かわいい子には旅をさせよ(平成18年度9月)

長かった夏休みも終わりました。どうでしたか?夏の計画は実行できましたか?おやおや、子供達が一日中家に居る賑やかな毎日に疲れきっておられるお父さんお母さんの姿、やっと静かな生活に戻れると胸をなでおろしておられる姿が見られますよ。わかる!わかる!わかるけど、親と子供が一緒に生活できる時間って、一生のうち思っているほどそんなにたくさんあるわけじゃあないんです。今のこの時間の大切さや楽しさを噛み締めて過ごしてください。


我が家の今年の夏の計画は、家族旅行もなくちょっぴり物足りないような気がしました。と言うのも、昨年『初ディズニーランド旅行』をし、我が家にしては2年分贅沢な想いをさせてもらったのと、もうひとつは小学校6年生の長女が、7月に約一週間彼女が入団している合唱団のアメリカ・シカゴへの海外遠征に参加したので、家族旅行どころではなくなったからです。

特別楽しい計画はなくても、一緒に居るといつもは忙しくしていて気づかなかった子供達の成長が見えるので、私としては、“夏の観察”をしている気分で楽しかったです。特に今回の長女の海外遠征では、色々なことを親として考えさせられました。


長女は生後3ヶ月の頃から早くも人見知りをし、私をいつも探す子でした。ちょっとだけでも私が離れようものなら、声がかれるほど泣いていました。トイレに行っている間もドアを開けたまま(汚い話ですが)「ここにいるよ~。お母さんはここだよ~。」と呼びかけながら用をたしていました。ハイハイができるようになると追いかけて来るのでたいへんでした。

そのまま大きくなり幼稚園に入園しても家に帰るといつも私の傍にいました。私は“この子はこういう性格なんだ”と思ってずっとどこかしらかばっていたような気がします。恥ずかしがりやで、人の前に出る事が苦手で、神経質で……。だから、私がついていてやらないと……と。小さい頃は、物怖じする娘にいつも「お母さんが見ていてあげるから大丈夫。お母さんがいるから大丈夫。」と応援していました。

そんな娘が、今回のアメリカ遠征、しかもホームステイ。事前の説明会のたびに文化や生活の違い国民性の違いなど、詳しく聞けば聞くほど(この子がちゃんとできるのかしら?)と不安になっていました。


ある日「ねえ、大丈夫そう?」と聞くと意外な返事、「なんとかなるよ。そんなに心配せんでもいいって。お母さんがいなくてもお母さんがいないところではちゃんとできるんだから。」──私はハッとしました。案外この子は、私が思っているほど昔のままではないのかも、むしろ、親がいないほうが肝っ玉もすわりググーンと力を発揮できるのかもしれない。

それからどんどん出発の日が近づき、沢山の準備物とスケジュールを自分で確認しながらスーツケースに詰め込み、英語の本を真剣に見ている娘の様子に、私が必要以上にこの子のことを想い心配することは、むしろこの子の邪魔になるのかもしれない。心配を口に出すのはやめようと思いました。心で案じていようと……。


出発のロビーで一曲合唱してくれた時、永久の別れでもないのについつい涙が出てしまいました。心配というよりも、あの一言を聞かせてくれた娘が私の目にはとても大きくたくましく映ったからでした。

(実に親バカです)それから一週間のうち何度か、ホームステイ先のご家族(ホストファミリー)が娘の様子をメールで知らせてくださいました。言葉のやりとりやホストファミリーの家族の一員としての生活、合唱団のコンサートを通しての交流にも頑張っている様子を知る事ができました。親のいないところで、私達の手の届かない遠い所で、心身共に元気にしている事に「ブラボー!!」と叫びたい気分でした。

一週間後帰国した娘は、機関銃の如く喋り続け、見聞きした感動や体験した感想などを一週間分メモした小さな手帳を見せて説明してくれました。そんな中「あーあ、早くこうして色んな話をお母さんとしたかったよ。」とポロっと本音。その晩は、時差ボケのせいか興奮のせいか喋り続ける娘……。私は夜遅くまでずっと聞き役でした。


人間、変えるには難しい“性格”というものはあるけれど、それがその人の全てだと決めてかかってはいけない。特にこれからがある子供には、決めつけないで、それをカバーしたり克服しようとする子供自らの力が出せるように親は出しゃばらずにいる事も親の役目だと痛感したのでした。守ってやらなければならない幼い頃──だっこやおんぶを十分して安心させてやらなければならない時期──もちろん“性格”とは関係なくどの子にもそれが必要な時期はあります。だけど、いつまでも必要なのではないのです。知らない間にそれを『卒業』する時が来るんですね。『ママがいるから大丈夫。』


から『ママがいなくても大丈夫。』に成長していくのですね。くれぐれも『ママがいないほうが大丈夫。』と言われないように……(苦笑)。かわいい子には旅をさせよと言いますが、これは子供のためだけではなく、親の成長のためにもある言葉だと気づきました。
「次は私が外国に行く!」と宣言する次女、あーあ、しばらくは夏の家族旅行はできそうにもありません。

ゆびきり(平成18年度8月)

♪ささのはさ~らさら♪7月になると幼稚園中に、子供達の歌う『たなばたさま』の歌が響き渡ります。今年も大きな笹に笹飾りを作って七夕まつりをしました。

笹飾りの中でも興味深く手にとって見てみたいのは、短冊に書かれた“ねがいごと”です。どんなおねがいをしたのかな?毎年色々な“ねがいごと”が書かれています。「じてんしゃにのれるようになりたいです。」(がんばれ!がんばれ!)「ピアノがじょうずになりたいです。」(なるほどなるほど)「ハワイへいけますように……。」(じゃあ!先生も書いておこうかな)「おねしょしませんように。」(う~ん、切実)「ポケモンがほしいです。」「ボウケンジャーがほしいな~」(ん?サンタさんじゃないんだけど……。)と、色んな子供達の秘め事が書かれています。その他よくあるのは、お気に入りのキャラクターになりたいというもの。「仮面ライダーカブトになりたい!」「プリキュアになりたい!」等。幸せな事にまだまだ空想の中で生活している子供達のかわいい夢です。だけど、真剣な夢なのです。夜空のお星さまに子供達のかわいい“ねがいごと”は届いたかな?


さて、今月は、幼稚園の頃同じようにかわいい夢を短冊に書き、数年経った今、自分の将来を本気で考え一生懸命になっているひとりの女の子の事を紹介しましょう。名前は香織ちゃん。6年前の年長組の時に私が担任した女の子です。卒園して引っ越ししてしまいもう随分会っていませんでした。当時は、一見、消極的なタイプですが、内に秘めたる強さ・優しさ・明るさ・好奇心は、共に生活していた私にはひしひしと伝わってくるものがある、おさげ髪のよく似合うかわいい女の子でした。


去年の10月のある日、香織ちゃんから突然のはがき…そこには『ようこ先生お元気ですか?今度、私がラジオに出演し、作文を読みます。そこにようこ先生も登場するのでぜひきいてください。10月26日am6:55~am7:00RCCラジオです。』──と書いてありました。懐かしい子からの便りにびっくりするやら嬉しいやらで、顔にしまりがなくなってしまいました。放送までの1週間、毎朝その時間が気になって気になって……。

そしてその日が来ました。カセットテープに録音しておこうとセットし、私は少々緊張して思わず正座でラジオに耳を傾けました。6時55分!学校のチャイムの音で番組が始まりました。RCCのアナウンサーが「僕の作文私の作文!──今日は小学5年生の作文を紹介します。題は『幼稚園の先生になりたい』です。」私はそこまで聴いてすぐに香織ちゃんが卒園して行く時に交わした二人の約束の事だ!と思いました。

香織ちゃんの夢は幼稚園の先生になる事でした。ある日、「ようこせんせい、どうしたら幼稚園の先生になれる?」と聞いてきました。キラキラした真剣な目でした。私は、「お歌が上手で、にっこり笑顔が優しかったらなれるよ。香織ちゃんならなれるね。そしたら、一緒にお仕事できるね。」と言いました。香織ちゃんは、「わたし、三次中央幼稚園の先生になる!」とにっこりして言ってくれて、私は「じゃあ、ゆびきりしよう!香織ちゃんが幼稚園の先生になってここへまた帰って来る!そして一緒にお仕事しようね。待ってるから。」と二人でゆびきりしたのです。

香織ちゃんの読む作文には、三次中央幼稚園の先生になりたい事や、私の事、ゆびきりの事が書かれてありました。私は涙が溢れ出ました。今でも、遠いところに居ても慕ってくれているという事と、何よりあの日交わしたゆびきりが、香織ちゃんの道標になっていること、人生の目標を持っていてくれていることに感無量でした。目の前に香織ちゃんがいたら、あの頃のようにムギュ~って抱きしめてぼろぼろに泣いたでしょう。


そして6月、6年生になった香織ちゃんからまた手紙が来ました。今度は幼稚園の先生になるための具体的な質問でした。いよいよ本気だなって感じました。

夢が今の香織ちゃんの『生きる力』になっているのです。自分に目標や夢、目的を持って生活していると生き生き輝けるのです。その夢が『仮面ライダー』や『プリキュア』と現実離れしていても、自分の将来の憧れの像として目標にして(とりあえず今は)生活していくでしょう。どうか、夢や憧れをもたせてあげてください。夢を抱く心地よさを覚えたら、夢を探せる大人になると思うのです。

香織ちゃんの手紙の最後にはいつもこう書いてあります。『先生、香織が大人になるまで待っててね。』──ん?あと何年?

旬な気持ち

ついこの前、子供達に、「入園おめでとう!進級おめでとう!」と声をかけていたのに、気がつけばもう7月……1学期最後の月になりました。見るもの聞くもの全てが新しくて……がゆえに、泣いたり笑ったりの毎日だった年少組、年中組、満三歳児クラスさつき組の子供達も、何とか落ち着いたようです。

この1学期の間に、子供達は色々と新しい事を経験しました。特に年長組は、田植えやさつま芋の苗植えに大奮闘でした。毎年、田植えは我が家の真ん前の田んぼで行います。芋畑もすぐ近くということもあり、私は時々苗の様子を見に行きます。(秋の収穫まで気が抜けません。フ~ッ)


田植えから少し経ったある日の事、朝の通園バスで年長組の子を迎えに行きました。するとバス停の横にある田んぼをお母さんと一緒に覗き見ています。私が、「おはようございます!」と言うと慌ててお母さんはその子の手を引きバスに走り寄り、「すみません!田植え以来、何だか田んぼが気になるようで……。」と笑って話してくださいました。その次の日は、「田んぼの中におたまじゃくしを見つけたようで……。」と、毎日母子で田んぼの観察をされている様子でした。子供達には、私達大人には見えないものが見える『心の目』があるようです。不思議な事をとことん不思議だと感じる心、どうにかして知りたいと思う心、今すぐやってみたいという衝動にかられる程おもしろいと感じる心──見たり触れたりする事で心に衝撃的に映るのです。『心の目』……これは私達大人も、かつて持ち合わせていたはずなのです。目に映るものが、長年生きているうちに“毎度の事”になって、子供達と同じようには心が揺さぶられなくなってしまっているのです。そんな気がしませんか?


年少組のあるクラスでは、《そらまめくんのベッド》(なかや みわ作・絵 出版 福音館)という絵本を読み、子供達がそらまめを見たことがないんじゃないかと、先生が家の畑から見事なそらまめを人数分採って来て、子供達の手にのせてやっていました。「ようこせんせい!みてみて!このなかにそらまめくんがネンネしてるんよ。」と絵本とそらまめの話を一生懸命私にも話してくれました。年中組は、プランターにプチトマトとキュウリの苗を植えました。自分達で水をやった苗がぐんぐん大きくなって、ミニチュアのようなかわいいトマトやキュウリができているのを見つけたときにはどんなに嬉しかったでしょう。お家でもそんな話をしていませんか?いつになったら食べれるんだろうと毎日見ている子供達にとってそれは、まさしく『旬な気持ち』なのです。“今だからこそ”“今ならではこそ”味わえる気持ちです。


年長組の田植えの数日後、外出から帰った私に義父が、「さっき、田植えをした男の子がお父さんと一緒に田んぼを見に来たよ。自分が苗を植えた田んぼをお父さんにも見せたかったんだろう。少し話して帰って行ったよ。まだその辺にいるんじゃあないか。」と教えてくれました。私はすぐに外に出て見てみました。すると、車が停めてある所に向かって、お父さんとその回りをピョンピョン飛び跳ねながら歩いて行く子供の二人の姿が遠くに見えました。田んぼから車までの間のお父さんとその子の会話はどんなに弾んだことでしょう。その姿は、遠くで見ても実に温かく微笑ましいものでした。自分が田植えをした田んぼをお父さんにも見てもらいたいと思う気持ちも、よその田んぼが気になったり、田んぼの中にオタマジャクシを見つけて喜ぶ気持ちも、そらまめを初めて見て「みてみて!」とはしゃぐ気持ちも、いつ食べれるかとトマトやキュウリの生長を楽しみにする気持ち・・・これらはみんな『旬な気持ち』です。

時間が経てば話題にすらしなくなります。それは、次から次へと興味が移るからです。この『旬な気持ち』の時に、どうか一緒に子供が『心の目』で見て感動しているものに共感してあげてください。子供達の心に、忘れることのない思い出として知識としてさらに強烈に刻まれるはずです。ジ~ッとお子さんを見ていてください。急におしゃべりになったり、夢中になったりするはずです。その時は『旬な気持ち』になっているかもしれませんよ。


毎日食べている白いご飯……それまで、(これはどうしてどうなって僕や私の口のなかに入るのだろう?)などと思ってもみなかった子供達も、自分の手で田植えをしてみてほんの少し関心を持ちます。それが、秋の収穫をする事で、再び田植えの時の感動が甦り、稲穂を目の前にやっと、「な~るほど、お米はこうしてぼくたち私達の口にはいるんだ。」と納得します。

幼稚園の生活の中には子供達が味わうことのできる『旬』がたくさんあります。新しい経験がいっぱいだからです。その時その時の子供達のはやる気持ちに耳を傾けてあげてください。感動を共有してくれる、聞いてくれる人がある事は実にしあわせです。私達大人もまた、そうしていくうちに、昔どこかに置いてきてしまった『心の目』を取り戻せるかもしれませんよ。(まだまだ純粋でいたい私。・・・苦笑) 


『旬』の魚や野菜ももちろんおいしいのですが、子供達の『旬な気持ち』───これもまた格別なんだな~(^_^)v。子供達の『旬』は、食べきれないほどた~くさんありますよ。
お子さんと一緒に味わってみませんか?

おとうさんはスーパーマン!(平成18年度6月)

今年のゴールデンウィーク、皆さんどのように過ごされましたか?休みに入る前の子供達も色々な計画を話して聞かせてくれました。旅行をする話や、遊園地に行く話……。ある年少組の子は、お休みする間の幼稚園のことを気にしてか、「ねえ、ようこせんせい、ぼくね、船に乗っておばあちゃんの所に行くから、帰って来るまで、幼稚園はお休みにしててくれる?」とか、一人の子の話を聞いていると、ぼくも!私も!と、どんどん聞かせてくれました。G.W明けの子供達のお土産話が楽しみでした。


そして、我が家はというと、農繁期真っ只中!G.Wは、毎年田植えに大忙しです。遊びに行けるかどうかは、そのはかどり具合によるのです。義母が亡くなった5年前から見様見真似で私も田んぼの泥と悪戦苦闘しています。ついでに言わせてもらえば、5月5日子供の日は、私達夫婦の結婚記念日。(祝日だから毎年記念日を祝えるわ~?)とその日を選んだのは……誤算でした。(アハハ)そんな家の状況がわかってきたのか、諦めてか、我が家の子供達は「どこかへ連れてって!」とも「ゴールデンウィークは何するの?」とも聞かなくなってしまいました。最近になると、自分達も裸足で田植えをする事を楽しむようになりました。


今年も絶好の田植え日和。当たり前の様に田植え仕度をして田んぼに向かう義父と主人……その後、自分を奮い立たせるように身支度をして気合いを入れて向かう私と子供達(特に私…)。苗箱を運んだり、田んぼの水を調節したりetc.植えるまでにする事がたくさんあります。その間、実際田植え機に乗って田植えをする主人は、じーっと田んぼを見つめています。子供達が「お父さん!何してるの?」と聞くと、義父が「どう植えたら能率よく、しかもきれいに植えられるかを考えているんだろうね。きれいに植えてないと、稲刈りの時に困る事になるからね。お父さんは、几帳面だからね。」と説明してくれました。「お父さん真剣な顔!すごーい。」と子供達も私も納得。田植え機に乗って田んぼを行ったり来たりするお父さんを子供達は、じーっと見ていました。

途中で田植え機のガソリンがなくなると、おじいちゃんが1斗缶と50センチほどのホースを持って来てホースの一端を缶の中に、もう一端を口にくわえ、ガソリンを吸い上げます。そして素早く田植え機のタンクに……。子供達は目をまんまるくして流れ出るガソリンを見ていました。「おじいちゃん、すっごーい!!」。また、田植えの途中、突然の大蛇侵入!これにも怯まないおじいちゃん、平然とその大蛇を追い払う――。

効率よく田植え機を使うお父さんや、ホースからガソリンを吸い上げたり、大蛇を追い払うワイルドなおじいちゃんのその姿は子供達の目にスーパーマンの如く映ったようでした。「おじいちゃんはすごい!お父さんはすごい!」の連発でした。その頃、派手に作業をする義父や主人の傍らで地味に田直し(植え残された所に手植えをする作業)をする私にはこんな言葉をかけてくれました。「腰をかがめて手で植えるお母さんの方がしんどそうね。」―――本当なら「そうそう!その通り!お母さんしんどいよ~」と言いたいところでしたが、ここは、100歩譲って(笑)「そんなことないよ、おじいちゃんとお父さんは頭脳プレーもしてるもん。お母さんなんかより、ずっと大変よね。」と、おじいちゃんとお父さんを持ち上げました。家族総出の作業の中で、改めておじいちゃんやお父さんのすごさを知ってくれたようでした。田植えが終わったその夜は、ビールや着替えを用意してくれたりして、子供達は心なしか優しかったようです。


『尊敬』の気持ちが『いたわり』になり、『目標』や『憧れ』の像にもなります。そして尊敬する人からの忠告や注意も素直に受け入れようと思えるようになるのです。お父さんやお母さんの、頑張っている姿をどんどん見せてあげてください。お父さんやお母さんでないと出来ない事をどんどんして見せてあげてください。それまで何となく感じていた『お父さんってすごい!お母さんってすごい!』の気持ちに子供達は確信を持つはずです。


この前、帰りのバスの中での事、一人の子が、ふたを触っている間に見事に分解してしまい元通りにならなくなった水筒を持って困っていました。友達が直してあげようと、あれこれしてくれますが、直りません。ついに諦めて、その子は「いいよ。お父さんに直してもらうから。ぼくのお父さんは、何でも直せるから。機械だっておもちゃだって、すぐに直してくれるよ。すごいんよ。」と自慢までし始めました。お父さんやお母さんは子供にとってスーパーマンなのです。自慢しているその子を見て、家族のいい関係が垣間見えるようで微笑ましく思いました。


田植えが終わったその日の夕食では、主人と義父が「あー、おなかいっぱい!やっぱり、お母さんのごちそうは、おいしいね。」と言ってくれ、その一言で、やっと私も子供達からの尊敬の眼差しを浴びる事が出来ました。おまけに「お母さん、田植えをよくがんばったね。」と誉めてくれました。へっぴり腰……見破られてたか(^_^;)。

私流(平成18年度5月)

こんにちは。田房葉子です。この度、10年に渡り、続いてきた“白髪せんせいのつぶやき”を引き継ぐことになりました。人にものを頼まれるとイヤ!と言えないこの性格。できるできないをあまり深くも考えず、「ホイホイ」と引き受ける。引き受けた後で、てんてこ舞いして苦しみもがく……。昔から、こんな私を両親は、『お人好し!』だと言っていました。私のその性格を知ってか知らずか、昨年度3月の園だよりでの理事長による“つぶやき引退宣言”と後任者任命……。理事長先生の足元にも及ばない人生経験と知識・教養。その後を引継ぐ事は、まだまだ未熟な私にとってあまりにも大役すぎて……と、かなりプレシャーを感じつつも、昔からの(困った)性格が手伝って、またまた引き受けてしまいました。こうなったからには、気持ちの切り替えが早いのも私……。それからというもの、私の頭の中には、何を書こうかと伝えたい色々なメッセージが駆け巡るのです。単純な性格も、なかなかいいものです(苦笑)。


『幼稚園の先生』と呼ばれるようになって早24年、これまでに出会ったたくさんの子供達と保護者の方、そして生きてきた年月の中で、私が私なりに考えている事、私の目に見えるもの、心に感じるものをこのコーナーで語らせていただけることを逆にありがたいと思って、これから書いていこうと思います。


私は、人と語り合うことが大好きです。実は、このコーナーを『葉子せんせいの部屋』に決めたのは、某テレビ局の長寿番組『徹子の部屋』……あの番組でのトークがとても好きで、黒柳徹子さんが持ち前の好奇心で、ゲストと対談される姿は実に見事だと憧れているからです。話し上手・聞き上手・のせ上手……あのヨン様?も出演し、黒柳徹子さんとこの番組で対談できた事を大変喜んでおられたとか……。人と人とのつながりは、いろいろな方法で深まっていくと思います。


会話であったり、文面でのやりとりであったり、あるいは、触れ合いであったり、それは、相手を理解して世界を拡げる入り口であると思うのです。知ろうとする事、知ってもらおうとする事がもっと楽な気持ちでできたら、人と人はもっとつながっていくような気がします。私は、この『葉子せんせいの部屋』をたくさんの保護者の方に読んでいただき、皆さんと一緒に、子育てについて・幼稚園について・世の中について(ちょっと大きすぎ?)などなど、いろいろな事をおしゃべりしていきたいし、心と心のキャッチボールをしていきたいと思っています。ぜひ、ご意見ご感想をお聞かせください。一つひとつのご意見ご感想にお返事させていただきたいと思っています。


さてさて、その第1回目、自己紹介をしておきましょう。商家に生まれ、幼き頃から幼稚園の先生に憧れ、家業を継いでほしいという両親の想いを横目に、大阪の短大へ入学。大阪で家賃15,000円のおんぼろアパートで(夢のはずだった)一人暮らし。苦学の甲斐あり、卒業後は、京都の幼稚園に就職し3年間働く。夢と現実とのギャップと都会暮らしに疲れ、結婚を決め帰郷。それでも、子供達に囲まれた生活の夢をあきらめきれずにいたところ、縁あって、ここ三次中央幼稚園に就職。現在21年目、まだまだこれからである。

12年前に三次中央幼稚園での保育実践記録『あそべやあそべ』を出版(第2弾を!と思いながらも実現しない)。就職1年目にして、結婚。商家から農家へ嫁ぐ。大変な環境の違いに戸惑いながらも、やっと最近、山・田畑に囲まれた生活の贅沢さと豊かさを実感し始めた。(年をとったせいでしょうか?)

現在、小学校6年生と4年生の娘2児の母である。4年前より、三次中央幼稚園の主任となり、小振りな身体をフル回転させながら楽しく愉快にがんばっている(つもりの)日々である。……と、このぐらいにしておきます。今後、登場する話題の中で、このプロフィールと照らし合わせながら、内容をより深く読み取っていただければ嬉しいです。


さて、理事長先生の“つぶやき引退宣言”からここまで、何人もの方から「今度は、葉子先生が書かれるそうですね。楽しみにしていますよ。」と声をかけていただきました。関心を寄せていただいていることを知り嬉しく思っています。そんな方々に「あーら、今回はただの自己紹介?!」と、がっかりさせていないかと少々心配です。でも、まずは、知ろうとする・知ってもらおうとする体制を整えたいのです。書いている私の気持ちをよりよく皆さんに伝えるためには、どのような者がどのような背景で書いているのかをも知って読んでもらいたいと思っています。これが、私流です。


“私流”といえば……、結婚して間もない頃のこと、田舎の本家の嫁として嫁いだ核家族育ちの私は、当時大変緊張していました。いい妻になる前に、いい嫁でなくてはならないと……。今思えば、全然堅苦しい家ではないのに、結婚前に私の両親があれこれ心配するものですから、私が勝手につくってしまった“お嫁さん像”に近づかなきゃと必死だったのだと思います(こんな事を思って可愛かったのも最初の頃だけで、日に日に図々しくなってきましたが…アハハ)。

そんな中、ある日、お花を生けて床の間に飾り手直ししていたところ、今は亡き義母に、「葉子さん、何流?」と聞かれました。それを聞かれた瞬間、しまった!私ってなんて無謀者!と床の間に飾ったことを後悔したのです。しかし、何とか答えないと……と、とっさに口から出た答えが……「はい、“私流”です!」それを聞いて義母は、プッとふき出し二人で大笑いしました。それから、後々まで、この話は義母によって、「うちのお嫁さんはおもしろい」と、近所の話題にされ、その事は、私が家や近所に馴染むきっかけになったのです。


そう、私流に私流に-。人は皆、持って生まれた“その人らしさ”いわゆる“持ち味”があります。私は私よ!と傲慢になり、社会性に欠けるものでは困りますが、無理して自分を取り繕ったり背伸びすることはないと思うのです。むしろ、“自分らしさ”を持った上で、語ったり、他の環境を取り入れたり、他者の意見を聞くほうが、素直に生きて行けるような気がします。


これから私も、理事長先生から引き継ぐプレッシャーに負けることなく、私流に楽しく書き続け、“私らしさ”あふれるコーナーにしたいと思っています。そして、毎回、次回を楽しみにしていただける『葉子せんせいの部屋』を保護者の皆さんと一緒につくっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
次回をお楽しみに。