親離れ子離れ(平成25年度6月)

新年度を迎えて早2ヶ月が経とうとしています。幼稚園の子供達も新生活に少しずつ慣れて来て、それぞれに個性を見せてくれるようになりました。そんな子供達の様子を毎日楽しく見ています。

我が家にも、新生活のスタートを切った娘がいます。この春、大学に進学し、初めてのひとり暮らしをしています。娘が家を出てから同じく2ヶ月、親として様々な事を考えさせられています。

この18年間ずっと傍にいて、どんな変化にも気付き、必要とあらばいつでも手を差しのべてやれていたのに、急に、そうする事ができなくなった寂しさ、そして、何もかもが見えていたのに、今何をしているのかもわからないという現実に、周りの人達が「寂しくなったでしょ」と声をかけてくださる意味がこういう事だったのかと思い知らされています。

引っ越しの日、娘を置いて帰る別れ際に、やはり心細くなったのか、娘が急に抱きついて「おかあさん」と泣きました。私は、泣きじゃくる娘の背中をさすりながら、「大丈夫よ!あなたには、色んな事を乗り越えてこの新しい生活を手にした力があるんだから、これからもきっと頑張れるし、楽しく過ごせるはずよ!」と言って笑顔で別れました。けれど、私も帰りの車中、別れ際の娘の顔を思い出し、こらえきれず涙が溢れ出て止まりませんでした。それから、1週間くらいは、毎日電話をかけたりメールをしたりしていましたが、あの別れの涙がウソだったかように、段々と娘から連絡してくる事がなくなってきました。連絡がないので、心配して電話をかけると「なあに?」と、あっさりした反応…。期待していた反応と違っていて特に用事があったわけでもなかった私は、咄嗟に「何してるかなあって思って」と言うと、「特に」……実にいまどきの若者の台詞…。一瞬、(なによ!心配してやったのに!)とイラッとしましたが、主人から「用事もないのにいちいち電話するな。よっぽど困った時や我慢できなくなった時には、自分から連絡してくるから。」と言われ、実は自分が子離れしていない事に気が付いたのです。

それからは、諦めもあり、私からもあまり連絡をしなくなりました。たまにしてくる娘からのメールや電話では、毎日自炊を頑張っている事やアルバイトやクラブの事等を話してくれたり相談してきたりします。少し前に、新しい生活の緊張や疲れからか、体調を崩したようで、病院に行って検査をしてもらったという電話がかかった時には、知らない土地でさぞ心細かっただろうと思う反面、しっかり自立しようと頑張っている事に安心したりもしました。最近では、電話で話しても、「自分で考えてみる」とか、「調べてみるわ」とか「やってみようと思ってる」と、自分で自分で…と生き生きと過ごしているのを感じられるようになりました。

たった3歳~5歳の幼い子供でも、自立願望はあります。着替えを手伝ってあげようと思ったら「自分でする!」と拒む事がありませんか?危なっかしい事に挑戦しようとしたり、親が言う事に反抗したり、なかなか親の思うようにならなくなってきたのを感じることがないですか?これは、自立の始まりです。でも、それに気がつかなくて…というか心配が先に立ち、つい手伝ったり口を出す事で、“私は心配しているの”という気持ちを押しつけてしまうのです。少し、子供を信頼してやらなくてはいけないのかもしれません。それは、ある意味、自立させるための『親の我慢』だと思います。手をかしてやったり、先に結論を出してやったりする方が安心ですが、育とうとしている力を足止めさせてしまっているという事に気が付かないといけないのです。親子の間に信頼関係があれば、困った時には、必ず頼ってくるでしょうし、なんらかのSOSを出してくるでしょう。

親として、すべき事は、安易に手を差し伸べる事ではなく、いざという時に、自分で考え解決できる『選択肢』をたくさん持った子供に育てる事、そのためには、いつも、親子でいろんな事を考え意見を出し合い認め合う生活をして行く事だと思います。幼児でも、お父さんやお母さんが言ったりしたりする事を見たり聞いたりしながら、生きて行く方法をいくつも引き出しにしまっておき、時期が来た時に自分の生き方のお手本として、引っ張り出してくるのです。

親にとっては、子供はいくつになっても子供です。心配で心配で、それはそれは可愛くて可愛くて、大切で大切で…。幼い頃は、「お母さん大好き!」「お父さん、遊んで!」と言葉や態度で自分の事を求めていてくれる事を実感できますが、少し大きくなってくると、そんな事も言ってくれなくなります。そうなると、親は、少し寂しくなってくるのです。親離れの時期を素直に喜べず、必要以上に干渉したくなってくるのです。だけど、心配しなくても、子供達は、お父さんやお母さんに感謝しながら生きていきます。愛を充分に感じてくれている事に私達親は自信を持って、年齢や時期にあった子離れを上手にしていく事が大切ではないでしょうか?危なっかしくても、自分の考えで行動しようとする子供を先回りして助けたい気持ちをグッと我慢して見守る、応援していてやることが、長い目でみる『愛情』だと思います。もしかすると、親離れより子離れの方が難しいのかもしれませんね。

わかっているのに、娘に送る荷物の中に頼まれてもいない物まで買って荷造りをしている私。ホント、親ってバカですね。私の両親もあの頃、今の私と同じ事を思っていたのかな?あぁ、ありがたい。

同窓会(平成25年度5月)

幼稚園の庭の木々にハナミズキやリキュウウメ、ヤエザクラの花がきれいに咲いています。冬の間、寂しくなっていた枝先には、それぞれに新芽が芽吹き、幼稚園の生活の始まりと同時に新しい命の始まりや自然の逞しさを感じます。

幼稚園に入園したばかりの可愛い新入園児達は、自分の部屋や先生がわかり、少しずつ緊張もほぐれてきているのがよくわかります。進級児達は、お兄さんお姉さんになった事が嬉しいようで、小さいお友達のお世話を一生懸命しようとしてくれています。この子達も少し前までは、不安そうに先生にくっついていたのに…と思い出し苦笑してしまいます。新しい事の始まりにはいつもウキウキします。こんな新年度の様子をもう何年見てきたでしょう。

新年度を迎える少し前に、三次中央幼稚園の先生達にとって、とても嬉しい事がありました。三次中央幼稚園の歴史の中で初めての同窓会が行われたのです。発起人は昨年度の『葉子せんせいの部屋』10月号に登場している17年前に幼稚園を卒園した男の子です。彼は、何年経っても幼稚園の事が忘れられなくて、事あるごとに連絡をくれたり顔を見せに来てくれたりします。私達先生にとっても大切な可愛い子供ですが、彼にとっての幼稚園は今だに居心地の良い場所なのだと思います。いつの頃からか、幼稚園に来る度に「先生!幼稚園の同窓会をしようや。」と、言ってくれるようになりました。「招待してよ。」と言うと、初めは、「俺、そんな事できないし…」「数人でもいいからしようか。」と連絡をいつもとっている友達を呼んでささやかな同窓会をするつもりでいたようでした。しかし、その気持ちを知って彼の同級生である鳥谷芽似先生やもう一人男の子も手伝ってくれ、それぞれに連絡をとり合い結局20名くらいの卒園児が出席してくれる事になったと嬉しそうに報告に来てくれました。その年の子供達の事を知っている先生にもできるだけ声をかけてくれました。理事長先生や奥様も招待し、同窓会当日を楽しみにしていました。企画した彼は、随分責任感と使命感に重圧を感じていたようでしたが、楽しかったあの頃の仲間達に会いたい!先生達に会いたい!会わせたい!…その一心で一生懸命準備をしてくれました。その甲斐あって、当日は、懐かしい教え子達の顔を見ることができました。先生達は当時のクラスだよりやアルバム等を持ち寄り、みんなで見てその頃の事を思い出しました。また、一人ずつ近況報告もしてくれました。同級生同士で結婚している子もいました。産まれた子供の写真を見せてくれて、まるで、孫(?)を見るような気持ちでした。

色んな話の中で、「先生!本当に楽しい幼稚園だった。先生のあの歌が懐かしい!」「段ボール箱をいっぱい使っていつも何かを作っていたのを思い出す!」「はだかん坊になって、絵の具を身体に塗りまくったのがすごく楽しかったなぁ」「音楽発表会…した!した!バチで叩くシンバルだった!」と、次から次へと蘇る思い出話で、盛り上がりました。もう随分時が経った今でも幼稚園の事を覚えていてくれる事に私は感動しましたし、それを「そうそう、そんな事あったよねぇ」と言い合える仲間との付き合いが、今でも続いている事を嬉しく思いました。幼稚園の出会いが、人生の単なる通過点に終わらないで、その出会いを大切にするきっかけができた事も嬉しい事でした。

幼い頃は、大人が間に入ってこその繋がりだったのが、いつの間にか、子供達だけのいい関係ができ、その繋がりを深めていたんだなと思うと、感慨深いものがあります。理事長先生も、そんな卒園児達の様子を目を細めて見てくださっていました。同窓会の締めは、理事長先生のお得意のマジックでした。理事長先生は、昔から、子供達にたくさんのマジックを見せてくださっていました。中でも、頭のてっぺんから入れたコインがお腹の中を通ってお尻から出てくるマジックが、子供達の一番のお気に入りのマジックです。今でも子供達に時々見せてくださいます。そのマジックを久しぶりに見た卒園児達は、食い入るように理事長先生を見ていました。お尻から出た瞬間に拍手と大爆笑でした。「覚えてる!覚えてる!懐かしい!」と教え子たちが騒ぎます。大人のはずなのに、その一瞬は5歳児の顔になっていて、とても可愛かったです。

同窓会が終わって、帰宅してすぐ、お世話役をしてくれた子に「ありがとう。」の気持ちをメールで伝えました。「安心したのとみんなが楽しそうなのを見て本当に俺も涙出そうだった。」と返してくれました。芽似先生も「先生達がたくさんの事を覚えていてくださっている事と今でも大切に思ってくださっている事が嬉しかったです。」と……。また、手紙を書いて、感謝を伝えた先生もいました。本当にこの同窓会を企画してくれて、また、あの頃の事を思い出させてくれた事、幸せな気持ちにさせてくれた事への感謝の気持ちを伝えずにはいられなかったのでしょう。私達の仕事は、子供達が卒園するまでの間だけでは終わらないと思っています。その子達がこの幼稚園から巣立って行ってその後どんな人生を歩み、どんな状況の中で生きているかをいつまでも気にかけ、見守り、いつでも応援し、必要であれば、出来る限り手を差し伸べたいと思っています。それが、私達の“仕事”だと思っています。同窓会で笑う子供達は、私達の大切な大切な教え子で、その子達を育てながら私達もまた育てられたのです。あらためて、私達の“先生”という仕事の意味や、役割、責任そして、その素晴らしさを痛感しました。

今、幼稚園では、彼らより数段小さな子供達を迎え、あの頃と同じ様に新しい生活を送っています。この子達に、将来、また「先生!同窓会しようよ」と言ってもらえる時がくる事を楽しみにしながら、そう思ってくれる関係が築けるよう、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。

子は親の鏡、親は子の鏡(平成24年度3月)平成25年3月

立春からここ、春を思わせる温かい日がやって来たと思いきや、寒さが戻る……。冬から春へのバトンタッチを名残り惜しんでいるように感じます。でも、明日から3月、これからどんどん日差しが柔らかくなってきて、花壇の土から顔をのぞかせているチューリップの芽も喜ぶ事でしょう。
幼稚園では、この一年の締めくくりと新しい年のスタートをきる準備に取り掛かっています。特に年長組の子供達にとっては、小学校への入学という未知の世界への準備です。ランドセルや机を買ってもらったり、体験入学をしたりして、いよいよ気分が盛り上がって来ていることでしょう。

この子達が入園した3年前の事を思い出します。朝、「おかあさんといっしょがいい!」と、中門で涙が出たり、お部屋に入ってもお家が恋しくて「かえりたい!かえりたい!」と先生の後を泣きながらくっついて歩いていたり、自分の思い通りにならなくて、友達とすぐに喧嘩をしたり……色々でした。それから今までの3年間の様々な経験は子供達をとても大きくしてくれました。どの子もどの子もそれぞれに成長を見せてくれます。その成長を見つけた時に、私達は大きな感動と喜びを感じます。

3年前、泣き虫だった男の子がいました。中門で出迎える私は、お父さんやお母さんの後ろに隠れ、目に涙をいっぱいためてやって来る彼を毎日見ていました。何とか保育室に入っても、しばらくの間はしくしくと泣き続けていました。そんな彼も、年中組・年長組となるたびに心も体も大きくたくましくなっていきました。保育参観の『おまつりごっこ』では、お遊戯の代表を務めたり、発表会では、堂々と自分のパートを完璧にやりこなし、劇あそびをする時も自分の台詞をとても大きな声で言える……こんな一つひとつの事が、彼に自信を与え、たくましく頼もしくしてくれたのだと思います。
ある日、私は、その子の担任の先生に用事があり、保育室に内線をかけました。しばらく呼びましたが先生が出ません。電話を切ろうと思ったその時、「はい、もしもし、さくらA組です。どちら様ですか?」とはっきりした声。「田房葉子先生ですが、あなたはだあれ?」と聞くと「○○です。何のご用事ですか?」と聞き返します。

「先生にご用があるんだけれど、おられますか?」と聞くと「少し待ってください。……今いません。」「じゃあ、先生に葉子先生から電話があったって伝えてください。」と言うと、「はい。そう伝えます。」と言って電話を切りました。その時の電話の彼は、とても3年前の泣き虫な彼ではありませんでした。先生にその事を話すと「他の子は、電話に出ようとはしないのに、彼だけは、堂々と出れるんです。」と教えてくれました。彼のその成長ぶりにも驚きましたがそれとは別に、電話の対応ぶりにも感心しました。お家で教えてもらっているのだろうと、ある日お母さんに聞くと、「教えた事なんてないんですよ。私もびっくりです。」と言われました。今の時代、悪質な電話による色々な被害があり、そこには様々な問題はあるかもしれませんが、それはそれとして、人とこのようなきちんとしたやりとりができる子に育っているという事は嬉しい事だと思います。お家の人から教えてもらったわけではないという事でしたが、きっと、彼はいつも、お父さんやお母さんが電話をされる様子を見たり、話し方を聞いたりしていたのだと思います。子供は、大人のする事を本当によく見ています。お家でも、担任の先生の口調を真似て話をしたり、おままごとや幼稚園ごっこをしている様子に幼稚園の先生の姿を垣間見ることがありませんか?私達、先生の事も見られているようです。

昔、まだ娘が小さかった頃、洗濯物をたたむお手伝いをしたがるので、タオルやソックスをたたませたところ、私のたたみ方にそっくりでびっくりしたのを思い出します。教えた事などそれまでなかったのに…。そして、お味噌汁やコーヒーなどをお椀やカップの底に少し残してしまう私の悪い癖を娘が同じようにしているのに気が付き、慌てて娘に注意した事もあります。“親は子の鏡”…そのまま学んでいきます。良い事も悪い事も…。だって、お父さんやお母さんがする事は全部正しい事だと信じているのですから。責任重大!!電話に出てくれた年長組の彼も、お母さんが電話に出た時の一部始終をちゃんと見て聞いていて覚えたのでしょう。それはそれは、お母さんそっくりな優しくてはきはきとした口調でした。また、私達大人も、自分を真似ている子供達を見て、“子の振り見て我が振り直す”“子は親の鏡”で反省させられたり、責任を感じたりしながら日々子育てをしていかねば!と思うのです。教えないと学べない事、教えなくても学べる事、教わらなくても学ぶ事が、それぞれたくさんあります。親の態度や言動が、子供達の生活の中に当たり前のように出てきます。その子をみれば、どんなお父さんやお母さんかがわかると言います。親は、手ほどきしながら教える事だけではなく、きちんとした事を普通にしている事そのものが子供への教育なのです。背筋が伸びるようです。『反面教師』という言葉もありますが、それは、まだまだ先の話。子供達が、もう少し大きくなって、物事の分別がつくようになってからの事…。今は、子供達にとって見習える素敵なお父さんお母さんでいてやってください。

おてがみごっこ(平成24年度2月)平成25年2月

新しい年を迎え、はや1ヵ月が経ちました。幼稚園での一年も残すところあと2ヵ月となりました。この頃になるといつも卒園や入学・入園の事を思い、春が近づいて来る事が寂しかったり待ち遠しかったり…複雑な気持ちになります。この2ヵ月の時間を大切に過ごしたいと思います。

幼稚園では3学期になり、クラスで色々なあそびが流行っています。お正月にお家の人とカルタで遊んだのでしょうか?カルタ取りが前より上手になっていたり、たこ揚げをしたり、すごろくで遊んだりしています。先日の参観日にも“お正月あそび”をテーマに、各クラスでは、カルタとり大会や福笑いや文字あそびをしました。幼稚園でするそれらには、意味を持たせています。カルタをとりながら文字に興味を持ち、その文字を使えば気持ちを伝え合う事ができるという事を知ります。すごろくの数字を見てコマを進めながら数の概念を知ります。ここから、“学びたい!”という気持ちが沸き起こってくるのです。

もうひとつ、幼稚園で流行っているあそびがあります。“お手紙ごっこ”です。先生が用意したハガキに、送りたい人宛てに文字や絵を書いて送ります。クラスに設置したポストに投函(?)するのです。それを郵便屋さんに扮したお当番さんが宛先を見て配達に行きます。毎年この時期になると職員室にも「えんちょうせんせい!!ゆうびんで~す」「ようこせんせい!ハイどうぞ!」と得意気に配達に来ます。そのハガキには、それぞれに色んな事が書いてあります。『いつも、たくさんおはなししてくれてありがとう』『たうえのしかたをおしえてくれてありがとう』『このまえ、パンやさんであったよね』と自分の気持ちを伝えてくれます。私達は、その返事をまたハガキに書き、そっとその子のクラスのポストに入れておきます。このやり取りがとても嬉しそうです。

小学6年生を対象にした文部科学省の調査によると、近年ハガキを書けない…どの場所に何を書けばいいのかがよく分かっていない子が増えているという結果が出たらしく、自分の名前や相手の名前、郵便番号はどこへ、ということがわからないらしいのです。郵便番号を書く場所に枠をはずれて携帯番号を書いた子もいたようで、この話には驚きました。でも、よく考えると子供達がハガキを書く機会も習慣もなかなかなく、仕方ないのかもしれません。今や子供達でさえ、自分の気持ちを伝えたり相手の様子を知ったりする手段は、ハガキや手紙よりも、メールでのやり取りなのかもしれません。その方が早く情報交換ができるし、結論や解決も早いのです。それはそれで、スピードの世の中、便利で必要なものなのですが、手紙やハガキの良さや味わいを知らないで、メール等の便利な方法を知ってしまったら、“便利さ”すら特に感じることなく、それが当たり前になってしまうでしょう。手紙やハガキの方がメールよりもいい場合があるという事も知っていてほしいと思います。手紙はひと文字ひと文字書きます。少なくとも、その間は、相手の事だけを思い、(どんな顔でこの手紙を読んでくれるだろうか?)(喜んでもらえるかな?)(お返事くれるかな?)とウキウキしたりドキドキしたりしながら心を込めてじっくり考えながら書きます。その間を楽しむことができるのです。この『間』に、自分を振り返ったり、ゆっくりと相手の事を想ったりできるのです。これは、結果が出るまで少し時間がかかる事の良さや楽しみ方とも言えると思うのです。そして、しばらくして、相手から返事が届いたら、またウキウキドキドキしながらその手紙を読みます。やっと自分の気持ちを伝える事ができた!…その時の喜びはメールにはないものがあると思うのです。

実にアナログ的発想なのかもしれませんが、昔から伝わってきたカルタとりやすごろくでさえ、形を変えてゲームのソフトになっている時代です。一人で楽しめる時代…気持ちのやり取りや探り合いなど不必要になってきます。人と人との関わりの必要性を感じずに大人になってほしくないと思います。人と人とが関わるという事は、そんなに簡単なことではなく、気持ちを探ったり想いやったりして、心を通い合わせる事ができるようになるまでには、忍耐や心配りをするいい『間』が必要なのです。この『間』を手紙やハガキのやり取りで味わう事ができるような気がします。

「ようこせんせい!おへんじまだぁ~?」と返事を待ちきれない子供が聞きに来ます。「もう少し待っててね」と言うと「は~い!待ってる!」と、まだかまだかと待ってくれています。やきもきしながらポストの中を楽しみにしてくれています。届いた時には、「ようこせんせい、おへんじどうもありがとう」と返してくれます。この時間のかかるやりとりが、何となく素敵じゃありませんか?

全て、スピードの世の中になる事が少し怖いような気がします。時間をかけ心を込めて自分の気持ちや喜ぶ事を書いてあげたい!と思い、ひと文字ひと文字一生懸命書きます。そして、それを手にして読んだ時、その文字から感じるその人の優しさや思いやりに触れ、二人の関係がまた深まるのです。

“アナログカルタ”や“アナログすごろく”“アナログ通信”の楽しさが分かる子供でいてほしいと思います。人と人との関わりはこれから先も変わることなく“アナログ”だと思うからです。

先生と子供の間に育ったもの(平成24年度1月)平成25年1月

新年あけましておめでとうございます。

年をとってきてからでしょうか、ついこの前もこのご挨拶をしたような気がします。こうして毎日慌ただしく過ごしていると、大切な物や大切な事を見落としたり見過ごしたりやり残したりしいないかと、年末になるといつもその一年がどうだったかを思い返してみます。そして、新たな気持ちで新しい年を迎えるのです。惰性的に過ごしがちな毎日にふと立ち止まり自分を振り返ってみる──お正月は、そういう意味でも、大切なものであると思います。今年一年も、皆様にとって充実した年になりますように…。

さて、幼稚園では12月の中旬に、来年度の新入園児面接を行いました。まだまだ集団での生活を全く知らない小さなあどけない子供達ばかりです。現在幼稚園に通っている子供達も、かつてはみんなこんな感じだったなぁと懐かしく思い出しました。そんな子供達が、12月初めに行われた“フロアーコンサート”で見せてくれた姿は本当に素晴らしかったし、それまで積み上げられたものが目に見える技術の上達や姿勢だけではなく、見えない成長もある事を感じ感動させられました。

“フロアーコンサート”後も、保護者の方からたくさんの感想をいただきました。どの感想にも、一生懸命に頑張った子供達や先生の事を認め感動してくださった事が書いてありました。年少組のお遊戯は、我が子の可愛さを引き出してもらえたソーイング隊(子供達のステージ衣装を縫ってくださる有志の保護者)の方々への感謝の言葉も添えられていました。「たくさんのお客様の前で笑顔で踊れた事に感動しました。何年か後には、年中・年長組さんのような立派な演奏ができるようになるのかと思うと今から楽しみです。」と期待の言葉もいただきました。合奏に関しては、「全く楽譜も音符も読めない、楽器も見た事がない…そんな子供達にどうやって教えておられるんですか?」──これは、毎年必ず聞かれる質問です。これは、園長曰く『中央マジック』なのです。全てのタネあかしはできませんが、三次中央幼稚園の先生達がいつも大切にしているのは、“どんなクラスにしたいか。どんな子供になってほしいか。”“という思いや願いを持つことです。“子供像”を描く事です。そんな思いを持ちながら先生は選曲に力を入れます。それから、旋律をとり、合奏譜を作っていきます。この時が一番先生の力量を問われる所です。先生達は、クラスの子供達の顔や雰囲気を思い浮かべながら編曲していきます。どんな合奏に仕上げたいか、何をどのように表現したいかを考えながら…。それからの先生達のマジックについては、ここでは書ききれないので紹介できませんが、選曲からすでに先生の子供達に対する想いがあるので、その気持ちのまま指導していく……これが重要な事なのです。

しかし、順調にいく時ばかりではありません。出来ると思っていた事ができなかったり、クラスの全員が同じ方向を向いていなくてまとまらなかったりして、困惑したり一気一鬱しながら過ごします。技術を磨く事ばかりをしていくのではなく、ひとつの作品(目標)をみんなで作り上げていくこの事を介して、様々な意識を磨き合うのです。これが行事をする意味でもあります。子供達の意識の成長をねらうための手段の一つだとも言えるのです。“自分の力の凄さに気付く”“友達の存在を受け入れる”“協力する事の大切さ”“自己表現”“頑張る事の楽しさ”“一人じゃない事への喜び”“達成感”“満足感”“向上心”etc.…色々な事が期待できるのです。その過程の中で友達や先生との間に“信頼関係”が築かれます。この信頼関係は、様々な事に一緒に挑戦し、励まし合い、喜び合い、乗り越える…そんな生活を繰り返しながら築かれたものだからとても固いものです。

指揮をする先生とステージにいる子供達の間には、特別な空気が漂っています。子供達が絶対的な信頼を寄せ先生を見つめる目、また、先生も子供達を信頼し指揮を振るその様子は、それだけで感動です。たくさんのお客様を目の前に不安気な様子の子供には、“大丈夫だからね”と言わんばかりの優しい目、集中できていない子供には、“先生を見て!落ち着いて!がんばれ!”というまなざしを向けます。そのクラスの子供達には、先生がこのまなざしで僕らに何を言っているかが分かるのです。また子供達も“先生を見ていれば大丈夫だよね”と、熱く視線を向けます。どんな時も一緒にいた仲間で、共にひとつの事に向かって来た同士だからこそ生まれた信頼関係なのです。

本番の一日を観ただけでも、それを感じてくださった事と思います。本番のステージは目に見える結果ですが、その裏にはここに至るまでの過程の中で、目に見えないたくさんの結果を出してくれました。これは、これからの子供達が生涯生きる上での肥やしとなるはずです。

目に見える結果と見えない結果、そのどちらもがこれまでに築いてきた信頼関係なくしては期待できないものだったでしょう。私は、子供達と先生とのこの素晴らしい信頼関係にこそ拍手をたくさん贈りたいと思います。

3学期の始まりです。これから更に、先生と子供達の間には素敵な何かが育ちます。