思い出を紐解く(平成23年度8月)

梅雨が明け、山々の緑が一層濃く見えます。耳をすませば、セミの鳴き声も聞こえ、いよいよ夏らしくなってきました。

先日、幼稚園の先生の結婚式が行われ、先生達大勢で招かれ出席しました。その先生の旦那様は実は卒園児です。私も、年中組の時に担任しました。その頃の彼の事を思い出しながら、メインテーブルに座る輝く二人を心からお祝いしました。まさか、同僚が教え子と結婚し、そのお祝いの場に彼の事を知るたくさんの先生達で招かれる事になるなんて、とても不思議な気持ちでした。少し、やんちゃで気分屋さんだった彼が大人になり、一つの幸せな家庭を作る事を誓う姿を見て、嬉しくてたまりませんでした。

二人は、ご家族ご親戚の方やたくさんの友達の祝福のシャワーを一日中浴びていました。その友達の中に、当時彼と同じクラスだった卒園児が3人もいたのです。年長組の時の仲間です。その年長組の時の担任は平田美穂先生でした。美穂先生は、前もってスピーチを頼まれていました。その挨拶は、色々な当時のエピソードやお祝いの言葉でした。しかし、その中でも感動したのは、実は美穂先生は年長組を担任したらその年の子が卒園する時に「みんながいなくなると寂しくなるから、美穂先生に絵を描いてプレゼントして欲しいな。」と言って絵を描いてもらっていたそうです。その時の懐かしい絵を持って来ていました。21年も前の絵です。美穂先生はその間大切に残していたのです。その場に集まっていた新郎を含めて4人の絵を挨拶の中で披露しました。絵の裏には、美穂先生に宛てたメッセージが、たどたどしいクレパスの文字でつづられていました。それはそれは、美穂先生を慕う中、卒園というお別れを淋しく思う切ない気持ちが表れた文字に思えました。そんな物が準備されているとは、思いもしなかった新郎と卒園児達は、驚いていたようでした。それは、卒園児だけではなく、会場におられたたくさんの方々皆からの、「すごーい!!」と言うどよめきの声が聞こえました。

一人の人生の節目に、その子を祝う人達の中に、幼稚園時代ゆかりの人がたくさん集まっている事に、人と人との繋がりのスタートに関わる幼稚園の意味深さを感じます。美穂先生は教え子たちの成長ぶりに…また、卒園してからもずっと先生に思われていた卒園児達もお互いにどんなに嬉しかったでしょうか。その絵を描いた時の事を覚えている子もいました。それぞれに違った人生を歩んでいても、何かの時には、こうして集える仲間の関係が続いているという事は素敵な事だと思います。思い出話もたくさんできたようでした。


幼稚園の子供達には、まだはっきりとした将来が見えません。中学生や高校生くらいになると、将来の事を現実的に考えながら生活していくようになるので、その子がどんな大人になっていくかが、だいたい予想できますが、幼稚園時代から大人までの長い年月は、子供達を色んな風に変えていきます。幼稚園の先生達は、いつも、まだ先の見えない子供達の成長を長い間気にしながら過ごしています。風のたよりや懐かしく久々に会った保護者の話から、今その子がどうしているかを知ったり、手紙や年賀状のやり取りで知ったりして、安心したり心配したりしています。こうして気にしているところに、“嬉しい報告”があれば、我が子の事のように喜びます。新聞等で、卒園児の名前をみつけては、先生達で「○○君が、作文書いてたね」「○○ちゃんが入賞していたね」等と懐かしみながら話をします。先日も開幕した全国高校野球広島大会の各学校のメンバー表が新聞に出ていました。その中から卒園児の名前を一生懸命探します。どの子がどの学校で頑張っているのかをみつけたいからです。どんな人生を歩んでいて、その先どんな志をもって生きていこうとしているのかを応援したいからです。4人の絵を大切にしまっていた平田美穂先生の気持ちはそういう愛情だったと思います。その絵を久しぶりに取り出してみた美穂先生は、きっと当時の事を鮮明に思い出し、その4人だけではなくその他の子供達とも一緒に過ごした1年間を紐解いたでしょう。また、その絵を見せてもらった卒園児達も、当時の自分にふと戻れたでしょう。そして、この繋がりに感謝したのではないかと思います。

自分の事を気にしてくれている人がいるという事を知ったら、何となく心強かったり安心したりします。久々の再会で今までずっと自分の事を気にかけてくれていた事を知った彼らは、きっとこれから先も元気に前を向いて頑張れる力をもらったと思います。(こんな先生を裏切れないな)と思ったでしょう。幼稚園で得た物や学んだ事を生きる力にして自分で幸せだと思える人生を歩んで欲しい…これが、私達の幼稚園から子供達を送り出す時の願いです。幸せをつかんだ卒園児の姿を見ることができた時には、本当に安心し感動します。

まだまだ人生の通過点ではあるけれど、彼らはその絵を見せてもらった事によって、心の栄養補給ができ、これから先、また再び素晴らしい人生を歩める力を得たのではないかと思います。梅雨明けのウエディング…新郎が描いたその絵は丁度雨上がりの虹を見る自分と美穂先生でした。(お相手は変わっちゃいましたね。)

経験となんとなくが結びつく時(平成23年度7月)

段々と日差しが強くなってきました。いよいよ夏です。子供達は毎日楽しいあそびを考えて、元気いっぱい過ごしています。とりわけ、プールあそびができる日には、その時間を楽しみにしているようです。

子供達は、新年度が始まってこれまで色々な事を経験しました。春の遠足、内科・歯科検診、初めての参観日、ヒツジの毛刈り、年長組は田植えやサツマイモの苗植え、お茶のお稽古等々…。初めての事や、ずっと前から楽しみにしていた事が経験できて、子供達はドキドキワクワクの心揺さぶられる毎日のようです。その度に子供達の心の中にはたくさんの感動と発見の喜びがあったはずです。年中組の田植えについては先月書かせていただきました。5月の終わりに行なったヒツジ(クリームちゃん)の毛刈りでは、冬に着るセーターの正体が、実はそのヒツジの毛だったという事を知りました。当たり前にように着ていた時には(いったいこれは何でできていて元は何だったのだろう?)なんて考えていた子はそんなにいなかったでしょう。刈られた毛を洗い、段々きれいなアイボリー色になっていく様をみて、「ほんとだ!!毛糸と同じ!セーターと同じになってきた!!」と感動していた子供達の頭の中では、その経験と“なんとなく”がつながってヒツジと毛糸の関係が“なるほど”と納得できたのです。いつも食べているご飯やサツマイモが、実はこうして作られていたのだ、いろいろな手をかけ僕達の口に入るんだな、という事を田植えやサツマイモの苗植えで知ります。子供達が自らの経験を通して得た学びは一生の学びになります。そこには、“なるほどそうだったのか”“不思議だ!”“すごーい!”という感動があるからです。

年長組の子供達は毎月お茶のお稽古をしています。掛け軸や花、香合を見ながら季節の話を聞いたり、相手を思いやる気持ちや子供なりに場の空気を感じ、いろいろな事に気づく心が育てばと思ってお稽古をしています。そこでいただくお菓子やお茶も子供達にとっては魅力の一つとなっています。毎回、お茶の先生が季節折々の掛け軸を持って来て話をしてくださいます。5月は雨降りの田植えの掛け軸でした。「これは、何をしている絵でしょうか?」と尋ねられると、「田植え!」と即座に答えていました。その前に田植えを経験したばかりだったので、すぐにわかったのだと思います。掛け軸に描かれている苗と自分達が植えた苗が同じ物だという事も田植えの絵と自分達のその時の様子が重なりリアルに感じる事ができたでしょう。また、6月は、雨の日の夕暮れの掛け軸でした。「どうしてこの軸を持ってきたでしょうか?」と先生が尋ねられ、きょとんとしていた子供達に、「ついこの前は春だったでしょ、そして夏になるでしょ、その前に雨がたくさん降る時期があって、今がちょうどその時期で“梅雨”と言うのよ。」と教えていただき、日本の四季について知りました。雨の大切さや恐ろしさも、先生の話の中から知りました。子供達は、真剣に先生の話に耳を傾けます。「水のないカラカラの田んぼでは、みんなの植えた苗はお米が実らないのよ。」と教えてもらい、「アサガオも一緒!水を毎日あげないといけないんだよね」と、自分たちが栽培しているアサガオにせっせと水をあげていました。

「雨降りが好きな人!」と聞かれた時に手をあげた子がいました。「傘をさした時のポタポタという音が好きだから。」とその理由を言っていました。また、「雨がずっと降らないと水不足になって、野菜が駄目になるから。」と言う子もいました。逆に嫌いな理由を「外で遊べないから。」とか「大水になって洪水になって、家が流されてしまうから。」と、災害の事を思い出したように言っていた子もいました。いろんな経験や先生の話…または、家でお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いた話で、子供達の頭の中ではいろんな事が結びついたのだと思います。話を聞いて、“なんとなく”わかっていた事と、実体験を通して得られた感動が結びついた時(ああ、こういう事だったんだな。なるほど本当だ!)と“真の学び”につながるのです。その時、子供達は学ぶ楽しさや面白さを同時に得ます。もっと知りたい、もっと教えてもらいたい!という学ぶ意欲に繋がります。

自分が毎日せっせと水をあげるアサガオの葉がどんどん大きくなったり、自分達が植えた田んぼの苗がぐんぐん長くなっているのを見たりした時、または、初夏に植えたサツマイモの苗がピーンと元気に育ってきて、秋の収穫の時には更に感動を味わうでしょう。逆に、水やりをさぼってしまって、アサガオが枯れたとしたらそれはそれで、“なるほど”と学ぶでしょう。幼稚園はそういう体験がたくさん出来るところです。教えてやろうと先走って結果や結論を教えたとしても、子供達が感動できる経験が伴わないと、本当の知識として頭と心に残らないのです。

これからも、子供達はもっともっと幼稚園で色んな経験をします。“なんとなく”知っているだろう事を確かな“知識”に繋げるためにも、子供達はどんどん遊んでどんな事にも興味をもって心揺さぶられる経験を積む事が大切なのです。幼稚園生活の一日一日が子供達にはとても大切で意味のある時間なのです。

開放感(平成23年度6月)

入園・進級から2カ月が経とうとしています。新しい生活に慣れるための半日保育を過ごしていた子供達は、最初は幼稚園での短い時間でさえ、いっぱいいっぱいで長く感じていたのに、そんな子供達の中から、段々と(もっと遊びたい)(まだ帰りたくない)という言葉が聞かれるようになってきました。幼稚園生活のペースやリズムがつかめ、幼稚園の楽しさがわかって来たからでしょう。

5月に入ると、遠足や参観日を経験し、初夏の日差しや空気を感じながら外遊びもしっかりできるようになってきました。子供達の表情がどんどん変わってきているのがよくわかります。

そんな中、ゴールデンウィーク明けに、年長組が田植えを経験しました。我が家の田んぼを一枚、その日一日は子供達のために田植えができるように準備しておく…、これは、今年で8回目です。もともとの始まりは、田植えの経験等全くなかった私が農家に嫁ぎ、田植えの作業がとても気持ち良さそうに見え、歩けそうで、実はそう簡単には歩けないヌメヌメした田んぼの感触と手植えの面白さを、何とか幼稚園の子供達に経験させてやる事ができないかと、家族に相談をしたのがきっかけでした。すると、義父が「子供達に植えさせるのなら、この田んぼが一番条件がいいんじゃないかな?広いし、見晴らしがよくて、友達が植えるのも良く見えて、足を洗うところもある。使ったらええよ。いい経験になるかもしれん。」と言ってくれたので、その田を幼稚園に貸りる事にしました。こうやって始まった三次中央幼稚園の田植え、これが、私自身が家業だと思いながら田仕事を手伝っていたのであれば、大変な事ばかりが見えてきて、とても幼稚園の子供達に……等と、思いつきもしなかったかもしれません。幸い(?)にもその苦労がわからなかったことで、始める事ができたのだと思います。 

さて、田植えの当日は、園長もバスの運転手も、協力してくれる我が家の家族も田んぼに入り、田植えの仕方を指導します。子供達はあぜ道から、ヌメヌメした田んぼに一歩踏み入れるまでが、勇気がいるようで、最初はなかなか「こっちにおいで」と呼んでも、恐る恐るなので足が進みません。その日は汚れても良い短パンとTシャツ、裸足というスタイルですが、汚れる事にも抵抗を感じている子も毎年います。「汚れてもいいんんだよ」と言っても、なかなか思い切って動けないのです。

やっとの思いで自分が苗を植えるポジションに着くと、慎重に丁度いいだけの株を一生懸命植えていきます。一生懸命になっている間にお尻が田んぼの中につかり、汚れてしまう子もいます。それを何回か繰り返すうちにこの醍醐味がわかってくるのか、表情がパーっと明るく、いたずらっぽくなってくるのです。そこで、近年始めたのは、慎重に心を込めて苗植えをした後、植えていないスペースを使っての田んぼの運動会です。気分を一新して思いっきり走りまわります。それはそれは、顔も身体も泥だらけです。もう汚れなんて気にしている子はいません。むしろ、わざと、田の中に座りこんで、「いい気持ち」と喜ぶ子もいました。ほっぺや白い腕に私達がわざと泥をつけると、友達がそれを見て大笑い。「汚れていいんだよ」という言葉と先生がわざと泥をつけて汚してくれたことで、子供達にとっては先生が『ぼくらに共感』してくれたという事を確信するのです。しかし家では、とてもそうはいきません。そんなに汚れて遊んでいたら、親なら一言二言、小言を言いたくなるでしょう。それが、ここでは、「いいんだよ。いっぱい汚してどろんこになって!」と勧めてもらえるのですから…その上、汚れた事を褒めてもらえるのですから…。

子供達はいつも、ハチャメチャしてみたいと思っているのです。それは、挑戦であったり、試してみたかったり、自分を発見するチャンスをうかがっているものだと思うのです。子供の殻をほんの少しコンコンとノックしてやるだけで、その子の新たな一面を見つける事ができます。子供自身もそれによって、大げさかもしれませんが、人生が少し変わるかもしれないのです。心が解き放たれ、“自分の秘めたる力の発見”や“楽しさ発見”のきっかけを自由に感じる事ができるようになるからです。

泥んこの身体や足を洗った後は、我が家の家の周りを走り回って“探検”とやらをしていたみたいです。子供達が帰った後、家の裏へ行ってみると、可愛い足跡や石ころや葉っぱを集めて遊んだ跡があり、それがなんとも可愛かったのです。開放感を十分に味わってくれた事でしょう。だからと言って、勿論、いつでもどこでもそれがOKかと言うとそうではない事にも、いつか気がつく子供達になって欲しいと思います。そのためにも、だからこそ思いっきり開放感を味わわせる事が必要だと思うのです。そして、十分発散できたら、空気をよんで、落ち着くべき時には、(この場は違うぞ)と感じて、自分の中の落ち着いた部分を発揮するようになります。納得するまで思う存分やらせる事は、切替えもできるようになるという事なのです。自分で納得できていないまま無理やりストップをかけられたり、叱られたり、わかってもらえなかったりすると、またどこかで、発散したくていつも何だかそわそわと落ち着かない様子になる…という事もあるのです。“自分発見”のチャンスは、この開放感を味わえる経験や活動の中で得られるのかもしれません。

年長組が植えた田んぼを、その後すぐの日曜日に、見に来てくださったご家族がありました。あの時、「汚してもいいんだよ」と言ってくれた先生やその後で、「上手に植えたね」とほめてくれる家族の元で育つ子供達は何とも充実感をたっぷりと味わえた事でしょう。

「楽しかったぁ~!」と言って帰って行く子供達の顔が、また少したくましく見えました。

やねより高い鯉のぼり(平成23年度5月)

今年度が始まって3週間が経ちました。入園式にはこれまでお家の人達に大切に守られてきた生活から、いきなりたくさんの人達の中に入った事にびっくりしたり心細かったりで、涙が出た子やお母さんやお父さんから離れられなかった子がいて、とても賑やかでした。実は、それは、極々当たり前のことであって、どんなにこれまで愛情いっぱいに育ててもらえていたかがうかがえ、そんな子供達の様子が微笑ましくも見えました。そんな我が子の様子をご覧になって、お父さんやお母さんはどのように感じられたのでしょうか?(情けないな)(この先、どんな幼稚園生活になるのだろうか?)(大丈夫かしら?)(可哀そうに…)といろいろと不安に思われたかもしれません。しかし、子供達は、まだ少し、幼稚園生活の流れがわからないでいるだけなのです。

入園式の次の日から私は、毎日幼稚園の中門に立って、子供達を受け入れ、幼稚園の中に誘導します。すんなり「おはようございます!」と笑顔いっぱいで入って来る子もいれば、お母さんに抱きついて、泣きながらやってくる子もいて様々です。そうした全ての子供達を先生達は笑顔で受け入れます。幼稚園で、これから経験するたくさんのことは、必ず子供達を成長させるはずだからです。

このくらいの年齢になると、たいていの子供達は自分と同じ年頃で、だいたい同じことを考え似たような価値観を持っている仲間を求めるようになる時期です。そんな仲間のいる環境の中にいないと、社会性や協調性を自ら学びとるチャンスを逃してしまうのです。

実際、少し前までは、泣いていたある女の子が、最近では、家から持たせてもらった動物のエサ用の野菜を握りしめ、「動物さんのお野菜を持って来たから、スモックに着替えたら“なかよし動物園”に行くの」と、笑顔でお母さんと幼稚園に来るようになりました。生活の流れがわかり、幼稚園でのお楽しみの目的が見つけられたのでしょう。担任の先生もその様子を見て、「○○ちゃん!今日も動物さんのご飯を持って来てくれたんだね。あとで、あげに行こうね」と、その子をしっかり受け入れていきます。「今日は粘土をして遊ぶんだ」と、はりきって、幼稚園に来るようになった子もいます。そんな子供達は、顔の表情に穏やかさが加わってきているように思います。

大人でさえ、新しい環境の中に飛び込んで行く時、かなりの不安を抱えます。今年大学への入学が決まった卒園児の男の子が遊びに来てくれました。「どう、大学生活が楽しみ?」と聞くと「ううん、少し不安」と、言うのです。でも、その一言だけ言うと「楽しみだけどね」とも言いました。一瞬不安に思った彼も、今では、もう、すっかり新しい環境にも慣れ、友達もたくさんできて、楽しいキャンパスライフを送っているようです。誰だって新しい環境の中で、最初から何一つ心配なく過ごせるということはないでしょう。子供達も幼稚園という初めての環境を受け入れることに一生懸命なのです。その不安を少しでも、安心に変え、幼稚園の楽しさや友達や先生との生活の面白さと魅力に早く気付かせてあげるためにも、私達は、まず、そんな子供達の気持ちを受容して行きます。受け入れてもらえていることがわかれば、子供達にとって、その場所はこの上なく楽しい場所になるでしょう。

家庭訪問では、少しでも、その子の様子を把握しておきたいと色々なお話を聞かせていただいたと思います。保護者の皆様ともそうしたやり取りをして行くうちに、こんなふうに、入園・進級以来、よく泣いて登園していた子供達も幼稚園に少しずつ慣れて来ました。たとえ、まだ、涙が出ていても、お母さんから頑張って離れた子供を抱いて保育室に連れて行く間に、幼稚園の屋上で泳ぐ鯉のぼりを見せてやるとピタっと涙が止まります。屋上で泳ぐ鯉のぼりは結構雄大で見事に見えるのでしょう。小川の水に手をつけさせてやったり、カモやカメを見せてやったりすると、気持ちが幼稚園に向くのです。幼稚園の動物や小川や庭等の環境に受け入れられ、保育室へ連れて行ってやると、「○○君よく来たねぇ。待ってたよ。」と、今度は担任の先生が優しく、受け入れてくれるのです。ただ、抱っこしてくれているのではなく、頑張って来たその気持ちや、幼稚園を楽しみに来てくれた気持ち全てを理解した上で、抱きしめてくれるのです。

幼稚園の屋上で元気に泳ぐ鯉のぼりには、幼稚園の先生達の「どうか元気な心と体で、この大空を力強く泳ぐ鯉のように、すくすくと元気に成長して欲しい。それが、幼稚園と私達職員みんなの願いです。」という思いが込められています。私達は、子供達の笑顔のためにこの一年間を一生懸命頑張って行きたいと思っています。どうか、不安なことや心配なことは、何でも、私達に話してください。さあ!楽しい幼稚園生活のスタートです。今、子供達の笑顔を屋上の鯉のぼりは毎日見てくれています。幼稚園が、この一年、どうか、お家の人達と子供達のための大切な場所になりますように…。

…とこんなことを思いながら、日々、頭から離れないのは、東日本大震災の犠牲となった子供達や幼稚園のことです。毎日、メディアでは、心傷つき辛いはずの子供達が、たくさんの人達の力を借りて健気に笑顔でいてくれています。当たり前のような毎日の“しあわせ”は…実は人と人の愛によって生まれているものなのだということにも気付かされます。どうか、この子達がみんな同じように、お腹の底から晴れ晴れと笑える日が来ることを祈るばかりです。

教科書のにおい(平成22年度3月)平成23年3月

ついこの前、新年の挨拶を交わしたばかりなのに、もう3月を迎えます。1月は行く2月は逃げる3月は去るとはよく言ったものです。

幼稚園では、先日、今年度最後の保育参観を行いました。保護者の方々には、1年間の子供達の成長を観ていただけたと思います。この頃になると、“今年度最後の……”という言葉に色々な想いをはせるようになります。この節目を迎え、いよいよ新しい生活に向けて準備が始まるのです。そして、幼稚園の子供達も皆、4月にはこれまでとは違う環境を受け止め、新しい生活をしていきます。とりわけ環境が変わるのは、年長組の子供達です。幼稚園を卒園し、場所も環境も周りの顔ぶれもこれまでとは違った中で過ごします。とても大きな出来事となるはずです。お家の方々も、色々な不安を抱えていらっしゃるかもしれません。数年前、幼稚園に入園させた時の不安や心配がよみがえっていらっしゃるのではないでしょうか。ですが、そんなお家の人の心配をよそに、子供達の気持ちはいつも前向きです。年長組の子供達にとっては未知の世界ですし、不安を抱えるだけの情報や経験がないので、何もかもが新しくなるという事で、ただただ、真新しいランドセルや机を揃えてもらい嬉しいばかりだと思います。年長組の子供達だけではなく、どの学年の子も、進級する事を楽しみにしています。一つお兄ちゃんやお姉ちゃんになる事が嬉しいのです。「さすが!もうすぐもも組(年中組)さん!」「さくら組(年長組)になるんだもんね。」と言うだけで、子供達の背筋がピンと伸びるのです。これが、小学校への入学ともなれば、ことさらでしょう。かっこいい制服を着て、新しいピカピカのランドセルを背負って、自分の足で学校へ通う自分を想像して楽しみにしている事でしょう。

もう何十年も前(…と言うよりも、“昔”と言うべきか…。)の事、私の小学校入学前の事や入学式当日の事、それからしばらくの学校での生活を思い出しています。両親に買ってもらった赤いランドセルが嬉しくて、何度も何度も背負って鏡に映してウキウキしていた…。まだ何も入っていない勉強机の引き出しを何度も開け閉めしていた…。入学が楽しみで楽しみでたまらなかった…。幼稚園の卒園式の日に覚えているのは、黒い式服の先生が、「また会いましょう。」と泣いて握手をしてくれた事…。それから、入学式の日、大きなポプラが正門の両側に立つ小学校──、教室に入って見ると机の左上にひらかなで大きく私の名前が書いてあり、お母さんの手を離れ、自分一人でその机まで歩く……、その時初めてドキドキして苦しくなった。机に座ってまっすぐに向いているしかできなくて、急に不安になった事もよく覚えている。ただ、そんな中、机の上に重ねて置いてあった教科書がやけに嬉しかった。先生が何か言われるまで触ってはいけないのだろうと思いながらも早く中を見たくてたまらなかった。先生が「これが教科書ですよ。早くお勉強したいでしょ。」と言われ初めて教科書をペラペラとめくった時のあの匂いは忘れられない。今でも、教科書の匂いを嗅ぐとあの日が鮮明に思い出されるのです。それから、毎日学校へ行くのが楽しみでした。学校まで、約3キロの道のりも行き帰りが楽しかった。不安な中にも、どんどん新しい友達ができたり、先生との出会いがあったりしながら、小学校の楽しさを自分なりにみつけて楽しめていたような気がします。

長い人生色々と楽しい出来事はあるし、これからも子供達はたくさんの思い出を作っていくと思うけれど、“見守られながらの生活”から少しずつ“自ら切り開いていく生活”に移行する変化の時期には、特別な思いや思い出ができるものだと思います。不安ならそれだけに心に残る自分なりの葛藤やそれを克服した時の希望が一生の思い出となる事もあるのではないかと思います。 

 子ども達には、是非、思い出に残るその時その時の節目を迎えさせてやりたいと思います。新しい生活に飛び込んでいく子供達に、前向きに…そして楽しみにその環境の違いを受け止められるよう、修了式・卒園式までの残された日々の一日一日を送らせてやりたいと思います。どんなに新しい生活が素敵なもので、素敵な所なのかをしっかりと話し、新しいステージに送り出してやりたいのです。3月はそういう心の準備期間だと思います。そうは言っても、実は、先生達も、これまで一緒に過ごしてきた子供達とのお別れは心から寂しいのです。今まで築いてきた、子供達と先生にしか見えない絆もできているはずです。“あうんの呼吸”が、クラスの中ではできている気がします。そんな子供達とは、できれば、このままずっとこれからも一緒に過ごして行けたら…とさえ思います。それは,もはや“教師”としてではなく、“人”としての感情になってしまいます。

しかし、子供達はこれからも、もっともっとたくさんの人と出会い、たくさんの感情を覚え、たくさんの事を学びとって生きていかなくてはなりません。そのための節目です。「あの時に言ってもらった言葉」「あの時の匂い」「あの時の温もり」等、心に一生残る節目にしてあげてください。その言葉・匂い・温もりはきっと思い出を映像にして脳裏に呼び起こしてくれるものになるはずです。次に迎える世界も素敵な所、そこで出会う人達もきっと素敵な人達…どうか、その中で、みんなが笑顔を絶やす事なく過ごせますように…。