お次の方・・・・・どうぞ(平成28年度)

先日の運動会では、たくさんの応援をいただきありがとうございました。子供達はみんな生き生きと、自分の今持てる力を一生懸命に発揮してくれたように思います。この経験が、子供達をまたひとつ大きくしてくれるものと信じています。

さて、それは、夏休み中のプレイルームでの出来事でした。子供達が部屋の中で遊んでいる時、トイレから女の子の声が聞こえて来ました。「葉子せんせ~い!葉子せんせ~い!来て!!」──行ってみると、年中組の女の子がトイレットペーパーの芯を持って呼んでいたのです。「あらあら、ごめんね。待っていて!すぐに替えてあげるからね。我慢できる?!」と聞きながら替え、「はい、お待たせ。行っていいよ。」と言うと、「ううん、私はもう行ったの。私で、ちょうどトイレットペーパーがなくなったから…。」と、その子は次の人が困らないように、紙が無くなった事を教えてくれたのでした。私は、てっきりトイレに行ったらトイレットペーパーが無くて困って焦っているのだと思っていました。「そうなんだ。○○ちゃんは大丈夫だったんだね。良かった。ありがとうね。」と言うと、その子はすぐにまた友達の所へ行って遊び始めました。職員室でもよくある事なのですが、私が印刷したりコピーをしたりしようと思ったら印刷用紙やコピー用紙が無くなっていて、「だ~れ!? 最後に使った人!次の人が困るでしょ~!用紙を補給しておいてよ!」と、先生達に小言を言う事がよくあります。たまたまだったのか、忙しくて気が回らなかったのか、忘れていたか……ブツブツ言いながら私が補給します。そういう私も人に小言が言えるほどではありませんが……(お恥ずかしい事ですが…)。大人でも分かっていてもなかなか当たり前の事が当たり前にできないのです。次の人の事まで気が回らないのです。

『立つ鳥跡を濁さず』という言葉があります。“立ち去る者は、その場所が、見苦しくないよう、きれいにしておくべきである”というたとえですが、これは人が人と関わり合いながら共に生きて行くための最低限のマナーだと思います。何事もなかったかのように物事をきちんと整理整頓しておくのです。その事で、次にそこを使ったり見たりする人が困ったり気分を害したりする事のないようにという気遣いです。物質的な事だけではなく、気持ちの上での話でもあります。大人社会においては、そういう所で人間性を見られる事にもなります。立ち去ったその跡に、その人の気持ちが表れます。

我が家の稲刈りを手伝いに来てくれていた義兄が、刈った後、竹ぼうきとちりとりを持って藁で散らかった道路を掃除しようとしてくれていました。「自然にきれいになるかもしれないけど、みんなが通る道だからね。汚したままじゃあ、気が引けるからね。」と…。単に、自分の家の稲刈りの片付けとしてではなく、次にここを通る人が気持ちよく通れるようにという気遣いです。きれいになったその道路から『稲刈り中お騒がせしました。どうぞ通ってください。』の気持ちが表れます。

また、大学生の我が家の娘達がお盆に帰省して来た時の事。彼女達の帰省を楽しみに掃除をしたり夏用の布団を出したりして、それぞれの部屋を整えておきました。帰って来てその事に気づいた二人が「部屋を整えてくれててありがとう!家に帰ってきたぁ~って気がする!」と言ってくれました。数日過ごして、また大学に戻った後の娘達がいなくなった部屋を見ると、二人がそれぞれ使った枕と布団のカバーが外してあり、ベッドと部屋がきれいに整えられていました。それを見て彼女達の『お母さん、数日間ありがとう。』という言葉とは違う感謝の気持ちが伝わってきました。

トイレットペーパーが無くなったのを知らんふりできなかったり次の人の事を考えたりした女の子の自然な行動が、凄く輝いて見えました。“お次の方どうぞ”と心から言える思いやりの心だと思います。その時、あまりにも自然過ぎて、やり過ごしそうでしたが、よく考えると、それはとてもとても大切な気遣いのある振る舞いで、それをわずか4歳の子供が普通にできる事に大変感心しました。私は、少し時間が経って、その女の子に「○○ちゃん、さっきはありがとうね。次の人がきっと助かっただろうね。」と声をかけました。その女の子はきっと先生に褒めてもらいたいとか、良い事をしたかったという気持ちではなく、その子にとっては極自然な事で、次の人の事を思って、紙が無くなったのをそのままにしておけなかっただけの事なのです。

“片付ける”とはそういう事なのだと思うのです。自分の行動にピリオドを打つだけでなく、更に次の人の気持ちを考えて行う──ここまでを言うのだと思います。その“次の人”はもしかしたら“自分”かもしれない、そうだったら、どうなっている事が気持ちの良い事なのかを考えられる人になってほしいと思います。よく、今の若者はコミュニケーション能力が不足していると言われます。コミュニケーションとは、直接、人と会話をしたり触れ合ったりする事だけではなく、人を想う心を自然に行動に移す事もそれに値すると思います。それが普通にできる子供達の姿を認めてあげる事で、いずれ、世の中を担う頼もしい若者達に育つ事に繋がって行くような気がします。
実は、子供達の純粋な行動に、私達大人も大切な事を気付かされたり学んだりする事って結構あるんですよね。反省!

同窓会(平成28年度9月)

夏休みも終わり、今日から2学期が始まりました。お盆を境に、少し和らいだ暑さが秋の始まりを感じさせます。田んぼでは、黄金色の稲穂が頭を垂らし並んでいます。そろそろ稲刈りです。

この夏休み、私にはいつもと違う思い出ができました。平成4年度に三次中央幼稚園を卒園した子供達が同窓会を開いてくれたのです。「連絡がとれる人に集まってもらって同窓会をしようと思っています。葉子先生にも出席していただきたいんです。」……と、連絡をもらいました。勿論、当時の他の担任にも連絡があり、私と伊藤美智子先生とで出席させてもらう事にしました。当日まで、どんな同窓会になるのだろう?いったい誰に会えるのだろうと楽しみにしていました…と同時に、24年前のその卒園児達は今や30歳!……そして私は○○歳!あの頃のあの子達と私……着実に年を重ねた(歳をとった)私の事がわかってもらえるだろうか???……。出席予定の名前を見てあの頃の事を思い出し、楽しみと不安とでドキドキしながらその日を待っていました。実を言うとその子達は、私が今から22年前に出版した幼稚園での楽しい活動をまとめた本『あそべやあそべ』の主人公達でした。その本を久しぶりに開いて読んだり写真を見たりしながら、当時の幼稚園での子供達の声や生き生きとした笑顔や可愛い泣き顔・怒り顔がよみがえってきました。この子達が今…?

そして、当日。私は、子供達に見せてあげようと、本『あそべやあそべ』とその時の学年の集合写真を準備しました。美智子先生は、当時の写真をきれいに整理してあるアルバムと、なんと!驚いた事に当時保育室に貼っていた子供達が描いたグループ表を持って来ておられました。24年も前の子供達の作品を今でも大切にしていて、それがすぐに取り出せるように保管してある事が凄いと思い、それを見た卒園児たちは美智子先生のそのクラスや子供達への愛情を感じてどんなに喜ぶだろうかと楽しみでした。

それから、いよいよ会場の店に入り案内をされると、その部屋の中には、若々しく元気に語り合っている卒園児達がいました。どの子の顔を見ても、あの頃と違い過ぎていてすぐにはわからない子もいました。ここに集まるまでに、ドキドキしていたのは、私達先生だけではなく、卒園児だった子達もみんなそうだったようです。卒園してからもずっとつきあいがある子達ばかりではなく、引っ越しをした子もたくさんいたり日本を離れ海外で過ごしていた子やそれぞれ違う進路を歩んだのですから、みんなすごく久しぶりなので不安だったようでした。でも、しばらく過ごすうちにすぐにみんな打ち解けて大笑いをしながら近況報告をしあったり、昔話をしたりしていました。いろいろな話をしていくうちに“ああ、やっぱりあの頃と一緒だ!”と昔に戻ったような気がしました。

仲良くお酒を酌み交わしながら話し込む男の子二人を見て美智子先生が、「昔から二人は仲良しだったよね。」と言って、アルバムを開いてみせると証拠写真を見るように「ホントだ!いつも写真に写る時は隣だったね。」とか「あの頃、こんなに小さかったのにね。」と話しながら懐かしそうにアルバムを一緒にめくっていました。ある子は、『あそべやあそべ』の文中の写真や活動を見て「ワッ!!これ、覚えてる!!人形劇!……巨大迷路!──身体に絵の具をつけまくったのも覚えてる!」と、幼い頃の記憶が次から次へとよみがえってきたようでした。「吊り輪で手をすべらせて落ちて頭を怪我した事もあった」「葉子先生と小学校に一緒に入学してもいいですか?って園長先生に聞いたらそれは困ったなぁ、葉子先生を連れて行っちゃダメだよって言われた事を覚えてる。」…等と、おぼろげながらの記憶を引っぱり出してはずっと笑いっぱなしでした。

ひとしきり思い出話をして落ち着いた頃、次は、その子達の子供の話になりました。結婚して息子や娘を一生懸命に育てているパパ・ママになっている子もたくさんいます。その子達が「やっぱり三次中央幼稚園に入れたいよね」と言ってくれました。実際に「先生!3歳になったら入園させるからよろしくお願いします!」と言ってくれたり、「転勤して、三次に帰ったら、入園させるからね!」と約束をしてくれる子もいました。その時、なんて私達は幸せなんだろう、何年経っても、こうして思い出で繋がっていられる人達がたくさんいる事…そして、これからも繋がっていたいと思ってくれている事…また、その仲間同士がみんな横でも繋がっていられる事……。この子達のお父さんやお母さんの中には、今でも会って話ができる方もおられます。あの時の繋がりが、子供達へ繋がり、またその次の子供にまで繋がろうとしている事に不思議な何かを感じるのです。毎年入園前に提出される願書に書かれている保護者名を見て、かつての卒園児だと分かった時、“おかえりなさい”と迎えたくなります。いいお父さんやお母さんになった様子を見て、嬉しくなるのです。

幼稚園の同窓会を卒園児達が開いてくれる事なんてそんなにある事ではありません。自分達の学びの原点がここである事を大切に思ってくれている事に感動しました。卒園してから今まで、そしてこれからもいろいろな人生を歩んで行くだろうたくさんの卒園児達が、この繋がりに元気をもらってどうかこれからも幸せに過ごして欲しいと心から願ったのでした。ありがとう!また会いましょう!!

“不安”を“期待”に…そして“自信”へ(平成28年度8月)

梅雨真っ只中の空が段々と真夏の色に変わって来ているように感じます。重たかった雲が軽くなり夏の風にゆっくり流れていく様が、いかにも夏を思わせます。

さあ!明日から2日間、年長組の子供達は島根県大田市の三瓶へ合宿保育に行きます。お家の人から離れて先生や友達と一緒に過ごします。先生達は、この合宿保育に向けて、子供達全員が楽しみにその日を迎えられるように、話をしたり準備をしたりしてきました。お家でも、きっとその話をしてくださっていたと思います。しかし、毎年、みんながみんな楽しみに思えるわけではなく、中には、“お母さんから離れて寝た事がない”とか、“おねしょが心配で…”等、不安で一杯の子供がいます。「行きたくない」という子もいます。

5月の終わり頃、年長組で行った『かきかた教室』がきっかけとなり、ノートに名前や手紙、日記等を自由に書いて私に見せてくれる子が何人かいます。段々と文字を書く事が楽しくなってきているのか、文章もユニークで毎日読むのを楽しませてもらっています。その中に、こんな事を書いて来た女の子がいました。『ようこせんせい、がっしゅくほいくにいきたいけどいきたくないです。ねるのがちょっといやです。』──切実な今の悩みだったのでしょう。私にまで書いて伝えようとした気持ちが切なくて、何とかここを乗り越えて欲しいと思いながら私はこう書いて返しました。『お兄ちゃんも年長組の時に行って楽しい思い出が出来ているはずです。夜はたっぷり遊んだ後だから目をつぶっていたらすぐに眠れてあっという間に朝が来ます。だから大丈夫。一緒にいこう?』──すると翌日のノートに……『おにいちゃんにがっしゅくほいくのことをききました。すぐにねれたよっておしえてくれました。でもまだきになります。』と書いて来てくれました。行きたい気持ちとそれでもやっぱり不安な気持ちで揺れているようでした。それからも何度か、気持ちを正直に書いてくれたノートをやり取りしました。よほど不安だったのでしょう。

よく考えたら、それは極々当たり前の事かもしれません。お家の人と離れておじいちゃんおばあちゃんの家に泊まる事はあっても、まだ、人の家に泊まるという経験はそうないでしょうから。お家の人が傍にいない2日間の事が想像できなくて不安なのです。それを聞いた担任は、少しずつその子の気持ちを和らげてその日が迎えられるように作戦を練ります。三瓶はどんな所か、そこでどんな事をして過ごすのか、どんな楽しい事が待っているのかをその子だけでなく、子供達みんなに話す事で楽しみを共有させます。そのうち、少しだけ様子が想像できて…ちょっとだけ楽しみにもなってきます。先生達の作戦はさすがです。不安で硬かった表情が少しずつ和らいでいきます。そうして、不安を残しながらでも当日を迎えられたら、ここからがまた成長のチャンスです。ここで、諦めるか勇気をもって挑むかで、その後の生き方が変わってくるかもしれません。人は皆、人生の中で何度か自分の目の前にある壁を打破しないといけない場面に出くわします。そんな時、その先にある楽しみや自分の姿を想像し期待する事で、頑張ってみようという気持ちを奮い立たせます。それができる人になるかならないかは、幼い頃からのこういった経験の積み重ねや繰り返しで決まって来ると思います。先生達は子供達全員の気持ちがこの合宿保育に向くように一生懸命に応援します。成長できる良いチャンスだからです。

合宿保育は、年長組の行事の中で子供達にとっても親にとっても大きな行事です。自分の荷物は自分で準備したり片づけたりします。出されたご飯は苦手な物でも頑張って食べます。友達と一緒に早寝早起きをします。───頑張らないといけない事がいっぱいありますが、自分の力で頑張った事がまるまる自分の楽しみや喜びになる事を実感できる2日間なのです。そして、頑張った自分の力に自信が持てるようになります。お父さんお母さんも、この2日間は心配で…気がかりでたまらないと思います。でも、子供達は、きっと大丈夫です。先生達が応援します。必ず成長する事がわかっていますから……。どうか、「行ってらっしゃい!」と笑顔で見送ってあげてください。“お父さんやお母さんがいなくても友達と一緒だったから楽しかったよ”“何でも自分でできたよ”“みんなと一緒に食べたご飯は美味しかったよ”と大きなリュックサックの中に“思い出”と“自信”を一杯詰め込んで帰る事でしょう。そして、2日間を過ごして帰って来た時には、どうぞ「おかえりなさい」と迎え、お土産話にしっかり耳を傾けてあげてください。頑張る気持ちでパンパンだった空気を少しずつ抜いて楽にしてあげてください。そうしないと、次の新しい空気が入らなくなります。気持ちを抜いたり入れたりする事も大切です。この『合宿保育』の経験はきっとこれからの子供達の成長を後押ししてくれるものになるはずです。

さて、皆さんはどんな夏休みを過ごしますか?この長い休みの間、何か一つの事を続ける事が楽しい!何か頑張って挑戦する事が嬉しい!──そんな経験がたくさんできるといいですね。そして、今のこの時にしかできない、今だからこそできる事をぜひ!一緒に経験し、心に何かが残り、何かが育つ夏休みにしてみてください。

この夏休みの間にいろいろな事を経験して、一回り大きくたくましくなった子供達にまた2学期に会える事を楽しみにしています。そして休み明け、『合宿保育に行きたくないんです』と書いて来た女の子のノートに何て書いてあるかを楽しみにしていたいと思います。

こっちをみて!(平成28年度7

年長組の子供達が植えたお米の苗が、水田の中でフサフサと風に揺れています。イモ畑では、サツマイモの苗が、太陽の光を浴び雨や土の養分をいっぱいに吸って元気よく伸びています。収穫はまだ先の秋になりますが、それまでの一日一日が、その生長に欠かせない大切な時間になっている事が、まさに子供達の成長と重なり、田んぼや畑を毎日見渡すのが楽しく思えます。

さて、先日の“父親参観日”では、たくさんのお家の方においでいただきました。普段仕事で忙しく、子供とだけの一日を過ごす事がなかなかできないお父さんにとって、その日は、我が子の事だけを考えて楽しめる良い一日になったのではないでしょうか?無邪気に笑う子供達を見て、親は、どんな事でも頑張ろうと思うし、ずっとこの幸せを守ろうと思います。そして、そう願って自分を見つめてもらっている子供達にもその思いが伝わるのか、穏やかな気持ちになっているのが伝わって来ます。自分を見ていてもらうだけで、子供達は幸せな気持ちになるのです。“見ていてもらうだけで…”と言えば……。

赤ちゃんを出産されたあるお母さんが「先生、赤ちゃん返りっていつまで続くのでしょうか?」「お姉ちゃんになったのに、逆に難しくなってしまって…」と悩まれている事を話してくださいました。それまでは、お父さんやお母さんの愛情を…視線を一身に受けてきたのに、赤ちゃんが生まれてからはどうしても親の関心が赤ちゃんに移ってしまう──当然の事です。お父さんもお母さんも大変なんです。だけど、まだ、その環境の変化が即座に受け入れられない幼い子にとってはその現象(?)は一大事なのです。何とかしないと!と、子供なりに必死で作戦を練るのです。これならどうだ!これでもダメか!と、親が戸惑うような事を言ったりしたりして、お父さんやお母さんの関心を自分の方に戻そうと“努力(?)”しているのです。これもまた、当たり前の事です。

こんな事もありました。入園前に、幼稚園によく遊びに来ていた女の子。先生達も、いつも職員室に顔を覗かせてくれるその女の子が可愛いくて、たくさん遊んだりおしゃべりをしたりして楽しんでいました。4月、晴れて入園したその女の子は、毎日とても楽しく幼稚園に通っています。何でも自分で頑張れて、幼稚園の約束や先生の話もちゃんと聞けるので順調に過ごしていると安心していました。それから1カ月が経ったある日、降園準備をしていたその女の子のクラスに行ってみると、その女の子は、すっかり降園準備を整えて椅子に座っていました。その横で、まだ、自分で着替えが出来ず歩き回っている子がいたり、幼稚園生活に慣れていないために、疲れて機嫌が悪くなっている子がいたりして、担任も私も抱っこしたりトイレや着替えを手伝ったりして、その子達の対応に追われていました。すると、良い子で座っていたその女の子が、おもむろにちゃんと履けていたシューズをわざわざ左右反対に履き替えたのです。私が気付かない振りをしていると、近寄って来て、何も言わずに私のエプロンを掴んで反対シューズの足元を見せるようにさり気なく足踏みをしました。私は、「アッ、そうか!」と思いました。その子は、アピールしていたのです。(私も、ここにいるよ。私の事もちゃんと見て!)(その子達ばかり見てないで私の事もかまって!)……と。少しして「あらら、シューズが反対だよ。直してごらん。」と言って見ていると、私のエプロンの裾を掴んだままで履き直していました。また、ずっと前に、家でしたのであろう手の怪我を見せて「ここが、痛いの」「ここがかゆいの」と職員室の園長先生の所にまでも言いに行っていました。きっと、入園するまで、十分にかまってもらえていたのが、そうばかりでなくなったのが寂しかったのかもしれません。環境の変化に戸惑っていたのでしょう。その子にしてみれば、急に視線を背けられたような寂しい気持ちになり、何か、注意をひかないと…と思ったのでしょう。

子供は、“赤ちゃん返り”という作戦や“わがまま”“反抗”といったいろいろな方法で、お父さんやお母さんを困らせようとします。

それは、悪い子になったのではなくて、「こっちを見てよ~」とけな気に信号を送っているだけなのです。そんな時には、その子を少し優先させてあげてください。手が掛からないから…お姉ちゃんだから…良い子だから…と、安心してばかりいると、敏感に大人の変化を感じる子は、寂しい思いをしているのかもしれません。その状況の事もちゃんと子供は分かっているのです。(今は、我慢しなきゃいけないな。わがまま言っちゃダメだな。)と思いつつも、その寂しさをいつ…どういった方法で伝えたらいいのかを模索しているのです。子供達は、周りの様々な環境の変化を感じ、幼いながらも一生懸命にそれを受け入れようとします。しかし、その許容範囲を超えそうになると何かしら発信してきます。その事に気付いてあげてください。お父さんやお母さんとだけの時間をつくってあげて、いっぱい話をしたり触れ合ったりして「あなたの事が大好きよ」「いつも、ずっと、見ているよ。ちゃんと見ているからね」と気持ちを伝え、安心させてあげてください。心をしっかり抱きしめて……。必ず、立派なお兄ちゃんお姉ちゃんになってくれますから。

神対応(平成27年度3月)平成28年3月

幼稚園の花壇にチューリップの芽がのぞいています。園庭の木々は、いつの間にか枝先に新芽が……。柔らかく優しい日差しが、「春ですよ~そろそろ出ておいで~」と誘っているような気がします。

少し前に年中組の女の子が持って来てくれた菜の花をたくさんの子供達が囲んで見ていました。黄色がとてもきれいで匂いを嗅いでみると、芳香剤や柔軟剤のような作られた香りとは違う自然の花の香りがして、子供達は、何度も「私も!私も!」と代わる代わる嗅いでいました。「春の匂いがする~」と、一人の女の子が言うと、他の子供達は、何度も見たり触ったり嗅いだりしながら「うん。本当だ!春の匂い」と同調して言いました。本当にそう思ったかどうかはわかりませんが、野に咲く花と特有の香りに、ゆっくりと季節が変わっていく気配を感じたようでした。

花壇のチューリップの芽をみつけて、子供なりにやっと出て来た姿を健気に思うのか、少し触って、しゃがんでじーっと見ていました。そして、「かわいいね」「うん、かわいいね」と言い合っています。私は、チューリップの芽を見て“可愛い”と思う子供達を見て、何て素敵な感性なのかと感激しました。

夏から秋口にかけて大人気だった園内の小川のザリガニや小エビ達も、冬の間は可愛いギャング達からの襲撃(笑)から免れ、のんびり過ごしていたようですが、すこし暖かくなり、再び襲撃を察知して動き始めました。暖かい日には、牛乳パックの中に捕まえた小エビを囲んで「いた!いた!僕のが一番大きい!」と、すでに目を輝かせる姿が見られます。

こんなふうに、子供達は、周りの環境を目で見て、耳で聞き、手で触れ、匂いを嗅いで、心で感じ、そして言葉や文字、行動で表現します。見よう・聞こう・知ろうと関心を持った事を体験に変えて行く事で、探求心や感性が育ちます。この一年、幼稚園の中で、子供達は、いろいろな事に興味や関心を持って様々な経験をして来ました。きっと、友達との生活の中でも、個々の“感性”と“感性”が一致したり、ぶつかり合ったりしながら、人と人とが共に生きやすくなる方法を学んできたはずです。心がワクワク動かされる生活を送りながら、友達ができ、やりたい事がみつかり、大切な事は何なのかがわかってきて……。そうして、“人間力”“生きる力”が育って来るのです。

預かり保育での事です。年中組のひとりの女の子が、おままごとの仲間に入れなくて泣いていました。私が話を聞いても、なかなか言葉にならず泣き止みません。すると、そこに同じクラスの女の子がやって来ていきなり、「アッ!おならが出そう!あらあら、どうしよう!出ちゃう出ちゃうぅぅ~」と泣いている女の子の前でパフォーマンスをしたのです。私は、その突然の行動に驚きました。すると、泣いていた女の子が笑ったのです。それを見てまた、「あ~ぁ、また出そう~」とおどけて見せると、涙を手でぬぐいながら笑っていました。そして、道化師を務めた子がその子の手をとって、相手陣のところに行き、ここでもまた「いじわるしちゃ~イヤイヤ~ん?」と道化師を演じました。すると、みんなが笑って、いつの間にか大きな輪ができ一緒におままごとをしていました。この方法が教育的に良いかどうかは別として、その子が見つけた自ら道化師を演じて気まずい空気を良いムードに変える方法だったのです。一気にみんな明るい表情になりました。まさに『神対応』でした。

参観日で観ていただいた子供達の劇…、練習していた時の事です。ひとりで立ってセリフを言ったり、みんなの前に出たりするのが恥ずかしくてできない年長組の女の子がいました。先生は、何とかしてそこを乗り越えて楽しさや達成感を味わわせたいと思っていました。すると、子供達の中から「一人で立つのが恥ずかしかったら、みんなも一緒に立ってあげたら?」という声が上がり全員が立つ事になりました。しかし、女の子は、立ちたい気持ちはあっても、恥ずかしさの方が強くてなかなかみんなの気持ちに応えられません。その中で、隣の女の子が、スッと座って、背中を優しくさすりながらその子に寄り添ってあげていました。ひとりだけで座っているのは逆に立ちにくそう……彼女は、“自分だけは一緒に座ってあげようと”考えて自らそうしたのです。これにも『神対応』を感じました。参観日には、立てなかった女の子もみんなと一緒に楽しく頑張る姿を観てもらえたそうです。

子供ながらにしてなせる『神対応』は、感情や感性が育っている証だと思います。それを育てるためには、興味や関心をもち心を向ける事ができる環境と生活が必要だと感じます。

年長組の子供達は、もうすぐこの幼稚園を巣立って行きます。ここで過ごした数年間の一日一日が、こうした積み重ねであった事をいつか感じてくれたらいいなと思っています。大人になった時も、菜の花の香りを嗅いで“春”を感じたり、チューリップの芽を観て“可愛い”と思えたり、水の冷たさ温かさに触れてザリガニや小エビの居る幼稚園の小川を思い出したり懐かしんだりしながら、豊かな心をもって歩んで行って欲しいと願っています。