平和の心を伝える(平成22年度9月)

今年の夏は猛暑日が何日も続きました。熱中症のニュースもあちらこちらで耳にし、尋常ではない暑さを感じました。この暑さは9月になってからもしばらくは続きそうです。

夏休みも終わり、子供達はたくさんの夏の思い出を抱えて幼稚園にやって来てくれました。先生達は、日に焼けた元気な子供達に久しぶりに会えてとても嬉しそうです。2学期も子供達と一緒に良い時間を過ごしていきたいと思います。

さて、今年広島は被爆65年目を迎えました。昭和20年8月6日午前8時15分、忘れてはならない日。今年も、8月6日には、格別暑い中、平和記念式典が行われました。今の子供達は、私達以上に戦争の事を実感するすべもない世代です。学校の平和学習で習っているので知ってはいますが、この日の事をどの位理解できているのでしょうか。

私の娘はこの原爆の日が誕生日です。毎年家族で誕生会をします。その時には、決まっておじいちゃんの平和談義が行われます。どうしても8月6日といえば、その話題になってしまうのです。私達や孫達に体験した事を話してくれます。「ちょうど、その時おじいさんは15歳、八千代町に飛行場をつくるための作業に借り出されて働いておったんよ。南西の空がパッと光って少し遅れて大きな音がした。だいぶすると、大きな雲が登って来て黒い雨が降ったのが見えたんよ。何か大変な事が起きたんだと思った……。」──毎年同じ話で、その話が始まると、いつもは(またこの話か…)といった様子で苦笑いをしながら聞いていたのですが、今年の子供達はとても熱心に話を聞いていました。上の子が16歳、下の子が14歳でその間の15歳の時のおじいちゃんの話なので、自分に置き換えて聞くことができたのだと思います。自分と同じ年頃に「お国のために…」と言い聞かされて身体を使って働いていたおじいちゃんの事、原爆投下時の生々しい話、その後芸備線で見た怪我をした知人の話等々、一生懸命質問しながらおじいちゃんの話を聞いていました。

8月6日は、メディアを通して色々と原爆や戦争の惨事に触れる事ができます。8月9日は長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日と平和について考えさせられる日が続きます。しかし、その時の事を語れるおじいちゃんでさえ、当時15歳、うろ覚えの体験談です。私達親も勿論話して聞かせてやれる体験などありません。

戦争を身をもって知っている世代の方々が段々おられなくなってきています。私もおじいちゃんの話を一緒に聞きながら、「こうして子供達の世代に言い継がなければ、平和に対する想いを抱く機会さえも失くしてしまうのだな。」と感じたのです。広島には、この原爆の事を若い人達に伝えようと、語り部として活動されている方々がいらっしゃいます。広島市内の学校では、街で平和を訴える学生達の一生懸命な姿も見られます。戦争を知らない子供達がこんなにも一生懸命な顔で道行く人達に声張り上げて平和を呼び掛けている──その姿を見て若い世代に繋いで行く事の大切さを感じるのです。

幼稚園の子供達にも先生達はこの原爆の日の話をします。どれだけ理解できているかは解りませんが、少なくとも広島に住む子供達は、ぼんやりとでもこの日の事を知っておくべきだと思うのです。毎年毎年繰り返し話してやる事で、年齢を重ねる度に平和に対する考えが確かなものになります。ややもすればこの世から時代と共に薄れゆく記憶を蘇らせる事が出来るのは、体験された方から次の世代に…次の世代に…と受け継ぎ伝えていく事しかないのです。

おじいちゃんの話を真剣に聞きながら、娘達には色々な事が伝わったと思いました。平和を願う気持ちは誰もが抱いているはずですが、平和な世の中にずっと生きてきた私達や子供達は、真の平和に気がついたり意識して考えたりする事がないのではないかと思います。あまりにも平和に慣れてしまっているからです。話を聞いたりその時の記録写真を見たりする事によって、その惨事を知り、その時の人達の思いはどんなだっただろうか、それからどんな気持ちでどんな努力で今の広島が復興したかと考える事もします。まだ幼稚園の子供だから…と思わないで、平和について話してやる事は必要です。まだ小さな世界でほんの数年しか生きていない子供達は、子供達なりに、自分の生活の中に置き換えて平和と幸せを感じてくれます。友達と仲良く元気に遊べる喜びや家族みんなで過ごせる幸せ、友達との喧嘩の中にもルールがある事、人を傷つける言葉や腕力の恐ろしさと悲しさ等…。これから、子供達はいろいろな事を学びます。戦争の歴史も学ぶでしょう。その中で、自分の平和観を持つでしょうが、人類が平和であり続けますようにと願う気持ちは皆が持っていて欲しいと思います。かつて死に物狂いで復興に力を注いだ方々に築いていただいた平和への願いをこれからは、私達、そしてこの子達が受け継ぎ、心から幸せを祈りながら自分達の手で平和な世の中にしていかなければなりません。

娘達が自分の誕生日を迎える度におじいちゃんの話を思い出してくれたらと思いながら、私も一緒に真剣に平和談義に耳を傾けていました。

例えば、こんな夏休み(平成22年度8月)

今日で1学期が終わりました。子供達にとっては、新しい環境に慣れるのに必死だった4月・5月。それから色々な経験を重ねてきました。その度に友達との関わりも濃くなり、一緒に生活する楽しさを知った1学期だったのではないかと思います。明日から長い夏休みが始まります。しばらくは、先生や友達に会えなくて寂しく感じると思いますが、2学期の始まりを楽しみにしながら、夏休みの間にご家庭でいろいろな事をしっかり経験させてやって欲しいと思います。

いろいろな事をしっかり…それは、どこかへ旅行をするという事ではなく、また、何かを与えて考えさせたり習わせたりする事を言っているのではありません。一言で言うならば、刺激的な生活をさせてやって欲しいという事です。子供達って、大人に見えないものが見えたり、大人には考えられない事を発想したりします。実は、日頃から子供達は「ん?あれは?」とか「わ~ぁ!すごい!」と疑問や感動の声を心の中でもあげているのです。けれど、大人は日々の生活が忙しくてなかなかその一つひとつの疑問や感動に耳を傾けてあげる事ができずにいます。そのうち子供達も忙しいお父さんやお母さんの様子を察し、あえて、目に見えた物や耳で聞こえた音、手で触った感触等の感動を伝えようとしなくなってしまいます。子供達は、感動した事を素直に「聞いて!聞いて!見て!見て!」と訴えてきます。そうした時に共感してやると、嬉しくなってもっともっと目を輝かせて世の中を見てみようとするでしょう。

夏休みは日頃より少し、子供達と関わる時間がとりやすくなるでしょう。幼稚園にいる時は、家でできない事をしっかり経験させてやりますが、夏休みは、逆に幼稚園ではできない事をお家の方と一緒に経験して欲しいと思うのです。

先日、プレイルーム(預かり保育)の子供達と外あそびをした時の事です。年長組が植えた赤く実ったミニトマトを見つけた年少組の男の子が「先生!これ!食べたい!」と言うのです。「採って食べていいよ」と言うと、他の実が落ちないように、その赤い実だけをそっとつまんで採り、可愛い口の中に入れて食べました。その後で、「おいしい!のどが乾いていたからおいしかった。」と言って走って行きました。例えば、夏休みの間におじいちゃんやおばあちゃんの家の畑で、こんな事が普通にできたら素敵ですよね。

また、年長組の子供達が大きな石を掘り出したところ、アリの巣があったらしく、それまで平和だったはずの巣が壊されて、アリ達が慌てふためき、その穴からどんどん出てきました。子供達は、あまりにもたくさんのアリだったので驚いたのか、その穴に砂をかけて埋めてしまいました。それからしばらくそのアリ達の様子をみていると、小さな砂の一粒一粒を何匹ものアリがせっせと運び、何回も何回も行ったり来たりしながら、再び巣を作り始めたのです。どんどん穴ができていくので、私も見ていてとてもおもしろかったです。そのアリ達は、けっこう長い時間かけて巣作りをしていたと思います。例えば、夏休みの間に日頃は気にもとめていなかった虫や魚の様子に眼を向けて何日も気にしながら親子で観てみる…こんな事が普通にできたらこれもまた刺激的ですよね。

ちょっぴり夜更かししても、ホタルを見つけに庭に出てみたり、夜空を見上げて夏の星を観たり…そんなゆっくりした時間を親子で過ごすのも夏休みだから、家族と一緒だからこそできる事だと思うのです。

子供達は、夏休みをとても楽しみにしています。勿論、お出かけの計画があれば、家族の思い出づくりのためにそれもいいでしょう。せっかく旅行に行くのだったら、そこが何県で何が有名でそこの特産物は何なのか等を教えてやったり、そこでないとできないものにも触れさせてやってください。刺激的だと思いますよ。3~5歳の子供には、まだ正確な情報として深い理解ができるかどうかは分かりませんが、小学生ぐらいになると自分で地図を見て、その場所を調べてみたりできるかも知れません。そんな事をしているお兄ちゃんやお姉ちゃんの姿を見るだけでも刺激的ではないでしょうか。

それともう一つ、どんどん子供達にお手伝いをさせてやってください。台所にお母さんと一緒に立つだけで…お父さんと庭の手入れや車の掃除の手伝いをするだけで、お父さんやお母さんの役にたっていると思え、家族の大切な一員である事を実感します。子供達に手伝ってもらうと逆に時間がかかってしまって、日頃はなかなか「手伝って!」とか「一緒にしようか」と誘ってやれないものです。実は子供はいつもお父さんやお母さんに「手伝ってくれる?」と頼りにしてもらいたいと思っているのです。

子供達に刺激的な夏休みを過ごさせてやれば、自分の周りにある環境に興味をもって積極的に関わり、数々の感動を見つけようとするでしょう。夏休みはその感動に家族で共感してやる時間がとれるいいチャンスでもあるのです。そう思うと、何だか夏休みが楽しみになってきませんか?お家の人達と色んな経験をして、たくさんの会話を交わしながら過ごした夏休みの後、ますます目を輝やかせて幼稚園に来てくれる子供達に会うのが今から楽しみです。

あそびは学び(平成22年度7月)

6月に入った途端、夏の始まりを感じさせる暑さがやってきました。それまでは、今年のプール開きを心配していましたが、予定通り6月1日に行う事ができました。ほぼ毎日子供達の歓声がプールから聞こえて来ます。そうは言っても梅雨に入り、これからはプールに入れない日も増えてくるでしょう。入れる時には、しっかり水に親しませてやりたいと思っています。夏にしかできないあそびをいろいろな形で経験させてやりたいものです。

先日は、年長組の子供達が水鉄砲あそびをしました。水鉄砲と言っても、幼稚園で使っている20㎝ほどの絵具のチューブの空容器です。そのふたに穴を開けて、的(まと)を目がけて色水を飛ばします。その時の的は、園庭中に張り巡らせたロープに洗濯物を干すようにつるした細長く切った紙でした。色水なので、その紙に色々な模様ができて子供達は大喜びでした。私はそんな子供達の様子を記録に残しておきたいと思い、カメラを持っていいショットを狙っていましたが、狙われたのは担任の先生や私で、私のエプロンの背中には、薄く絵具がついていましたし、担任の先生達は色水をかけまくられていました。子供達も全身を汚したり濡らしたりして大喜びでかなりダイナミックなあそびになっていました。

そんな中、はしゃいでいる子供達の中でなかなか思うように水が遠くに飛ばず、手にした水鉄砲をまじまじと見つめている男の子がいました。何度チューブを押しても「プシュッ!プシュッ!」という音ばかりで、水が勢いよく飛ばないようです。隣では勢いよく飛ばしている女の子がいます。「何が違うんだろうね」と、比べてみると水の量が違っている事に気づき、早速、チューブいっぱいに水を入れて来ました。「ちょっとやってみて」と言うと、的を目がけて遠くからでも勢いよく飛んだのでした。それから中の水が減ってくるにつれて、的に近づかないと届かなくなっていきました。「発見!発見!」と声をかけると、その男の子は何やら発見できた事が嬉しそうでした。

そして、もう一人飛ばし悩んでいた男の子がいました。その子の水鉄砲は、穴がとても大きくて、たくさん水が飛ぶだろうと思っていたのに思うほど勢いよく飛ばなくて困っていたのでした。チューブを押しても「ダクダク」と水が溢(あふ)れ出るだけで、遠くにも飛ばないし勢いもないのです。またまた「何が違うんだろうね」と声をかけると、「ここが…」と穴を見比べていました。よく飛んでいる友達の物と種類も穴の大きさも違う事に気がつきました。私が「穴が小さい方がよく飛ぶっていう事なのかな。小さい穴なのにねえ。なんでだろうね」と言うと、その子は、不思議そうな顔をしながらも、残っていたチューブの中から小さい穴の物を見つけて力一杯押してみました。すると、思った以上に遠くに飛んだので、自分でもびっくりしていたようでした。何がどうしてどうなるからこうなるのかわからないけれど、穴の大きさや水の量が、水の勢いや飛ぶ距離に関係するという事には気がついたようです。それからその二人は、遠くに飛ばすコツも覚え楽しそうに何度も水を汲み的(まと)をめがけて飛ばしていました。子供達はこんな経験を繰り返しながら、物事の原理や法則に着目するようになるのだと思います。

昨年も今年も年長組の子供達が科学あそびでお世話になっている広島国際大学の寺重隆視教授がおっしゃった言葉が印象的でした。「生活の中にはたくさんのサイエンス(科学)が潜んでいる。疑問をもったり、不思議だと思ったりする経験が必要だ」というような話でした。その疑問に対して試したり挑戦してみたりして、「やったー!!できた!わかった!」という達成感や充実感を味わえる経験を積み重ねる事が大切なのです。もっと深く知りたいと思った時にこの経験を思い出し、学びとる意欲につながるでしょう。まだ今は、理論的に教えるより、「上手くいかないな」「どうしてだろう」「こうしたらどうだろう」「これなら上手くいくようだ」「なるほどこりゃおもしろい……」───こういった経験をたくさんしていれば、「あの時にああだったから」とか「もしかしたらあの時と同じ事なのかも…」という過去の経験を土台にして、具体的な例を基に自分なりに納得していくでしょう。

この事は全てにおいて言える事だと思います。経験なくしては、立証できない事、確信できない事、納得できない事がたくさんあり、逆に言えば、過去の経験が物事の理屈を合わせてくれるものになるのでしょう。そして、そうやって得られた知識は生きた知識として頭の中に入ります。勉強ってこうしてできるのが、一番理想なのかもしれません。

寺重先生と共に「子供達に科学あそびを!」と、活動されている広島大学大学院教授前原俊信先生の話によると、学校の教科になると、時間的に限られていて、早く結論に結び付けさせなければならない現状があるらしく、なかなか探究心につなげるまでの段階や経験を見守るという十分な余裕がないようです。それならば、余裕をもって受け入れて対応してやれるのはどこかといえば、それは、幼児期における『あそび』なのだと言われていました。それを聞いた時、やはり三次中央幼稚園がやっている事は間違っていないと確信しました。三次中央幼稚園の子供達はたくさんの経験や体験を通して、知らず知らずのうちにいろんな事を学びとっています。急いで結論につなげて覚えさせるのではなく、心躍るようなたくさんの経験を積む事こそが、学ぶ事なのです。“興味”からジワジワと“探究心”へつながる『あそび』をしっかりさせてやる事…、その経験こそが、本来の学ぶ力・生きる力になるはずです。

「あそんでばっかり…」が実は大切な学びなのです。

50兆?分の1の奇跡を抱きしめる(平成22年度6月)

先日、三次中央幼稚園の姉妹園である子供の城保育園の運動会が行われ、私も園長先生と何人かの先生と一緒に応援に行きました。乳児から5歳児までの小さな子供達の笑顔がたくさん見られた微笑ましい運動会でした。保育園の運動会は子供達がまだ小さいという事と、親子が触れ合える時間作りの意味でもあるため、親子競技がたくさん組まれています。背中におぶってもらったり、抱っこしてもらったりして、身体も気持ちもいっぱいくっつき合って一日を過ごす子供達とその保護者の笑顔は本当に幸せそうで、観ている私達までもが温かい気持ちになりました。

その様子を見ながら、少し前に幼稚園のある保護者と子育ての話をした時の、「この子と私が会えたのは、何億分の1の…いえいえ、もっとすごい奇跡なんですよね。」というお母さんの言葉が思い出されました。専門的にはよくわかりませんが、体内で妊娠が成立する確率は生理学的数字で言えば3億分の1なのだとか…。毎日の子育てに一生懸命な時には、そんな事を思い出す事もないけれど、あらためてそう考えたら、この子を大切に育てていこうと思わせられる──という話をしたのです。また、ある記事には、この世で我が子に出会える事は、人が人として生まれ、ある人がある人と出会う、そして月日を重ね…そのそれぞれの確率を考えれば、50兆分の1の奇跡なのだともありました。

実は、私は結婚してなかなか子供に恵まれませんでした。その間色んな病院に通いました。病院だけではなく、妊娠しやすい身体に変えるために良い整体院があると聞けば県外にも行き、良い子宝寺があると聞けば手を合わせに出かけました。周りの人達の言葉に励まされたりプレッシャーを与えられたりしながらもコウノトリが私達のところにやってきてくれるのを一生懸命に待っていました。そして、結婚7年目にしてやっと娘を授かったのです。幸せで幸せでたまらなかったし、赤ちゃんができるって、こんなに周りのみんなが幸せな気持ちになれるんだなと我が子に感謝したのを思い出します。妊娠が分かった時、驚きと安堵からか、義母の腰が抜けて座り込んでしまった事、微弱陣痛でなかなか産まれて来てくれず、やっと産声をあげた時、タオルで包まれた娘を宝物のように抱いた瞬間の主人の第一声は「嫁にはやらん!」だった事、義理の姉が「みんなでこの子を大切に育てようね」と、自分の子のように愛おしそうに抱いて、私達も力になるよという心強い言葉をかけてくれて涙が出た事、そんな事を思い出しながら、保育園の運動会での親子の姿を観ていました。この子達一人ひとりが50兆分の1の奇跡の宝物なのだ。その奇跡に感謝して、これからこの親子は何年も色んな形の愛を育んで行くんだなぁ…。そう思うと胸が熱くなってきたのです。働きながら子育てをしている私も、娘が幼かった頃は、そんな奇跡なんて思い出す事もなく、毎日バタバタしてゆっくり話をしてやる事も聞いてやる事もできない…。知らない間に眠ってしまった娘を見て(可愛そうな事をしてしまった。ごめんね。)と頭をなでながら、謝ったことが何度あったことか。それでも、子供ながらに忙しい親の事を理解しようとして、我慢してくれていた事も沢山あったと思うのです。仕事をしているしていないにかかわらず、その奇跡の出会いを思いながら、毎日生活している人はそんなにいないのではないでしょうか?結婚して子供が生まれ家族が増え、賑やかな楽しい生活…これが、当たり前だと思っているけれど、よく考えたら、この当たり前に見える生活は実は50兆分の1の確率で自分にやってきた幸せなのだと気づくのです。

もし、この子が私のところにやって来ていなかったら…そう考えてみてください。今のこの生活はなかったし、生き方も全く違っていたでしょう。とても考えられないでしょう。子育てって、大変な事もたくさんあるけれど、それを思うと、この子には私達しかいない!!と頑張れるし、私達にしか味わえない50兆倍の幸せを噛みしめられるのです。保育園の子供達もお父さんやお母さんに沢山抱きしめられていました。抱きしめてもらえて、不幸な顔をしていた子は一人もいませんでした。

そんな保育園の運動会を観た翌日、いつものように、中門で幼稚園の子供達を受け入れました。その日は大変な雨でした。我が子が雨に濡れないように自分は濡れてでも傘をしっかり差しかけておられるお母さん。「いってらっしゃい。しっかり遊んできてね。」と優しく送り出しておられるお母さん。「行って来い!」と軽く言い放ったものの、心配で何度も振り返りながら幼稚園を後にされるお父さん……そんなお家の方々の姿を見ると、なんて幸せな子供達なのだろうと思いました。身体いっぱいで、心いっぱいで抱きしめられています。幼稚園の子供達も保育園の子供達も、これからもっと成長していきます。その間には、誉めたり叱ったり、抱きしめたり突き放したり…いろんなかかわり方をしていかれると思います。出会えた奇跡に感謝しながら、子供の事を思い真剣に向き合う事、その全てが“子供を心いっぱいで抱きしめる”という事だと思うのです。

 そして先日、50兆分の1以上の奇跡で私のところにやってきてくれた我が娘も16歳の誕生日を迎えました。夢中でここまで来て、『やっと16…』と思えたり、『あっという間に16…』と思えたり、色んな気持ちになります。娘に「おめでとう!」の言葉を贈ると、「これからもずっと家族みんなで仲良くしていこうね。よろしく。」と返してくれました。私は、“本当は、数字では表せないほどの奇跡で、あなたと出会えたのよ”と、心で語りかけました。

おおきくなるっていうことは(平成22年度5月)

今年もまた新しい春が訪れました。幼稚園にすっかり慣れ親しんでいる進級児と、何もかもが初めて…の新入園児達が入り混じってぽかぽか陽気の園庭でいろんな様子をみせながら遊んでいます。4月の間は半日保育だったので、楽しく遊んでいてもあっという間に降園時間になってしまっていました。来月からは、一日保育となり、いよいよ幼稚園生活が本格的に始まります。さてさて、子供達は幼稚園の魅力をどれだけたくさん感じてくれるでしょうか?

新年度になったら言うまでもなく、子供達は一つずつお兄ちゃんお姉ちゃんになります。この“一つ大きくなる”という事は子供達にとっては、実に魅力的で嬉しい事のようです。自分が成長したという実感がもてるのです。それは、周りの大人達がみんなして、「進級おめでとう!」とか、「お兄ちゃんになったんだね。」とか、「小さいお友達のお世話をよろしくね。」等と、持ち上げてやるからです。“一つ大きくなる”という事はこんなにステキな事なんだと子供達自身に気付かせてやることはとても必要です。

私は担任していた頃、毎年、年度末と年度初めに中川ひろたかさんの『おおきくなるっていうことは』という絵本を子供達に読んでいました。

子供達は大きくなるという事をただ単純に背が伸びた…とか身体が大きくなったとかということだけでなく、とても意味ある事なんだという事に気がついて自分への自信と、自分のする事や言う事に少しずつでも子供なりに責任をもつようになってほしいと思うのです。ご存知の方も多いと思いますが、その絵本はこんなふうに始まります。

『おおきくなるっていうことは、ようふくが ちいさくなるってこと。おおきくなるっていうことは、あたらしいはが はえてくるってこと。…………』それから、いろんな事にチャレンジができるようになる事や、我慢ができるようになる事、頭でいろんな事が自分で考えられるようになる等、心や知恵の成長にも触れています。大きくなる自分がこんなふうに変わっていくことに気づかせてくれる絵本です。今までの弱い自分にさようなら…甘えん坊の自分にさようなら…ができるきっかけをつくってくれます。そして、成長する自分像を描きながらそうなりたい!そうなろう!と思えるようになると素敵だなと思います。子供達はいつも大きくなりたいと思っているのです。

2年前の6月”葉子せんせいの部屋“で『朝の儀式』というタイトルで毎朝お母さんとの朝の別れが辛くて泣いている女の子の事を書きました。その時に登場した当時年少組だった女の子…。「今日は、早いお迎えしてねー!!」「チャッチャッと迎えに来てね!」と泣きながら自転車から降ろされ先生に抱きかかえられながら毎日登園していました。私は今年も例年のように中門で子供達を迎えながら、その女の子が、昨年、今年とメキメキお姉ちゃんになって来ているのを感じています。その子も今年は年長組…、最年長になった事が彼女にとっては、特別な事のようで、お母さんの話によると、「今年は幼稚園のリーダーだから、もう泣かないの。」と自分で言っているらしいのです。私はその話を聞いて、2年前の彼女とお母さんの『朝の儀式』を思い出し、胸が暑くなりました。なるほど、その子は今年度になって、毎日お母さんの自転車から降りて、保育室までまっしぐらに走って行きます。1~2回振り返って、お母さんに笑顔で手を振るくらいで、中門から入ったら気分一新!幼稚園のリーダーとして頑張ろうと張り切っているのです。

子供はとても素直ですから、自分の周りの環境の変化に敏感に反応します。これまでとは違う環境をすんなり受け入れられる子もいれば、なかなか馴染めなくて気持ちがすくんでしまう子もいます。しかし、どの子も何とかこの環境を受け入れたいと頑張っているのです。様子が変われば、少しくらいは抵抗してみたかったり、その時のママやパパや先生の反応を確認してみたかったりするのです。その繰り返しをしながら、色んな感情をコントロールしたり壁を乗り越えたりして、環境を受け入れられるようになって来ます。子供達自身でも、気がつかないうちに心も成長して行きます。「大きくなったね。」「お姉ちゃんになったね。」と誉めてもらえたら、(そうか!こんな感じが大きくなるっていう事なのか。)(大きくなるってすごいんだな。)と自覚します。今までの自分とは少し違ったカッコイイ自分になりたいな…と奮起させます。友達と一緒にいる時の彼女をみても大きくなった事に自信をもっている様子がうかがえます。子供達は一つ大きくなるだけで、前とはちがう自分に変身することができるのですね。これから長い人生の中で何度変身するのでしょう。見事な蝶になるまでに、さなぎになり、脱皮していく青虫…。蝶になるまでには必ずこの道を通る青虫のように、どれも子供達には必要な時間で、一つひとつの時間を頑張っているのだと思って見守ってやらなければいけないと思うのです。その女の子にも今までに色んな事があったでしょうが、こんなに立派なリーダーになりました。その事を一緒に喜んであげたいと思います。

そして、その絵本は、こう終わっています。

『……おおきくなるっていうことは ちいさなひとに やさしくなれるってこと。おおきくなるっていうことは そういうこと。またひとつ おおきくなった おめでとう みんな。』

入園・進級、心からおめでとう。これからの変身振りがとても楽しみです。