三寒四温とはよく言ったものです。寒い日が続いたかと思えば、数日温かい日が続く───こうして寒さと温かさを行ったり来たりしながら、じわじわと春がやって来るのです。早い地域では、2月の中旬には早咲きの桜が話題になっていました。もう春です。春は、何だか寂しさと喜びの入り混じる季節……三寂四喜?──寂しさと喜びを行ったり来たりしながら着実に希望の春を迎えるのです。
「“ありがとう”は “有り難し” 」
あるテレビ番組で“ありがとう”の語源について語っていました。その番組を本気で観ていたわけではなく、夕食の片づけをしながら耳にしただけでしたが、なんだか合点のいく話でした。「ありがとう」を漢字にすると「有難う」───“有る事が難しい”それは “貴重な事” その貴重な出来事に感謝する言葉になったという事でした。残念ながら、私には、ここで、語れる程の知識や語彙力がないので説得力がありませんが、「ありがとう」の言葉の大切さを考えさせられるワンシーンでした。「ありがとう」と言われて、気分を害する人はいないと思います。言った人も言われた人もとても嬉しい気持ちになります。優しい気持ちになります。当たり前の言葉だけれどこの言葉のチカラを思うと実に不思議で実に大切な言葉だとあらためて思うのです。
「お弁当屋さん、ありがとう!」
ある日の昼、職員室にいる私に事務所の先生から内線電話がかかってきました。デリバリーのお弁当屋さんが、食べ終えたお弁当箱を引き取りに来られた時、わざわざ事務所に寄って言われた事を伝えてくれました。
空のお弁当箱を滑車に乗せて運んでいるところに、子供達がやって来て「おじちゃん、お弁当ありがとう!美味しかった!」「私、前は、食べられなかった緑の豆が食べられるようになったんだよ!」「ありがとう」って言ってくれたという事でした。お弁当屋さんは、とても嬉しかったそうで、わざわざ帰りに事務所に寄ってその事を話してくださったという事でした。私は、それを聞いて、とても嬉しくなりました。事務所の先生も嬉しくなってすぐに教えてくれたのです。
「ありがとう」と言った子供達は、“当たり前の事ではない貴重な事(いつも美味しいお弁当を届けてくださる事)”に感謝したい思いを言葉にしたのです。お仕事として当たり前にしている事に対して「ありがとう」と言ってもらったお弁当屋さんは、また美味しいお弁当を気持ちよく子供達に届けてくださるでしょう。お弁当屋さんと子供達の間に何かが生まれました。
「“ありがとう”で生まれる事」
園庭で遊んでいた子供のポケットから、ハンカチが落ちました。「○○ちゃん!落ちたよ~」と私が遠くから呼ぶと、近くにいた子がそのハンカチを拾って渡してあげました。ハンカチを落とした子が「あっ!ありがとう!」と言ってポケットに入れ直しました。何でもないような場面ですが、ふたりは目を合わせて笑っていました。その間には笑顔と良い関係性が生まれたのです。
喜んでもらえた事で、自分がした行動が間違っていなかったと自信を持つ事ができます。自己肯定感が生まれます。
また、言う方も「ありがとう」の気持ちを言葉にする事で、相手に対して優しい気持ちになり、いつか自分もそんな場面に出くわしたら喜んでもらえる人になろうと考えます。
“ありがとう”の言葉には、人の心や行動に影響する大きな力があるのです。言う側にも言われる側にも、幸せな生き方の基盤のひとつが生まれます。
素直に「ありがとう」と自分から言える子供達を見ると、感謝に溢れた生活をしているのがわかります。「ありがとうは?」と子供達に言わせようとするのではなく、「ありがとう」の気持ちを持てる言葉をいつも投げかけてあげてください。「嬉しいね」「よかったね」「助かったね」……そして、感謝をいろいろな方法で相手に伝える姿を子供達に見せてあげてください。大人が、その事によって嬉しそうに…幸せそうにしている事で、それが“当たり前”ではなく“貴重な事”である事に子供も気づかされ、心から「ありがとう」と思える気持ちが生まれます。
「新しいステージに向かう子供達に……」
年度末を迎え、これまでの日々を振り返っています。3歳から5歳の子供達にとってのこの一年はとても大きな時間です。この幼稚園で仲間と出会い過ごしてきた事はある意味奇跡であって、貴重な時間である事に私達も感謝して次のステージに送り出したいと思っています。
今月には、年長組の子供達はここ…三次中央幼稚園から巣立ちます。入園して奇跡的に出会った友達や先生達と、この数年間でたくさんの経験をしながら、人との関係の築き方や自己の人間形成を培って来ました。その生活の中には、上手くいかない事や悩む事も経験しました。でも、そんな時の潤滑油やクッションまたは接着剤になってくれたもの、そして、気持ちを前向きにしてくれるチカラのもとになってくれたのは「ありがとう」という言葉(気持ち)だったような気がします。これから、また、新しい場所で新しい友達と新しい生活を送る子供達には、良い仲間に巡り合い、山あり谷ありの人生をも愉快に幸せに生きて行って欲しいと心から願っています。「ありがとう」────この言葉の持つチカラを味方に……。
今まで、この三次中央幼稚園でたくさんの笑顔を見せてくれて
───────ありがとう。
2024年2月29日 2:04 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:えんちょう先生
今月中旬、私の地域の”とんど“に参加しました。太く長い竹数本を軸に、たくさんの枝木や細竹で高く組みお正月飾りを燃やしながら、五穀豊穣・家内安全・無病息災を願いました。日頃なかなか顔を合わす事のない人達とも、とんどの火を囲んで習字を燃やしたり、お餅を焼いて食べながら大人も子供も楽しく語り合います。皆さんの地域でも、行われたのでしょうか?
「あんな事やこんな事……もう時効(笑)」
先日、40数年ぶりに私が卒業した小学校の同窓会がありました。小さな小学校なので、6年間クラス替えもなくずっと小学校時代を共に過ごした仲間達です。高学年時代を担任してくださった先生もご高齢ながらも来てくださいました。顔を見たら当時の事が鮮明に思い出され、懐かしさと仲間や先生に再会できた喜びで胸が熱くなりました。美味しい料理を目の前に、食べるのも忘れて懐かしい話で盛り上がりました。やんちゃをして先生に叱られた事、先生や仲間とふざけ合って笑いあった事、ほめられた事、喧嘩したり仲良くしたりしながら過ごした事等を思い出し語り合いました。そんな話で盛り上がる度に担任の先生が目を細めて「もう、時効、時効」と言って、みんなで笑いました。当時は、心砕けたもめ事も、悲しみも、苦しさも、こうして何十年も経つと、それすら愛おしい過去の出来事になるものなのです。むしろ、そういう事があったからこそ、今の自分があって、当時の時間がとても濃いものだったと振り返る事ができます。
最後に先生が「卒業して48年……それぞれの話を聞いたり、顔を見たりすると、何とみんなそれぞれに立派なお父ちゃんお母ちゃんになったものだと思います。」と、昔と変わらない口調で言われました。その時、同級生の一人が「僕たちは、きっとみんな先生の教えを心に宿して、大人になったと思いますよ。」と言いました。みんな「そうそう」と大きくうなずいていました。先生との出会いは、私達同窓生にとって大切な出会いだったのです。そして、仲間達とも、人として成長し合えた大切な出会いでした。
「大人にしてくれたもの」
私も、これまでに出会った教え子達が大人になっている姿を見た時、同じような事を思います。「いろいろな子がいたけれど、みんな、ちゃんと大人になるもんだな。」と。彼らが大人になるまでには、皆それぞれにいろいろな出来事があったでしょうが、その時その時の苦労や喜びは、全て、その子達が大人になるために必要だった事なのです。それなくしては、今はなかったかもしれないと思うのです。また、歩んできた道のりには、その時その時の人との出会いもあったでしょう。私はいつも、人を人として成長させてくれるのは、数々の経験と人との出会いだと思っています。”立派な大人”になるのも“立派なお父ちゃんお母ちゃん”になるのも、人から学んで来たからです。行く道行く道で出会う人達から、いろいろな刺激をもらいます。物の考え方、価値観、知識、感覚etc……。時には、その人との出会いによって、それまで自分の中で信じていた事が、覆されたり翻弄させられたりして苦しむ事もあります。それでも、「そうかぁ、そういう考え方もあるし生き方もあるんだ」と考えさせられ、自分の中に新しい知識として得る事ができます。出会う経験が多ければそれだけ出会う人も多くなります。そうすれば学びも増え世界が広がるのです。小さな世界の中だけで自分を主張し過ぎたり、人を批判したりするのではなく、「それもありだし、これもあり」と受け入れられるようになると思うのです。いろいろな考えを持ったいろいろな人がいるから、学び合えるのだと思えて来ます。その中で、自分の気持ちがストンと落ちる道(考え方、生き方)をチョイスして生きていけばいいのではないでしょうか?
「どんな出会いも自分の思い次第」
長い人生、中には、「出会わなければ良かった」とか、「自分の意にそぐわずしんどい」と思える人との出会いもあるかもしれません。でも、それと向き合っていくためには、自分がしっかりした考えを持つ事が大切だという事をも学ぶでしょう。むしろそうした出会いこそ自分を大きく成長させてくれるのかもしれません。自分の生き方や考え方を振り返るきっかけとなり、それは、自分の生き方に、ある時は確信を、ある時は改革を与えてくれるでしょう。そうしながら、人は更に味わい深い人に成長させてもらえているような気がします。そう思うと、どんな出会いも〝良い出会い”になるのです。
「大人だって子供のおかげで成長している」
子供達は、大きくなるにつれて生きていく世界をどんどん広げます。その度に新しい出会いが待っています。そこで、たくさんの経験と人との出会いによって成長して行くのです。そして、成長するのは、子供だけではありません。子供達が広げる世界を通して、親もまたいろいろな人と出会い、楽しんだり、悩んだり、涙が流れるほど悲しんだり喜んだりしながら、世界が広がって行きます。この子がいるからこそ出会える人や場所、経験できる事があると感じるでしょう。そして、親として成長させてもらえます。子供が小さなうちは子育てに必死でなかなかそう思う余裕がないかもしれませんが、子供のおかげで、ますます彩り豊かで面白い人生になっているのではないでしょうか。私も、今までの子育てを振り返って、「子供のおかげで愉快に生きる事ができている」と思うのです。
人は一生涯、人と出会いながら成長し続けるのかもしれません。出会いは新たな自分にも出会わせてくれる〝目に見えぬ財産”です。そう思うと、新しい出会いがあるだろう春が、実に待ち遠しいではありませんか!
そんな春が、もう、すぐそこまで来ています──────。
2024年1月31日 6:33 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
年末、一年を振り返るといつも「あっという間だった」と思います。これは、大人の感じ方であって、どうやら大人と子どもの時間の感じ方は違うらしいです。子ども達にとっては出会う事全てが刺激的で新鮮に受け止めます。その度にときめきながら印象深く心に残る一日一日を過ごすのです。時間を濃く感じるのだそうです。私達大人も子ども達と同じ目線で立ち止まり、ときめきながらじっくりゆっくり一年の流れを味わって行きたいものです。
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
「ちょっとした一文」
昨年末の事、私が仕事から帰宅すると家の裏口に折箱に入った干し柿が置いてありました。義理の叔母からでした。そこにはメッセージが添えられていました、「いつもいろいろとありがとう。お墓参りをしたので寄らせてもらいました。どうぞよいお年をお迎えください。」と……。留守だったので、急遽書いてくださったのでしょう。手帳の一枚をちぎって書かれた物でした。直接会えなかったのは残念でしたが、美味しい干し柿とそのメッセージで叔母からの温かい思いが心に沁みました。“ありがとう”と言ってもらえる事に恐縮し、私達家族の事をいつも思ってくださっている事に幸せを感じました。
また、近所には、野菜を作っている方がたくさんおられ時々頂きます。ある時、留守中に玄関先に白菜が置いてありました。そこにも、「出来過ぎてしまったので、手伝って食べてね。押し売りです。」というメモ書きが……。相手が気兼ねや気を使わずに済むようにという思いやりのあるこの優しい言葉に学ぶところがありました。
「ちょっとした気遣い」
幼稚園の職員出勤口の靴箱の上が、季節折々の花や置物で飾られています。12月は雪景色のトールペイントボードだったのが、年末にはお正月仕様のボードに変わっていました。これは、当番制でもなくその場所を装飾する決まりがあるわけでもなく、ある先生がいつもしてくれている気遣いです。出勤した時「今日も頑張りましょう」と先生達を迎え、退勤する時には「お疲れ様でした」と労うちょっとした気遣いです。いつの間にか、そ~っと変えてくれているのです。毎日、気持ちよく職員皆で頑張れているのも、こうしたちょっとした(大変かもしれませんが……)行いの裏に隠れた優しい言葉があるからなのです。
先日、娘が、大学時代の友達の出産祝いに行きました。6年ぶりの友達と赤ちゃんに会えるのを楽しみに出かけました。車での長旅を終えて夜遅く帰って来たのですが、楽しかった話をたくさん聞かせてくれた後、「それとね、嬉しかった事があってね。家に着いたらお茶を出してくれたんだけど、“あなたは、コーヒー飲めないからココアね”って、私が苦手な事を覚えていてくれたの。なんだか嬉しかった。その上、帰る時には旦那さんが“良かったら車の中でどうぞ…”って、紅茶を渡してくださったよ。凄い気遣いだよね。」特別な事ではなくても、何年たっても自分の事を大切な友達として思ってくれている事をその気遣いから感じ取る事が出来たのでしょう。
「ちょっとした一言」
夕方、職員室に預かり保育の年長組の子どもが大きなやかんを持ってやって来ます。夕方まで過ごす中で飲むお茶が入っていたやかんです。一日の終わりに毎日職員室まで返しに来るのです。「失礼します。」「美味しいお茶をありがとうございました。」と先生に渡してくれます。私はいつもその言葉に感心しています。きっと預かり保育の先生がそう言えるように促してくれているのでしょう。「やかんを返しに来ました。」とか「ありがとうございました。」だけでも良いのですが、「美味しいお茶を」と一言加えるだけで、感謝の気持ちの伝わり方が違うのです。先生が「美味しいお茶を……って言うんだよ」と促してくれるだけで、(本当に美味しかったなぁ。ありがたいなぁ。)とその言葉に立ち止まって考え、感謝する気持ちを持ちます。こうして子ども達は自らの思いを言葉にするようになって行きます。
また、お祝いにお花を送ったある女の子にその後会った時「あの時は、きれいなお花をどうもありがとうございました。」とお礼を言ってくれました。人にしてもらった事の何に…どこに心動かされたのかを感謝の言葉に添えて素直に言えるって素敵だなと思うと同時に、「きれいな」という一言に、その子のイメージに合う花を選んだ私の気持ちがちゃんと届いた事に、私もまた喜びを感じました。
「する側とされる側」
私達大人は、いろいろな人とコミュニケーションをとりながら円滑に社会を回しています。子どもは、そんな大人の姿を見ています。こうした「ちょっとした言動」で、周りの人を幸せな気持ちにできる事を感じさせて欲しいと思います。大人の姿を見て聞いて真似をして相手が喜んでくれたり、一緒に仲良くできたり、楽しく過ごせたりする事を子ども自身が実感していくうちに、小さいなりに心配りができる子どもになっていくような気がします。
心配りは相手を大切に思う事、気持ちを向ける事なのです。また、そうしてもらった側もその思いに気付く事が大切です。お互いに思いを寄せ合う事─────この関係性で幸せは成り立っているのかもしれません。
能登半島地震により被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。今もなお悲しみと不安な日々を過ごされている事を思い、一日も早い復旧・復興と心落ち着ける安心な暮らしが取り戻せますようにと祈るばかりです。
2024年1月6日 6:15 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
「まっかだな♪まっかだな♪つたのはっぱがまっかだな モミジのはっぱもまっかだな~♪………」─────子供達が歩きながら歌っていました。赤や黄に色づいた園庭のモミジやイチョウの木を見て、”秋”という季節を童 謡を通しても感じさせてもらっている子供達の様子になんと幸せな事かと思いながら見ていました。
子供達は好奇心の塊だと言います。見る物聞く物全てが新鮮で、身体や心の中に染み込み易いのです。五感を通して自分の周りの環境に興味や関心を持てる生活をさせて行きたいものです。
毎日のそんな生活の中、今、子供達は「音楽」に親しんでいます。子供は、耳に入る音や音楽を鋭くキャッチします。音楽に合わせて自然に身体が動き、ウキウキしたりしんみりしたりして心も動いています。日々、いろいろな歌をうたったり、曲を聴いたりしていますが、10月に行なった「わんぱくチャレンジ」では、曲に合わせて鼓隊演奏をしたり、走ったり、踊ったりしました。今度は、子供達の好きな「音楽」を楽器演奏とステージでの踊りでチャレンジしようとしています。「メロディーチャレンジデー」目前です。
「重たすぎてできないの」
クラスでの練習の様子を見ているといろいろな場面に出会います。数カ月前から子供達はいろいろな楽器に触れ、自分がその楽器を使って演奏できる事を夢見ながら練習に取り組んでいます。それは、意外にも難しかったり逆に思ったほどでもなく簡単にできたり………子供達の様子は様々です。ある日、朝、大泣きをして登園して来た年中組の男の子がいました。いつもと様子が違ったので驚きました。なんとか、抱き留めながらじっくりその子と話してみると「アコーデオンが重た過ぎてどうしてもできないの。」と言うのです。なるほど、その子は小さくてきゃしゃな体格でした。その他にもいろいろ理由を話してくれましたが、詰まるところはそこだったようでした。「じゃあ、先生にその事を話してみよう」と一緒に担任の先生の所に行って話しました。彼の気持ちが落ち着くまでしばらく一緒にいましたが、いろいろな楽器を練習している友達の様子をチラチラ見ている彼に「どの楽器が楽しそうかな?どれがしてみたいかな?」と聞くと「重たくなかったらできるかも……」とボソボソっと言いました。合奏はやりたい気持ちでいっぱいなのでした。
それから、しばらくしてその子の様子が気になり、保育室に行ってみると朝の沈んだ気持ちはどこへやら……すっきりした顔で遊んでいました。そして、練習を覗くと違う楽器を持って、実に楽しそうに演奏していたのです。先生が、いろいろ考えて彼のチカラと気持ちに合った楽器に変えていたのでした。彼のチャレンジの土俵を少し変えてあげたのです。
きっとできるよ!
練習には、担任以外にも先生達が関わりアドバイスをし合います。「もっと、木琴のここのメロディーをこうしたらきれいなんじゃないかなぁ?」とか「打楽器のここのリズムをもっと正確に叩けるといいね。」等と、練りながら皆でよりステキな演奏を目指します。
そうなると、それまで練習していた事が変わるのですから、子供にとっては一大事です。木琴を担当しているある子供達は、必死で覚えた部分の変更に一生懸命できるようになるまで練習を重ねました。どうしても、これまでの事が混ざってしまってなかなか上手くいきません。自分でもバチを動かし何度もさぐり弾きをしていました。すると、「園長先生、来て来て、こう?私できてる?」と私を静かに呼んでその部分を叩いてくれました。できていました。「そうそう!!できたね!」と言うと、すごく嬉しそうに、繰り返していました。実に満足そうでした。先生達は、挑戦するチャンスを作りその子の持つ力を引き上げてくれるのです。
ある打楽器の子も、自分の頭ではわかっていても、なかなか先生の楽譜通りのリズムで叩けないのが悔しそうでした。「こう?」「これは?」と確かめながら自主練習をしていました。5回に1回くらいは正確に叩けるのですが、完璧ではありませんでした。でも、いろいろな先生が「○○君ならきっとできるよ!すごくいい音で叩けてるもん」と声をかけてくれるのが、励みと自信になって頑張れているようでした。
子供達は、先生達の様々な手腕でチャレンジする気持ちに誘われます。僕ならできる!私なら頑張れる!と信じさせてくれる──まるで魔法の技です。
新しい自分に出会えるチャンス
チャレンジは上手くいく事ばかりではありません。挫折や試練はつきものです。チャレンジするという事は、”今の自分を超え、頑張る素敵な自分に出会える。”という事です。それまで潜在していた自分の力を発掘します。「自分ってなかなかやるじゃん」と新しい自分に出会うのです。そこにチャレンジの意味や成果があるのだと思います。大きな事でなくても、何かに向かって頑張る事を日常的に繰り返す事で、くじけない強い心や踏ん張る力が育ちます。
「メロディーチャレンジ」で、仲間とひとつの目標に向かって踊りや合奏をみんなで頑張るという事には更に大きな意味があります。友達が頑張っている姿を見て応援したり触発されたりしてできた時には一緒に喜び合う、チャレンジにくじけそうになっても励まし合えばまたチャレンジの気持ちをチャージできる─────。仲間と一緒なら乗り越える力が何十倍にもなります。頑張った先の達成感も何十倍です。クラスの友達と先生と一緒に、頑張った者にだけ見える景色を味わうでしょう。
子供達のチャレンジをどうか応援してあげてください。
2023年11月30日 5:52 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
先日、子供達が持ち帰ったサツマイモは、お家でどんな料理になって心とお腹を満たしてくれたでしょうか?すっかり秋めいて来た中、芋畑には子供達の歓声が響き渡りました。また、幼稚園内のブドウ棚では、立派な「紅三尺」という品種のブドウが実り、年長組の子供達が丁寧に収穫して皆で食べました。まさに実りの秋を実感しています。
収穫と言えば、5月に我が家の田んぼに年長組の子供達が田植えをし、黄金色に実った9月の終わりに稲刈りを経験しました。幼稚園の子供達の稲刈りは18年前から行っています。毎年、稲刈りをする度に思い出す事があります。
「真剣な時は大きな怪我はしないよ」
幼稚園の田植えは、それより数年前から経験させていましたが、稲刈りは鎌を使わせる事が危険だろうと毎年断念していました。そんな時、当時の理事長に「稲刈りを子供達に経験させてあげたいんですけど……。無理です…か…ね。」と恐る恐る相談しました。すると「やったらいいよ。」とあっさり返ってきました。「エッ、鎌で…ですか?」と問い返すと「人は、真剣にすると大きな怪我はしないんだよ。子供は初めての事だからこそ真剣にするでしょ。経験に慣れて油断する大人よりも怪我はしないよ。ひとりでやらせてごらん。大丈夫だよ。」──その言葉に、私も先生達も強く背中を押してもらいました。
そして稲刈りの日、子供達には入念に鎌の使い方を話しました。子供達は真剣に聞き入っていました。その後、一人ずつ自分で刈る子供達の顔は真剣そのもの。ふざけたりお調子に乗ったりする子はいませんでした。そして、一株刈った稲を持ち上げる子供の表情は一変して満面の笑顔でした。
あの時の「真剣にすれば大きな怪我はしない」という当時の理事長の言葉は、いろいろな場面でも思い出します。子供達は、チャレンジャーです。好奇心をもって環境と関わろうとします。アスレチックを駆け上る時、鉄棒の前回りを頑張っている時、一生懸命走る時等、ちょっと見たら危なっかしいと思われる事でも、挑戦する時の子供達は真剣な顔をしています。
なるほど、そんな時は手にも足にも気持ちにもグッと力が入っていて、大きな怪我に繋がる事は少ないようです。
真剣になれるのは「小さな危険」を経験した事があるから
では、どうして子供達は、鎌での稲刈りに真剣に向き合ったのでしょうか?─────それは、これまでに小さな危険な目に会ったり、怪我をした実体験があるからです。転んだら痛かった。血が出た。ドキッとした。怖かった。そんな痛い思いや、辛い気持ちを何かの機会に経験できているからです。可愛い手に余る程の太く硬い稲束を鎌で刈るのは、ただ事ではない……と、それまでの、いろいろな経験からわかるからです。鎌の間違った使い方をすると、どんな事になるのかが想像できるから真剣だったのです。
「小さな危険」は、この先を安全に生きるために必要な経験
子供達は好奇心をもって世の中の様々な事を知ろうとします。その中で、小さな危険をも体験しながら成長する事が必要だと思います。危ない事や物を先回りして排除し、子供達の生活の場全てに念入りな安全策を講じていたら、危険に出会わないまま大きくなります。「危ない事」の本当の意味や痛みや辛さが体験できていないため、大きな危険が予測できなかったり、危険からどう回避すれば良いか、どう対応すれば良いかを考える経験がないまま大人になるでしょう。また、他者に対してもこれ以上は人を怪我させてしまうからやめておこうとか、辛い思いをさせたらかわいそうだから……という加減ができない、自ら身を守る事も他者を大切にする事もできない人になってしまいかねないのです。それは、もっと危険な事です。
チャレンジが「何処から何処までが危険?」────を分かる子にしてくれる
チャレンジと危険は隣り合わせです。例えば、小川の向こう岸に跳び越えようとチャレンジします。跳び方によっては……または、自分のその時の力に見合わない程向う岸までの幅が広すぎては、跳び越えられず水の中に落ちてしまう事があります。そんな事はわかっていても、成功する策を考えながら何度も挑戦するうちに、危険範囲と安全な方法を探っていくのです。チャレンジの賜物です。そんな経験をたくさんして危険な事や困難な事に上手く対応して生きて行く力が育ちます。
「小さな危険」に出会った経験が未知の経験に真剣に向かわせてくれる……そして真剣にチャレンジする事で新たな自信を生む……その自信は、また次のチャレンジに真剣に取組む気持ちに繋がる。危ない事がわかっているからこそ、真剣に根気よく様々な事に挑戦できる子になるのです。
幼い内に経験しておかないと…「あぶない!あぶない!」は、もっと危ないのかもしれません。
2023年10月31日 8:54 AM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
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