めざすはお兄ちゃん(平成26年度5月)

新年度がスタートし1ヵ月が経とうとしています。新入園児達を迎えた時には、かわいいチューリップが花壇で咲き誇っていましたが、今は、幼稚園にも少し慣れて園庭で遊び始めた子供達を“リキュウウメ”や“ヤエザクラ”のきれいな花が見守ってくれています。しかし、慣れてきたとは言え、新入園児達は、幼稚園が楽しみな気持ちとお家の人と離れて過ごす不安な気持ちが入り混じり、緊張した顔で登園している様子がまだまだ見受けられます。この新生活を受け入れ“楽しさ”に出合うために一生懸命です。登園時間には、先生に預けた後で子供が泣いて後追いしないように……と、心配する気持ちを押し殺し、振り返らず帰って行かれるお母さんの背中に愛情と、お母さんもまた一生懸命なのだという事を感じます。そんな中でも、早くも幼稚園に慣れ、何をしてもどこ行っても、楽しそうに過ごせている子供達もいます。子供達のどんな様子も微笑ましく思えます。

朝の時間の事です。全員が登園して来るまでの時間は、自分の荷物を片づけ、スモックに着替え、あそびを選んで思い思いに過ごします。この時間は、クラスや学年を越え、異年齢で関われる有意義な時間でもあります。年長組の子供達が、年少組の保育室に行き、出席シールを貼ったり着替えたりする手助けをしてくれる事もあります。園庭に出れば、あそびに誘い合ったり遊具の貸し借りをしたりしながら関わりを持ちます。ある年少組の男の子が年長組の男の子二人について遊んでいました。もう何日もその光景は見られました。最初は、年長組の子が「せんせーい!この子がずっとついて来る!」と困ったように言って来ましたが、「一緒に遊んで欲しいんじゃないのかな?」と言うと、まんざらでもないような顔になり、それからは、一緒に走り回って遊ぶようになりました。特に誘い合うでもなく、年少組のその男の子は、スモックに着替えて外に出ると、二人のお兄ちゃんの姿を探しては、勝手に合流して一緒に居るといった感じなのです。その様子をよく見ると、お兄ちゃん達がする事を一生懸命に真似しているのです。年長組二人の男の子は、軽くひょいひょいと小川を飛び越えたり、アスレチックに登ったり、わんぱく小山からジャンプして降りたりして遊んでいます。きっと、その姿がかっこよく見え、そんなお兄ちゃん達に憧れているのでしょう。でも、同じ事ができるはずがありません。お兄ちゃん達がしている事より簡単な場所を選んで真似ていました。ひとつ出来た(つもり)ら、走って追いつき、また同じ事をしようとしていました。その顔は終始ニコニコでした。そんな時、気持ちが大きくなったのでしょうアスレチックの高い所に同じように登って、降りられなくなってしまったのです。それに気が付かず、お兄ちゃん達はそのまま走って行ってしまいました。年少組の子は、ついに限界を感じ泣いてしまいました。とっさに私が助けに行こうとした時、その泣き声を聞いて、お兄ちゃん達が戻って来てくれたのです。近くまで登って行き、一人は、「足をずらしてごらんよ。そしたらお尻をずらして……チョットずつでいいから…こうして…。」と声をかけ、もう一人は実際にやって見せていました。そのうち、三人ともアスレチックから降り、また、何もなかったように再び走り、遊び始めたのです。こんな風に、大きなお兄ちゃんが、カッコいい姿を見せてくれたり、困った時に助けてくれたりしたら、尊敬できる先輩としてずっと憧れの存在になるでしょう。そして、きっと年少組のその子も、いつか自分にしてもらった事を他の子にしてあげられる子になるでしょう。

これから、子供達は幼稚園で色々な経験を積んでいきます。各年齢に合った活動をしながら、子供達は、自分の力を見い出したり、先輩の凄い力に憧れたり、後輩をいたわったり慈しんだりする場面にたくさん出会う事ができます。今、後輩達に憧れてもらえるようになったその子達にも、去年までは憧れる先輩がいたのです。「いつかは、僕達もあのお兄ちゃん達のようになりたい!」「私達もお姉ちゃん達みたいになりたいな」という気持ちでいたのです。“憧れ”は“尊敬”になり、“目標”になります。自分の方向性を定めるきっかけになります。尊敬できる人との出会いは、大きく言えば、人生に影響を与えてくれるのです。子供の世界の中で生活する上で、子供同士色んな影響を与え合います。同年齢の友達とは、意見や気持ちのぶつかり合いを経験しながら相手の気持ちに気付いたり、ある時には喧嘩をしながら、我慢したり主張したりして、気持ちよく生活する方法を知って学んで行きます。一緒に考えたり協力したりしながら、みんなの存在の大きさや必要性を感じ尊重しあう事を知ります。異年齢では、前に述べたように、同年齢の友達とは少し違う経験から得るもの与えるものがあります。家庭ではできない教育──、これこそ、幼稚園教育の意味あるところだと思うのです。

幼稚園での生活が子供達の成長になくてはならない経験である事を感じていただきながら、保護者の方との連携プレーで、今年度も過ごしていけたらと思っています。

子供達全員が、“三次中央幼稚園っ子”として、生き生きと頼もしく成長していく姿を思い浮かべると、今からとても楽しみです。

僕の想いが誰かに届く(平成25年度3月)平成26年3月

幼稚園の花壇に植えたチューリップが小さな芽を出しています。

“あぁ、やっと春が来たぞ”と言いながらでしょうか、お行儀よく並んで出ている芽がとても可愛く思えます。節分に福の神と春を迎えたはずなのに、なかなか暖かい日が続く事がなかったのですが、ここに来てやっと春を感じるようになって来ました。

今年度もあとわずかとなり、幼稚園ではどのクラスでも残された日々を大切に大切に過ごしている様子がうかがえます。特に、年長組は3月になるとこの幼稚園を卒園します。ひとつでも多く思い出をつくろうと、充実した毎日を送っています。卒園の準備も少しずつ進めています。

1月の終わりには卒園写真を撮りました。その時に、PTA会長さんが、風船のプレゼントをしてくださいました。“子供達が笑顔で写真を撮る事が出来れば…”という温かい会長さんのお気持ちでした。卒園児が一人に一つ持てるように十分な数の風船──、子供達は撮影場所に飾られたその風船を見て感謝しながら良い顔で写ることができました。そして、その風船に、一人ひとりの色んな想いをつけて空へ飛ばそう!という事になり、保育室に戻ってメッセージを書き始めました。夢や願い事、自分の事…色々な気持ちが書いてありました。自分の心の中だけに秘めておくのではなく、果てしない大空に向けて飛ばす事で、もっと強くもっと広くその想いを確かなものにできるような気がしました。幼稚園の全ての先生や子供達が見守る中、たくさんの応援の声と共にその風船は広い広い青空に飛んで行きました。その光景は、実に感動的でした。

それから数日後、三重県の方から園長先生に電話がかかってきました。メッセージを見つけてくださったのです。園長先生からその事を知らされた子供達は驚いていました。そのメッセージには、“せかいのみんなが えがおにかわりますように…”と書いてあったようです。それからまた数日後、兵庫県の方から「散歩中に、海岸近くで愛犬“トム”が見つけました」というおたよりが来ました。“つなみになりませんように”というメッセージが書いてあり、津波の危機範囲にお住まいのその方は“お見舞いのたより”と嬉しく受け取ってくださったようでした。そして、またつい最近、同じく兵庫県の中学校の教頭先生から子供宛てに手紙が届きました。中学校のグランドに落ちて来たのを手にして読んでくださったそうです。その子は、熊本に住むおじいちゃんとおばあちゃんにメッセージを書いたようですが、風に乗って逆方向に飛んだのです。それでも、送られてきた手紙に大喜びでした。この出来事に、子供達も大人の私達も感激を味わう事ができました。

その場所も、その人の顔も知らない所へ、ゆっくりゆっくりただ風に乗せられて届けられ、それを見つけて幼稚園を調べ、お返事を書いて届けてくださる方がいて……。なんて、夢のある話でしょう。空から届いたメッセージを手にしてくださった方は、どんな子がどんな状況でこのメッセージを飛ばしたのかをそれぞれに想像しながら読んでくださったでしょう。逆に子供達が空に向かって飛ばした時、どんな所に飛んで行き、そこにはどんな風景がありどんな人が見つけてくれるのか?たとえそれが、人の手元に届かなくてもいい、海に流されても魚達の目には触れるだろう、風に乗って飛んでいるメッセージを鳥も見てくれるだろう──、一体自分達の手から離れたメッセージはどんなふうに届くのだろうと、想像に胸を膨らませていたのです。

たまたま、手にとって読んでくださった方からのお返事に、子供達は、自分達の想いが確かに誰かに届き、誰かの心を打った事に感動したはずです。そして、そのメッセージに託した想いが、より自分の中で確かなものになっていきます。“世界のみんなが笑顔になる事”“津波によって命を失う事のないよう願う事”を一人でも多くの人達が願うようになれば、世の中が幸せな方向に動いてくれるような気がします。自分の想いが誰かに届く……誰かに届ける事で、何かを動かす事ができるという実感を持つきっかけになったのではないでしょうか?早春の空と風が子供達とその方々を繋いでくれたこの出来事は、子供達にとって心に残る大きな思い出になった事でしょう。

年長組の子供達は、間もなくこの幼稚園を巣立ち“小学校”へ入学します。小学校の先生の顔も、友達もまだよくわからない未知の世界です。幼稚園での数々の思い出は、期待と不安が入り混じった気持ちでいるであろう子供達が、希望を持って新しい世界に向かう応援エールになってくれる事でしょう。

その日は、風のまだ冷たい…だけど澄んだ青空の素晴らしい一日でした。私達は、大空を見上げる度にこの日の事とこの子達の事を思い出すでしょう。そして、どうか、いつまでも自分の想いと願いを強く持ちながら生きて行く人になって欲しいと祈り続けるのです。

先を行く者の務め(平成25年度2月)平成26年2月

まだまだ、お正月気分がどこか抜け切れていないまま、1ヶ月が経ちました。そして、明日から2月、幼稚園では子供達の進級、進学に向けて色々とまとめや準備に取り掛かっています。本当にあっという間の3学期になりそうです。そのスピードに追い立てられないように、一日一日の全てが心に残る大切な時間として過ごして行きたいと思います。

さて、始業式の一週間後、年長組が楽しみにしているお茶のお稽古がありました。数年前から3学期には、毎月のお稽古毎に保護者の皆様をご招待しています。子供達がどんなお稽古をしているのかを見ていただき、保護者の方にも体験していただく機会を設けています。その時の事です……。

新年明けのお稽古だったので、お軸は干支の馬、花は柳、香合は羽子板でした。お菓子やお抹茶をいただく前に、お茶の先生が、いつものように、それぞれの意味を話してくださいます。子供達は、お茶のお稽古の時は日頃の雰囲気と違う空気を読み、真剣に正座をして先生の話に聞き入ります。子供向けに話してくださるのですが、私達大人でも(なるほど!そういう事だったのか)と知らされたり曖昧だった事が確信できたりして、知識を得させていただいています。香合のお話になった時の事です。羽子板の形の香合を手に持たれ「この形は何でしょう?」と言われるとしばらく沈黙でした。お茶の先生が、少しずつヒントを出してくださってやっと「羽子板!!」という答えが返ってきました。「羽子板を知っている人!」と聞かれても、見た事や聞いたことはあるけど、遊んだ事がある子はほとんどいませんでした。今や、お母さん世代でもあまり遊んだ経験のない時代のようです。そう言えば、私が子供だった頃には、お正月だからと当たり前のように羽根つきを友達としたり、広場で親戚の人達と凧揚げをしたり、こたつに入って“かるた取り”や“すごろく”をしたりしていました。それが、少しずつ様変わりをし、バトミントンになり和凧が進化して三角型の凧になり、ルーレットゲームやテレビゲームになって行きました。私が大人になるまでにもお正月の光景は変わって来ました。そして、遂に、「見た事はあるけど……」という時代になって来ました。大人でさえ、経験がないものを子供達に伝えるという事はなかなかできません。『お正月』という歌があります。2番に「もういくつねると おしょうがつ おしょうがつには たこあげて おいばねついて あそびましょ」という歌詞があります。子供達は知っているでしょうか?そして、歌っていてもこの中にある“おいばねついて あそびましょ”が、まさに“羽子板”を使った“羽根つき”なのだとわかっているでしょうか?少し脱線しますが、『ももたろう』という日本の昔話に「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました。おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯に……」と耳慣れた一節で始まりますが、“山へ芝刈りに…”という意味を正しく知っているかと言えば、頭をひねるでしょう。整備されていない山林を歩いた事が無い子には、具体的に想像する事は難しいからです。このように、知らないまま耳にして口にしている事って他にも結構あったりします。あらためて聞かれると“そう言えば…どういう事?それって何?”という事があるのです。でも、子供達も日本人として生まれこれからも日本人として生きて行くのです。昔からこれまで言い継がれてきた事には、言われに基づくちゃんとした意味があり、この由来を知れば、簡単には無視できない大切な事なのだと感じます。例えば、羽根つきの羽根は“無患子(ムクロジ)”という植物の種に綺麗な羽根をつけた物で、“子供が患わ無い”という語呂合わせで、子供の厄除けと無病息災を願ったものなのだそうです。そう知ったら、子供の幸せを願う気持ちで日本文化として大切にしたいと思うでしょう。お正月のお節料理にも、それぞれに意味がある事もご存知でしょう。それらの全てが、家族の幸せを強く願う昔からの人々の想いから伝えられてきたものです。

日本の文化は、人が人を愛する美しく温かい想いの表れだと思います。お茶の先生が「日本の文化を子供達にちゃんと伝えていくのは、先を歩く者の役目だと思う」と言われました。他にもたくさんあると思います。四季のある日本には、その季節の節目節目に食す食べ物があったり、習わしがあったりします。その意味を教え、子供達と一緒に経験してみたらいいかもしれません。そうしてもらえる事で、子供達はお父さんやお母さんからの愛を感じる事でしょう。きっと心に残し、大人になっても、確かこの時季には…と意識してくれる事と思います。そして、それがまた次世代に…と伝承されて行くのです。日本が日本らしさを失わないように…。それは、自分の国を大切にする事に繋がってくると思います。

今は、色々な新しい情報が実に簡単に、また、たくさん入り混じる時代になってきました。逆に古い情報は入りにくくなります。時々ちょっと踏みとどまって、古き良き時代の大切にしてきた物に目を向けてみることは、確かに「先を行くゆく者の務め」なのかもしれません。

新しき事と古き事どちらをも知識に持つ大人は素敵ですよね。

どちらかと言えば、新しき事がなかなか入って来ない私ですが……。

お手伝い(平成25年度1月)平成26年1月

新年明けましておめでとうございます。今年は、暖かいお正月で家族のんびりと過ごされた方も多かったのではないでしょうか?いつもに比べて、時間の流れが少しゆっくりに感じられたのではありませんか?しかし、1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言います。ここから一気に時間が過ぎていくと言います。今日から3学期、今年度のまとめとなります。どの学年の子供達も進級…そして、年長組の子供達は小学校入学を目前にし、その意識を盛りあげていきます。最後の一学期を大切に、そしてたくさんの思い出を作れるように、充実した時間を過ごさせてやりたいと思います。

さて、この冬休みは、お子さんとどのように過ごされたでしょうか?日頃忙しくされているお父さんお母さんは、できるだけ子供達といる時間を充実させようと色々と考えて過ごされたと思います。その時間の中に、子供達のお手伝いの時間をとられたでしょうか?終業式に、冬休みの約束の一つとして『自分にできる事を見つけて忙しいお父さんとお母さんのお手伝いをしよう』と話をしました。さてさて、子供達はどんなお手伝いをしてくれましたか?

終業式前の事です。職員室に年少組担任の美智子先生から内線電話がかかりました。「今、○○君に職員室へお手伝いでおつかいに行ってもらいました。持って行った物を受け取ってやってください。」という事でした。その男の子は、初めて経験する事には躊躇し思い切って行動する事が苦手な男の子でした。ましてや、担任の先生から離れて一人で職員室に行くなんて、きっとすごく勇気がいる事だったに違いありません。私は、しばらく職員室で待っていましたが、なかなか来ないので、少し心配になって、こっそりテラスの角から様子を見ていました。すると、その子の保育室の前で美智子先生が、「葉子先生に渡すんだよ。お願いね。」と送り出していました。その子にとっては、保育室から職員室までは長い道のりに違いありません。こっそり見ていると、何回も立ち止まっては先生の方を振り返り、少し進んではまた立ち止まる……すごい勇気を振り絞っていたのでしょう。私の所に到着したのは、5分位経ってからでした。やっと「これ…。」と言って渡せた時の安心した顔がとても可愛かったです。知らない振りをして「誰に頼まれてたの?」と聞くと「美智子先生…」「そうなんだ!すごい!ここまで遠かったでしょ。」と言うと「遠かったの」と言って、それから色んな話をポツリポツリとしてくれました。「持って来てくれてありがとうね。美智子先生も助かったって喜んでおられるよ。」と話をしながらクラスまで送りました。美智子先生が保育室の中で、両手を広げて待ってくれていました。「○○君ありがとう!助かった!」と抱きしめてもらっていました。美智子先生が僕に頼んでくれて、大好きな美智子先生の役に立つ事ができた!───。その男の子は、勇気を振り絞っておつかいをした達成感と自信で満ち溢れた顔をしていました。

まだまだ子供だから…と考えないでください。小さくても、幼くても、子供だって一人前に誰かの役に立ちたい!喜んでもらいたい!と思っているのです。幼稚園でも、先生達は子供の様子に合わせて、色々な手伝いをお願いします。子供達は、実に嬉しそうに「私が!」「僕が!!」と競争のように、手伝おうとしてくれるのです。それは褒めてもらいたいからではなく、社会の一員として認められたいという潜在意識なのです。家庭でも、“家族”という社会の中で、何か任せてもらえて頑張れたら…そして、お父さんやお母さんに「ありがとう。助かったよ。」と心から喜んでもらえたら、家族の一員として認められた気がするのではないでしょうか?いつもは、自分のためにお父さんやお母さんが何でもしてくれる甘える立場だけれど、お手伝いを頼まれた時点で、(自分だって役に立っている)そんな満足感から、自分の存在の意味を実感できるようになり、自立意識を持つ事ができるのです。

この冬休みの間にそんな機会を作ってあげられましたか?子供の手伝いは、逆に時間がかかったり面倒な事になりそうで、こっちでやってしまった方が早くて楽だと考えてしまいがちですが、子供達は、お父さんやお母さんの何か役に立ちたいと純粋に思っています。ぜひ、日頃から、その気持ちを汲み取り子供の成長に繋げてやってください。『たかが手伝い…されど手伝い』です。

しかし、悲しいかな…年頃になると、頼んでも露骨に面倒臭そうな様子をみせるようになってきます。今ですよ!今のうちですよ!「お母さん!何かしてあげようか?」「お父さん!僕がする!」って気持ちよく言ってくれるのは……。ぜひとも、この時期に“あなたの力は、小さいけれど我が家にとっては大きな存在でとっても助かってるんだよ”という気持ちをしっかり伝えてあげてください。

冬休みに帰省している娘が、今年は年末からずっと私と一緒にいてくれて、大掃除やお節作り、毎食の準備や片づけを一生懸命に手伝ってくれました。「私、そのつもりで帰って来たから。何でもするよ。言ってね。」と言ってくれました。そして、「こうして今までも色んな事を手伝いながら、お母さんから学んでおかなきゃいけなかったね。一人暮らしをしていたら本当にそう思うよ。」───あらら、半年前位までは、しぶしぶ気味に手伝っていたのに……子供って自分の置かれた環境の中で色々と子供なりに考えて生きているものなんですね。楽しみなこと?

“むずかしいこと”が楽しい!(平成25年度12月)

子供達を楽しませてくれた園庭の木々の葉も秋風に吹かれ、一枚…また一枚…と落ちていきます。青々とした葉をつける木々、花や実をつける木々、また、それらが紅葉していき冷たい風に舞い落ちる様も、どれも人の心に何かを与えてくれるのです。自然は、私達にはできない豊かな心の育ちを子供達に与えてくれているような気がします。

今、幼稚園では12月に控えている“フロアーコンサート(音楽発表会)”に向け、子供達がステージの上で踊ったり合奏をしたりして練習に励んでいます。本番までに一週間と迫って来たのでだいたい完成しているようです。どのクラスの子供達も、お家の人達に観ていただく日を目前に、わくわくしながら練習時間を過ごしています。

これまで各クラスの先生と子供達の間には、日々いろいろな姿をみることができました。それは、楽器別のパート練習が始まって間もない頃、木琴の練習をしている年中組のクラスに様子を見に行った時の事です。丁度、先生の弾く曲に合わせてメロディーを奏でているところでした。単調な小節は、先生のサポートがなくてもほぼ演奏できていました。曲が進んで行くうちに、段々と子供達の表情が変わってきました。難しいメロディーの小節に差し掛かろうとしているからでした。あきらかに先程とは、表情と構えが違うのです。両手に握った木琴のバチが左右交互にみごとに小刻みに速く動きます。子供達の目は真剣でした。次の音…次の音…と探しながら演奏するのですから油断できないのです。しかも、まだまだ覚えたてなので必死でした。そして、その部分をクリアーした時のホッとした表情はとても可愛かったです。演奏が終わった時、担任の先生が、「すっご~い!!かっこいい!!できたじゃない!!」と大げさな程に褒めていました。子供達は実に得意気です。私もすかさず「難しいところがすごく忙しそうで大変だねぇ。でも、そこが特にかっこいい!」と拍手をしました。すると木琴を演奏していた子供達が「楽しかった!」と言うのです。まだ、完璧ではなかったけれど、先生から褒めてもらえた事で、難しいところを頑張って演奏した事に自信をもつ事ができたし、“できた!!”と思えた事が嬉しかったし楽しかったのでしょう。 

子供達は、いつも、何かしら挑戦したい気持ちを持っているような気がします。容易な事から始めても、それができたら、“もしかしたらもう少しできるかも知れない”と思うでしょう。そうしながら自分の力を知ったり限界を知ったりしていきます。

幼稚園の園庭にある小川もそんな子供達の挑戦意欲をかき立てるように作られているのをご存知でしょうか?幼稚園の小川の幅は狭い所も広い所もあります。子供達は岸から向う岸まで跳んで遊びます。自分の力に合わせて先ずは跳べそうな所を選びます。そこが跳べたら、次はもう少し難しい部分を探して跳んでみます。この自分への挑戦が楽しいのです。自分の力より少し上に挑戦する事が醍醐味なのです。安全圏の中ばかりで満足するのではなく、ほんのちょっぴりのスリルを楽しむのです。そして、その時には、どうやったら向う岸に跳べるかを考えます。時には、跳びきれなくて小川にはまってしまう…そんな事がありながらも自分のハードルを上げたり下げたりしてなんとか跳ぼうと頑張ります。その時の顔は、やはり真剣です。そして、跳べた時に初めて笑顔になります。コツをつかんだ達成感に満ち溢れています。それは、木琴を頑張っていた子供達のその時の気持ちと同じです。初めから“これ、できっこない!”と思わないで、もうちょっと頑張ったらできるかもしれないと思って挑戦する子供達は意気揚々として見えます。難しい事に挑戦するって本当は楽しい事なのです。自分の力が停滞したり後退しないで、刺激を受けながらどこまで頑張れるかを試してみるのは、『自分』を開拓していくきっかけにもなるような気がします。

でも、この挑戦意欲をかき立てるには、やはりそうできる環境が必要です。難しい小節を少しでも演奏できた時、即座に「すごーい!!できた!!かっこいい!」と力強く褒めて認めてくれる先生のような人がいてくれる事、向う岸に跳べた時に「わぁ~!○○くんかっこいい!僕も○○君みたいに跳びたいなぁ」と優越感を与えてくれる友達の存在、そして、そうできる環境がある事です。難しい事から目をそらしたり避けてやり過ごすのは、実はもったいない事です。いきなりハードルを上げるのではなく、様子を見ながら少し…また少し…と上げてやるのです。そして、できた!できた!を繰り返し味わう事ができたら、『難しい事』に向かって行く強い心や、意欲、そして、その事の楽しさに気づくようになります。その味を占めたら、これから先、子供達が生きて行く間に色々あるだろう困難にも、“もう少し頑張ってみようかな”と思って踏ん張れるたくましい子になるのです。

子供達は、そんな事をいくつも経験しながら頑張って来て、いよいよ一週間後の本番に挑みます。きっと自信たっぷりな様子に感動していただける事と思います。そんな子供達を益々たくましく成長させてくださるのも、お客様である保護者の方々の応援です。どうか、ステージに立つ可愛い主役達に惜しみない拍手とエールを送ってやってください。