田植え(2023年)6月

今年は、例年より早い梅雨入り。お気に入りの傘と長靴でウキウキ登園して来る子供達の可愛いこと♡ 雨降りの日でも、楽しめる子供達は素敵です。雨上がりには、園庭にできた水たまりも格好のあそび場になります。梅雨から夏にかけ、お家から持って来たプレイパンツとプレイTシャツ、そしてこれから準備していただく水着の出番も多くなりそうです。子供達の大好きな季節がやって来ます。


さて、先日、年長組の子供達が田植えを経験しました。これは、平成16年(2004年)から毎年行ってきました。ここ3年間は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け自粛していましたが、久しぶりに経験させる事ができました。この田植えは、20年ほど前に、田んぼの泥の感触と手植えの面白さ(農家の方にとっては大変な作業ですが……)を幼稚園の子供達に体験させてやれないだろうかと義父に相談したのがきっかけでした。内心ダメ元でしたが、義父は直ぐに「子供達に植えさせるなら、一番広くて、友達が植える様子がしっかり見えて、足を洗う場所があるこの田んぼを使ったらいいよ。いい経験になるだろう。」と快く場所を提供してくれました。それから、毎年主人と義父は幼稚園の田植えに協力してくれました。いつもは静寂な我が家にとって、その日は、一年の中で最もたくさんの人が集まる賑やかな日にもなっています。


さあ!いよいよ子供達がやって来ました。子供達にとっては、田植えはもとより、幼稚園バスに乗って園外に出かける事も初めてでしたから、楽しみや喜びは倍増だったに違いありません。田んぼ目指してあぜ道を歩いてやって来る子供達は、みんな笑顔いっぱいでした。遠くから「えんちょうせんせ~い!来たよ~」と手を振る子供達が可愛くてたまりませんでした。「私、わくわくしてうきうき!」とか「ドキドキする~」等、いろいろな事を言いながらやって来ました。楽しみにしていた気持ちがわかりました。準備が整い、いざ!田んぼへ!先ず、協力者である私の主人からお米の苗の事や、植え方を教えてもらい10人ずつ順番に田んぼに入って行きます。子供達は、最初ヌメヌメした田んぼの中に入るのは恐る恐るでした。砂場あそびとは違う感触です。ゆっくりゆっくり入る子供達の表情は緊張気味でしたが、一歩踏み入れるとその緊張も緩みキャーキャー言いながら自分が植える場所まで歩きます。

それから、教えてもらったように一株一株を6箇所に慎重に植えて行きました。子供達は真剣です。渡してもらった一握りの苗を丁度良い本数(3本)に根っこから取り分けるのが難しそうでした。中には、そのままごっそり植えようとする子もいました。土のついた根っこ近くを持ち、泥の中にそのまま手の甲が埋まる位に差して植えて行きます。この時、手のひらが汚れる事はそれほどでもないのですが、手の甲が汚れるという事には少し抵抗があるようで、そのような子には「ズボズボズボ~」と言いながらその子の手を持ち一緒に植えました。徐々に抵抗もなくなり慣れて来ます。一人で植える事ができた子は、苗がピンと立ち嬉しそうでした。教えてもらったようにできた事で得意顔です。コツを覚えてからは面白くなって来て、みんな上手に植えていました。

足も手も泥んこになって大仕事(?)をした後は、もう一つのお楽しみ♥まだ植えていない場所で泥んこ競争です。「では、クルっと後ろを向いて!田んぼの端まで行ってここまで帰っておいで!競争だよ!」と言うと大騒ぎ。「服もズボンも汚れていいんだよ~。転んだっていいんだよ~。」と言うのですが、初めは汚れないように転ばないように走ろうとするので、その後ろ姿は…言ってはなんですが…こっけいでした。それを何人かずつ繰り返していくうちに、どんどん度胸がつき、しゃがんでおしりを泥につけたり、わざと何度も転んでみたり、座り込んだりする子もいました。自分の順番が待ちきれず田植えをする前からすでに田んぼの端の方で泥んこになっている子もいました。顔も身体も泥まみれになった後は、洗うのもそこそこにして着替え、虫やサワガニを求めて探索している子もいました。子供達の目はキラキラ!!自然の匂いに誘われて、いろいろな楽しみ方をしていました。さすが!三次中央幼稚園の子供達!

私達は子供達には、自然に触れる事により、自然の不思議さや美しさ面白さに気付き、それを尊び大切にしようとする心を育てたいと思っています。三次中央幼稚園の教育理念でもあります。身体中を泥んこにして心を開放できた時の楽しさは格別です。

子供達はそれからも、「僕達が植えた苗は、今日はどうなってた?」「大きくなった?」「イノシシに食べられてない?」(笑)「夜、雨がいっぱい降ったけど、苗は抜けてない?」等とよく私に聞いてきます。「オタマジャクシやアメンボは出てきた?サワガニは?」「僕の家のそばにも田んぼがあって、同じように田植えがしてあったよ。」といろいろ気になるのです。こういう気持ちになる事が大切だと思います。毎日食べているご飯は、この田植えから始まるという事、そして、上手に植えないと育たない事、どんな所でどんな時(季節)に、どのようにして育っていくのかという事に関心を持ちながら生活する事で、興味が深まり知識が広がります。自らの経験がいろいろな学びに紐づいていくのです。秋には稲刈りをする予定です。その日までに、どんどん変わって行く田んぼの様子を時々観察しながら、泥の匂いや草や水の匂い、田んぼ一面の色……これからは、田植えの時季と稲刈りの時季の生き物が様変わりする事にも気付くでしょう。

田植えの翌日、年長組の子供達は田植えの絵を描いていました。どの子の絵も生き生きとしていて楽しい絵でした。子供達のあの日の歓声が聞こえてくるようでした。

個人的な話になりますが、一番の協力者であった義父が今年亡くなり、その年に再開できた幼稚園の田植え──自然のありがたみと大切さを何より知っているその義父も、可愛い子供達にそれを感じさせてあげられる事を天国で喜んでくれている事でしょう。

中門の助っ人達(2023年度)5月

2023年度を迎え1カ月が経とうとしています。新しい環境に胸躍らせたり戸惑ったりしながらも、今在る状況を受け入れようと、どの子もどの子も一生懸命なのには違いありません。幼稚園の楽しさを少しずつ見つけ、緊張気味の顔がこれからどんどん緩んでくる事でしょう。

入園式の日、新入園児達は、お家の人と嬉しい楽しい気持ちで半日過せたようでした。先生達も、笑顔いっぱいで迎え、各クラスでは楽しい歌あそびやお話で先生と子供達との出会いの一日を盛り上げていました。入園式の後は、ご家族で園舎内や園庭を自由に見て回りながら三次中央幼稚園の環境に触れていただきました。新入園児達は、目をきらきらさせながら園庭のあちらこちらを散歩してくれていたようでした。

そんな一日を過ごし、さあ!翌週から始まった新生活……。次々に登園して来る子供達を中門で待っていると、いろいろな様子でやって来てくれました。お母さんにしがみついて泣きながらの子もいました。その前の日はあんなに楽しかったのに……。中門でお家の人と別れ、ひとりで行く事になるなんて想像していなかったかもしれません。今日もお母さんやお父さんと一緒に行けるものだと思っていたかもしれません。そんな子にとっては、不安でいっぱいの一日の始まりだったはずです。今でもまだお部屋の中では、先生におんぶや抱っこされて、何とか気持ちを落ち着かせている子もいます。大泣きはしなくても、涙をこらえている子もいます。そんな姿のどれをとっても頑張っている事を愛おしく思います。そんな子もいれば、ニコニコ笑顔で、「おはようございます!」と張り切って挨拶をしてくれる子、小さな身体で大きな荷物を一生懸命に持って自分のお部屋にまっすぐ行こうとする子もいます。お家の人に抱っこされて来ても、中門からお部屋までの数十メートルの間に気持ちを切り替えて、安心できる場所を求めて自分の先生の所へ行こうとするその健気な様子にもまた愛おしさを覚えます。どんな様子で登園して来ても、「よく来たね。」と迎えてあげたいと思っています。

そんな中、中門に頼もしい助っ人達ができました。今年度の新しい環境にもすっかり慣れて心に余裕さえ出てきた年長組の子供達です。年長組の先生が「着替えたら、年少組さんを連れて行ってあげてね。」と声をかけてくれると、我先に!と部屋で着替えて中門に集まって来てくれます。そこで、次々とやって来る新入園児達を迎えてくれるのです。ちゃんと腰を低く目線を合わせて話しかけてくれます。「連れて行ってあげようか?」「荷物を持ってあげよう。」「何組?」と優しく声を掛けてくれます。ちょうど2年前のこの頃は、この子達がこうしてお兄ちゃんお姉ちゃんに同じように声をかけてもらっていました。自分達がしてもらっていた事を今年はしてあげる立場になったのです。素直に自分に甘えてくれて、手をつないでちゃんとお部屋まで連れて行ってあげられた時には、誇らしげにまた中門まで走って戻って来てくれます。それを何度も繰り返してくれるのです。新入園児がポツリポツリと登園する時には、丁寧に対応できているのですが、一度に何人もやって来る時には、焦りながら「え~っと、どの子を連れて行ったらいい?」「私、この子を連れて行くから、あっちの子をよろしく!」と何人かで担当を決めながら声をかけていました。声をかけてもそれに応じてくれなかったり、年長組さんには手に負えない程泣いていたり、助けを求めて来ない子もいたりします。そんな時には、「園長先生!この子、無理~!何とかしてあげて~」と困り果てている姿もまた頼もしいです。時には「お兄ちゃん達に連れて行ってもらいたい人!手あげて~!」と呼び掛けたりもしていました。手をあげる事ができるくらいならきっとひとりで行くでしょうが(笑)。

ある朝、小さな女の子がお母さんに抱かれて登園して来ました。お母さんから私が受け入れそのまま地面に降ろしてあげるとすぐに年長組の女の子が「荷物を持ってあげる!行こう!」と手を?ごうとしてくれました。すると、それまで泣いていなかったのに泣き出してしまいました。「連れて行ってあげるよ。おいで。」と声をかけてくれているのに泣き止まず私の周りをグルグル逃げてしまうのです。私は「ありがとうね。この子は園長先生が連れて行ってあげるから大丈夫よ。」とその女の子を抱いて部屋まで連れて行きました。すると、年長組の子が「どうして泣いてなかったのに泣き出したんだろう?園長先生じゃないといやだったのかな。」と、聞くので「そうじゃあなくて、あの子はきっと泣きたい気持ちをグッと我慢して来たところだったから、そんな時はゆ~っくりゆ~くり、そ~っと話しかけてあげた方がいいのかもしれないね。今度そうしてみて。」と言うと「はぁはぁ」と納得したようにまた、次にやって来る子を待ってくれていました。誰かの役にたちたい。助けてあげたい。と一生懸命になり過ぎて、その勢いに逆に泣かれてしまう事もある事を知り、場面やタイプによって声のかけ方やサポートの仕方を変えたほうが良い事も何となくわかってくれたようでした。何でもないちょっとした時間の出来事でも、子供なりに人との関わり方をこうして少しずつ学んでいく事を感じました。それからは、やってくる子の顔と様子を見て声をかけてくれている様子が伝わり、ますます頼もしく思えました。

今年度も、子供達の園生活の様子から見られる心の育ちや子供達をとりまく世の中を通して思う事、また既に終わった(?)私の子育て奮闘記を織り交ぜながら、『葉子えんちょうせんせいの部屋』を書かせていただきます。保護者の皆様に読んでいただき、子育ての大変さと楽しさを共有出来たらと思っています。今年一年間も、どうぞよろしくお願いいたします。

田房葉子

コロナ禍で学んだ事(2022年度3月)2023年3月

今月中旬に行った保育参観では、平日のお忙しい中にも関わらずおいでいただきありがとうございました。お子さんが成長された様子やクラスの中での生活ぶりを観ていただく事ができたでしょうか?この数年間は、新型コロナウイルス感染症拡大対策として、お子さんがどのように園生活を送っているのかをじっくりご覧いただく事がなかなかできませんでした。しかし、それでも今年度は、保護者の皆様に年間を通して様々なご協力をいただいたおかげで、参加していただく事ができた行事もありました。少しずつ少しずつ別の道をも探しながら、新しい事を取り入れながら子供達が学ぶ園生活の環境を整えてきたつもりです。わずかな機会でも、お子さんの楽しく頑張っている姿を保護者の皆様と共有できた事は私達も何よりの喜びでした。

さて、この度、新型コロナウイルス感染症法上の位置付けが5月8日から季節性インフルエンザと同じ「5類」にひき下げられる事となりました。それに伴い、政府の「新型コロナウイルス感染症対策本部」も廃止される事となります。いつかはこの時が来る。早くこの時が来ないかと待ち望んでいました。しかし、いざその時が来ると、安全に安心して生活するための“ものさし”が無くなったようで、少々不安や戸惑いも感じます。これまでは、感染拡大状況に応じその度に政府の対策に注視しながら、その“ものさし”をベースに“コロナとの闘い”から“ウイズコロナ”の生活を築くよう努力をして来ました。世の中の人々もたくさんの不満や疑問を持ちながらでも、一生懸命に受け入れながら隣り合わせにある目に見えない物とどう対応しながら生きて行くのがベストかを考えて来ました。


幼稚園でも、この数年間はこれまで経験した事のない対応に翻弄される事となりましたが、子供達の成長を止めないように“ピンチはチャンス!”の気持ちで日々の生活スタイル・行事内容や在り方・人との関係の築き方等をたびたび職員で考え合いながら過ごしてきました。とにかく前に進んで行くためには全てがチャレンジの気持ちでした。振り返れば、大変な事もありましたが、新しい発見や新たな道を見つける事ができた事も多くあり、学んだ事もたくさんありました。そんな中、地域や保護者の皆様からたくさんの応援や協力をいただいた事で、人は人を頼り…また頼られ感謝し合いながら生きて行くものであり、人間関係を構築していく大切さを実感しました。

このコロナ禍で子供達も、様々な事を学んだはずです。それぞれの家庭でも感染拡大対策をとられていたでしょうが、幼稚園という集団生活の中では家とは違うルールもでき、それを実行しようと一生懸命に努力してくれました。それまでは、友達と向き合って楽しく会話しながら食べていた昼食も、「黙食」というスタイルに、また、着けた事のなかったマスクでの生活、夏には熱中症対策として場面に応じた着脱も求められました。密を避けた生活の工夫・手洗いと消毒等々……。窮屈な生活だったと思いますが、子供達はどうしてそうしないといけないかという事を話して行くうちにちゃんと子供達なりに理解できるようになりました。それは、自分だけではなく自分の大好きな友達の元気な身体をも守る事になるという事──それが人を思いやる気持ちだと徐々に学んだと思うのです。できない事をできないと嘆くばかりではなく、できる事を新しく考えてみる事もこれまた楽しい!と感じられる子供達になりました。マスクで表情がわかりづらく相手と気持ちが通いにくいと言われる事もありますが、マスクをしているおかげで会話もできました。音楽や身体で気持ちを表現できる事も覚えました。気持ちを伝え合う方法をみんな手探りで見つけて来たのではないでしょうか?相手の気持ちを一生懸命にわかろうとしながら関わると気持ちは通い合うのです。相手の事を思いやるとはどういう事か?自分達の考え方次第でピンチはチャンスに変えられるんだという事──これは、コロナ禍の大きな学びであり収穫でもあったと思います。

さて、これからは、人が与えてくれる“ものさし”に頼らず、自分で考え自分で判断しながら安全に過ごす事が求められます。今こそ、私達がコロナ禍で学んだ事を活かす時です。自分一人で生きているのではなくいろいろな人と時間と空間を共にする事で自分は生かされているのだという事を感じ、そんな中で、どうふるまう事が自分を…また大好きな人を大切にするという事になるのか自分の行動と考え方が試される時なのかもしれません。

もうすぐこの幼稚園から年長組の子供達62名が巣立って行きます。この子供達は「新型コロナウイルス感染症拡大」の始まりから真っ只中を幼稚園で過し、「5類」への引き下げと状況が変わる中での新生活となります。これまでコロナ禍で学んだ事を十分に活かして、小学校生活をしっかり楽しんで欲しいと思います。友達の大切さや必要性を人一倍感じながら過ごして来た子供達です。誰もした事がない事にもたくさんチャレンジしてきた頼もしい子供達です。小学校に行っても、自分の頭と心で考え行動できるたくましい子供達でいてほしいと願わずにはいられません。

少し前に年長組の保育室に行った時です。担任の先生が「園長先生、これ……見てください。」とある男の子の自由画帳を見せてくれました。知らないうちに先生の机の上にそっと置いてあったのだそうです。そこには表紙の裏面いっぱいにクレパスや鉛筆でカラフルにこう書かれていました。「ありがとう せんせい もうすぐあえなくなるね もっといっしょにあそびたかったよ せんせい ありがとうのきもちだよ だいすきだよ」──そして、先生と自分が笑顔で並んでいる絵とハートがいっぱい描かれていました。心の中の溢れる気持ちを何とか先生に伝えたかったのでしょう。彼が一生懸命に考えた自分の気持ちの伝え方だったのです。それを最初に読んだ先生はどんなに幸せだったか。コロナ禍を共に過ごして来た子供と先生との強くて温かい絆が伺え、こみあげてくる熱いものを押さえきれませんでした。

節分(2022年度2月)2023年2月

新しい年を迎えて、もう一カ月が経ちました。「1月は行く2月は逃げる3月は去る」とはよく言ったものです。これから年度末にかけて子供達の生活は今年度の締めくくりと次年度の準備とでいろいろな事があり時間が経つのを早く感じる事でしょう。来年度の楽しみや期待が膨らむように、日々一日一日……一刻一刻を大切に過ごして行きたいと思います。

さて、2月になるとすぐに“節分”があります。字の通り「季節を分ける」──この日を境に季節が冬から春に変わります。“立春”です。“立春”は旧暦では一年の始まりとされていました。この一年を平穏無事に過ごせますようにと、豆まきをして邪気を払い福を呼んでいました。「魔(ま)を滅(め)する」という語呂合わせと、「まめ」とういう言葉には「元気」という意味もある事が豆をまく由来のようです。
その日は、恵方巻を食べ、家の入口にはヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺して飾るといった習慣もあります。ヒイラギのトゲを恐れ、イワシの匂いを嫌がり鬼が家の中に入らないようにという魔除けです。このように、これらの一つひとつには納得できる意味があります。医学も技術もなかった古来は、平穏無事を祈る気持ちを何かに置き換え、それにすがりながら家族を守っていたのです。そう思うと鬼が登場する怖い伝統行事も、実は「愛」から生まれたものだとわかります。

幼稚園では、そんな由来に触れながら、鬼が登場する絵を描いたり、鬼のお面を作ったりして節分を味わいます。節分当日には、年に一度鬼がやって来て豆まきを楽しみます。一年前にその鬼を見て知っている年中・年長組の子供達はこの日を身構えて待っています。鬼を見た子供達の表情は毎年様々です。怖くて泣いてしまう子、追い払うために闘志を燃やす子、こっそり隠れる子、いきなり自分のこれまでの悪事を謝ろうとする子(自分でわかっているところが可愛い)……。
様子はいろいろですが、皆、血相を変えて自分の部屋や自分の先生や友達のいる所に逃げて肩寄せ合います。先生は「大丈夫よ。頑張ってみんなで鬼をやっつけよう!」と励まして守ってくれます。安全地帯の中で子供達は怖い「鬼」を追い払うために勇気を出して豆をまいて戦います。

ただやみくもに「鬼」を怖がらせ豆まきをするのではなく、年に一度やってくるこの鬼はいったい何者なのか?どうして我々の所に来るのか?を話しておく事が大切です。

誰しも、心の中には何かしら邪気が潜んでいて、少なからず“善”と“悪”が同時に潜み、何か行動を起こそうとする時、そのふたつが戦う事があります。友達にいじわるした。約束を守らなかった。わがままを言って困らせたetc.……。その後、何となくモヤモヤ感が残ったり、気になって仕方がなかったりするのは、“悪”を操る見えない何かにおびえているからです。これを見えるものにしたのが「鬼」──“目にみえる邪気”です。それを豆まきで退治する事によって、そうしてしまう自分を反省させてくれたり戒めたりして克服する心を呼び起こす事ができるのだと思います。

これから先、目にみえない恐ろしいものに惑わされたり負けたりしない強い心と健康な身体をもった子供になって欲しい。──そんな願いが込められているのです。それは「節分」に限りません。例えば「ひなまつり」も、人形を川に流し子供の病や災いをはらう風習から徐々に形が変わり、ひな人形を飾って女の子の成長を祝うようになりました。また、「端午の節句」は、鯉のぼりや五月人形を飾り男の子の成長を願います。これらの行事では、縁起をかついでひなあられやはまぐりのお吸い物、柏餅やちまきを食べます。邪気をはらい良い事を呼ぶ──まさに「鬼は外、福は内」と同じ思いなのです。このように、受け継がれてきた伝統行事は、子供の健やかな成長と幸せを思う“家族を守る「愛」”から生まれた「願い」や「祈り」を形にしているものです。

“鬼は~外!福は~内!”と叫びながら、鬼に向かって豆をまく事で、悪い事が自分のところからいなくなり良い事がやって来そうな安心感や清々しさが心の中に生まれる──それは“痛いの痛いの飛んでいけ~”のおまじないと少し似ているような気がします。そのおまじないを唱えながら痛いところをさすってもらっていると、痛みもグッと我慢ができて何となく痛くなくなる気がして来ます。人は皆、逃れられない災いともあえて向き合わなければならない時があるものです。私達大人は、願い祈る事で、それに向き合いながらでもたくましく生きて行く人に成長するよう子供達を応援したいのです。その思いが伝統行事になっていったのだと思うと廃れさせてはいけないものだと思えます。

ご家庭でも、形はいろいろ違っても、子供達と家族の健康と幸せを願い、邪気を追い払う願いをもって豆まきを楽しんでください。そして、子供達が大人になってそれぞれに大切な家族ができた時、同じように幸せを願いながら、次の世代に節分の豆まきを伝えてくれるでしょう。こうして大切な子供を思う「愛」が伝統行事を通して受け継がれていくのだと思います。子供達の健康と幸せを願いながら、その日だけやってくる“目に見える邪気”とどうか戦わせてあげてください。
幼稚園にももうすぐ鬼がやって来ます。“鬼は~外!福は~内!”と楽しい豆まきをして、福をたくさん呼びたいと思います。2月3日には、街のあちらこちらで可愛い子供達の鬼と闘う元気な声が響き渡る事でしょう。
ん? 泣き声かな?(笑)

お年玉(2022年度)2023年1月

あけましておめでとうございます。2学期末には記録的大雪に見舞われ、幼稚園も終業式の日を自由登園とさせて頂きました。冬休みに入ってからも、園庭はしばらくの間雪に覆われていました。それでも、花壇の雪をはらってみると、それまでに子供達が植えてくれていたビオラの花が「私達は大丈夫よ」と言わんばかりに可愛い花びらをのぞかせてくれました。土の中には、次の季節を待つ生きものが静かに眠っているのだと思うと自然の持つ力と息吹を感じます。

どんな事にもくじけないたくましさと忍耐強い根をもち、優しい花を見せてくれる──そんな子供達に育って欲しいと願いながら今年も職員一同頑張って参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、今年のお正月はどのように過ごされましたか?3年ぶりに行動制限のない年末年始だったので、これまで我慢していた帰省や旅行等をして楽しく過ごされたでしょうか? そうは言っても、新型コロナウイルス感染者数を見れば決して安心できるものではなく、昨年に引き続き外出を控えご家族だけで静かにのんびりとした時間を過ごされたでしょうか?
我が家も、それまでは毎年親戚が集まり、賑やかにお正月を迎えたものですが、やはり新型コロナウイルス感染症拡大をきっかけに自粛するようになり、ここ数年、静か過ぎるお正月となっています。

そんなお正月ですが、毎年必ず用意するものがあります。『お年玉』です。行っても行かなくても、来ても来なくても、小さな可愛い親戚の子供達が近くに住んでいるので全員分のお年玉をわずかですが準備しておきます。

『お年玉』と言えば、私には幼い頃の思い出があります。お正月には、毎年私の父の実家に泊まりに行っていました。父は5人兄弟姉妹で、打ち合わせをしてそれぞれが家族総出で泊まりに行くのです。多い時で、20人程の来客となり、今思えば祖母はさぞかし大変だったろうと思います。だけど、祖母とそれぞれのお嫁さんと皆で一緒にご馳走を作ったり、こたつに入っておしゃべりしている楽しそうな姿を子供ながらに覚えています。

子供達は、幅広い年齢で11人。それはそれは賑やかでした。家の中を走り回ったり田んぼでたこ揚げをしたりして、時には喧嘩勃発!泣いたり笑ったりの大騒動。それが楽しくて楽しくてたまりませんでした。そして、夜……。それぞれの家族の父親達が別室で会議をし始めるのです。『お年玉会議』です。後に知ったのですが、父親達が出資し子供達の年齢に合わせた金額を決めて、11人分のお年玉を用意するのでした。それから、私の父の「始めるぞ~!集合!」の声で、一番大きな部屋にみんなが集まります。さあ!始まります『お年玉かくし芸大会』──ちょっとしたステージが設けられ、大人達がお客さんになって座ります。そこで、子供達は自分で考えた“かくし芸”をして、“出演料兼賞金(?)”としてお年玉を受け取るというお楽しみ会なのです。歌をうたったり、手品をしたり、踊ったりして、親戚みんなが集まって拍手と笑いが絶える事のないお正月でした。これが毎年の恒例だったので、いつも今年は何しようかと考えておばあちゃんの家に行っていたのを覚えています。恥ずかしかったけれど、お年玉をもらうために(笑)頑張った古くて楽しい思い出です。

また、それから少し大きくなってからの思い出ですが、私の実家は商売をしているため年末はとても忙しく、商品の棚卸を毎年手伝っていました。妹と弟と3人で朝から夕方まで商品の値札を見てレジ打ちをしたり記帳したりしました。本当はしんどかったけれど、「いやだ」とは言えませんでした。子供ながらにも、忙しそうにしている両親を手伝わないと家族揃って楽しいお正月が迎えられない気がしていたからでした。

そして、元旦を迎え、父が「年末は良く手伝ってくれました。助かったよ。今年も良い年にしましょう。」と言って一人ひとりに言葉をかけてお年玉をくれました。ほめてもらえた事とお年玉をもらえた事が凄く嬉しかったものでした。今思えば“アルバイト料”でもあったお年玉でした。
『お年玉』と言えば、必ずこれらの事を懐かしく思い出します。

それから何十年も経って、妹にも弟にも私にもそれぞれの家族ができました。おばあちゃん家に親戚皆で集まった昔のあの頃のように、今度は私達が毎年お正月には打ち合わせをし、子供達を連れて実家に集まるようになりました。そして、皆が集合したところで、父が私達の子供に「あけましておめでとう。今年も元気で頑張りなさいよ」と一言添えてお年玉をくれました。孫達皆に渡したその最後に息子や娘の私達にまで「これは、何かの足しにしなさい。」と言ってのし袋に入れたお年玉を渡してくれました。そこには、いつも父からの言葉が一筆添えられていて、この年になってまで……と受け取るのに躊躇しましたが、これは、父の親としての愛情と威厳を見せてくれるもので、まだまだ元気な気持ちでいてくれている事がありがたく、素直に「ありがとう」と受け取っていました。父にとっての『お年玉』は、私達に特別な気持ちを伝える物のように思えていました。それが10年以上続き父は他界しました。通夜の日、弟が、ひとつの箱を持って来ました。父からのお年玉をそのまま使わず全てその中にとっていたのでした。「いつかはこんな日が来るだろうから、お父さんの葬式代にしてやろうと思って使わずにとっていた。」というのです。弟は父からもらった愛情を感謝のかたちに変えてくれました。父からもらうお年玉は、子供の頃からいつも特別な気持ちで受け取っていた気がします。

今や、『お年玉』事情が以前と違って来ているようです。会う事もままならない今、キャッシュレス決済で…という話も聞かれます。どんなふうに変わって行くとしても、お年玉にはその子の幸せを思う気持ちが込められている事には間違いありません。いつの時代になっても、お年玉を受け取る子供達にその事がちゃんと伝わって行く世の中であって欲しいと思います。

父が私達の心に残してくれた愛情を私もまた子供達に繋いで行けたらと思いながら今年もお年玉の準備をしたのでした。