誕生日(平成19年度7月)

6月20日は、理事長先生の誕生日でした。その少し前に“三次中央幼稚園”と“子供の館保育園”そして“子供の城保育園”の職員全員が集まって行われた研修会があり、その席で理事長先生にお祝いの花束を贈りました。その時のご挨拶の中で、理事長先生はご自分のお生まれになった時代背景を語られました。自分が生まれる少し前に太平洋戦争が始まった…そんな時代です。当然ですが、理事長先生がこの世に生を受けられた頃の事は、私達は知りません。理事長先生の話を聞いて、初めて(ああ、そういう時代だったんだなぁ)と理事長先生の歴史を知るのです。そして、話してくださる理事長先生もまた、この誕生日を機にご自分の歴史を振り返られたと思います。


この世に生を受けるという事は、それはそれは神秘的で素晴らしい事なのです。その日は、誰もが祝ってくれる日です。ましてや、元気で毎年この日を迎えられるなんて、これだけ危険や悪が蔓延している世の中…、当たり前のようだけれど、よく考えれば、とてもありがたい事なのです。全てのものに、この『誕生日』があります。この記念すべき日にはそれぞれの人や生き物の歴史やドラマがあるのです。


『誕生日』をそんな風に考えた事がありますか?誕生日を案外簡単に迎え簡単にその日を終わらせてはいませんか?ましてや、私だけでしょうか、25歳くらいまでは、誕生日を迎える事は一大イベントでしたが、それを過ぎればスーっと誕生日を見送りたくなる心境に駆られるのは…。でも、40歳台になると逆に開き直りかどうかわかりませんが、自分のこれまでの歴史や今まで私に関わってきてくれた周りの人達と絡ませて人生を振り返れるようになりました。


幼稚園では、どの子のお誕生日にもどの先生もが「おめでとう!」と祝ってやれるように、前日の職員会議で自分のクラスの誕生日の子をその都度紹介し合います。その子の『誕生日』を大切に思い、その子にもそれが自分にとって特別な日であるという事を感じて欲しいからです。

よく「お誕生日おめでとう!」と声をかけると「ありがとう!今日ね、おもちゃを買ってもらうんだぁ。」とか「おすし屋さんに連れて行ってもらうんよ。」などと嬉しそうに話してくれる子がいます。誕生日には、何かを買ってもらえるとか、どこかへ連れて行ってもらえる日という感覚になってしまっていないかとふっと感じます。勿論、プレゼントをしてやりたくなる大人の気持ちも、もらって嬉しい子供の気持ちも極々当然の事だと思います。ここまで大きく育ってくれた事の喜びを形にしたいのです。ですが、ただ、「おめでとう!」と祝うだけでなく、その時に「あなたが生まれた時はね…」と誕生のドラマを語ってやってほしいのです。祝ってくれる家族からその時の想いや、様子などを聞かせてもらえば子供達はどんなに望まれて命を授かったか、どんな想いで自分を育ててくれていたかを感じてくれるでしょう。


娘達が9歳と7歳だった時、姉妹喧嘩をしている様子をみて叱った事がありました。初めは些細な事だったのに色々言い合っているうちに、あとに引けなくなったのか、上の子が、「お母さんは、こんな私なんかいないほうがいいって思ってるんでしょ!!」と言い放し、二階の部屋に駆け上がってしまいました。しばらくの間あまりにも静かなので気になって様子をのぞくと、自分が生まれた時のアルバムを見ながらしくしく泣いていました。「なに見てるの?」と声をかけると、突然私に飛びついて「ごめんなさい。私がいけなかった。」とわんわん泣きながらあやまったのです。

落ち着いて話を聞いてみると、色んな人に抱っこされている写真を見て、こんなに大切に想ってくれているのに、なんてひどい事を言ってしまったんだろうと、「“ごめんなさい”の気持ちでいっぱいになった。」と言いました。それから、娘が私のお腹に宿るまでの事や、長い年月を経てやっと授かったときの感激、お腹にいる間の事、生まれる瞬間の事をたくさん話してやりました。そんな色々があって、今の自分がいるという事を知ってどのように感じたかはわかりませんが、それによって娘は娘なりに自分の生きている意味や喜びを感じる事ができたと思うのです。


生まれてわずか3~5年しか経っていない幼児でも、そんな話をしてやれば、本当の“『誕生日』を祝う意味”を感じてくれるような気がします。そして、今もその時と変わらぬ愛で守られている事を実感するでしょう。自分の歴史の始まりを誕生日に話してやってください。そうすると、『誕生日』が家族の繋がりの深さを感じあえる特別な日になるのでは?と思います。

誕生日だから…と物品で満たされる一日よりも、幸せな気持ちで満たされる一日にしてやってください。子供達だけではありません。お父さんお母さん方にも、この私にも自分の誕生のドラマがあります。子供の誕生を心から喜び慈しむ家族の愛は、親から子へ…子が親になり、その親から子へといつまでも繰り返されるのです。

さてさて、理事長先生はご自分の誕生日をどんなお気持ちで過ごされたのでしょうか?また、どんな赤ちゃんだったのかにも興味津々…。

母の日(平成19年度6月)

5月13日の日曜日は、母の日でした。皆さんのご家庭では、どのような一日を過ごされたでしょうか?街では、どこの花屋さんもカーネーションであふれていました。遠い場所に住んでおられるお母さんに送られるのであろう郵送用にラッピングされた花も、いい香りを漂わせていました。幼稚園では、先生や友達と一緒にお母さんへのプレゼント作りに子供達は張り切っていました。新入園児も慣れないクレパスを使ってお母さんの顔を描きます。年中・年長組では、のり・はさみ・クレパス全ての用具を使って工夫しながら作ります。難しくても少々大変でも、頑張って作っていました。途中で休憩する子はあっても「もう作らない!やめる!」と投げ出す子は一人もいません。だって、大好きなお母さんへのプレゼントですから……。


かく言う私も“お母さん”。ちょうどその日は、朝から所用で出かけておりました。忙しくしていたので、実家の母へのプレゼントと亡くなった義母の仏前に供えるお花の手配をして、それからは、すっかり母の日の事を忘れていました。用事を済ませて、帰宅したら、玄関にまで漂ういい匂い……。部屋に入ってみると、インターネットで開いたレシピを見ながら主人と二人の子供が、ハンバーグを作っていました。テーブルの上には、娘達からのメッセージが添えられたかわいいお花が飾ってありました。その日の夕食のメニューは、ハンバーグと大根の酢の物と畑で採って来たさやまめのマヨネーズ和え(?)と実に独創性に富んだものでした。手伝おうとしても「お母さんはいいのいいの、ゆっくりしていてほしいの!」と拒みます。できあがるのが楽しみでしたし、何より私のことを一生懸命喜ばせようとしている三人の姿がとっても嬉しかったです。


園長先生にも、広島で一人暮らしをしている娘さんから“おかあさんありがとうメール”が届き、私にも読ませてくださいました。とても嬉しそうでした。
翌日、園バスの中で子供達に、こんなふうに聞きました。「昨日は母の日だったけど、お母さんに何かしてあげた?」──すると、子供達から、「おすしを食べた。」とか「“ありがとう”って言ったよ。」とか色々とお母さんを喜ばせてあげた事が覗えました。そして、「ねぇ、お母さんの事、好き?」と聞くと当然「うん、好き!」と答えました。「どうして好きなの?」と“優しいから”とか“きれいだから”という返事を期待して聞くと、ある子がすごく悩んで、ぼそっと「ママがそこにいるから…。」と言いました。また、ほかの子に同じ質問をすると「好きなんだもん。」─「だから、どうして?」と再び聞くと「好きだから!」「好きだから好きなの!」と言い切られてしまいました。


そうなんです。よく考えたら愚問でした。理由なんてないのです。だって、ママの事ならどんな事でもどんな時でも大好きなんですもの。理由にならない言葉にならない気持ちなのでしょう。実際、自分でも聞かれたら、返事に困ると思います。“好きなものは好き!”ですよね。ただ、お母さんが自分のそばにいてくれる生活は、子供達にとって当たり前の事で、お母さんの存在が自分にとってどんなものであるか等考えているはずもありません。どんなに大切な存在かなんて、毎日の生活の中では考えることもないのではないでしょうか。『母の日』は、この日を機に“自分にとってお母さんって…”と考える日、お母さんを見つめる日のような気がします。

だんだん大人に近づき、それまでお母さんにしてもらっていた事を自分がするようになってきた時、やっと本気で“お母さん”について想うようになるもののようです。(毎日のご飯作りは大変だったろうな。)(私が病気した時は心配かけたなぁ。)(お母さんも苦労して、私達を育ててくれたのね。)等いろいろ想うと、お母さん像がどんどん大きくなってくるのです。だけど、きっとその時お母さんは、大変だとか辛いとか苦労だなんてちっとも思わず、私達を大切に…ただただ愛して育ててくれたと思うのです。だって、皆さんも、お母さんとなられた今、無償の愛で子育てをしておられるでしょう。いつの時代も“お母さん”の何の見返りも期待しない子供にむけられる愛は“静かなる大きな存在”なのです。気づこうとしなければ気がつかない愛情なのかもしれません。


お母さんの存在の大きさに気づいている子は、お母さんを大切にします。「好きだから好き!」という具体的な言葉がみつからないくらいの感覚で、当たり前の存在でいいと思いますが、一年に一度くらいは、心から“お母さん”に「ありがとう。大好き。」って言わせてやって欲しいと思います。これは、お母さんのためだけでなく、無償の愛をたっぷりもらっている子供達のためにも大切な事だと思うのです。

そのためには、お父さんをはじめまわりにいる家族の“お母さんの愛”に気づかせてやる言葉かけが必要です。「今日は母の日だから、何かプレゼントしたら?」──ではなく、お母さんの話を家族みんなでするだけでも、純粋な子供達は気づきます。『母の日』はそういう日のような気がします。お父さん!母の日こそ父親らしく…お願いしますね。そして今月は『父の日』ですからね。

帰りたくなる家、帰れる場所(平成19年度5月)

新年度が始まり1ヶ月が経とうとしています。お子さんの近頃の様子はいかがですか?(進級・入園当初は、調子よく登園してくれていたのに、最近になって朝の仕度に気分が乗らないみたい。)あるいは、(初めは泣いていたのに、今では慣れたのか、楽しそうに登園できるようになった。)……子供達の気分はめまぐるしく変化します。(昨日は泣かなかったのに、今朝はお母さんから離れられなかった。)と、昨日と今日では全然違う、といった様子もよくある事です。子供達は、「3歩進んで2歩下がる」を繰り返しながらゆっくりゆっくりと成長していくもののようです。

初めての社会生活は、子供達にとって実に新鮮で興味深いものである反面、そこに身を置く緊張感や不安はかなり大きいと思います。意識していなくても、新しい環境に慣れようと必死なはずです。どうぞ、お家に帰ったお子さんを「お帰り!」と温かくしっかり受けとめてあげてください。その時に「疲れたでしょう。」とか「しんどかった?」なんて言わないでくださいね。疲れたりしんどかったりするのは、様子を見ればわかります。あえて、自覚させなくてもいいのです。「疲れた?」と聞かれたら「うん。とっても疲れたよ」と答えたくなってしまいます。それよりも優しく微笑みをもって「お帰りなさい。」の一言で迎えてあげればいいと思うのです。これは、疲れていても明日への意欲を持たせる私流のコツです。ホッとした気分にさせてあげればそれでいいのです。


大人だって一緒ではないでしょうか?仕事でクタクタに疲れて家に帰った時「お帰りなさい。」と笑顔で迎えてもらえたら、ホッとします。大げさな表現ですが、この社会を“戦場”に、また、社会で働いて疲れ果てている人を“傷を負った戦士”と例える人がいます。戦士は平和な空気を吸いたいのです。ホッとできる場所が誰にも必要なのです。


毎年のことですが、春休みにはたくさんの卒園児達が顔を見せに来てくれます。懐かしい教え子達が「せんせーい!」と走り寄って来てくれます。随分前の卒園児達は、すっかり私の身長を追い越しています。(私の身長くらいすぐに抜かせるでしょうが…)嬉しいニュースを持ってきてくれる子、今の生活ぶりを楽しそうに話してくれる子…。

だけど、そんな明るい気持ちで来る子ばかりではありません。道に迷い出口が見つけられず、苦しみながらやっとの思いで幼稚園に来る子や、友達とうまくいかなくて学校に行くことができなくなってしまった子もいます。その時は、全ての子供達が幸せになると信じて幼稚園から送り出したはずだったのに、私達の手から離れた所で苦しんでいた事を知らされると、胸が締め付けられるほど苦しく悲しく、その子の事が愛おしくなるのです。一人の子がその後こんな言葉をくれました。『幼稚園は、私にとって全ての始まりで、ここが私の原点なんだなぁって思いました。幼稚園に行って、すごく癒されました。また行きます。ありがとうございました。』──以前にも、“葉子せんせいの部屋”で、『私達の仕事には終わりはない』と書いたことがあります。まさしくこの事です。私達の手から離れ、たくさんの人達と関わりながらいろんな思いをして生活しています。傷を負った時、疲れた時、迷った時、どうしたらいいのかわからなくなった時に、この幼稚園を思い出して来てくれる事が嬉しいのです。私達ならこの子達に何かがしてやれそうな、うぬぼれに近い気持ちになるのです。勿論、その子達は、何かをしてもらいたくて訪ねて来るのではありません。ただ、そこにあの頃の自分をわかっていてくれる先生がいるから来るのです。


先日、『五体不満足』(講談社)の著者である乙武洋匡さんが、あるテレビ番組に出演されていた時の話です。この本を出版してからというもの、テレビ出演や取材、講演会講師の依頼が殺到し、その忙しさや生活ペースの乱れによる肉体的精神的ストレスを抱え、この本を書いた事を後悔される程で、各方面からの依頼は、ご本人だけでなく、ご両親にまで……。だけど、かたくなに断り続けるお母様に乙武さんはある日「どうして、こんなに依頼があるのに、応じないの?」と聞かれました。すると、お母様はこう答えられたそうです。「私達までそちらの世界に入ると、あなたが帰る場所がなくなってしまうでしょ。私達は、傷ついて帰るあなたの居場所になりたいの。」──。私はこのお母様の言葉に感銘を受けました。家族皆が、同じ方向を見て心ひとつに一生懸命になるのも大切な事ですが、必死になり過ぎて疲れてしまったり、八方塞がりになってしまうという事もあります。疲れきった気持ちを癒してくれる場所は必要です。傷ついたり、苦しんだりしているのがわかっていても、あえて、黙って何も聞かない触れないという優しさも必要な時があるのです。乙武さんのお母様の言葉に温もりを感じました。


苦しんでいる時ふっと幼稚園を思い出して、訪ねてきてくれる子供達を私達は両手を広げて温かく迎えてあげようと思っています。嬉しい事があった時はもちろんですが、辛い時こそ“帰りたい”“帰れる”そんな場所を用意していてやりたいと思っています。
家族や家は、もっとそんな場所でなくてはならないと思うのです。

修了式・卒園式を目前に…(平成18年度番外編)平成19年

今年度最後の“葉子せんせいの部屋”です。理事長から引継ぎ、何とかこの1年書き続ける事ができました。皆さんの心に、何かを残す事ができたとしたら本当に嬉しいです。
今回は、私が、年度末になると思い出す今から14年前のある出来事をもう一章、先生の手から巣立つ子供達に、贈りたいと思います。

修了式・卒園式を目前に…』

たくさんの思い出を残して幕を閉じる3月、1年間を共に過ごしてきた子供達との別れはとても寂しい。毎年の事ではあるが、その年その年の子供達への想いがあり、何とも言えない物悲しさがある。子供達もまた、私達と同じ気持ちを味わっている。
年中・年長と続けて私のクラスだったさー君と呼んでいた一人の男の子と私との間にこんな事があった。

田 房「本当に、本当にさよならだね。先生はさー君が1年生になれて嬉しいのが半分、さよならする事の寂しいのが半分で変な気持ちよ。」

さー君「どうして?」

田 房「だって、ずっと仲良しだったのにね。」

さー君「じゃあ、僕にまかせて!」「一緒に1年生になれるようにしてあげるよ。」

田 房「ええっ!どうやって?」

さー君「校長先生に頼んであげるよ。前は園長先生(現 理事長)に頼んであげたから同じクラスになれたでしょ。(年中組から年長組になる時に彼は葉子先生と同じ組にしてくださいとお願いに行った事があったのだ。)今度は学校だから、校長先生に頼まなくっちゃダメなんだ。」

それから、入学説明会などで何度か学校に行く事があり、彼は校長先生に直々にお願いしようと試みたようだが、その勇気がなかったのか翌日幼稚園に来て「昨日も言えなかったんだ…。」と小さな声で報告してくれた。彼の本気な様子に、それは無理な話だという事をどう話してやろうかと考えると、ただただ辛かった。ついに明日が卒園式。その夜、家の電話が鳴った。

田 房「もしもし、田房です。」 電話の向こうからは、何も聞こえない。しばらくするといきなり子供の声で…

さー君「あのねぇ、ぼくと園長先生とどっちをとる?」その声は確かにさー君だった。驚いた。

田 房「さー君、どうしたの?」

さー君「あのね、さっき園長先生に電話したんだ。葉子先生と一緒に1年生になってもいいですか?って。そうしたらね、園長先生は『困ったなぁ、園長先生も田房葉子先生がいなくなっちゃうと寂しくなるからねぇ。園長先生には決められないから、葉子先生にどうするか決めてもらったら?』って言われたんだ。もうぼくにも決められない。ねぇ先生!ぼくと園長先生とどっちをとるか決めて!」

彼のお母さんの話によると、自分で電話番号を調べて園長先生に電話をしたという。私は、彼が受話器の向こうで一生懸命話している声を聞きながら泣いていた。さよならが迫っているという実感と彼の気持ちの重みを感じ、心で『ありがとう』と言いながら、ただただ泣いていた。涙声をおさえて、「さー君ありがとうね。明日はかっこよく卒園証書を受け取ってね。」…そう言うのが精一杯だった。
電話をきって、私は心を落ち着かせ、彼に手紙を書く事にした。明日はきっと涙で言葉にならないと思ったからだ。


翌日、ついに来てしまった卒園式。式の間ずっと一人ひとりの顔を見ながら、その子達との日々を思い出していた。式が終わり、私はさー君に手紙を渡した。

田 房「さー君、昨日はお電話ありがとう。これに昨日のお返事を書いておいたから、家に帰って静かに読んでね。」

さー君「うん。ありがとう。」 

田 房「また遊ぼうね。」「幼稚園に遊びにおいでね。」「元気で頑張ってね。」

一人ひとりに声をかけ手を振った。
その夜、彼のお母さんから電話がかかった。

 「お手紙をありがとうございました。彼は、声を出して読んでいたのですが、4枚目から急に聞こえなくなって…。あの子、目を押さえて泣いていました。『何だかわかんないけど、涙が出てくるんだよ。』って。」今は、まだその涙の意味が彼自身にも理解できなくても、彼の人生の中で同じような場面に出くわした時、初めてその意味をわかってくれるだろう。私はその手紙にこう書いた。

 「だいすきなさーくんへ。
きょうは、そつえんおめでとう。せんせいはいま、こころをこめてこのてがみをかいています。さーくんとのおもいでがたくさんできて、せんせいはとってもうれしいよ。よーくかんがえたんだけど、やっぱりせんせいはいちねんせいにはなりません。さーくんが、にゅうえんしてくるとき、せんせいはどんなおとこのこかなってたのしみにまっていました。そして、おもったとおりとてもすてきなさーくんでした。さーくんのにゅうえんをたのしみにまっていたあのときのようこせんせいとおなじように、こんどは、がっこうで、さーくんをまってくれているせんせいがたくさんいるはずです。これからは、たくさんのひととであい、うれしいことやたのしいこと、そしてかなしいこともけいけんしてほしいの。

『こんにちは』ってであったら『さよなら』だってあるんだよ。すこしむずかしいかもしれないけれど、そうしていくうちにもっともっとさーくんはすてきになれるんだよ。せんせいは、いつでもさーくんのみかただからね。いままではさーくんのちかくでおうえんしていたけど、こんどは、ちょっぴりはなれたところからさーくんをおうえんしているからね。きっときっとがんばってね。
さーくんのこと、ずーっとすきだよ。
さーくんのこと、ずーっとわすれないよ。
ほんとうにたくさんのおもいでをありがとう。
たぶさようこせんせいより」

教師の仕事が終わる時(平成18年度3月)平成19年3月

気がつけばもう3月、いよいよ年度末になりました。幼稚園では、一年のまとめと同時に、すでに来年度に向けての準備にとりかかっています。

4月には、満3歳児・年少組・年中組の子供達は、ひとつ上の学年になります。また、年長組の子供達は小学校へ入学します。そして、小さな子供達が新しく幼稚園生活のスタートをきります。新しい事が始まるという事はやはり夢と希望で胸が膨らみます。どの子もどの子も晴れやかに新しいスタートをきる事ができるように、私たちはこの一年がどうだったか、また、この一年で子供達一人ひとりがどんな成長を見せてくれたかを振り返ります。

あっという間の一年だったように思えるけれど、そうやって一年をゆっくり回想してみると、実にドラマチックな出来事があって素晴らしく充実した時間だったのを確信します。特に卒園を控えた年長組の子供達との思い出には、言葉にできない切ないものがあります。


卒園式という一年の中で一番センチメンタルになる大切な人生の節目の日を間近に控えて、色々と準備にとりかかっています。先日も一足早く卒園写真を撮りました。園長先生と担任の先生に挟まれて、きれいに並んでカメラを一斉に見ている年長組の子供達の様子をじっくり見ていました。

思えば2年3年前の入園式、記念写真を撮ろうにもなかなかカメラの方を見てくれなくて、人形や楽器を派手に鳴らして、ごまかしごまかしやっとの思いで撮影しました。あの日がうそのように、私の目にはどの子もどの子も立派に映りました。

あらためて『大きくなったね』と思いました。制服の袖が…ズボンやスカートの丈が随分短くなった子、赤ちゃん顔だったのに凛々しくなった子、みんな入園した頃はじっとしている事が苦手だったのにカメラマンのOKが出るまでどの子も動かないでキリリと立っている。幼稚園で過ごす数年間は、こんなにも子供達を変えるのかと驚かされる瞬間でもありました。

  
そして私達の教師としての仕事の意味や深さを考えさせられます。この子達を無事送り出した時に私達の仕事は終わるのか…そうではありません。私達は、この子達がどうかいつまでも幸せに過ごせるようにと想う気持ちはずっと持ち続けます。そういう意味では、終わりのない仕事なのかもしれません。先生としての役目の終わりがあるとすれば、たぶんずっと先でしょう。


自分のこれまでを思い出しています。もう随分前の事になりますが、印象深い出来事や言葉はいつまでも心に残るものです。幼稚園の頃友達と積み木の取り合いをしました。それは新しい積み木だったので大人気でした。相手の友達が「先生、葉子ちゃんが取っちゃった!私が先に取ったのに!」そして私も「私が先だった!」と両者譲らず…。そして先生が一言…「自分たちで解決しなさい。」

それからどうやって解決したかは覚えていませんが、先生はその後ずっと先生の机に座って私達を見ておられました。私は、幼心に(座っているくらいならこっちに来て先生が何とか言ってくれればいいのに)と思いました。

また、小学校6年の時“帰りの会”で先生が、「この時間は、明日の連絡だけではなくて、今日一日を振り返るために『知らせる事』と題して、人の良い事を発表する時間にしよう。」と言われました。それから色々見つけて班ごとに順番に毎日良い事をした人の事を発表しました。その度に名前を挙げてもらった子は拍手で褒めてもらえます。そうしていくうちに褒めてもらえる子はだいたい決まってきていました。

ある日、先生は「名前の挙げられていない人には本当に『知らせる事』がないんだろうか。みんなが、見つけてあげられていないだけなんじゃないか?」となげかけられました。何とも言えない余韻の残る言葉でした。

あの言葉の本当の意味や、あの時先生が言いたかった事が、こうして幼稚園の先生になり母親になった今、やっと理解できるようになりました。もちろん、その時その時もそれなりに納得はしていましたが、解決さえすればいいのではなく、自分達で意見を戦わせながら相手の気持ちを汲み取ったり、解決する方法を自分達で見つける意味を教えてくださっていた事、どんな人でも誰にでも素晴らしい力があって、発信するほうも受信するほうもそういう気持ちで人を見ていかなければならないという事、また、どんな小さな事でも見逃さず受信してあげれば、その人はますます力を出せるようになるんだ。と言う事をあの時教えてもらっていたんだと気づいたのです。


学校の先生達が意見を出し合う番組である出演者が、「その時にわからなくても、ずっと先で、(ああ、先生があの時言ってた事はこの事だったのか)とその子が思い出してくれた瞬間に、その先生の仕事が終わる。」と言われました。

これは、教育現場に限らず家庭においても言える事だと思うのです。教育がその子の身体と心に浸み込むのはずっとずっと先の事なのかも知れません。結婚をして父親母親になってからかもしれません。私達はこれからの人生の支えになる心に残る言葉や経験をたくさん与えて子供達に今できる最大の事をしてやりたいと思っています。今年も三次中央幼稚園を巣立っていこうとする子供達の将来をずっと祈っていたいと思うのです。

  
人生の節目が、どの子にも輝かしいものでありますように…。