節分(2022年度2月)2023年2月

新しい年を迎えて、もう一カ月が経ちました。「1月は行く2月は逃げる3月は去る」とはよく言ったものです。これから年度末にかけて子供達の生活は今年度の締めくくりと次年度の準備とでいろいろな事があり時間が経つのを早く感じる事でしょう。来年度の楽しみや期待が膨らむように、日々一日一日……一刻一刻を大切に過ごして行きたいと思います。

さて、2月になるとすぐに“節分”があります。字の通り「季節を分ける」──この日を境に季節が冬から春に変わります。“立春”です。“立春”は旧暦では一年の始まりとされていました。この一年を平穏無事に過ごせますようにと、豆まきをして邪気を払い福を呼んでいました。「魔(ま)を滅(め)する」という語呂合わせと、「まめ」とういう言葉には「元気」という意味もある事が豆をまく由来のようです。
その日は、恵方巻を食べ、家の入口にはヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺して飾るといった習慣もあります。ヒイラギのトゲを恐れ、イワシの匂いを嫌がり鬼が家の中に入らないようにという魔除けです。このように、これらの一つひとつには納得できる意味があります。医学も技術もなかった古来は、平穏無事を祈る気持ちを何かに置き換え、それにすがりながら家族を守っていたのです。そう思うと鬼が登場する怖い伝統行事も、実は「愛」から生まれたものだとわかります。

幼稚園では、そんな由来に触れながら、鬼が登場する絵を描いたり、鬼のお面を作ったりして節分を味わいます。節分当日には、年に一度鬼がやって来て豆まきを楽しみます。一年前にその鬼を見て知っている年中・年長組の子供達はこの日を身構えて待っています。鬼を見た子供達の表情は毎年様々です。怖くて泣いてしまう子、追い払うために闘志を燃やす子、こっそり隠れる子、いきなり自分のこれまでの悪事を謝ろうとする子(自分でわかっているところが可愛い)……。
様子はいろいろですが、皆、血相を変えて自分の部屋や自分の先生や友達のいる所に逃げて肩寄せ合います。先生は「大丈夫よ。頑張ってみんなで鬼をやっつけよう!」と励まして守ってくれます。安全地帯の中で子供達は怖い「鬼」を追い払うために勇気を出して豆をまいて戦います。

ただやみくもに「鬼」を怖がらせ豆まきをするのではなく、年に一度やってくるこの鬼はいったい何者なのか?どうして我々の所に来るのか?を話しておく事が大切です。

誰しも、心の中には何かしら邪気が潜んでいて、少なからず“善”と“悪”が同時に潜み、何か行動を起こそうとする時、そのふたつが戦う事があります。友達にいじわるした。約束を守らなかった。わがままを言って困らせたetc.……。その後、何となくモヤモヤ感が残ったり、気になって仕方がなかったりするのは、“悪”を操る見えない何かにおびえているからです。これを見えるものにしたのが「鬼」──“目にみえる邪気”です。それを豆まきで退治する事によって、そうしてしまう自分を反省させてくれたり戒めたりして克服する心を呼び起こす事ができるのだと思います。

これから先、目にみえない恐ろしいものに惑わされたり負けたりしない強い心と健康な身体をもった子供になって欲しい。──そんな願いが込められているのです。それは「節分」に限りません。例えば「ひなまつり」も、人形を川に流し子供の病や災いをはらう風習から徐々に形が変わり、ひな人形を飾って女の子の成長を祝うようになりました。また、「端午の節句」は、鯉のぼりや五月人形を飾り男の子の成長を願います。これらの行事では、縁起をかついでひなあられやはまぐりのお吸い物、柏餅やちまきを食べます。邪気をはらい良い事を呼ぶ──まさに「鬼は外、福は内」と同じ思いなのです。このように、受け継がれてきた伝統行事は、子供の健やかな成長と幸せを思う“家族を守る「愛」”から生まれた「願い」や「祈り」を形にしているものです。

“鬼は~外!福は~内!”と叫びながら、鬼に向かって豆をまく事で、悪い事が自分のところからいなくなり良い事がやって来そうな安心感や清々しさが心の中に生まれる──それは“痛いの痛いの飛んでいけ~”のおまじないと少し似ているような気がします。そのおまじないを唱えながら痛いところをさすってもらっていると、痛みもグッと我慢ができて何となく痛くなくなる気がして来ます。人は皆、逃れられない災いともあえて向き合わなければならない時があるものです。私達大人は、願い祈る事で、それに向き合いながらでもたくましく生きて行く人に成長するよう子供達を応援したいのです。その思いが伝統行事になっていったのだと思うと廃れさせてはいけないものだと思えます。

ご家庭でも、形はいろいろ違っても、子供達と家族の健康と幸せを願い、邪気を追い払う願いをもって豆まきを楽しんでください。そして、子供達が大人になってそれぞれに大切な家族ができた時、同じように幸せを願いながら、次の世代に節分の豆まきを伝えてくれるでしょう。こうして大切な子供を思う「愛」が伝統行事を通して受け継がれていくのだと思います。子供達の健康と幸せを願いながら、その日だけやってくる“目に見える邪気”とどうか戦わせてあげてください。
幼稚園にももうすぐ鬼がやって来ます。“鬼は~外!福は~内!”と楽しい豆まきをして、福をたくさん呼びたいと思います。2月3日には、街のあちらこちらで可愛い子供達の鬼と闘う元気な声が響き渡る事でしょう。
ん? 泣き声かな?(笑)

お年玉(2022年度)2023年1月

あけましておめでとうございます。2学期末には記録的大雪に見舞われ、幼稚園も終業式の日を自由登園とさせて頂きました。冬休みに入ってからも、園庭はしばらくの間雪に覆われていました。それでも、花壇の雪をはらってみると、それまでに子供達が植えてくれていたビオラの花が「私達は大丈夫よ」と言わんばかりに可愛い花びらをのぞかせてくれました。土の中には、次の季節を待つ生きものが静かに眠っているのだと思うと自然の持つ力と息吹を感じます。

どんな事にもくじけないたくましさと忍耐強い根をもち、優しい花を見せてくれる──そんな子供達に育って欲しいと願いながら今年も職員一同頑張って参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、今年のお正月はどのように過ごされましたか?3年ぶりに行動制限のない年末年始だったので、これまで我慢していた帰省や旅行等をして楽しく過ごされたでしょうか? そうは言っても、新型コロナウイルス感染者数を見れば決して安心できるものではなく、昨年に引き続き外出を控えご家族だけで静かにのんびりとした時間を過ごされたでしょうか?
我が家も、それまでは毎年親戚が集まり、賑やかにお正月を迎えたものですが、やはり新型コロナウイルス感染症拡大をきっかけに自粛するようになり、ここ数年、静か過ぎるお正月となっています。

そんなお正月ですが、毎年必ず用意するものがあります。『お年玉』です。行っても行かなくても、来ても来なくても、小さな可愛い親戚の子供達が近くに住んでいるので全員分のお年玉をわずかですが準備しておきます。

『お年玉』と言えば、私には幼い頃の思い出があります。お正月には、毎年私の父の実家に泊まりに行っていました。父は5人兄弟姉妹で、打ち合わせをしてそれぞれが家族総出で泊まりに行くのです。多い時で、20人程の来客となり、今思えば祖母はさぞかし大変だったろうと思います。だけど、祖母とそれぞれのお嫁さんと皆で一緒にご馳走を作ったり、こたつに入っておしゃべりしている楽しそうな姿を子供ながらに覚えています。

子供達は、幅広い年齢で11人。それはそれは賑やかでした。家の中を走り回ったり田んぼでたこ揚げをしたりして、時には喧嘩勃発!泣いたり笑ったりの大騒動。それが楽しくて楽しくてたまりませんでした。そして、夜……。それぞれの家族の父親達が別室で会議をし始めるのです。『お年玉会議』です。後に知ったのですが、父親達が出資し子供達の年齢に合わせた金額を決めて、11人分のお年玉を用意するのでした。それから、私の父の「始めるぞ~!集合!」の声で、一番大きな部屋にみんなが集まります。さあ!始まります『お年玉かくし芸大会』──ちょっとしたステージが設けられ、大人達がお客さんになって座ります。そこで、子供達は自分で考えた“かくし芸”をして、“出演料兼賞金(?)”としてお年玉を受け取るというお楽しみ会なのです。歌をうたったり、手品をしたり、踊ったりして、親戚みんなが集まって拍手と笑いが絶える事のないお正月でした。これが毎年の恒例だったので、いつも今年は何しようかと考えておばあちゃんの家に行っていたのを覚えています。恥ずかしかったけれど、お年玉をもらうために(笑)頑張った古くて楽しい思い出です。

また、それから少し大きくなってからの思い出ですが、私の実家は商売をしているため年末はとても忙しく、商品の棚卸を毎年手伝っていました。妹と弟と3人で朝から夕方まで商品の値札を見てレジ打ちをしたり記帳したりしました。本当はしんどかったけれど、「いやだ」とは言えませんでした。子供ながらにも、忙しそうにしている両親を手伝わないと家族揃って楽しいお正月が迎えられない気がしていたからでした。

そして、元旦を迎え、父が「年末は良く手伝ってくれました。助かったよ。今年も良い年にしましょう。」と言って一人ひとりに言葉をかけてお年玉をくれました。ほめてもらえた事とお年玉をもらえた事が凄く嬉しかったものでした。今思えば“アルバイト料”でもあったお年玉でした。
『お年玉』と言えば、必ずこれらの事を懐かしく思い出します。

それから何十年も経って、妹にも弟にも私にもそれぞれの家族ができました。おばあちゃん家に親戚皆で集まった昔のあの頃のように、今度は私達が毎年お正月には打ち合わせをし、子供達を連れて実家に集まるようになりました。そして、皆が集合したところで、父が私達の子供に「あけましておめでとう。今年も元気で頑張りなさいよ」と一言添えてお年玉をくれました。孫達皆に渡したその最後に息子や娘の私達にまで「これは、何かの足しにしなさい。」と言ってのし袋に入れたお年玉を渡してくれました。そこには、いつも父からの言葉が一筆添えられていて、この年になってまで……と受け取るのに躊躇しましたが、これは、父の親としての愛情と威厳を見せてくれるもので、まだまだ元気な気持ちでいてくれている事がありがたく、素直に「ありがとう」と受け取っていました。父にとっての『お年玉』は、私達に特別な気持ちを伝える物のように思えていました。それが10年以上続き父は他界しました。通夜の日、弟が、ひとつの箱を持って来ました。父からのお年玉をそのまま使わず全てその中にとっていたのでした。「いつかはこんな日が来るだろうから、お父さんの葬式代にしてやろうと思って使わずにとっていた。」というのです。弟は父からもらった愛情を感謝のかたちに変えてくれました。父からもらうお年玉は、子供の頃からいつも特別な気持ちで受け取っていた気がします。

今や、『お年玉』事情が以前と違って来ているようです。会う事もままならない今、キャッシュレス決済で…という話も聞かれます。どんなふうに変わって行くとしても、お年玉にはその子の幸せを思う気持ちが込められている事には間違いありません。いつの時代になっても、お年玉を受け取る子供達にその事がちゃんと伝わって行く世の中であって欲しいと思います。

父が私達の心に残してくれた愛情を私もまた子供達に繋いで行けたらと思いながら今年もお年玉の準備をしたのでした。

子供同士のチカラ(2022年度12月)

この11月には、皆既月食と天王星食を観る事ができました。月食と惑星食を同時に観測できるのは、1580年7月26日の土星食以来442年ぶりで、次に見る事ができるのは322年後というよくわからない数字に「これはぜひ観ておかないと!」と楽しみにしていました。仕事帰りの空にはすでにきれいな月が浮かんでいました。二度と見る事がない天体ショーに寒さそっちのけで、家の外へ出て見たりテレビの生配信を見たりしてしばらく楽しみました。“月にはうさぎが住んでいて、おもちをついている”と信じている子供達のロマンがわかるきれいな秋の天体ショーでした。

さて、三次中央幼稚園では、毎週木曜日に未就園児とその保護者を対象に『育児サークル』として1時間程園庭開放をしています。この秋は毎週天気も良く、たくさんの親子が幼稚園に遊びに来てくださっています。その間には幼稚園の先生による歌あそびや絵本の読み聞かせ等をして楽しんでいただいています。そんなある木曜日の事です。育児サークルに来てくれていた男の子が園庭の小川に落ちてしまったのです。足とおしりが濡れてしまってビックリしました。お母さんは慌てて抱き上げられました。その男の子は、怪我はなかったものの、周りの人の驚いた声と小川に落ちた事への怖さで泣いていました。その様子を近くで見ていた年長組の子供達が、その男の子に走り寄って行き、「大丈夫?」と心配そうに声を掛けてくれました。それだけではなくなんと変顔をして見せたりべろべろばぁ~と笑っておどけて見せたりしてお世話をしてくれたのです。男の子が濡れた服をお母さんに着替えさせてもらっている間もずっと傍で話しかけてくれていました。年長組のお兄さんお姉さんの神対応のおかげで、男の子はその時に泣いただけですぐに笑顔になり、それから、気分を取り戻して最後までたっぷり幼稚園で遊んで帰ってくれました。

翌週、その親子が私の所まで来て「先週、小川に落ちた時にはお世話になりました。幼稚園のお兄ちゃんお姉ちゃんがいっぱい笑わせてくれて嬉しかったみたいです。今日も幼稚園に行く事を楽しみにしていたんですよ。」と言ってくださいました。子供達だからこそ心得てできる“ご機嫌回復術”だったようです。

毎朝、小さな身体に大きな荷物を持って登園してくる一番小さな学年の子供達を早くから着替えて遊んでいる年長組の女の子達が、時々手伝って保育室にまで送ってくれたり、荷物を持ってくれたりして助けてくれます。「はい、消毒してごらん」と中門での手指消毒の声掛けもしてくれます。そんな時は、お兄さんお姉さんの優しい指導を素直に受けて、小さな学年の子達はちゃんと消毒器に手をかざします。それから一緒に保育室に向かっていくのです。
また、登園しても、寄り道をしてなかなか保育室に行かない子を「こら~ぁ!おいで~!」と言いながら追いかけっこをするように、笑いながら保育室まで誘導してくれます。上手くいく時とそうでない時はありますが、同じ事を大人の私達がするより、ずっと上手にしかも追いかける子も追いかけられる子も楽しそうにしながらなのです。

『子供には子供にしか通じない心の言葉』があるのかもしれません。家族の中でも、お父さんやお母さんではなくてお兄ちゃんやお姉ちゃんが言ってくれる方が、素直にわかってくれたり行動してくれたりするといった事を感じられる時があると思います。それは、子供は子供同士──分かり合える、共感し合える事をお互いに実感しているからだ思います。近い立場で自分に関わろうとしてくれているのが分かるからだと思うのです。ちょとぶっきらぼうだったり、荒々しかったり、大人目線から言えば無神経にも思えるような対応でも、意外と受け入れ合えている事が面白いです。

集団の中では、子供同士のちょっとしたトラブルはつきものです。たくさんの友達で仲良く遊んでいるかと思っていたら急にいざこざが始まったり、物の取り合いになったりします。それなのに、気がつけばいつも一緒に遊んでいるのです。大人だったら、一度ゴタゴタした事が発生すると二度と関わりたくなかったり避けて過ごしたりするところでしょうが、子供達は、いったいどうやってできた傷を修復しているのか?……いつの間にか、仲良く楽しく遊ぶ事ができるのです。でも、子供達だって、気が合う合わないはあります。「誰とでもみんな仲良くしましょう」と言っても、そこは、子供達もよく心得ています。子供なりに押したり引いたり……また足したり引いたり、掛けたり割ったりしながら折り合いをつけて関係づくりをして行きます。私達大人もそうしながら生きて来たのではないでしょうか? 勿論、子供達のトラブルの内容やいきさつによっては大人が介入する必要がありますが、人に対する“優しさ”や“慈しみ”や“共感”または“受け入れる”気持ちを育てていれば、いろいろな場面において、子供同士で何となくでも解決に繋げて行けるような気がします。

入園・進級してこれまで過ごして来た1学期2学期の間に、性格や環境や経験の違ういろいろな友達にたくさん関わりあう事で、その友達の事を知って上手に付き合おうとする気持ちが育ちその方法も学び、人と上手く関わって行く引き出しをたくさん作っていくのだと思います。時には、お兄さんお姉さんとして、時には、ずっと一緒に毎日を過ごすクラスの仲間として……。どの方法で対処しようかと考える事ができる子になるのです。こうした経験とその時々の学びを繰り返しながら、社会の一員として上手く生きて行く事ができる大人になって行くのでしょう。

子供は子供同士、『子供にしか通じない心の言葉』に任せても良いのかもしれません。私も昔よく言われました「自分達で解決しなさい!」それはきっと「あなた達ならきっと解決できるでしょ!」という意味合いだったのです。子供同士のチカラを信じてもらえていたのかもしれません。

み~つけた!(2022年度11月)

三次中央幼稚園に入園を考えてくださっている親御さんが、年間を通して何組もお子さんを連れて幼稚園見学に来てくださいます。「在園中の保護者の方に紹介してもらいました」とか「ホームページで知りました」と言って見学を希望されます。幼稚園に興味や関心を持っていただいている事を嬉しく思います。園内を案内する時に必ず説明するのは、三次中央幼稚園の園庭の魅力です。そこには、前任の伊達正浩理事長の幼児期を過ごす環境の大切さと子供達の健やかな成長を深く思う“願い”が込められています。私達は、そこに込められている“願い”を受け継ぎながらこの環境の魅力を子供達にたっぷり浴びせてあげたいと日々保育をしています。この事については、先日持ち帰りました“入園案内”のパンフレットやホームページで、ご覧いただけたらと思います。

その魅力のひとつに、「一年中季節を感じる事ができる自然」があります。

案内する季節によって、園庭の景色が違うのです。これから秋が深まり、紅葉していく木々をどの方にもお見せしたいと思える程きれいな園庭になります。そんな園庭で、子供達は毎日楽しそうに遊んでいます。「えんちょうせんせーい!袋をください!」「何か,入れる物が欲しい!持って帰りたいから。」と言うので、「何を入れたいの?」と聞くと握っていた手のひらの中から5つのドングリが出て来ました。今の時季は、こんなふうにドングリ拾いに夢中になっている子がたくさんいます。

先日、ご機嫌斜めで泣きながら登園してきた満3歳児の女の子がいました。お父さんと登園して来たのですが、泣き止まないまま門でお父さんから受け入れ抱っこしました。あれこれ気分を変えようと話をしましたが大きな声で泣き続けます。その時、年長組の女の子が「園長先生、みて!緑色のドングリがいっぱいあったよ。」と見せてくれました。すると、泣き続けていたその女の子がピタッと泣き止み「わたしもいる!」と言うのです。「じゃあ、一緒にさがそう」と年長組のお姉さんに案内されながら中門入ってすぐ左側にあるわんぱくおやまに登りました。すると、あるある、お姉さんが見せてくれたのと同じ緑色のドングリが……。その子は、一つひとつ小さな右手で拾って左手に握っていました。持ちきれなくなった頃「麦わら帽子に入れたらいいよ。」とお姉さんに教えてもらってそうしていました。さっきまでの涙はどこへやら…。「じゃあ、悦子先生に見せてあげようね」と言うと、さっさと保育室に向かいました。担任の先生に見てもらってご満悦だった事でしょう。

子供達は、ドングリが大好きです。ドングリだけではなく、きれいな落ち葉や枝木や石ころ、生き物で言えば、ダンゴムシや幼虫等を集める事が大好きです。先日も、「ポケットに入れていたドングリと石ころが無くなった!」「持って帰るんだった!」と泣いて大騒ぎしていた男の子がいました。いったいどんな魅力があるのでしょう。可愛いから?何かに使えるから?──子供達の中にその答えは幾つもあるのでしょう。いつも…いつでもある物ではないから魅力的なのでしょう。この時季にしか集められない物だからこそ子供達にとっては宝物なのです。「私がみつけた!」「これは僕の物!」という、私達大人には計り知れない宝物を手に入れた満足感を楽しんでいるのです。

先日、主任の平田美穂先生が、子供達に見せてあげたいと大きなザクロを持って来てくれました。なかなか目にする事のないその木の実は、子供達には大変魅力的だったようです。ルビー色をしたきれいな実に興味津々、美穂先生が「食べられるんだよ」と言うと「えーっ!!」とビックリ。益々興味が深まったようでした。その粒を取って渡すと食べてみて「うん、美味しい」と、子供達が次から次へと欲しがりました。初めて目や口にした子にとってそれは劇的な出会いだったでしょう。ある女の子は、その実をペットボトルに水と一緒に入れて「きれい!宝石みたい!」と喜んでいたそうです。翌日そのエキスが出て、ペットボトルの中の水が薄いピンク色になっていました。「みてみて!きれいでしょ~。ザクロジュースができた!」と見せてくれました。見て、食べて、遊べて楽しめたザクロは実はとても印象的だったようです。

ドングリ拾いや落ち葉集め、そして木の実──それに夢中になる間には、探したり、集めたり、遊んだり食べてみたりしながらいろいろに想像を膨らませ楽しみます。子供達は宝物のように大事そうにそれらをポケットやかばんの中に入れて持って帰る事もあるでしょう。大人にとっては「こんな物」と思われる程、無造作に入れている事もあるかもしれません。でも、子供達のその時のときめきは心の成長にとても大切な事のような気がします。持って帰りたくなる程心ときめいたのです。こうした、大人にとっては何でもないように思える経験が、可愛い、きれい、大切、○○みたい、と子供達の心を動かし、いろいろな小さな感動が、子供達の探求心や想像力を育てるのだと思うのです。

半袖から長袖に衣がえになった頃、ドングリを拾った。ドングリ集めをする頃、ザクロを見たり食べたりした。園庭には、赤や黄色の葉っぱがたくさん落ちていて……と、その情景とその物や経験が結びつき「秋」という季節と共に浮かぶのです。

夏休み明け頃だったと思います。毎日歩いて登園して来る道々で、ネコジャラシを採ってプレゼントしてくれる男の子がいました。緑色のネコジャラシでした。遊び方を教えてあげて楽しんでいた日が数日続きましたが、いつの頃からか、黄金色のネコジャラシになってきました。「今日は色が前のと違うでしょ。秋になって来たから緑のネコジャラシはもう終わりなんだって」とお母さんに教えてもらったのか、「もう最後かもしれないよ」と言ってプレゼントしてくれました。自然は必ず季節と足並み揃えて様変わりします。いろいろな場面で、いろいろな物と出会って子供達は心を躍らせます。成長のひとコマとして、その時その時のときめきを大切に…大切にしたいものです。

わんぱくチャレンジ(2022年度)10月

暑さ指数を気にしながら過ごした夏が終わり、その頃とは違う空の青さに秋の雲が見られるようになりました。夜、庭に出てみると虫の声が楽しませてくれます。思わず「あれマツムシが鳴いている~♪」と口ずさみます。先日は、年長組のふたりの女の子が小川に架っている橋に腰をかけ、「う~さぎうさぎ何見て跳ねる 十五夜お月さんみては~ねる♪」と可愛い声で歌っていました。お月見の頃に、年長組の子供達は、自分達で作ったお月見団子と、秋に収穫された果物や野菜をお供えし、この歌を先生に教えてもらったようでした。季節を感じながら思わず口ずさみたくなったのでしょう。子供達の心の中にそんな歌をたくさん残してあげたいものです。穏やかで豊かな心に触れたような気がして温かい気持ちになりました。

さて、幼稚園では今、来月予定している『わんぱくチャレンジデー』に向けて各学年それぞれの種目に取り組んでいます。数年前は『運動会』と称して行っていました。3年前から「新型コロナウイルス感染症」の影響を受け、何もかもを新しい様式に変えざるを得なくなりました。それを良いきっかけと捉え、今までの運動会で何を育てたいと思って行ってきたかを先生達とあらためて確認しました。その上で新たな形で取り組もうと考えました。この経験を通して子供達の中に育てたいと思っている事は、“いろいろな事に挑戦する力・一つの事を最後までやり遂げようとする力”です。

三次中央幼稚園には、ゴツゴツした小山や急なアスレチックを駆け上ったり、木や綱にぶら下がったり、小川の向こう岸に飛び越えたり、広い園庭を走り回ったりして、身体を動かし遊べる環境があります。子供達はその普段の外あそびの中でいろいろな事を学んでいます。

でも、その中だけでは育てられない事もあります。自分のやりたい事には夢中になれるけれど、好きではない事や苦手な事を避ける事もできます。例えば、鬼ごっこをしようと誘っても、クラスの全員がそこに参加しているかと言えば、走るのが苦手だったり、鬼になるのが嫌だったりする子は、その気持ちを超えてまで参加しないでしょう。「よーいドンしよう」とみんなで走っても、自分が出遅れたら途中で走るのをやめて歩いたり、そのあそびの輪から離れたりする子もいるでしょう。苦手な子は苦手なまま、新しい事に出会えたり興味が広がりにくかったりします。

私達は、日常のあそびの上に積み上げたい学びを「わんぱくチャレンジ」に込めています。友達と一緒に一つの事をがんばり抜こうとする努力や粘る力は、クラスや幼稚園の子供達と先生達全員でとりくむ事でこそ育つと思うのです。興味がない好きではない事にでも、みんなと一緒やってみる事で、新たな“自分発見”が出来るでしょう。

ルールを理解し、そのルールの中でいかに自分の力を発揮できるかを考えながら競う競技や、最終ゴールを目指してクラスみんなで力を合わせ友達をカバーしたりされたりしてバトンを繫ぐリレーやクラス対抗競技、そして、音楽に合わせて気持ち良く踊ったり……年長組は堂々と鼓隊演奏をしたりします。どの種目もがんばってみるチャンスへの挑戦です。日頃、身体をいっぱい使って遊びながら身につけている技や根性と、友達と築いている仲間意識とその信頼関係が、どのような力を生み出すかを試す力だめしなのです。

そして、そこには、「頑張る楽しさ」「達成感」「自信」「力を認め合う気持ち」が得られるはずです。それらを得るためへのチャレンジの場であり、子供達に潜在している成長の可能性を引き出すチャンスなのです。得意な事をもっと深め…苦手であってもそこから目を逸らさず挑む気持ちや力の育ち、……友達や先生達からそのがんばる姿を認められながら、その先にある「頑張って良かった」「僕ってすごいんだ」「私って頑張れるんだ」という喜びや楽しさに出会わせてあげられると思っています。それは、長い人生のうちにいつかはきっと出会うであろう「苦難」「挫折」「失敗」をも逞しく乗り越え、自分の目標や夢に向かおうとする力の根っことなるはずです。

三次中央幼稚園では、10月の一週間を『わんぱくチャレンジ週間』として、学年別に保護者の皆様にご覧いただく予定です。ご覧いただくのは、一日だけですが、実は、子供達のチャレンジはこれまでも…これからもずっと続いているのです。日々園庭を走り回ってあそぶ事から、健全な心と身体を育てるまでの延長線上にこの『わんぱくチャレンジ』があるのです。この経験で得られた様々な力は、この先いろいろな育ちに繋がって行くと考えています。点が線になって行くように……。そんな思いで取り組んでいる事に保護者の皆様にも共通な思いを持ってご覧いただきたいと思います。子供達は、きっと、それぞれにそれまでの自分を超えようと頑張ります。

子供達による子供達のための『わんぱくチャレンジ』です。

一本歯下駄に挑戦している子供達が、「園長先生!見て見て!」と友達と手を繫いで、ゆっくりゆっくり下駄を履いて歩いて見せてくれました。一人は歯の高さが10cm程もある下駄、もう一人は一番低い数センチの下駄──難易度の差は一目瞭然。でも、子供達の中ではどっちが凄くてどっちが凄くないかなんていう視点ではなく、一本歯下駄を履いて歩ける事が共通の喜びと達成感のようでした。でも、友達と一緒に挑戦する事で、「私ももう少し高い下駄を履いて歩けるようになりたい」と思えたり「前は履けなかったのに履けるようになった○○ちゃんは凄い!頑張って偉いな」と思えたりするのです。それが自分を超えたいと思うチャンスになるのです。子供達ひとり一人の成長と集団で取り組む事で獲得できる成長──それらへのチャンスを逃さないようにこのチャレンジャー達を応援したいと思っています。