子供同士のチカラ(2022年度12月)

この11月には、皆既月食と天王星食を観る事ができました。月食と惑星食を同時に観測できるのは、1580年7月26日の土星食以来442年ぶりで、次に見る事ができるのは322年後というよくわからない数字に「これはぜひ観ておかないと!」と楽しみにしていました。仕事帰りの空にはすでにきれいな月が浮かんでいました。二度と見る事がない天体ショーに寒さそっちのけで、家の外へ出て見たりテレビの生配信を見たりしてしばらく楽しみました。“月にはうさぎが住んでいて、おもちをついている”と信じている子供達のロマンがわかるきれいな秋の天体ショーでした。

さて、三次中央幼稚園では、毎週木曜日に未就園児とその保護者を対象に『育児サークル』として1時間程園庭開放をしています。この秋は毎週天気も良く、たくさんの親子が幼稚園に遊びに来てくださっています。その間には幼稚園の先生による歌あそびや絵本の読み聞かせ等をして楽しんでいただいています。そんなある木曜日の事です。育児サークルに来てくれていた男の子が園庭の小川に落ちてしまったのです。足とおしりが濡れてしまってビックリしました。お母さんは慌てて抱き上げられました。その男の子は、怪我はなかったものの、周りの人の驚いた声と小川に落ちた事への怖さで泣いていました。その様子を近くで見ていた年長組の子供達が、その男の子に走り寄って行き、「大丈夫?」と心配そうに声を掛けてくれました。それだけではなくなんと変顔をして見せたりべろべろばぁ~と笑っておどけて見せたりしてお世話をしてくれたのです。男の子が濡れた服をお母さんに着替えさせてもらっている間もずっと傍で話しかけてくれていました。年長組のお兄さんお姉さんの神対応のおかげで、男の子はその時に泣いただけですぐに笑顔になり、それから、気分を取り戻して最後までたっぷり幼稚園で遊んで帰ってくれました。

翌週、その親子が私の所まで来て「先週、小川に落ちた時にはお世話になりました。幼稚園のお兄ちゃんお姉ちゃんがいっぱい笑わせてくれて嬉しかったみたいです。今日も幼稚園に行く事を楽しみにしていたんですよ。」と言ってくださいました。子供達だからこそ心得てできる“ご機嫌回復術”だったようです。

毎朝、小さな身体に大きな荷物を持って登園してくる一番小さな学年の子供達を早くから着替えて遊んでいる年長組の女の子達が、時々手伝って保育室にまで送ってくれたり、荷物を持ってくれたりして助けてくれます。「はい、消毒してごらん」と中門での手指消毒の声掛けもしてくれます。そんな時は、お兄さんお姉さんの優しい指導を素直に受けて、小さな学年の子達はちゃんと消毒器に手をかざします。それから一緒に保育室に向かっていくのです。
また、登園しても、寄り道をしてなかなか保育室に行かない子を「こら~ぁ!おいで~!」と言いながら追いかけっこをするように、笑いながら保育室まで誘導してくれます。上手くいく時とそうでない時はありますが、同じ事を大人の私達がするより、ずっと上手にしかも追いかける子も追いかけられる子も楽しそうにしながらなのです。

『子供には子供にしか通じない心の言葉』があるのかもしれません。家族の中でも、お父さんやお母さんではなくてお兄ちゃんやお姉ちゃんが言ってくれる方が、素直にわかってくれたり行動してくれたりするといった事を感じられる時があると思います。それは、子供は子供同士──分かり合える、共感し合える事をお互いに実感しているからだ思います。近い立場で自分に関わろうとしてくれているのが分かるからだと思うのです。ちょとぶっきらぼうだったり、荒々しかったり、大人目線から言えば無神経にも思えるような対応でも、意外と受け入れ合えている事が面白いです。

集団の中では、子供同士のちょっとしたトラブルはつきものです。たくさんの友達で仲良く遊んでいるかと思っていたら急にいざこざが始まったり、物の取り合いになったりします。それなのに、気がつけばいつも一緒に遊んでいるのです。大人だったら、一度ゴタゴタした事が発生すると二度と関わりたくなかったり避けて過ごしたりするところでしょうが、子供達は、いったいどうやってできた傷を修復しているのか?……いつの間にか、仲良く楽しく遊ぶ事ができるのです。でも、子供達だって、気が合う合わないはあります。「誰とでもみんな仲良くしましょう」と言っても、そこは、子供達もよく心得ています。子供なりに押したり引いたり……また足したり引いたり、掛けたり割ったりしながら折り合いをつけて関係づくりをして行きます。私達大人もそうしながら生きて来たのではないでしょうか? 勿論、子供達のトラブルの内容やいきさつによっては大人が介入する必要がありますが、人に対する“優しさ”や“慈しみ”や“共感”または“受け入れる”気持ちを育てていれば、いろいろな場面において、子供同士で何となくでも解決に繋げて行けるような気がします。

入園・進級してこれまで過ごして来た1学期2学期の間に、性格や環境や経験の違ういろいろな友達にたくさん関わりあう事で、その友達の事を知って上手に付き合おうとする気持ちが育ちその方法も学び、人と上手く関わって行く引き出しをたくさん作っていくのだと思います。時には、お兄さんお姉さんとして、時には、ずっと一緒に毎日を過ごすクラスの仲間として……。どの方法で対処しようかと考える事ができる子になるのです。こうした経験とその時々の学びを繰り返しながら、社会の一員として上手く生きて行く事ができる大人になって行くのでしょう。

子供は子供同士、『子供にしか通じない心の言葉』に任せても良いのかもしれません。私も昔よく言われました「自分達で解決しなさい!」それはきっと「あなた達ならきっと解決できるでしょ!」という意味合いだったのです。子供同士のチカラを信じてもらえていたのかもしれません。

み~つけた!(2022年度11月)

三次中央幼稚園に入園を考えてくださっている親御さんが、年間を通して何組もお子さんを連れて幼稚園見学に来てくださいます。「在園中の保護者の方に紹介してもらいました」とか「ホームページで知りました」と言って見学を希望されます。幼稚園に興味や関心を持っていただいている事を嬉しく思います。園内を案内する時に必ず説明するのは、三次中央幼稚園の園庭の魅力です。そこには、前任の伊達正浩理事長の幼児期を過ごす環境の大切さと子供達の健やかな成長を深く思う“願い”が込められています。私達は、そこに込められている“願い”を受け継ぎながらこの環境の魅力を子供達にたっぷり浴びせてあげたいと日々保育をしています。この事については、先日持ち帰りました“入園案内”のパンフレットやホームページで、ご覧いただけたらと思います。

その魅力のひとつに、「一年中季節を感じる事ができる自然」があります。

案内する季節によって、園庭の景色が違うのです。これから秋が深まり、紅葉していく木々をどの方にもお見せしたいと思える程きれいな園庭になります。そんな園庭で、子供達は毎日楽しそうに遊んでいます。「えんちょうせんせーい!袋をください!」「何か,入れる物が欲しい!持って帰りたいから。」と言うので、「何を入れたいの?」と聞くと握っていた手のひらの中から5つのドングリが出て来ました。今の時季は、こんなふうにドングリ拾いに夢中になっている子がたくさんいます。

先日、ご機嫌斜めで泣きながら登園してきた満3歳児の女の子がいました。お父さんと登園して来たのですが、泣き止まないまま門でお父さんから受け入れ抱っこしました。あれこれ気分を変えようと話をしましたが大きな声で泣き続けます。その時、年長組の女の子が「園長先生、みて!緑色のドングリがいっぱいあったよ。」と見せてくれました。すると、泣き続けていたその女の子がピタッと泣き止み「わたしもいる!」と言うのです。「じゃあ、一緒にさがそう」と年長組のお姉さんに案内されながら中門入ってすぐ左側にあるわんぱくおやまに登りました。すると、あるある、お姉さんが見せてくれたのと同じ緑色のドングリが……。その子は、一つひとつ小さな右手で拾って左手に握っていました。持ちきれなくなった頃「麦わら帽子に入れたらいいよ。」とお姉さんに教えてもらってそうしていました。さっきまでの涙はどこへやら…。「じゃあ、悦子先生に見せてあげようね」と言うと、さっさと保育室に向かいました。担任の先生に見てもらってご満悦だった事でしょう。

子供達は、ドングリが大好きです。ドングリだけではなく、きれいな落ち葉や枝木や石ころ、生き物で言えば、ダンゴムシや幼虫等を集める事が大好きです。先日も、「ポケットに入れていたドングリと石ころが無くなった!」「持って帰るんだった!」と泣いて大騒ぎしていた男の子がいました。いったいどんな魅力があるのでしょう。可愛いから?何かに使えるから?──子供達の中にその答えは幾つもあるのでしょう。いつも…いつでもある物ではないから魅力的なのでしょう。この時季にしか集められない物だからこそ子供達にとっては宝物なのです。「私がみつけた!」「これは僕の物!」という、私達大人には計り知れない宝物を手に入れた満足感を楽しんでいるのです。

先日、主任の平田美穂先生が、子供達に見せてあげたいと大きなザクロを持って来てくれました。なかなか目にする事のないその木の実は、子供達には大変魅力的だったようです。ルビー色をしたきれいな実に興味津々、美穂先生が「食べられるんだよ」と言うと「えーっ!!」とビックリ。益々興味が深まったようでした。その粒を取って渡すと食べてみて「うん、美味しい」と、子供達が次から次へと欲しがりました。初めて目や口にした子にとってそれは劇的な出会いだったでしょう。ある女の子は、その実をペットボトルに水と一緒に入れて「きれい!宝石みたい!」と喜んでいたそうです。翌日そのエキスが出て、ペットボトルの中の水が薄いピンク色になっていました。「みてみて!きれいでしょ~。ザクロジュースができた!」と見せてくれました。見て、食べて、遊べて楽しめたザクロは実はとても印象的だったようです。

ドングリ拾いや落ち葉集め、そして木の実──それに夢中になる間には、探したり、集めたり、遊んだり食べてみたりしながらいろいろに想像を膨らませ楽しみます。子供達は宝物のように大事そうにそれらをポケットやかばんの中に入れて持って帰る事もあるでしょう。大人にとっては「こんな物」と思われる程、無造作に入れている事もあるかもしれません。でも、子供達のその時のときめきは心の成長にとても大切な事のような気がします。持って帰りたくなる程心ときめいたのです。こうした、大人にとっては何でもないように思える経験が、可愛い、きれい、大切、○○みたい、と子供達の心を動かし、いろいろな小さな感動が、子供達の探求心や想像力を育てるのだと思うのです。

半袖から長袖に衣がえになった頃、ドングリを拾った。ドングリ集めをする頃、ザクロを見たり食べたりした。園庭には、赤や黄色の葉っぱがたくさん落ちていて……と、その情景とその物や経験が結びつき「秋」という季節と共に浮かぶのです。

夏休み明け頃だったと思います。毎日歩いて登園して来る道々で、ネコジャラシを採ってプレゼントしてくれる男の子がいました。緑色のネコジャラシでした。遊び方を教えてあげて楽しんでいた日が数日続きましたが、いつの頃からか、黄金色のネコジャラシになってきました。「今日は色が前のと違うでしょ。秋になって来たから緑のネコジャラシはもう終わりなんだって」とお母さんに教えてもらったのか、「もう最後かもしれないよ」と言ってプレゼントしてくれました。自然は必ず季節と足並み揃えて様変わりします。いろいろな場面で、いろいろな物と出会って子供達は心を躍らせます。成長のひとコマとして、その時その時のときめきを大切に…大切にしたいものです。

わんぱくチャレンジ(2022年度)10月

暑さ指数を気にしながら過ごした夏が終わり、その頃とは違う空の青さに秋の雲が見られるようになりました。夜、庭に出てみると虫の声が楽しませてくれます。思わず「あれマツムシが鳴いている~♪」と口ずさみます。先日は、年長組のふたりの女の子が小川に架っている橋に腰をかけ、「う~さぎうさぎ何見て跳ねる 十五夜お月さんみては~ねる♪」と可愛い声で歌っていました。お月見の頃に、年長組の子供達は、自分達で作ったお月見団子と、秋に収穫された果物や野菜をお供えし、この歌を先生に教えてもらったようでした。季節を感じながら思わず口ずさみたくなったのでしょう。子供達の心の中にそんな歌をたくさん残してあげたいものです。穏やかで豊かな心に触れたような気がして温かい気持ちになりました。

さて、幼稚園では今、来月予定している『わんぱくチャレンジデー』に向けて各学年それぞれの種目に取り組んでいます。数年前は『運動会』と称して行っていました。3年前から「新型コロナウイルス感染症」の影響を受け、何もかもを新しい様式に変えざるを得なくなりました。それを良いきっかけと捉え、今までの運動会で何を育てたいと思って行ってきたかを先生達とあらためて確認しました。その上で新たな形で取り組もうと考えました。この経験を通して子供達の中に育てたいと思っている事は、“いろいろな事に挑戦する力・一つの事を最後までやり遂げようとする力”です。

三次中央幼稚園には、ゴツゴツした小山や急なアスレチックを駆け上ったり、木や綱にぶら下がったり、小川の向こう岸に飛び越えたり、広い園庭を走り回ったりして、身体を動かし遊べる環境があります。子供達はその普段の外あそびの中でいろいろな事を学んでいます。

でも、その中だけでは育てられない事もあります。自分のやりたい事には夢中になれるけれど、好きではない事や苦手な事を避ける事もできます。例えば、鬼ごっこをしようと誘っても、クラスの全員がそこに参加しているかと言えば、走るのが苦手だったり、鬼になるのが嫌だったりする子は、その気持ちを超えてまで参加しないでしょう。「よーいドンしよう」とみんなで走っても、自分が出遅れたら途中で走るのをやめて歩いたり、そのあそびの輪から離れたりする子もいるでしょう。苦手な子は苦手なまま、新しい事に出会えたり興味が広がりにくかったりします。

私達は、日常のあそびの上に積み上げたい学びを「わんぱくチャレンジ」に込めています。友達と一緒に一つの事をがんばり抜こうとする努力や粘る力は、クラスや幼稚園の子供達と先生達全員でとりくむ事でこそ育つと思うのです。興味がない好きではない事にでも、みんなと一緒やってみる事で、新たな“自分発見”が出来るでしょう。

ルールを理解し、そのルールの中でいかに自分の力を発揮できるかを考えながら競う競技や、最終ゴールを目指してクラスみんなで力を合わせ友達をカバーしたりされたりしてバトンを繫ぐリレーやクラス対抗競技、そして、音楽に合わせて気持ち良く踊ったり……年長組は堂々と鼓隊演奏をしたりします。どの種目もがんばってみるチャンスへの挑戦です。日頃、身体をいっぱい使って遊びながら身につけている技や根性と、友達と築いている仲間意識とその信頼関係が、どのような力を生み出すかを試す力だめしなのです。

そして、そこには、「頑張る楽しさ」「達成感」「自信」「力を認め合う気持ち」が得られるはずです。それらを得るためへのチャレンジの場であり、子供達に潜在している成長の可能性を引き出すチャンスなのです。得意な事をもっと深め…苦手であってもそこから目を逸らさず挑む気持ちや力の育ち、……友達や先生達からそのがんばる姿を認められながら、その先にある「頑張って良かった」「僕ってすごいんだ」「私って頑張れるんだ」という喜びや楽しさに出会わせてあげられると思っています。それは、長い人生のうちにいつかはきっと出会うであろう「苦難」「挫折」「失敗」をも逞しく乗り越え、自分の目標や夢に向かおうとする力の根っことなるはずです。

三次中央幼稚園では、10月の一週間を『わんぱくチャレンジ週間』として、学年別に保護者の皆様にご覧いただく予定です。ご覧いただくのは、一日だけですが、実は、子供達のチャレンジはこれまでも…これからもずっと続いているのです。日々園庭を走り回ってあそぶ事から、健全な心と身体を育てるまでの延長線上にこの『わんぱくチャレンジ』があるのです。この経験で得られた様々な力は、この先いろいろな育ちに繋がって行くと考えています。点が線になって行くように……。そんな思いで取り組んでいる事に保護者の皆様にも共通な思いを持ってご覧いただきたいと思います。子供達は、きっと、それぞれにそれまでの自分を超えようと頑張ります。

子供達による子供達のための『わんぱくチャレンジ』です。

一本歯下駄に挑戦している子供達が、「園長先生!見て見て!」と友達と手を繫いで、ゆっくりゆっくり下駄を履いて歩いて見せてくれました。一人は歯の高さが10cm程もある下駄、もう一人は一番低い数センチの下駄──難易度の差は一目瞭然。でも、子供達の中ではどっちが凄くてどっちが凄くないかなんていう視点ではなく、一本歯下駄を履いて歩ける事が共通の喜びと達成感のようでした。でも、友達と一緒に挑戦する事で、「私ももう少し高い下駄を履いて歩けるようになりたい」と思えたり「前は履けなかったのに履けるようになった○○ちゃんは凄い!頑張って偉いな」と思えたりするのです。それが自分を超えたいと思うチャンスになるのです。子供達ひとり一人の成長と集団で取り組む事で獲得できる成長──それらへのチャンスを逃さないようにこのチャレンジャー達を応援したいと思っています。

愛いっぱいの最初のプレゼント(2022年度)9月

 長い夏休みが終わり、2学期がスタートします。この夏休みは、どのような思い出ができましたか?相変わらずの…いえ、これまで以上に新型コロナウイルス感染症の陽性者数の多さにひやひやしながらの日々を過ごされた事と思います。新たに強い行動制限は発出されてはいないものの、帰省や旅行を計画実行されるには、少なからず慎重にされたのではないでしょうか?それでも、きっと今年流の夏休みを考えながら、思い出づくりをされた事でしょう。久しぶりに会う子供達から、いろいろな夏休みの話が聞ける事が楽しみです。

 この夏休みには、嬉しい出来事がありました。26年前に卒園したふたりの教え子にそれぞれ第2子が授かり8月に無事出産をしたのです。ふたりは、三次中央幼稚園で幼少期を共に過ごした同級生です。幼稚園での思い出を大切にしてくれている可愛い可愛い教え子達です。「産まれました!」とLINEで送ってくれた画像には、愛くるしい赤ちゃんと大仕事をやり遂げたママの誇らしさと優しさが伺えました。一人は男の子を、もう一人は女の子を出産しました。数日後、男の子を出産した教え子が、赤ちゃんに命名した名前と由来を教えてくれました。その由来を聞いて、我が子の生涯の幸せを願う一心に夫婦で一生懸命考えたのだという事が伝わって来ました。“名前は子供へ贈る最初のプレゼント”と言われます。これから先、節目節目でいろいろなプレゼントをする事になるでしょうが、この“名前”は、その子が一生付き合っていく‟自分”が“自分”であるために大切なものとなる最高の贈り物です。誰もがもらっている“名前”──それはきっと適当につけられたものではないはずです。パパやママが…あるいは家族がいろいろな思いをその名前に織り込んで決めた迷いのないプレゼントなのです。

 お盆にそんな話を娘にすると、「私の名前は、どういう願いが込められているの?」と聞いてきました。実は、その名前以外にも幾つか考えていた事も話すと、「知りたい!知りたい!」と言うので、それを書き留めていた紙をアルバムに貼っている事を思い出し、その頃のアルバムを探し出して見せました。娘がまだお腹の中にいる頃の私の姿の写真をみて、「お母さん!お父さん!若っ!」と大笑いしながら「この大きなお腹の中に私が??なんだか不思議な気分!」と驚き、それからもアルバムのページをどんどんめくり、産まれたばかりの自分の写真に見入っていました。そして、もしかしたら自分の名前になったかもしれない他に考えていた名前を幾つか見比べて、「うん!私に今の名前をつけてくれて良かった。一番いい!」と言ってくれました。なぜその候補の中から今の名前に決めたのか、どんな願いが込められているのかという事を話して聞かせました。大人になった我が子に話をするのは少し恥ずかしかったですが、一生懸命に聞いてくれるので、私もその頃の事を思い出しながら話しました。思い出話に火がついて、それから赤ちゃんの頃の10冊以上ものアルバムを次から次へと出して見る事になりました。「もっと見たい!幼稚園の頃のアルバムは?」と聞かれ、その頃仕事に復帰して写真の整理が追い付かず、その後は箱の中にまとめてしまっていた写真を一枚一枚見て楽しんでいました。(いつかアルバムに整理しようと思っていましたが、もはやそれは難しいでしょう(笑))

 写真を見ながらたくさん話をしました。名前を決めた時におじいちゃんおばあちゃんがすごく喜んでくれた話、命名式の写真に家族以外にたくさんの人達が写っていて、産まれた事をみんなで喜んでもらえた事等、そんな事を知り娘は感動していました。その時その時のエピソードに見え隠れする名前に込められた自分への願いを感じてくれたのか、自分が生まれて来た意味も同時に感じてくれたと思います。そして、最後に「そうかぁ、私は、お父さんお母さんからはもちろんだけど、たくさんの人に大切に思われて育ててもらったんだね。名前のような子になれているかなぁ。ならないとバチが当たる。」と言いました。いい時間でした。お盆に思いがけず、写真の中の亡くなった祖父母、曽祖父母や今でもずっとお世話になっている叔父叔母、今はお互い大人になったいとこ達等を見て、娘は自分の命のルーツをたどる事になりました。今年のお墓参りでは、いつにも増して感謝の気持ちを込めて手を合わせていたのではないかと思います。

 子供達は誰もが愛されていなければなりません。産まれたばかりの赤ちゃんの顔……手足、泣き声、息づかい、鼓動、匂い、その全てを愛おしいと思いながら、子育てはスタートします。『名前』は、その子にどんな子になって欲しいか、どんな人生を歩んで欲しいかという“願い”や“思い”を込めて贈る最初のプレゼントです。いずれ親の手から離れ、たとえいつか自分達がいなくなったとしても、その願いをまとって愛された事を自覚しながら生涯を歩んで欲しいというこの上ない愛情の表れです。その事を、いつか子供達に伝えてあげて欲しいと思います。愛されている事、産まれてきた事へ感謝する事ができたら、今ある命は、自分だけのものではなく、たくさんの人達に望まれたものである事をあらためて感じ、自分の事を大切にできるでしょう。これから長い人生を送る子供達です。必ず、いろいろな事に出くわします。そんな時、自分の名前には、深い深い愛情と願いが込められている事を思い出し、それに背中を押してもらう事でしょう。
お父さんお母さんからお子さんへ贈られた最初のプレゼントには、どんな思いが込められていますか?もう一度あの頃に戻って思い出してみたら、我が子への愛情がまた深まるのではないかと思います。幸せな子供達がもっと幸せになれるように……。

赤ちゃんのママになったふたりの教え子達には、あなた達の名前にも、同じようにお父さんお母さんからの最上級の願いが込められていて、幼稚園の頃、ご両親がどれだけ大切に愛情いっぱいに育てておられたかを伝えたいと思います。そして、素敵な名前をもらったふたりの赤ちゃんの成長と、生涯の幸せを教え子達と同じ気持ちで願いながらずっと見守って行きたいと思っています。

産まれて来てくれてありがとう♡ おおきくなあれ♡ しあわせになぁ~れ♡

生きるために遊ぶ(2022年度)8月

いよいよ明日から夏休み。今年は早い梅雨明けだったため、例年の同じ時期に比べて雨のために外で遊べないといった日があまりなかったような気がします。ただ、これからは、ますます厳しい暑さが訪れ、熱中症警戒アラートや暑さ指数とにらめっこしながら過ごす必要に迫られる日が多くなって来ます。私が子供だった頃、暑ければ暑い程喜んで汗いっぱいかいて遊んでいたし、夏休み明けにはどれだけ日に焼けたかを友達同士で競っていたものです。大人達も今ほど熱中症の事に気分を使っていなかったと思います。環境の変化を受け止めながら、上手に夏を楽しみたいものです。

夏になると、子供達は小川やプールで水あそびをしっかり楽しみます。ホースで水を引っ張って来て園庭にダムや水たまりを作って、身体いっぱい汚し動かしながら遊びます。心も身体も開放されます。特に幼稚園では「どんどん汚していいよ」「やりたい事を存分にどうぞ」という先生の眼差しの中で遊べるのですから、初めは躊躇していても徐々に自分の中で心溶きほぐしそんなあそびもそれぞれに考えて楽しめるようになります。

朝から園庭がカラッカラに乾いていたある日、私がホースで園庭に水まきをしていた時の事。しっかり湿らせた後、年中組のある女の子ふたりが「園長先生!それ貸して!」とホースを指差しました。「どうするの?」と聞くと「ここに水がなくなってるの。ここにお水をいれたいの。」と、いつも水たまりができている小川の横のくぼみの事を言いました。「あらっ!お水はどこに行ったのかねぇ」と言うと、ひとりの女の子が「蜂が全部ぜーんぶ飲んじゃったのかなぁ。」と答えました。そう言えば、少し前にその水たまりに一匹の蜂が来て騒いでいたので「触ったらだめだよ。蜂は水を飲みに来てるだけだから。そっとしていたら何もしないからね。」と、一緒にじっとその様子を見ながら話した事がありました。その時の事を覚えていたのでしょう。それを聞いた、もうひとりの女の子が「そんなわけない!それじゃあ飲みすぎでしょ。土の下に行った(染み込んだ)んじゃない?」と言いました。「そっかあ、いったいどこに行ったんだろうね」と返すと、そのやり取りを聞いていた別の女の子が「暑いから乾いたんだよ。」とあっさり言いました。「乾くって、消えるの?」「いつどうやって消えたんだろう」と私がわざとつぶやくと、その女の子は「………。」少し考えたようでしたが、「知らない。」と言って向こうに行きました。残ったふたりの女の子達は、納得できる答えが出ないまま「どうしてかねぇ」と、首をかしげながらホースでそのくぼみに水を溜めて「園長先生!また蜂が来るかな?」言いました。

何でもない数分間のやりとりでしたが、“どうしてだろう?”“こうなのかも、ああなのかも”とか“知りたい”“また観てみよう”という興味や関心が子供の中に生まれたのです。

ある年長組の男の子が、プレイルーム担任の先生の所にやって来て「先生!今日は、昨日まであまり鳴いていなかったのに、暑くなって急にセミが賑やかに鳴いてる!」と言っているのを聞きました。その言葉を聞いて、昨日と今日のセミの鳴き声の大きさや多さに、思わず耳を傾けました。「ホント、すごい!昨日と今日は何が違うんだろう」と聞くと「昨日は少し雨が降ったでしょ。雨がやんで急に暑くなったから、セミがどんどん成長したんだと思う!」と自信満々に答えてくれました。

私達大人は、当たり前に季節の動きを感じていますが、昨日と今日のセミの鳴き声が違うとかそれがどうしてかとか、気付かなかったり興味を示し探求心を持つ事があまりないのかもしれません。きっとそれが当たり前になっているからです。

子供達は、たくさんの“~したい”という欲求を本能的に持っています。その欲求を身体と心と知恵で向き合いながら満たしていきます。子供達にとっては、周りの環境の一つひとつが新鮮で、それらに関わろうとする事で、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る経験をし、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を刺激します。そしてそれは、好奇心や想像力や意欲、また自ら問題に取り組もうとする力を育みます。これは、将来、子供達が人として生きるために必要な能力となります。これをたくさん繰り返しながら、生きる方法や生きる力の基盤づくりができるのだと思います。それができるのが『幼児期のあそび』です。特に、戸外で友達と一緒に自然と関わりながらのあそびには、子供達が生きるための学びがたくさんあると思っています。自然は生きています。季節が動けば、木も花も生き物も変化します。空も空気も違います。生きているものを相手にすると、その時その時にできる体験とそこで生まれる“なぜ?”の答えが違ってきます。自然は多様だからです。それが子供達にとっては無性に面白い事なのです。遊びながら子供達はいろいろな発見に出会い、いろいろな感情や感性を生みます。知恵を働かせて考え自分達なりに答えを見出し、何回も試して確信や納得できるものを追及しようとします。そして、生きているものを相手にして試すうちには、危険な事に出くわす事もあるでしょう。怪我や共に遊ぶ仲間とのトラブルも生じるでしょう。でも、それは、危険やトラブルを自ら回避したり解決したりする力を身に付けるためには必要な事で、生きて行くために身を守る技を学んでいるという事なのです。まさに『生きるために遊んでいる』のです。幼稚園には、たくさんの木、水、草花と自然を見立てた小山や遊具があります。1学期、そんな中で遊んで学んだ子供達が2学期にはどんな成長を見せてくれるかが楽しみです。

子供達の“なぜ?”“なに?”“どうする?”“ほんとだ!”“なるほど”の経験が親子でたくさんできる夏休みの始まりです。ぜひ、時間を作って、自然と向き合って過ごしてみてください。何かを教えよう、育てようという気持ちではなく、先ずは一緒に楽しんでください。かつて自分もこんな事をして楽しかったなぁと思えていた事を……。しっかり遊んで五感を磨き育てる事は『生きる』に繋がって行くのだと思います。その学びを親子で実感出来たら、楽しいじゃあないですか。子供達と過ごして、もしその瞬間に出会えたらまた教えてくださいね。小さい間だけですよ。「お父さん一緒に遊ぼう!」「お母さん一緒にしよう!」って言ってくれるのは(笑)