔しそうな顔で、そのまままた走って保育室に帰って行きました。思うように書けなかった事を悲しいと思っているのではなく悔しいと思って涙が出たのでしょう。トイレに行ったのは、持って行き場のない気持ちをクールダウンさせるためだったかもしれません。
そして、翌日、私が各保育室を回っているとその女の子がひとりで机に向かっていました。部屋の中でいろいろなあそびが展開している中、ひとりで何をしているのかと後ろから覗き込むと、お手本を見ながら自由画帳に自分の名前を何度も何度も消しゴムで消しては書き消しては書きしていたのです。すると担任の先生が、「実は、昨日帰る前に、頑張った事をみんなの前でほめて、頑張る事を続けていたらいつか書けるようになるから!と励ましたんです」とこっそり教えてくれました。その子はそれからもずっと毎日書き続けていました。先生の昨日の言葉に支えられて頑張っていたのです。書き順とか、鉛筆の持ち方とかは正しくなくても、その子にとって先ず大切なのは悔しい気持ちをエネルギーに変えていく事でした。先に記した男の子も、またこの女の子も、書けなかった悔しい気持ちが劣等意識ではなく努力する気持ちに繋がったのは、その子に寄り添う先生達の心の眼差しがあったからでしょう。
『努力はいつか報われる』とか『努力は必ずしも報われない』とかいろいろ言われる事がありますが、この子達にとって“報われる”というのは“字が書けるようになる”事ではなく、“努力する姿を認めてもらえた喜び”“励ましに応えてみせようとする自分への肯定感”“成功へ向けて一歩一歩前進(クリアー)していく充実感”等、目標達成に行きつくまでにいろいろな所で点々と報われているのだと思うのです。子供達のこれからの人生の中でそう言った経験はたくさんあります。勉強、人間関係、受験、就職、結婚、どんな時でも、思い描いた夢に向けて設計図通りに行かなくても(そうならない事の方が多いですよね)いろいろな場面で繰り返し努力していく事はそれだけで粘る力を培い、何事にも向き合えるエネルギーになって行くのです。失敗や挫折や空虚感を何度も何度も味わいながら、それでもその時その時で得られる人との出会いや支えの言葉によって自分の力を信じ頑張って生きて行こうとできるのです。だから、私は『努力は必ずどこかでは報われている』と思っています。
そもそも、子供達は、努力しようとか努力しているとかと思いながら頑張っているのではなく、夢や目標を叶えるためにただ必要なプロセスに力を注いでいる──その様子を“努力”と称しているだけなのかもしれません。無心になっている姿に、私達大人が共感したりそのプロセスを踏んでいる間を励ましたり応援してあげる事で報われ続けるのではないでしょうか?
その後、頑張った男の子と女の子が、名前や字が書けるようになったかどうかはまだ道なかば……ですが、確実に自己肯定感は得られ自分の力を見直せるきっかけになったはずです。それは、文字を書く事だけではなく、生活のいろいろな場面で自分の中に潜在していた力を発揮できるエネルギーに変わって行く事でしょう。
2022年5月31日 2:37 PM |
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幼稚園の屋上に、大きなこいのぼりが元気いっぱいに泳いでいます。登園してきた子供達が、それに気づき「アッ!!こいのぼりだ!」と喜んで見上げていました。こいのぼりが見守る中、少し余裕を感じさせる進級児達とまだまだ自分の置かれた環境に戸惑っている様子の新入園児達で、笑い声と泣き声が入り混じり、とても賑やかな2022年度のスタートとなりました。
新年度が始まって3週間が経ちます。入園式には、新入園児達はクラス毎に保育室で楽しい歌あそびをしたり、人形のおしゃべりに釘づけになったりしてお家の人と一緒に楽しい時間を過ごしました。短い時間でしたが、初めて過ごす環境に緊張をしていた子供達にとっては程良い時間だったと思います。私は、中門でお家の人と手をつないで帰る姿に「楽しかったかな?明日も来てね。」「園長先生もここで待っているからね」と声をかけながら見送りました。みんな笑顔で帰って行きました。そして翌日、泣いて登園する子やお家の人と離れられない子がたくさんいるだろうと覚悟をしていましたが、ほとんどの子が笑顔で登園して来てくれたのです。お家の人と半日一緒に過ごした入園式の楽しかった思いが翌日への期待になったのでしょう。不思議なほど落ち着いた初日でした。しかし、その次の日から涙が出る子が増えて来たのです。お家の人と一緒ではない一日を過ごしてみると、お迎えやバスに乗って帰るまでの時間が長くて、なかなかお家の人と会えず、これまでと違って自分の思い通りになる事ばかりではないと感じたり、自分でしなければいけない事があったりして、寂しくなったり不安になったりしたからでしょう。お父さんお母さんは、朝の離れ際に涙を流す我が子の姿を見て、昨日まではあんなに幼稚園を楽しみにしていたのに……と、心配された事でしょう。もしかしたら今もなお?
心配ご無用です。今、子供達は新しい世界で楽しい事を探している真っ最中です。それは、新入園児だけではありません。クラス替えや担任が変わって新しい環境になった進級児達も、それぞれにエネルギーをいっぱい使っているのです。それにかかる時間が長いか短いかの違いはありますが、きっと必ず子供達はこの新しい世界を受け入れ楽しめるようになります。
泣いて登園しているある新入園児の男の子がいました。お母さんとの離れ際「ママは?どこに行くの?行かないで!」と泣くのです。いろいろとなだめながら、保育室まで抱きかかえて連れて行きます。先生達は皆、笑顔で「よく来たね。」と迎え入れます。そんな何日かを過ごしたある日、その男の子が「園長先生!来て来て!」と私を引っ張ってアスレチックに連れて行くのです。なんと、新入園児にしてアスレチックのやぐらに上りたい!というのです。私は、その子のおしりを支えていける所まで応援しました。案の定、途中でズレ落ちてしまいました。「今日はもういい」と言って向こうに行ってしまいました。その翌朝、中門でいつものように少し泣き顔になった所をすかさず「今日もあそこを登ってみようよ!」と私がアスレチックをゆび指すと、ちらっと見て「うん」と言って幼稚園の中に泣かずに入って行きました。楽しいと思える事を見つけたんだなと思いました。
テラスで広い水槽に飼っているカメが3匹います。そのカメを平気で触っている進級児の姿をこわごわと見ているある新入園児の女の子がいました。「わっわっわっ!!そんな事して!……大丈夫なの?えっ?えっ?えっ?」と触ってみたいけど触るのは怖いと思うその子の葛藤する姿が可愛くてしばらく見ていました。「うん!大丈夫!ここを持ったらいいんだよ。ほら。」と先輩である進級児に促されおそるおそる触っていました。結構長い時間頑張っていたと思いますが、そのうちほんの少し持ち上げる事ができ、「持てた!かっ…かっ…可愛い(汗)」と若干引きつった笑顔で嬉しそうにしていました。それから、その女の子は何度もその水槽でカメを触って遊べるようになりました。この子も、楽しいと思える事を見つけたなと思いました。
年長組の女の子数人が「園長先生!見ててよ!」と呼び止め、ハント棒のてっぺんまで登れるようになったところを見せてくれました。「前は、できなかったんだけど、できるようになったんだぁ。凄い?」と何度も入れ替わりで見せてくれました。進級児達もまたチャレンジの楽しさに出会ったんだなと思いました。
こんなふうに、子供達は、幼稚園という社会で人や物と出会い、習ったり自分で発見したり、自ら関わったりしながら楽しみを見つけて行きます。初めは安全圏でも、少しずつチャレンジャーになって行きます。そうした時に起こる友達とのトラブルも小さな怪我も経験しながら世界を広げて行くのです。それもまた大切な大切な幼児期の学びなのです。その学びと楽しさを見つける事ができたら、その世界への期待が膨らんだり次への意欲に繋がったりします。幼稚園に行きたい!友達と遊びたい!と思えるようになるでしょう。心躍らせる程やりたい事ができる──それが幼稚園です。幼児期にこそしなければならない経験を用意してあげたいと思います。どうかしばらく、子供達をじっくり見守っていてあげてください。「楽しい事み~つけた!」という心の声が、きっと「行ってきます」「おはよう」「せんせーい」の声やその時の笑顔から聞き取れる時を待っていてあげましょう。子供達は、楽しい事を見つける天才ですから……。
今年も、幼稚園生活での子供達の育ちを、時には自分自身の子育ての失敗談・経験談を織り交ぜながら『葉子えんちょうせんせいの部屋』を書かせていただきます。保護者の皆様と子供達の愛おしさやの成長を感じ合い、子育ての楽しさや悩みをも共有できれば嬉しいです。時にはご意見やご感想等いただけるとなお嬉しいです? 今年一年間も、どうぞよろしくお願いいたします。
2022年4月28日 2:24 PM |
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3学期になってから新型コロナウイルス感染拡大により、幼稚園休園と自由登園という対応に、子供達や保護者の皆様には大変なご心配とご苦労をおかけした事と思います。保護者の皆様のご理解とご協力、また幼稚園や職員の事を気遣うたくさんの励ましのお言葉をいただきました事に心よりお礼申し上げます。
新型コロナウイルス感染症により、幼稚園はこれまでにない経験をしています。この度の経験でふと思い出す事があります。三次中央幼稚園が開園してからこれまで、様々な出来事や苦難があったと聞いています。50年前、開園間もないこれからという時に「昭和47年7月豪雨」で三次市は大変な災害を受けました。幼稚園の園舎内も、勿論園庭も、水害により大変な被害状況でした。しかし、当時の園長 伊達正浩は即座に職員に動員をかけ、ホールを片付け市民の避難所として場所を提供したそうです。当時の事を写真を見せながら私達職員に語ってくれた事があります。その時の園長の真剣な顔から、市民や保護者の方々そして職員皆で協力して支え合って乗り越えて来た事への誇らしい思いが伝わって来ました。
新型コロナウイルス感染症により、今、世界中が災害級の非常事態とも言われています。世の中の在り様がすっかり変わってしまいました。幼稚園もコロナ禍における子供達の学びの場としての在り方をここ数年間ずっと考えさせられています。いろいろと制限された中であっても、これまで通り子供達に豊かな経験を与えるためには、今までの形や方法にこだわらない新しい発想の転換が必要となりました。それは、一つひとつがお手本も実例もない事へのチャレンジです。
次から次へと変わるコロナ情勢と向き合いながらの生活は、この一年間ずっと続きました。今年度の幼稚園の「入園式」「参観日」「運動会」「年長組のスペシャルデー」等々……全てが新しい事にチャレンジしながらの行事でした。世の中では、三密を避ける・大きな声で話さない・マスク着用等を求められますが、子供達の世界でそれはとても難しい事です。むしろ避けなければならないとされている事は、逆に子供達には必要な事だと思うのです。人と人との関わりや直接肌に感じる温もり、会話を交わす、相手の表情を見て気持ちを読み取る等、これらに触れながら子供達の心は育っていきます。でも感染防止には必要な事──。このジレンマを抱えながら対策を考える事も日常生活におけるチャレンジでした。
自由登園の間の事です。感染防止のために登園を控える子供達もいて、なかなかクラス全員が揃わない事を寂しく思っている子供達がたくさんいました。「今日は○○君来るかな?」「今日は○○ちゃんと一緒に縄跳びしよう」と思っても、来ない…。遊んでもお弁当を食べてもなんだか寂しくて調子が出ない…。そんな子供達の気持ちが手に取るようにわかりました。
ある朝、久しぶりに登園して来てやっと会えた年中組の女の子ふたりが「○○ちゃ~ん、久しぶりだね。一緒にお部屋に行こう!」と肩寄せあって幼稚園に向かって行きました。ふたりは足取りも軽くとても楽しそうに中門を入って行きました。それは、どの学年、どのクラスでも見られた光景でした。
また、約一カ月休んでいた年長組の男の子が久しぶりに登園して来た時の事、中門で私は「○○君、おはよう!元気に来てくれたね。」と声をかけましたが、どことなく元気がありません。「どうしたの?」と聞くとうつむいて小さな声で「どうせ僕の事、みんな覚えてないと思う。忘れてるよ。」と言うのです。私は、その男の子が休んでいる間ずっと幼稚園や友達を恋しく思っていた気持ちと、久しぶりの幼稚園でドキドキしている気持ちで小さな胸を痛めていた事を思い、その子を思わず抱きしめてしまいました。「そんな事ないよ。お部屋に行ってごらん。みんなが○○君を待ってくれてるから。先生も喜んでくれるよ。」と言いました。すると、その横から同じクラスの友達が「○○君来たんだね。僕もいっぱい休んだよ。まだ○○君も来てないし、○○君も……。」と普通に声をかけてくれました。それから二人は、何やら笑って話をしながらお部屋に向かって行きました。きっと、子供達はみんな日常とは違う生活の中で戸惑っていたはずです。そんな時に「僕だってそうだよ。」「私だって同じ気持ちだよ。」と思いあえる友達の存在が、安心させてくれたり元気にさせてくれたりしたのでしょう。
できなくて残念だと思える事も、物足りないと思える事もあったかもしれませんが、コロナ禍での経験は決して嘆かわしい事ばかりではないと思います。思うように友達に会えない寂しさと同時に「友達」と「クラスの仲間」の存在の大切さに子供達はあらためて気付き、“友達っていいな”“たくさんの仲間がいるって楽しいな”と思えたのです。楽しい時はそれが当たり前過ぎて気付かなかった事が、寂しさを味わう中で学べたかもしれません。また、したくても出来ないならば、それに代わる事や方法をみんなで考えていろいろな行事を楽しんだ時の達成感──それは自分達の自信になり、生活を豊かにする力になるでしょう。この時代を過ごしている子供達を「かわいそうな子供達」にしないためには、私達大人が今の状況を前向きに捉えコロナ禍だからこそ子供達の中に育っている特別な力を見つけ、さらに導いていく事が大切なのではないかと思います。まだしばらく続くと思われるコロナ禍で経験する一つひとつが、私達大人にとっても子供達にとっても成長の原動力になっていく事を信じたいと思います。
年長組の子供達は、そんな時代の中でもうすぐ幼稚園を巣立って行きます。夢いっぱい抱いて一年生になります。欲求が満たされにくい、思った事が叶いにくい時代かもしれない。でも、それだからこそ、同じ時を過ごして来た特別な友達と一緒にベストを尽くす力を発揮して欲しいのです。友達の大切さを一番分かっている子供達だからこそ、困難な事もきっと分かり合える仲間を探し、一つひとつを丁寧にクリアしていくその醍醐味を味わいながら、日々過ごせる事を願っています。コロナ禍で得た力に誇りをもって成長して欲しいと心からエールを送ります。
50年前の災害を幼稚園と子供達のためにと前向きに乗り越えた時の当時の園長が抱いた誇りが、今また深くわかるような気がしています。
2022年2月28日 11:29 AM |
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明けましておめでとうございます。年末は寒波に襲われましたが、年明けには落ち着き穏やかな新年を迎えられた事と思います。一昨年から昨年……そして今年も新型コロナウイルス、また新たな変異株「オミクロン株」とどう向き合うかを問われながらの年明けとなりました。緊張感はこれからも続きそうですが、『withコロナ』を前向きに捉え、この一年も明るい気持ちで過ごしたいと思います。
さて、昨年、ある新聞に「マスクを外せない若者 もはや顔パンツ」という記事が掲載されていました。そのタイトルを見ただけでどんな事が書かれているかは、だいたい見当がつきました。コロナ禍でマスク生活が続き、自分も人もそれに慣れて……いや「慣れた」を超えて今や、マスクを外した顔を見られる事に抵抗を抱く人が増えて来た。──それは、若者だけではなく、多くの年齢層の人が同じ気持ちを抱いているというのです。思えば、こんなに長くマスク生活になる前は、インフルエンザが流行する冬にマスクをする事にでさえ鬱陶しく思うほどでした。それが、いつの間にか、マスクで顔半分が隠れている事により感染予防としてだけではなく、自分のコンプレックスや表情をぼやかし、対人関係を楽にする事ができる格好のアイテムになってしまったようです。これでは、真っ向からコミュニケーションをとろうとする能力や気持ちに弊害をおよぼしてしまうのではないかと少し心配です。そう言う私もマスクでほんの…ほんの少しばかり年をごまかせているのかも??(……でもないか 笑)
それはそれとして、新型コロナウイルス感染症が一時落ち着いた国では、早々とマスクを外して生活をする人々の映像が流れていましたが、ワクチン接種の効果だけに頼るのは恐ろしい気がします。日本ではまだまだ感染予防のためにほとんどの人がマスク生活をしています。実際に、今の状況ではこれまでの感染予防対策は、変わらず続けていかなければならないでしょう。マスクをしていると、表情をぼやかす事ができて、相手から本音を探られずに済む事がメリットのように捉えられている反面、コミュニケーションが必要とされる場面では、実に気持ちが伝えにくく伝わりにくい事はデメリットである事は確かです。顔半分が隠れているのですから、相手の表情は見えにくく“目は口ほどにものを言う”とは言え、目だけではなかなか気持ちが読めません。誰もがマスクをしているのですから、自分の気持ちも伝わりにくくコミュニケーションが実に取りづらい環境の中に今私達はいるのです。
幼い子供達のマスク着用については、着用する事で発生するリスクを考え強要せず、着用した場合は、大人が細やかに着脱の管理をする事が必要だとされています。しかし、
自分で管理できるようになる小学校以上になると、ほとんどの子供達が着用しています。相手の表情や感情が読みづらいこの環境の中で成長する今の子供達に、「こんな世の中だから仕方ないね」と済ます事は、これから社会に出て世の中を担う大人になるために必要な事を欠落させてしまうのではないかと思うのです。マスクが離せない今だからこそ、子供達には、口元や顔の表情だけに頼らない「表現力」の育ちが必要になってくると思っています。
楽しい時にはつい鼻歌を歌ったり、大きな声で笑ったり、スキップしたり、踊ったり……嬉しい時にはヤッター!と飛び跳ねたり、走り回ったり、手をたたいて喜んだり……悲しい時には涙を流したり、肩をガックリ落としたり……身体のどの部分を使ってでも自分の気持ちを表す事が出来ます。また、そうしている人を見てその人の気持ちを察する事が出来ます。ありがたい能力です。それに加え、私達人間は、道具を使う生き物として、様々な方法で表現する事ができます。言葉、文章、絵、音楽、製作等を通して、自分の気持ちを伝え合いわかり合うのです。話す、聞く、書く、読む、見る、描く、奏でる、作る──そうしてコミュニケーションをとりながら、豊かな気持ちで人として人の中で生きて行く事ができます。
子供達は、たくさんの物を見たり聞いたり触れたりしながら、いろいろな感情を抱きます。「わぁ、きれい」「楽しい」「嬉しい」「怖い」「悲しい」etc. その心の動きを素直に表現する事で、周りの友達や先生とその感動を共有します。そして充実感を得ながら感性を豊かにし、潤った人間関係を築くのです。抱いた感情を素直に表現できる力を養いたいと思います。気持ちを伝え合う方法はいくらでもある事や、その大切さや喜びの大きさを知って欲しいと思います。「きょう、○○ちゃんに“あそぼうね”ってお手紙を書いて来たんだぁ~」「みて!みて!先生の顔描いたよ」「先生!音楽かけて!踊りたい!」──子供達から、自分の気持ちを表現しようとする声があちらこちらで聞かれます。たくさんの友達や先生達と関わり合い、様々な経験をする中で表現力が育っているのです。子供達は、2学期から音楽を通して気持ちを表現する楽しさを探っています。音楽に合わせて踊ったり、楽器を使って演奏したりして、その曲から抱くイメージを自分達なりに伝えようとチャレンジしています。日常生活での感動と様々な表現経験をリンクさせながら、自分の感情を相手に伝える楽しさを味わっています。これも一つの表現力の育ちです。マスク生活の今だからこそ、育んでいかなければならない力ではないかと思います。これは、子供達だけでなく、私達大人もその力を磨き、コミュニケーション力を高めていくべきかもしれません。コミュニケーションにわずらわしさやマスクによって表情を隠す事に安心感を抱き始めているとしたら、そんな時こそ、子供達と一緒に色々なものを見たり聞いたり経験したりしながら、そこに生まれる感情を素直に伝え合う生活を大切にしてみたらいいのかもしれません。
「マスク生活の中で育っている子供達だから仕方ない」と言わせない!───。子供達の生き生きとした表現力の育ちを願いながら、締めくくりの3学期を過ごして行きたいと思います。 今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022年1月7日 11:21 AM |
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