僕の想いが誰かに届く(平成25年度3月)平成26年3月

幼稚園の花壇に植えたチューリップが小さな芽を出しています。

“あぁ、やっと春が来たぞ”と言いながらでしょうか、お行儀よく並んで出ている芽がとても可愛く思えます。節分に福の神と春を迎えたはずなのに、なかなか暖かい日が続く事がなかったのですが、ここに来てやっと春を感じるようになって来ました。

今年度もあとわずかとなり、幼稚園ではどのクラスでも残された日々を大切に大切に過ごしている様子がうかがえます。特に、年長組は3月になるとこの幼稚園を卒園します。ひとつでも多く思い出をつくろうと、充実した毎日を送っています。卒園の準備も少しずつ進めています。

1月の終わりには卒園写真を撮りました。その時に、PTA会長さんが、風船のプレゼントをしてくださいました。“子供達が笑顔で写真を撮る事が出来れば…”という温かい会長さんのお気持ちでした。卒園児が一人に一つ持てるように十分な数の風船──、子供達は撮影場所に飾られたその風船を見て感謝しながら良い顔で写ることができました。そして、その風船に、一人ひとりの色んな想いをつけて空へ飛ばそう!という事になり、保育室に戻ってメッセージを書き始めました。夢や願い事、自分の事…色々な気持ちが書いてありました。自分の心の中だけに秘めておくのではなく、果てしない大空に向けて飛ばす事で、もっと強くもっと広くその想いを確かなものにできるような気がしました。幼稚園の全ての先生や子供達が見守る中、たくさんの応援の声と共にその風船は広い広い青空に飛んで行きました。その光景は、実に感動的でした。

それから数日後、三重県の方から園長先生に電話がかかってきました。メッセージを見つけてくださったのです。園長先生からその事を知らされた子供達は驚いていました。そのメッセージには、“せかいのみんなが えがおにかわりますように…”と書いてあったようです。それからまた数日後、兵庫県の方から「散歩中に、海岸近くで愛犬“トム”が見つけました」というおたよりが来ました。“つなみになりませんように”というメッセージが書いてあり、津波の危機範囲にお住まいのその方は“お見舞いのたより”と嬉しく受け取ってくださったようでした。そして、またつい最近、同じく兵庫県の中学校の教頭先生から子供宛てに手紙が届きました。中学校のグランドに落ちて来たのを手にして読んでくださったそうです。その子は、熊本に住むおじいちゃんとおばあちゃんにメッセージを書いたようですが、風に乗って逆方向に飛んだのです。それでも、送られてきた手紙に大喜びでした。この出来事に、子供達も大人の私達も感激を味わう事ができました。

その場所も、その人の顔も知らない所へ、ゆっくりゆっくりただ風に乗せられて届けられ、それを見つけて幼稚園を調べ、お返事を書いて届けてくださる方がいて……。なんて、夢のある話でしょう。空から届いたメッセージを手にしてくださった方は、どんな子がどんな状況でこのメッセージを飛ばしたのかをそれぞれに想像しながら読んでくださったでしょう。逆に子供達が空に向かって飛ばした時、どんな所に飛んで行き、そこにはどんな風景がありどんな人が見つけてくれるのか?たとえそれが、人の手元に届かなくてもいい、海に流されても魚達の目には触れるだろう、風に乗って飛んでいるメッセージを鳥も見てくれるだろう──、一体自分達の手から離れたメッセージはどんなふうに届くのだろうと、想像に胸を膨らませていたのです。

たまたま、手にとって読んでくださった方からのお返事に、子供達は、自分達の想いが確かに誰かに届き、誰かの心を打った事に感動したはずです。そして、そのメッセージに託した想いが、より自分の中で確かなものになっていきます。“世界のみんなが笑顔になる事”“津波によって命を失う事のないよう願う事”を一人でも多くの人達が願うようになれば、世の中が幸せな方向に動いてくれるような気がします。自分の想いが誰かに届く……誰かに届ける事で、何かを動かす事ができるという実感を持つきっかけになったのではないでしょうか?早春の空と風が子供達とその方々を繋いでくれたこの出来事は、子供達にとって心に残る大きな思い出になった事でしょう。

年長組の子供達は、間もなくこの幼稚園を巣立ち“小学校”へ入学します。小学校の先生の顔も、友達もまだよくわからない未知の世界です。幼稚園での数々の思い出は、期待と不安が入り混じった気持ちでいるであろう子供達が、希望を持って新しい世界に向かう応援エールになってくれる事でしょう。

その日は、風のまだ冷たい…だけど澄んだ青空の素晴らしい一日でした。私達は、大空を見上げる度にこの日の事とこの子達の事を思い出すでしょう。そして、どうか、いつまでも自分の想いと願いを強く持ちながら生きて行く人になって欲しいと祈り続けるのです。

先を行く者の務め(平成25年度2月)平成26年2月

まだまだ、お正月気分がどこか抜け切れていないまま、1ヶ月が経ちました。そして、明日から2月、幼稚園では子供達の進級、進学に向けて色々とまとめや準備に取り掛かっています。本当にあっという間の3学期になりそうです。そのスピードに追い立てられないように、一日一日の全てが心に残る大切な時間として過ごして行きたいと思います。

さて、始業式の一週間後、年長組が楽しみにしているお茶のお稽古がありました。数年前から3学期には、毎月のお稽古毎に保護者の皆様をご招待しています。子供達がどんなお稽古をしているのかを見ていただき、保護者の方にも体験していただく機会を設けています。その時の事です……。

新年明けのお稽古だったので、お軸は干支の馬、花は柳、香合は羽子板でした。お菓子やお抹茶をいただく前に、お茶の先生が、いつものように、それぞれの意味を話してくださいます。子供達は、お茶のお稽古の時は日頃の雰囲気と違う空気を読み、真剣に正座をして先生の話に聞き入ります。子供向けに話してくださるのですが、私達大人でも(なるほど!そういう事だったのか)と知らされたり曖昧だった事が確信できたりして、知識を得させていただいています。香合のお話になった時の事です。羽子板の形の香合を手に持たれ「この形は何でしょう?」と言われるとしばらく沈黙でした。お茶の先生が、少しずつヒントを出してくださってやっと「羽子板!!」という答えが返ってきました。「羽子板を知っている人!」と聞かれても、見た事や聞いたことはあるけど、遊んだ事がある子はほとんどいませんでした。今や、お母さん世代でもあまり遊んだ経験のない時代のようです。そう言えば、私が子供だった頃には、お正月だからと当たり前のように羽根つきを友達としたり、広場で親戚の人達と凧揚げをしたり、こたつに入って“かるた取り”や“すごろく”をしたりしていました。それが、少しずつ様変わりをし、バトミントンになり和凧が進化して三角型の凧になり、ルーレットゲームやテレビゲームになって行きました。私が大人になるまでにもお正月の光景は変わって来ました。そして、遂に、「見た事はあるけど……」という時代になって来ました。大人でさえ、経験がないものを子供達に伝えるという事はなかなかできません。『お正月』という歌があります。2番に「もういくつねると おしょうがつ おしょうがつには たこあげて おいばねついて あそびましょ」という歌詞があります。子供達は知っているでしょうか?そして、歌っていてもこの中にある“おいばねついて あそびましょ”が、まさに“羽子板”を使った“羽根つき”なのだとわかっているでしょうか?少し脱線しますが、『ももたろう』という日本の昔話に「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました。おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯に……」と耳慣れた一節で始まりますが、“山へ芝刈りに…”という意味を正しく知っているかと言えば、頭をひねるでしょう。整備されていない山林を歩いた事が無い子には、具体的に想像する事は難しいからです。このように、知らないまま耳にして口にしている事って他にも結構あったりします。あらためて聞かれると“そう言えば…どういう事?それって何?”という事があるのです。でも、子供達も日本人として生まれこれからも日本人として生きて行くのです。昔からこれまで言い継がれてきた事には、言われに基づくちゃんとした意味があり、この由来を知れば、簡単には無視できない大切な事なのだと感じます。例えば、羽根つきの羽根は“無患子(ムクロジ)”という植物の種に綺麗な羽根をつけた物で、“子供が患わ無い”という語呂合わせで、子供の厄除けと無病息災を願ったものなのだそうです。そう知ったら、子供の幸せを願う気持ちで日本文化として大切にしたいと思うでしょう。お正月のお節料理にも、それぞれに意味がある事もご存知でしょう。それらの全てが、家族の幸せを強く願う昔からの人々の想いから伝えられてきたものです。

日本の文化は、人が人を愛する美しく温かい想いの表れだと思います。お茶の先生が「日本の文化を子供達にちゃんと伝えていくのは、先を歩く者の役目だと思う」と言われました。他にもたくさんあると思います。四季のある日本には、その季節の節目節目に食す食べ物があったり、習わしがあったりします。その意味を教え、子供達と一緒に経験してみたらいいかもしれません。そうしてもらえる事で、子供達はお父さんやお母さんからの愛を感じる事でしょう。きっと心に残し、大人になっても、確かこの時季には…と意識してくれる事と思います。そして、それがまた次世代に…と伝承されて行くのです。日本が日本らしさを失わないように…。それは、自分の国を大切にする事に繋がってくると思います。

今は、色々な新しい情報が実に簡単に、また、たくさん入り混じる時代になってきました。逆に古い情報は入りにくくなります。時々ちょっと踏みとどまって、古き良き時代の大切にしてきた物に目を向けてみることは、確かに「先を行くゆく者の務め」なのかもしれません。

新しき事と古き事どちらをも知識に持つ大人は素敵ですよね。

どちらかと言えば、新しき事がなかなか入って来ない私ですが……。

お手伝い(平成25年度1月)平成26年1月

新年明けましておめでとうございます。今年は、暖かいお正月で家族のんびりと過ごされた方も多かったのではないでしょうか?いつもに比べて、時間の流れが少しゆっくりに感じられたのではありませんか?しかし、1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言います。ここから一気に時間が過ぎていくと言います。今日から3学期、今年度のまとめとなります。どの学年の子供達も進級…そして、年長組の子供達は小学校入学を目前にし、その意識を盛りあげていきます。最後の一学期を大切に、そしてたくさんの思い出を作れるように、充実した時間を過ごさせてやりたいと思います。

さて、この冬休みは、お子さんとどのように過ごされたでしょうか?日頃忙しくされているお父さんお母さんは、できるだけ子供達といる時間を充実させようと色々と考えて過ごされたと思います。その時間の中に、子供達のお手伝いの時間をとられたでしょうか?終業式に、冬休みの約束の一つとして『自分にできる事を見つけて忙しいお父さんとお母さんのお手伝いをしよう』と話をしました。さてさて、子供達はどんなお手伝いをしてくれましたか?

終業式前の事です。職員室に年少組担任の美智子先生から内線電話がかかりました。「今、○○君に職員室へお手伝いでおつかいに行ってもらいました。持って行った物を受け取ってやってください。」という事でした。その男の子は、初めて経験する事には躊躇し思い切って行動する事が苦手な男の子でした。ましてや、担任の先生から離れて一人で職員室に行くなんて、きっとすごく勇気がいる事だったに違いありません。私は、しばらく職員室で待っていましたが、なかなか来ないので、少し心配になって、こっそりテラスの角から様子を見ていました。すると、その子の保育室の前で美智子先生が、「葉子先生に渡すんだよ。お願いね。」と送り出していました。その子にとっては、保育室から職員室までは長い道のりに違いありません。こっそり見ていると、何回も立ち止まっては先生の方を振り返り、少し進んではまた立ち止まる……すごい勇気を振り絞っていたのでしょう。私の所に到着したのは、5分位経ってからでした。やっと「これ…。」と言って渡せた時の安心した顔がとても可愛かったです。知らない振りをして「誰に頼まれてたの?」と聞くと「美智子先生…」「そうなんだ!すごい!ここまで遠かったでしょ。」と言うと「遠かったの」と言って、それから色んな話をポツリポツリとしてくれました。「持って来てくれてありがとうね。美智子先生も助かったって喜んでおられるよ。」と話をしながらクラスまで送りました。美智子先生が保育室の中で、両手を広げて待ってくれていました。「○○君ありがとう!助かった!」と抱きしめてもらっていました。美智子先生が僕に頼んでくれて、大好きな美智子先生の役に立つ事ができた!───。その男の子は、勇気を振り絞っておつかいをした達成感と自信で満ち溢れた顔をしていました。

まだまだ子供だから…と考えないでください。小さくても、幼くても、子供だって一人前に誰かの役に立ちたい!喜んでもらいたい!と思っているのです。幼稚園でも、先生達は子供の様子に合わせて、色々な手伝いをお願いします。子供達は、実に嬉しそうに「私が!」「僕が!!」と競争のように、手伝おうとしてくれるのです。それは褒めてもらいたいからではなく、社会の一員として認められたいという潜在意識なのです。家庭でも、“家族”という社会の中で、何か任せてもらえて頑張れたら…そして、お父さんやお母さんに「ありがとう。助かったよ。」と心から喜んでもらえたら、家族の一員として認められた気がするのではないでしょうか?いつもは、自分のためにお父さんやお母さんが何でもしてくれる甘える立場だけれど、お手伝いを頼まれた時点で、(自分だって役に立っている)そんな満足感から、自分の存在の意味を実感できるようになり、自立意識を持つ事ができるのです。

この冬休みの間にそんな機会を作ってあげられましたか?子供の手伝いは、逆に時間がかかったり面倒な事になりそうで、こっちでやってしまった方が早くて楽だと考えてしまいがちですが、子供達は、お父さんやお母さんの何か役に立ちたいと純粋に思っています。ぜひ、日頃から、その気持ちを汲み取り子供の成長に繋げてやってください。『たかが手伝い…されど手伝い』です。

しかし、悲しいかな…年頃になると、頼んでも露骨に面倒臭そうな様子をみせるようになってきます。今ですよ!今のうちですよ!「お母さん!何かしてあげようか?」「お父さん!僕がする!」って気持ちよく言ってくれるのは……。ぜひとも、この時期に“あなたの力は、小さいけれど我が家にとっては大きな存在でとっても助かってるんだよ”という気持ちをしっかり伝えてあげてください。

冬休みに帰省している娘が、今年は年末からずっと私と一緒にいてくれて、大掃除やお節作り、毎食の準備や片づけを一生懸命に手伝ってくれました。「私、そのつもりで帰って来たから。何でもするよ。言ってね。」と言ってくれました。そして、「こうして今までも色んな事を手伝いながら、お母さんから学んでおかなきゃいけなかったね。一人暮らしをしていたら本当にそう思うよ。」───あらら、半年前位までは、しぶしぶ気味に手伝っていたのに……子供って自分の置かれた環境の中で色々と子供なりに考えて生きているものなんですね。楽しみなこと?

“むずかしいこと”が楽しい!(平成25年度12月)

子供達を楽しませてくれた園庭の木々の葉も秋風に吹かれ、一枚…また一枚…と落ちていきます。青々とした葉をつける木々、花や実をつける木々、また、それらが紅葉していき冷たい風に舞い落ちる様も、どれも人の心に何かを与えてくれるのです。自然は、私達にはできない豊かな心の育ちを子供達に与えてくれているような気がします。

今、幼稚園では12月に控えている“フロアーコンサート(音楽発表会)”に向け、子供達がステージの上で踊ったり合奏をしたりして練習に励んでいます。本番までに一週間と迫って来たのでだいたい完成しているようです。どのクラスの子供達も、お家の人達に観ていただく日を目前に、わくわくしながら練習時間を過ごしています。

これまで各クラスの先生と子供達の間には、日々いろいろな姿をみることができました。それは、楽器別のパート練習が始まって間もない頃、木琴の練習をしている年中組のクラスに様子を見に行った時の事です。丁度、先生の弾く曲に合わせてメロディーを奏でているところでした。単調な小節は、先生のサポートがなくてもほぼ演奏できていました。曲が進んで行くうちに、段々と子供達の表情が変わってきました。難しいメロディーの小節に差し掛かろうとしているからでした。あきらかに先程とは、表情と構えが違うのです。両手に握った木琴のバチが左右交互にみごとに小刻みに速く動きます。子供達の目は真剣でした。次の音…次の音…と探しながら演奏するのですから油断できないのです。しかも、まだまだ覚えたてなので必死でした。そして、その部分をクリアーした時のホッとした表情はとても可愛かったです。演奏が終わった時、担任の先生が、「すっご~い!!かっこいい!!できたじゃない!!」と大げさな程に褒めていました。子供達は実に得意気です。私もすかさず「難しいところがすごく忙しそうで大変だねぇ。でも、そこが特にかっこいい!」と拍手をしました。すると木琴を演奏していた子供達が「楽しかった!」と言うのです。まだ、完璧ではなかったけれど、先生から褒めてもらえた事で、難しいところを頑張って演奏した事に自信をもつ事ができたし、“できた!!”と思えた事が嬉しかったし楽しかったのでしょう。 

子供達は、いつも、何かしら挑戦したい気持ちを持っているような気がします。容易な事から始めても、それができたら、“もしかしたらもう少しできるかも知れない”と思うでしょう。そうしながら自分の力を知ったり限界を知ったりしていきます。

幼稚園の園庭にある小川もそんな子供達の挑戦意欲をかき立てるように作られているのをご存知でしょうか?幼稚園の小川の幅は狭い所も広い所もあります。子供達は岸から向う岸まで跳んで遊びます。自分の力に合わせて先ずは跳べそうな所を選びます。そこが跳べたら、次はもう少し難しい部分を探して跳んでみます。この自分への挑戦が楽しいのです。自分の力より少し上に挑戦する事が醍醐味なのです。安全圏の中ばかりで満足するのではなく、ほんのちょっぴりのスリルを楽しむのです。そして、その時には、どうやったら向う岸に跳べるかを考えます。時には、跳びきれなくて小川にはまってしまう…そんな事がありながらも自分のハードルを上げたり下げたりしてなんとか跳ぼうと頑張ります。その時の顔は、やはり真剣です。そして、跳べた時に初めて笑顔になります。コツをつかんだ達成感に満ち溢れています。それは、木琴を頑張っていた子供達のその時の気持ちと同じです。初めから“これ、できっこない!”と思わないで、もうちょっと頑張ったらできるかもしれないと思って挑戦する子供達は意気揚々として見えます。難しい事に挑戦するって本当は楽しい事なのです。自分の力が停滞したり後退しないで、刺激を受けながらどこまで頑張れるかを試してみるのは、『自分』を開拓していくきっかけにもなるような気がします。

でも、この挑戦意欲をかき立てるには、やはりそうできる環境が必要です。難しい小節を少しでも演奏できた時、即座に「すごーい!!できた!!かっこいい!」と力強く褒めて認めてくれる先生のような人がいてくれる事、向う岸に跳べた時に「わぁ~!○○くんかっこいい!僕も○○君みたいに跳びたいなぁ」と優越感を与えてくれる友達の存在、そして、そうできる環境がある事です。難しい事から目をそらしたり避けてやり過ごすのは、実はもったいない事です。いきなりハードルを上げるのではなく、様子を見ながら少し…また少し…と上げてやるのです。そして、できた!できた!を繰り返し味わう事ができたら、『難しい事』に向かって行く強い心や、意欲、そして、その事の楽しさに気づくようになります。その味を占めたら、これから先、子供達が生きて行く間に色々あるだろう困難にも、“もう少し頑張ってみようかな”と思って踏ん張れるたくましい子になるのです。

子供達は、そんな事をいくつも経験しながら頑張って来て、いよいよ一週間後の本番に挑みます。きっと自信たっぷりな様子に感動していただける事と思います。そんな子供達を益々たくましく成長させてくださるのも、お客様である保護者の方々の応援です。どうか、ステージに立つ可愛い主役達に惜しみない拍手とエールを送ってやってください。

経験が育てるもの(平成25年度11月)

気がつけば、今年のカレンダーはあと2枚……。もうすでに、来年の年賀状の注文受付も始まっているようです。なんて一年の早い事!時の流れを早く感じるのは、年をとった証拠とよく言われますが……(笑)。毎年の事ですが、“忙しい、忙しい”と過ごしているうちに、この月まで来てしまったような気がして、いつもここら辺で、ふと立ち止まってこれからの一日一日を大切に過ごさなければ!としみじみ思います。

子供達は今年度が始まってからこれまでに幼稚園で様々な日々を過ごしてきました。お子様の成長を色々な場面で感じてくださっているのではないでしょうか?幼稚園での経験の一つひとつが、子供達を確実に成長させています。それは、目に見えるものから気がつかないくらいの小さなものまで……。成長の大きさやスピードは様々です。

9月に開催された秋季大運動会では、みんなそれぞれに頼もしい姿を見せてくれました。保護者の皆様からも、その後、しばらくは、運動会の感想や我が子の成長を喜んでいただいている気持ちを連絡帳に書いて寄せていただきました。本番当日の一日を観ただけでも、感動してもらえた事を喜んでいるのは、何より子供達だと思います。お家で、お父さんやお母さんそして運動会を観に来てくださったおじいちゃんおばあちゃんからもいっぱい褒めてもらえた事は、大きな自信となったことでしょう。

私達は本番は勿論の事、それまでの子供達の頑張りや努力、そしてその都度得られる子供達の心の成長を毎日一番近くで見てきました。何かができるようになったとか、集団の中でみんなとちゃんと一緒にやっているとかという部分だけではなく、できない事や勝ち負けを繰り返しながらの自分との戦いをしていた子、初めての経験で慣れない事への不安や辛さを感じていた子、そんな子供達も、日を追うごとに楽しさや頑張る事への快感を得て行きました。その過程をずっと見てきた先生達には、一言では、言い表せない感動がありました。運動会が終わってから、子供達の成長はいろんな所に表れています。どことなく自信なさそうだった子の表情に明るさが出てきたり、友達関係に広がりが出てきて仲間意識が高まったり、一人でできなかった事を頑張ってみようという気持ちが強くなってきたり……。いろいろなシーンで、運動会の経験が子供達を育ててくれている事を実感しています。

年長組では、その後、運動会の絵を描きました。子供達の絵は表現が色々で、いつも感動させられます。見るのも楽しく微笑ましい作品がいっぱいです。しかし、子供達の中には、見た物や感じた事を画用紙に表現する事を苦手に感じる子もいます。担任の先生が、ある子の絵を「この子、前は、なかなか悩んで描き始められなかったのに、このリレーの絵は、ささっと描けたんです。運動会からすごく変わったと思うんです。」と言って見せてくれました。また、ある男の子の絵を見ながら「この子、今回、絵に向き合う姿が今までと違っていたんです。すごく根気よく最後まで描けていました。」と話してくれました。なるほど、絵を見てもそれが伝わって来ました。

心が揺さぶられるほどの経験は、子供達を大きく変えるということがよくわかります。楽しかった、悔しかった、面白かった、嬉しかった、悲しかった…色んな事があった。そして、僕も私も頑張った!!その自信が、表現する事に躊躇しない、戸惑わない…むしろ積極的に表現しようとする意欲につながるのです。また、そうできた事で更に自信を持ち、その他の様々な事に対しても挑戦意欲が芽生えてきます。そうなると、子供は生き生きしてきます。しかし、そこで、大切なのはその経験をする子供が置かれた環境です。例えば、運動会は集団の中での経験です。集団の中で友達の力を見ながらそれに憧れたり自信を持てたりもっと自分も頑張ろうと思えたりするのです。「もっと…もっと…」と思えるのは、一人じゃないからです。そして、その姿をわかって応援してくれる家族や先生、友達が近くで見てくれている事、さらに、それを褒めてくれたり、認めてくれて評価してくれる人がいる事です。そこで、子供達は、経験した事を「頑張ってよかった」「僕にもできた!」「私って凄い!」と、自分の力を確信します。ただ経験させるだけではなく、その経験を子供の確かな成長に導くのは、その周りの環境のあり方も手伝うのではないかと思います。

我が子の事は勿論、他の子供達の事まで、お迎えの時間に「○○君、運動会、かっこよかったよ!」「走るの速かったね」「○○ちゃん、お遊戯が可愛かったよ。」と保護者同士でお互いに声をかけ合っておられる様子をたくさん見ました。その成長を我が子の事のように認め褒めて喜んでくださるこのやり取りもまた、子供達の成長を大きくしてくれる環境の一つです。本当にありがたい事だと感謝しました。

 これからも、子供達は幼稚園でたくさんの友達と色々な経験をします。楽しかった、難しかった、しんどかった、面白かった、頑張った、嬉しかった、悔しかった、悲しかった──この全ての心の動きを与えてくれる経験こそが、子供達を確かな成長に導いて行く事を感じていただけると思います。子供達のその一瞬一瞬を目の当たりにする事が私達のやりがいと楽しみです。