子は鎹(かすがい)(平成29年度1月)平成30年1月

あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、良き新年をお迎えになられた事とお慶び申し上げます。毎年、新年を迎える度に“今年はどんな年にしようかな?”と考えます。自分自身の事もですが、きっと皆さん、一番に思われる事はご家族の幸せではないでしょうか?初詣でも、“家族みんなが元気で仲良く過ごせますように…”と手を合わされた事でしょう。どうかこの一年が皆様にとって希望に満ちた良い年になりますように……。

さて、もう昨年の事になってしまいましたが、12月に行われた『音楽発表会』では、たくさんの温かい視線を子供達に向けてくださりありがとうございました。子供達は、お家の方に観てもらい家に帰ってからいっぱい褒めてもらえた事で大きな自信を得た事と思います。きっと、3学期の勢いに繋がって行く事でしょう。その後、たくさんの感想をいただきました。お母さんだけではなくお父さんからの感想もあり、どんな気持ちでお家の方々が子供達を応援してくださっていたか、その姿を見て、子供達にどんな思いを馳せてくださっていたかが伺えました。

そんな中、一人の先生が、あるお母さんと話した事を教えてくれました。そのお母さんは、本番まで、我が子が一つの楽器を任されて本当にちゃんとできるのだろうかと心配で心配でたまらない気持ちでおられたようでした。私の方からも「○○君、毎日練習を頑張っておられるんですよ。とってもカッコいいんですよ。」と伝えても「ちゃんとやってくれるんでしょうかね~。想像がつかないんです。」と本番まで楽しみなような不安なような…そんな表情でした。その気持ちも凄くわかりました。親ってそうですよね。この目で見るまでは…と。きっと、本番では、ステージの我が子を祈るような気持ちで観てくださっていたと思います。音楽発表会が終わって、会場から帰られるそのお母さんの目は潤んでいたように見えました。そして、家に帰ってから発表会のビデオをご夫婦で何度も観られたそうです。今回の発表会だけではなく、これまでのお兄ちゃんの頃から今年の分まで全てのビデオを観られたそうです。そして、我が子達がどんなに成長したかをご夫婦で感じられたそうです。

こんな風に、子供の色々な生活や経験を通して、夫婦が、家族が、一つの同じ気持ちになれる事は、とても素敵な事だと思います。きっと、お兄ちゃんからの何年分もの音楽発表会のビデオを観ながら、「私達夫婦で、子供達に向けてきた気持ちや子育ては、いまの所順調だよね。本当に成長してくれて嬉しいね。」と、これまでの子育てを振り返る事ができたのではないかと思います。そして、「これからも、成長していく子供達を私達夫婦で見守って行こうね」と気持ちを再確認されたと思います。

『子は鎹(かすがい)』ということわざがあります。鎹というのは、木材と木材を繋ぎ合わせるために打ち付ける大きな釘です。この鎹があれば、二つの木材は繋がれて丈夫な建物をつくる事が出来ます。

この木材は“夫婦”であったり“家族”であったり、“親戚”であったり……それはいろいろです。とにかく鎹となる子供はそれらの関係を強く深く繋ぎ合わせてくれるのです。『絆』をつくってくれるのです。不仲である物を繋ぐというのではなく、子供達が経験する様々な事を夫婦や家族や親戚で喜んだり悲しみを分かち合ったり悩んだりする気持ちを共有しながら、あらためて家族の在り方や幸せを確認でき、子供がそこにいる事で家族の気持ちが一つになる幸せを感じる事ができるのです。

これから子供達は、大きくなるにつれてどんどん新しい事を経験し、違う環境の中に飛び込んで行きます。実際に我が子が入園した事によって、お父さんお母さんの世界は広がり、子供がいなかった頃と今現在では、生活や環境や人との付き合い等に違いがあると思います。大変な事もあるかもしれませんが、子供達のおかげで、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりする事も増えて、その度に親として色々と考え学びます。実は、成長しているのは子供だけではなく、親も一緒に成長させてもらえているのです。子供を介して…子供の生活を介して…幸せをかみしめる事ができるのはこの上ない喜びだと思います。いろいろな事があって、人生は彩られるのだと思いますが、私達の人生を潤いある人生にしてくれている要因の一つは子供の存在そのものだと私は思っています。忙しい子育ての中ではなかなかその事を実感できないかもしれませんが、 そう考えると子供に感謝しないといけませんね。そして、これからも そんな子供達を大切にみんなで育てて行こう。──そういう気持ちになれる事が『子は鎹』の意味でもあるのではないかと思うのです。

参観日や行事の度に先生達は「お子さんの成長を観ていただけたのではないでしょうか?」と聞く事があります。成長を観るだけではなく、その成長をご家族みなさんで共有し、その子供の成長の積み重ねが、 その子を一人の人として確立させていく事と、家族の幸せを紡いでいくという事を感じて欲しいと思っています。

さて、三学期が始まりました。一年の最終学期、締めくくりです。 これまでの成長を保護者の皆様と信頼の下に共に喜び合い、次に繋げて行く努力をして参ります。『子は鎹』──たくさんの子供達は、幼稚園と保護者の皆様をも繋ぎ合わせてくれています。

見てもらう喜び(平成29年度12月)

 園庭に黄色いイチョウや真っ赤なモミジの葉が、冷たい風に舞い降りてきます。その様子にもまた、これぞ!三次中央幼稚園自慢の園庭!と、ついうっとりと見とれてしまいます。

 そんな事を思いながら園庭に立っていると、子供達が「葉子先生!みてみて!」と呼び止めてくれました。縄跳びの前跳びがたくさん跳べるようになったと見せてくれます。鉄棒の逆上がりができるよとやって見せてくれます。きれいな落ち葉を集めてブーケにして見せてくれます。幼稚園にあるストライダーに乗れるようになった様子を見てもらいたくて「みててよ!」と園庭を一周して見せてくれます。───子供達は、次から次へと「みてみて!」と必死にアピールしてきます。見てもらった後は、葉子先生が何て言ってくれるだろうかと、どうだ!とばかりに私の顔を見ます。「すごい!そんなに何回も縄跳びを跳んだら、地面に穴があきそう!」と冗談を言いながらたくさん跳べた事をほめてあげます。「わぁ!できるようになったんだね!がんばったね!」と一緒に喜びます。上手になった事や格好いい事や綺麗な事、また、頑張った事等々を「どう?すごいでしょ!」と認めてもらいたくてアピールしてくるのです。

この無邪気なアピールは、もしかすると、幼い時期だけかもしれません。大きくなるにつれて、自分の凄さに気づいて欲しくても「みて!みて!」と呼び止めてまで、こんなにわかりやすい…露骨なアピールをしなくなります。少し大きくなって思春期を迎えた頃には、気付いて欲しくても、言えなくて……それでも気付いてもらえるのを待つようになり、思ったように気付いてもらえなかったら諦めるようになって……という事もあるのです。子供の心に気付きにくくなる時が来ます。

 また、幼い時期でもアピールできない子もいます。「みて!みて!」と積極的に言ってくる子はわかりやすいですが、そう思っていてもなかなか自分から言えない子がいます。でも、気付いて褒めて欲しい、一緒に喜んでほしいという気持ちは同じようにあるのです。思春期になっても、子供達の承認の欲求は皆持っているのです。

 来月の6日と7日には、『音楽発表会』を行います。これまで、クラスの友達や先生と一緒に音楽を楽しみながら、練習を重ねて来ました。少し出来上がった頃、違うクラスや学年の子供達や先生がお客さんとして見に来てくれました。そうなるとステージの上の子供達は、自分達だけで練習をしていた時の顔つきとは違ってきます。「見ててよ!見ててよ!」という気持ちが、ピンと伸びた姿勢や先生の指揮を見る視線やキリリと締った顔にうかがえます。そして、演奏し終わった後、お客さんになってくれた友達や先生達からもらえた拍手でそれらの様子が一気に緩み、とても嬉しそうな笑顔に変わります。見てほしいというアピールが自分からできない子供達も、この時は、たくさんの人達から視線を浴びる事が出来ます。頑張っている自分を観てもらえるチャンスです。

子供は皆「みて!みて!」の気持ちで一杯です「みて!みて!」は“私を…僕を認めて!”の気持ちの表れです。頑張った自分を見て“あなたは凄い”と認めて欲しいのです。ステージに立つという特別に用意された時間は、子供達にとっては誰もが誰もに認めてもらえる時間です。見てもらえる喜びを一身に浴びながら得意気に立ちます。また、見てもらっている時の子供達は、嬉しい気持ちと同時に幼い子供なりに張り詰めた緊張感を味わいます。子供の生活には嬉しい!楽しい!…が大切です。そこにこの緊張感が加わると、子供達は大きな達成感を得る事が出来ます。音楽発表会は、それを得る事ができる経験の一つだと思います。緊張を経験する事は決してかわいそうだったり辛い事ではない事を子供達は自ら感じ、その緊張感を含めての快感は、普段の気持ちの何倍も嬉しかったり楽しかったりするのだと知るのです。音楽発表会に向けてのこれまでの練習の中では、子供達も上手くいくばかりではなく、気持ちが向かない時もあったり、しんどくなったりした事もあったでしょう。だけど、ひとつのゴールに向かっていく事が喜びに繋がる事をその時その時に少しずつ感じながら頑張っているはずです。緊張を経験する楽しさを快感として味わう事で、子供達にたくましい心が育っていくのではないかと思います。初めて発表会を経験する年少組の子供達は、まだ、その事態を十分に理解できないまま本番のステージに立つ子がいるかもしれません。それでも、その子の味わう緊張は次への目標に繋がります。その目標を持って頑張っているのが昨年の緊張を経験した年中組の子供達です。そして、幼稚園最後のステージを踏む年長組、みんなそれぞれに緊張の味わい方は違うでしょうが、「みて!みて!」の気持ちは皆同じです。

間もなく行われる『平成29年度 音楽発表会 進め~未来へ~』

では、お家の方々も子供達の「みて!みて!」の気持ちに応えて、大きな拍手と、温かい眼差しを贈ってあげてください。きっと子供達は、全力でステージの上から「僕を…私をみて!!」とアピールする事でしょう。見てもらう事で、認められている事を実感し、自信をもってこれから色々な事に頑張っていける子供になってくれます。その日を楽しみに今、一生懸命に頑張っています。

あそびは学び(平成29年度11月)

 「せんせーい!見て!」と、広げた小さな手の平からかわいいドングリが。「せんせーい!あげる。」と、差し出してくれた手には赤く色づいたアメリカンフーの木の葉。──子供達は毎年この時季になると、園庭で秋の宝物を探して遊びます。これから秋が深まるにつれて、これらの宝物が園庭中に落ちて来ます。子供達にとって魅力いっぱいの季節がやってきました。

 土曜日のプレイルームでの出来事です。幼稚園の小川の周りには実のなる木が幾つか植えてあります。今は、かりんが実をつけ、時々熟して落ちています。子供達は、いい香りのするこの実に興味津々で、これをめぐって取り合いになる程です。その日も、ある男の子が木に登ったり枝を引っ張ったりして、この実を採ろうとしていました。一人がそうすると、それを見ていた子供達が真似をして無茶苦茶な事をし始めます。そこにいた先生が「木に登らなくても、あの実を採る方法があるんだよ。」と声をかけました。そして、その先生は幼稚園にあった廃材の壁クロスの巻き芯を持って来ました。120㎝程ある長さの芯の先を5㎝程カッターナイフで切り込みを入れてくれていました。それを差し出された男の子は、初めて見たので“こんなものでどうやって?”と先生がやって見せてくれる様子を真剣に見つめます。カッターナイフで切り込んだ所に実のついた枝を刺し込み、棒をグルっとひねってもぎ取るのです。「本当はもっと長い竹でするんだけどね。これでも採れるんだよ。やってごらん。」と男の子に渡しました。長いといっても120㎝位の物ですから、高い所に生っている実には届きません。そこで、棒を持って高さ1m程の添え木に登り、先生から教えてもらったようにその実を採り始めました。切り込みになかなか上手く枝が差し込めませんでしたが、何度も何度もやっていくうちにコツを覚え何個かをもぎ取ったり落としたりする事ができました。それでも、そう簡単にはいかなくて真剣でした。真剣になる程、男の子は無口になり、登った添え木を踏ん張る靴の先にも力が入っていました。長い棒を持って高い所でもっと高い所の実を採るのはなかなかのものです。先生が「バランスをとるのが上手だね。難しいでしょ。」と声をかけると、男の子は棒を横に持ち、「バランスって簡単よ。あのね、こっちに物がある時には棒の真ん中よりこっちを短く持つんだよ。そうしたらバランスがとれるよ。」と言うのです。先生はその言葉にびっくりしていました。「葉子先生、これって、まさしく天秤の理屈ですよね。」と。男の子は、物理学として学んだ事を活用しているのではなくて、遊びながら上手くバランスをとる方法を模索しているうちに感覚的にあみ出した学びなのです。学ぶつもりだったわけではなく、あそびの中から発見した事が学びになっただけなのです。

 その男の子は、普段から身体をいっぱい使って遊びます。そして、いつも真剣です。遊ぶ時も、頑張る時も、そして……喧嘩をする時も…常に一生懸命です。身体をいっぱい使って遊ぶので、擦り傷もたくさんあります。だけど、大怪我にはなりません。真剣だからです。そんな彼を見ている先生も「危ないよ。」とか「気を付けて。」とブレーキになる言葉をかけず、真剣に見守ります。きっと、彼ならできると信じているからです。その見守りが彼を真剣なあそびに向かわせる安心感となっているのです。この見守ってくれる先生や、目の前にある木々がこの男の子にとって恵まれた環境だったのです。

 三次中央幼稚園の理事長は語ります、『子供達はあそびの天才だ』と。『子供達はあそびを通して色々な事を学び身につけていく。これを直接体験と言い、この直接体験の豊富さが子供の発達に大きく関わって来る。友達と仲良く遊びながら仲良くする楽しさを知ったり、喧嘩をしながら相手の気持ちを考え、怪我をしながら安全に生活する方法を身につけて行く。子供が興味を持って遊んでいる時に子供自ら知らず知らずのうちに学ぶのだ。』…と。私達は、この理事長の理念が幼稚園の環境に映し出されている事を子供達を通して実感するのです。

 最近言わなくなりましたが、“ガキ大将”こそ、たくさんの実体験の中から学びの元となる物を学んでいるのです。それは、机上で学んだものより心と頭に残る確実な学びになっています。そして、その学びは更なる学びに応用を効かせて深めていく事が出来るはずです。テキストを与えるのではなく、幼児期には『あそび』を…『あそびの環境』を与えてあげてください。幼稚園の環境には、理事長のこれからの時代を生きて行く子供達を想う “願い”があるのです。

 好奇心をくすぐられる環境の中で夢中で遊びながら、チャレンジする勇気と試行錯誤を繰り返し工夫する力と探求心が育ちます。そして、なるほど!そうだったのか!と発見したり確認したりし、考える事やわかる事が楽しくなってきます。こうして学ぶためのベースが出来ます。子供達にとってはただ遊んでいるだけでも、その中に“学び”がたくさんあるのです。ここで、“あそび”が“学び”になるかどうかは、そこに素敵な環境が用意されているかどうかとそれを見守る大人達がどのような意識でいるかが大きな決め手になります。

 先日、来年度用の幼稚園案内のパンフレットをお渡ししました。ここには、私達が三次中央幼稚園で育つ子供達への想いが書かれています。ぜひ、あらためてページをめくってみてください。

お誕生日(平成29年度10月)

先日の運動会では、子供達の一生懸命頑張る姿を応援いただきありがとうございました。初めて運動会を経験する満3歳児や年少組の子供達にとっては、たくさんのお客様を目の前に戸惑いながらも観てもらっているという事が嬉しそうでした。年中組や年長組の子供達にとっては、頑張る中にも“こんな自分を観てもらいたい!”という意志が感じられた頼もしい姿でした。特に年長組の子供達を見ていると、幼稚園に入園してわずか3~4年の間なのに、年を重ねる事や経験を積む事の意味の大きさをあらためて感じました。この運動会は、頑張った結果ではありますが、今後に繋がって行くものだと思っています。これからの子供達がこの経験で自分の中に芽生えた力をいろいろな場面で発揮してくれる事を期待していたいと思います。

幼稚園の行事は、子供達の心や身体を成長させるきっかけの一つでもあります。成長のきっかけ……と言えば、少し前に耳鼻科を受診した時の事、待合室で待っていると、隣に4歳くらいの男の子を連れたお母さんが座って話をされていました。どうやらその男の子は何度か通院しているようで、耳の治療が痛くて受診を拒んでいたようでした。「痛くない、痛くない。大丈夫だから頑張ろうね。ママが抱っこしていてあげるから。」と言いなだめておられました。男の子は泣き声で「でも嫌だ!我慢できない!」とぐずっていました。

そのうち、「○○さん!中へどうぞ!」と呼ばれ、診察室に入って行かれました。私は、待合室でも泣いていたのだから、きっとこれから更に大きな泣き声が聞こえるはずだとかわいそうに思っていました。先ずお医者さんの声が聞こえました。「○○君、お誕生日だったね。おめでとう!4歳おめでとう!お兄ちゃんになったんだね。かっこいいねぇ。」と……。お医者さんの大きな声に看護師さんの「えーっ!そうなの?おめでとう!!」という声が重なりました。すると男の子の声は聞こえませんでしたが、お母さんが「よかったね。先生がおめでとうだって。ありがとうって言わなきゃね。」と男の子に語り掛けておられたようでした。それから「ちょっと、お耳を見せてね。お耳もお兄ちゃんになってるかな?」というお医者さんの声が聞こえてから治療が始まったようでした。大泣きするだろうと思っていた男の子は全く泣かずに、しばらくして、お母さんに手を引かれながら診察室から出てきました。そして、お母さんを見上げて、「ぼく、お兄ちゃんだった?泣かなかったよ。」と誇らしげに言いました。お母さんは、「そうだね。強かったよ。4歳になったもんね。」と母子共々安心した顔で嬉しそうに帰って行かれました。

 その男の子にとって「お誕生日おめでとう!」と言ってもらった事は、痛いから嫌だ!という気持ちを振り切るきっかけになったのです。そうだ!僕はもう4歳のお兄ちゃんになったんだ!と思って不思議な力が湧いて来たのです。

子供にとっての一年は目覚ましい変化があります。目に見えて心身共に大きくなった事を実感します。だからお誕生日は、とっても重要な記念日なのです。4歳になったから…5歳、6歳になったから…と、それを区切りにいろいろな事に挑戦しようとしたり、自信を持ったりしてグッと成長します。そして、それを認めてくれたり一緒に喜んでくれる人がいれば尚更その気になるものです。「おめでとう」の言葉と一緒に「大きくなったね。あなたが大きくなってくれている事が嬉しいよ。」と言ってあげてください。

幼稚園では、全園児のお誕生日を先生達皆が知って、その日には「おめでとう!」と声をかけています。皆の喜びでもあるからです。“今日からの僕、私は昨日までの自分とは少し違うぞ!”と大きくなる事に張り切ってくれるようにと願っているからです。

お誕生日を迎え、満3歳児クラスに入園したある女の子が、「あのね、私、お誕生日になったから幼稚園に入ったの。ママがお姉ちゃんだよっていったの。」と嬉しそうに話してくれました。3歳のお誕生日をきっかけに、幼稚園に入園して初めてママと離れた時間を友達や先生と過ごすという大きな変化があった事をわずか3歳にして喜んでいるのです。それが大きくなったという自信になっているのです。毎年迎えるお誕生日を大切に祝ってあげてください。

お誕生日だから何か好きな物を買ってあげる。どこかへ連れて行ってあげる──それも良いですが、お誕生日をきっかけに自分が生まれて来た事がどんなに周りの人達を幸せにしているか、何故これからも元気で大きくならなくちゃいけないのかを感じさせてあげてください。そして、「生まれて来てくれてありがとう……」の気持ちを伝えてあげてください。

 ……と書いている私も今月誕生日を迎えました。若かりし頃の私も、おめでとうと言ってもらって大人になっていく喜びを感じていましたが、最近は、自分の年齢に自分で驚いてしまう…というため息が出そうな気持ちになってしまいます。こうなったら!この年齢にならないとできない事や感じられない事を 子供達を見習って、前向きに自分の喜びや成長に結び付けて行きたいと思います。(これは決して、あきらめや開き直りではありませんよ。純粋に……笑.)

『孫は来て良し、来て良し……』(平成29年度9月)

今日から2学期。今年は、猛暑と長雨のニュースが毎日繰り返し流れてきた夏休みでした。そんな夏休みを子供達はどのように過ごしたのでしょうか?しばらくの間、楽しかった夏の思い出を嬉しそうに話してくれる事でしょう。

さて、夏休みには、お父さんやお母さんの故郷に行って過ごされたご家族もたくさんおられるのではないでしょうか?夏休みの間も元気に通っていた預かり保育(プレイルーム)の子供達も、お盆前には「今日からおじいちゃんとおばあちゃん家に行くんだよ~。」「泊まるんだよ。」と言う子がたくさんいました。「そうなの?じゃあ、おじいちゃんもおばあちゃんも楽しみに待ってくださっているだろうね。」と言うと、ある子は「うん!大ご馳走作ってくれるって。花火もするよ。」と、嬉しそうに話してくれました。その話を聞いただけで、子供達が大好きなおじいちゃんやおばあちゃんに会う事を……また、おじいちゃんおばあちゃんも、あれこれ迎える支度をしながら可愛い孫に久々に会えるのを楽しみにされている事が分かりました。

私の義姉夫婦には孫がいます。普段はふたりきりの家ですが、今年のお盆は次男の家族がその孫達を連れて帰って来ました。孫は2歳と5歳の男の子です。お盆前に、義兄が「これから竹を切りに行って、お盆にはそうめん流しをしてやろうと思っているんだ。」と話していました。次男家族が帰省する日には、料理の買い出しに行ったり、切って来た竹を割って節を削ったりして……。猛暑の中、考えただけでも大変そうに思えました。しかし、義姉も義兄も、大変!と言いながらもあれこれと楽しませる準備をして嬉しそうでした。きっと、孫達は大喜びでお盆の数日をおじいちゃんとおばあちゃんと過ごしたでしょう。次の日、その次男家族が、我が家にも来てくれました。義父にとってその家族は孫とひ孫になります。87歳の義父は、できる限りの事をして迎えてやろうと孫夫婦とひ孫用のジュースやお菓子やコップ等を年老いた身体をゆっくり動かしながら準備していました。

「こんにちは~!!」とやって来た孫夫婦とひ孫を迎える義父は、いつもより元気で嬉しそうで、ゴクゴクとジュースを飲むひ孫を見ているその目は、とても柔らかく優しい目でした。庭に出ていろいろな物を触って洋服を汚したり濡らしたりしているのを気にかけながらも、ひ孫が遊ぶ姿を喜んで見ていました。帰る時には車が見えなくなるまで手を振って見送っていました。

孫というものは本当に可愛いのでしょう。自分の子供とは違う可愛さがあるとよく言います。育てる責任がないから……とも言われますが、おじいちゃんやおばあちゃんは、育てる責任はなくても“見守る責任”を感じておられるように思います。ただ可愛いだけではなく、孫の幸せに直接口を出したり手を出したりできない分、見守る気持ちはもしかすると親より大きいかもしれません。“育てる責任”を持つ親と“見守る責任”を感じながら接してくださるおじいちゃんおばあちゃんが子供達についていれば、子育ても百人力です。子供達はどちらの愛情もちゃんと感じています。子供達にはどちらの愛情も必要なのです。厳しさも優しさも、叱られる事も甘える事も、心と身体を抱きしめてもらう事も……。これを全部誰かひとりが担うのは大変です。時々おじいちゃんおばあちゃんの温かさに触れさせてあげる時間をもつ事は、誰にとっても良い事だと思います。お父さんお母さんとおじいちゃんおばあちゃんの愛情をバランスよく受けた子供は幸せです。おじいちゃんやおばあちゃんでないとできない事がきっとあるのです。

次男家族が帰った後、義兄が「あの子達がこっちに帰って来たら、まぁ大変!そこら中走り回ってひっちゃかめっちゃか。いろんな事をしてくれるからねぇ。」と笑いながら言っていました。『孫は来て良し帰って良し』と言いますが、その大変さでさえ嬉しくて可愛くてたまらなさそうでした。むしろ寂し気に見えました。

うちの娘達も、お盆には帰省して数日間一緒に過ごしました。義父に「子供達がお盆には帰って来ますよ。」と教えてあげると、高齢のせいか、病院通いが多くなり気弱になっていた義父が笑って、「そうか、じゃあ、トマトはギリギリまで採らずに置いといてやろう。よく熟れるまで…。」とすぐ言っていました。孫達に美味しいトマトを食べさせてやりたかったからでしょう。おじいちゃんにできる最高のご馳走です。娘達を駅まで迎えに行き、家に帰ると玄関先に真っ赤に熟れたトマトがたくさん置いてありました。おじいちゃんの「おかえり」の気持ちが娘達にも伝わりました。おじいちゃんとたっぷり過ごした数日後、下宿先に戻って行く娘達が「おじいちゃん、また帰ってくるからね。元気にしててよ。」と声をかけると、義父は涙をこぼして「はい。ありがとう。また帰っておいでや。頑張り過ぎないように……丁度いいくらいに頑張って…。元気で…。」と返していました。“丁度いいくらいに……”このおじいちゃんの言葉に子供達はどんなに救われる思いがしたでしょう。頑張っている子供達をホッと一息つかせてくれる──これが、おじいちゃんおばあちゃんの“見守る愛情”だと感じます。

娘達が帰った後、おじいちゃんは「何べんでも…何べんでも帰っておいで……」と静かにつぶやいていました。

『孫は来て良し、来て良し……』なのです。