はんぶんこ、じゅんばんこ(平成30年度8月)

西日本豪雨における大災害で亡くなられた方々に謹んでご冥福をお祈りします。また、被災された方々におかれましては、先の見えない落ち着かぬ日々をお過ごしになり、その日その日のご苦労を思うと心よりお見舞い申し上げ、一日も早く日常の生活が取り戻せますように…と祈るばかりです。自然の恵みを受けて私達は命を?いでいますが、時として、その自然と人とが共存する難しさを思い知らされる事があります。西日本の復興を信じて、どうか、心を強く持ち続けられますように……。

さて、今日で、幼稚園は1学期を終えます。この間、子供達は個々に、また、集団の中の一人としてどんな成長をしてきたでしょうか?

個々の成長はお家での我が子を見れば、こんな事もできるようになった、考えられるようになった、言えるようになった、こんなに身体が大きくなったetc…とわかる事がたくさんあると思います。そして、その成長を喜んでおられる事でしょう。では、集団の中の一人としての我が子はどんな成長をしているかな?──これは、なかなか見えにくい所ではないかと思います。

この1学期間、幼稚園という集団の中で子供達は様々な経験をしながら園生活を過ごして来ました。それは、今、目に見えてわかる成長ではなくこれからの人生に繋がる成長の一つ一つなのです。年少組で言うと、それまで家族の中で自分がほぼ中心になっていた生活から、子供達にとっては“ちょっと窮屈な生活”になりました。自分と同じような生活をして来ていて、同じような事を考え、心身共に同じような者が集まり、なかなか思い通りにならない社会に入りました。自分だけのために先生がいて、自分だけのためにおもちゃや絵本があって、自分のために時間が流れているのではない事を知ったのです。

先日、園庭から「おまけのおまけのきしゃぽっぽ、ポ~っとなったら代わりましょ。いち、に、さん、し、ご、……じゅう!ポッポ~!」か~わって!」「いいよ」と言う子供達の声が聞こえて来ました。ブランコを交代する時の約束のかぞえ歌です。行ってみると、年少組の子が数人遊んでいました。数えている子はちゃんと並んで座っています。ブランコに乗っている子は、その合図で交代しています。もっともっと乗りたいけど、そのルールは守ります。乗りたい子はもう一度並びます。また、違う所では、ストライダーをめぐって「貸して」「いやだ!」、砂場の道具の奪い合い、部屋の中では、限られた数の物を「あの子は多い!ぼくは少ない!」──。上手く遊んでいると思いきや、泣いたり、怒ったり…と、いろいろな所で“交代劇”が繰り広げられています。しばらくもめて、「じゃあ、もう少ししたら代わってよ!」とか「これをはんぶんこにしようよ」と子供達の中から声が聞かれます。時には「今度は僕の番だよ!」「代わってよ!」と泣きながら訴えて提案?しています。しぶしぶでも「わかったよ!」と交代したり分けてあげたりします。なんやかんや言っても、そうする事が一番の解決策でみんなが仲良く過ごせる方法だとわかっています。わがままが通らない場所だと分かって来たからです。

こんなふうに、集団でいる時間をいかにみんなで楽しく過ごす事ができるかを“ちょっと窮屈な生活”の中で方法を模索しながら学んで行きます。限られているモノなら、『時間』も『物』も分け合う事で仲良くできる事を知って行きます。年中組や年長組でも、年齢や経験によってその対象となる物や頻度や種類は違ってきますが、このような同じ経験を積み重ねて、人と交わって生活する事の意味について学んでいきます。これが、ただ単に『時間』や『物』を分け合う行動そのものだけではなく、自分さえよければいいのではない、人のために社会のために自分はどう成せばいいのか、という倫理観を身につけているのです。そんな大げさな!と思われるかもしれませんが、子供達は、遠い遠い先に自分達で考え自分達で行動し自分達で社会をつくって行かなければならない大切な人材です。その人材を今、私達は家庭と幼稚園で育てています。この小さな経験と心の動きが、大切な第一歩になっている事を知りながら、この1学期の子供達の様子に“人生分の1”の成長を感じて欲しいと思います。

今まさに、この度の西日本豪雨で、被災された方々の姿や場所や、それを直接的に自分の時間と身体を使ったり、あるいは間接的に支援しているボランティアの人達、救護に当たられているたくさんの方々の姿が報道されています。そして、私の住む町三次でも、あちらこちらでその被害を受け、日常の生活を取り戻すためにたくさんの方々の力や言葉に励まし励まされながら2週間目を迎えています。これらの様子一つひとつに、人として大切な事を幼い頃から学べて来た人達の姿が重なって見えるのです。幼稚園での子供達の様々な感情が入り混じった“交代劇”が、いずれ、『人のために…社会のために…』の倫理観に繋がるという事、そしてそれがいつか自分のために巡って来るかもしれないこの人間関係のサイクル──“お互い様”“持ちつ持たれつ”を学ぶ事にも繋がるのです。「はんぶんこ」「じゅんばんこ」etcこれらは、幼い子供達にとって、集団の中でこそ学べるコミュニケーションのキーワードかもしれません。

そのエネルギーが能力になる(平成30年度7月)

雨の日、さつき組のテラスを通りがかると、ポッタンカラン ポッタンコロン カラン コロン ポッタンカラン と不思議な音?可愛い音?おもしろい音?が聞こえて来ます。雨の日にだけ聞こえる音色です。さつき組の子供達が先生と一緒に軒に落ちて来る雨だれの真下に大きめな空き缶を置いたのです。雨だれを受けて響くその音を聞きながら、梅雨の季節を楽しく感じています。

幼稚園では、6月に入ってプールあそびが始まりました。プールだけでなく、水道からホースを引っ張って来たり、水たまりでドロドロになって遊んだりしながら水と戯れています。幼稚園の小川は朝から子供達の絶好のあそび場になります。小川の中にいるザリガニ、鯉、アメンボ採りに必死になり、必ず何人かの子が「小川に落ちた~」とビショビショになっています。

そんな中、年長組の男の子S君が「葉子先生!来て!来て!あのね、A君ってね、小川のここを跳び越えられるんだよ!すごいんだよ!」と言って私を呼んでくれました。そこは、小川でも幅の広い部分です。S君にとっては飛び越えるには、勇気を要する幅だったのでしょう。「そうなの?すごいね!見てみたいなあ。ちょっと呼んで来てよ。」と言うと、S君は「うん!わかった!」と言ってその勇者A君を探しに行きました。しばらくして「呼んで来たよ。ほらA君、葉子先生に跳び越えて見せてあげてよ。」とふたりがやり取りをしていました。「見ててよ!見ててよ!」と勇者が跳ぶのを私に見せてくれました。A君にとってはどうってことない技だったようで、軽く跳び越えて見せてくれました。私を呼んでくれた男の子は「ねっ、ねっ、A君ってすごいでしょ。」と勇者を自慢していました。「すごいね!カッコいい!」「じゃあ、S君の得意技は何かな?」と聞くと、「僕はできないんだよ。」と笑いながらそう答えました。すると、A君がアスレチックを指差しました。きみは、アスレチックの高い所によじ登れるじゃないか!やってみろよ──と言わんばかりに、S君の背中を押しながらアスレチックに誘いました。少し照れながらS君は「葉子先生!見ててよ!」と言いながら、走って登る姿を見せてくれました。それを見守るA君は、どう?S君も凄いでしょと自慢そうに私を見ました。「凄いね!A君もS君も凄い!真剣な顔もカッコよかったよ!」と拍手をすると、ふたりはニコニコしながら向うへ走って行きました。

ふたりの中では、お互いにその力を認め合えているのでしょう。「キミってすごいね!」「きみだって凄いじゃん!」というお互いの力を知った上で認め合っている事を感じました。そして、それはお互いに自信が持てる事として各々を支えていく力となっているのです。

大人はつい、“凄い”と言える物差しを勝手に設定して、その子にとっての“凄い”を見落としてしまう事があります。他の子と比べて、“劣る劣らない”“出来る出来ない”を決めて“凄い凄くない”と評価してしまいがちです。純粋な子供達は、お互いに遊びながらその子の力を理解します。そして、周りにいる大人達が「○○君って凄いよね。」「○○ちゃんって○○よね。」等といつも、一人ひとりに個々の物差しをあてて見てあげていれば、自然に子供同士で認め合えるようになります。

20年以上も前に卒園したある男の子達の事を思い出します。とってもやんちゃですぐにカッとなっていつも喧嘩勃発の元をつくってしまうような男の子でした。でも、スポーツ万能で足も速く運動会やサッカー大会をしたら一目置かれる存在でした。私は、その力をクラスのみんなで認め合える雰囲気づくりに努めました。すると、その子を取り巻く子供達の関係に変化が現れました。少しずつその男の子はやんちゃなエネルギーを“友達を守る力”に変えて行きました。「○○くんのできない所は俺に任せて!俺が助けてやるから!」と、いい意味のリーダーになってくれてクラスの仲間達から頼られる存在になっていったのです。また、おとなしくてあまり外で遊ぶのが好きではなくて、何をしても自信なさそうに毎日を過ごしている男の子がいました。でも、その子には特技がありました。迷路を描けば抜群な力を発揮していました。すごく大きな紙にスタートからゴールまでを細かく細かく描いて友達を驚かせていました。その巧妙ぶりでは誰も彼には敵いませんでした。鉄道も好きで、日本中の駅や路線を知っていて、それを描かせれば大人顔負けでした。その子のために大きな紙を用意してあげると友達と一緒に何日もかけて迷路を完成させるあそびをしていました。クラスで迷路ブームになり、その事もクラスの仲間の中では認められて、描き方を教えてあげながら尊敬される存在となったのです。彼は、今、高速道路を守る仕事に就いて頑張っているらしいです。

子供達は皆それぞれにエネルギーを持っています。性格、特性、経験……その子持ち前のエネルギーです。周りの人達から、「あなたのそんな所が凄いと思うよ。素敵だと思うよ。」と光を当ててその力を認めてもらえたら、自信を持って“持ち前の力”を磨きます。それはいずれその子の“能力”になっていきます。小さなエネルギーでもその子にとっての大きな“能力”にしていくためには、個々に合った物差しをあててお互いに認め合える雰囲気が大切です。その雰囲気をつくる事も大人の大切な仕事ではないかと思うのです。

丁度良い距離(平成30年度6月)

新年度が始まって2カ月が経とうとしています。新入児達も、入園したばかりの4月の様子とは少しずつ変わって来ました。ただただ不安気だった子供達に、幼稚園の一日の流れがわかり、少し周りを見渡す余裕が出て来ました。楽しみな事ややりたい事も見つけられるようになりました。それでもまだまだ、慣れるのに時間がかかり、涙なしには登園できない子もいます。焦る事はありません。入園するまでの生活や自分を取り巻く人の顔ぶれが違い過ぎて、その違いを受け入れるのに時間がかかっているだけです。必ず慣れる時はやって来ます。こんな様子は、新入児に限った事ではありません。クラスや担任が変わって新しい環境にまだ慣れきれていない進級児達が戸惑いながら過ごしている様子も見かけます。どの子も、今はまだ新たな一歩を踏み出したばかりです。とにかく見守ってあげていてください。

私は、毎朝中門に立って子供達が登園するのを迎えます。

「お母さんがいい!」と泣く子。「行かない!」とお母さんに抱かれたままで幼稚園に来る子。笑顔いっぱいで元気よくやってくる子……様々です。

年少組のある男の子が、入園したばかりの頃、毎日泣きながら登園していました。お母さんに抱かれて泣きじゃくっていたので、お母さんからバトンタッチで私が抱っこをして、保育室まで連れて行きます。しばらくはこの繰り返しの毎日でした。あの手この手で気持ちを落ち着かせようと試みますが、涙がポロポロ流れます。その時に感じる中門から保育室までの距離の長いこと……。ある日、「出席シールを貼ったら、あの砂場で一緒にあそぼうか?」と砂場に誘ってみました。一瞬泣き止み砂場を見ます。一緒にシールを貼って砂場に行くと、ヒクヒクしながら小さなスコップを手に砂あそびをしていました。その次の日から、少し変化が見られました。お母さんと泣いて登園するのは相変わらずでしたが、「○○君おはよう!今日も砂場であそぼうか?」と言うと「おかあさん、おかあさん……」と言いながらも、お母さんから離れ、すんなり私に抱っこをさせてくれるようになったのです。長く感じていた保育室までの距離が、少し短く感じました。そして、担任の待つ保育室まで送って行きました。それからは、担任の先生が丁寧に迎えてくれて、荷物の整理やシール貼りを済ませ、カラー帽子を被って外へ出てきます。そして砂場へ……。またこの繰り返しの日が何日も続きました。

なある日、ふと気が付くと、その子がカラー帽子をチョコンと頭の上に乗せたように被り、一人で砂あそびをしていたのです。好きなあそびがみつかったんだなと思いました。少し離れた所からその様子を見ていたら、黙々と小さなスコップで砂を掘っていました。もう涙は見えません。その頃から、その子は、中門でお母さんから離れる時に「おかあさん……」とは言うものの「砂場に行こうか?」と声をかけるだけで、お母さんから泣かずに離れられるようになりました。私もつないだ手をその距離の半分くらいで放し、「先生が待ってくれてるよ。行ってごらん。」と言うと、ジワジワと一人で途中から保育室に向かって行けるようになったのです。振り返りながらですが、担任の先生が待つ部屋に…。そして、今ではもう誰かを頼らなくても、一人で歩いて行けるようになっています。その子にとって、中門から保育室までの距離はすごく長く心細いものだったに違いありません。きっと、今までこんなにお母さんから離れ、お母さんのいない場所に一人で歩く事はなかったでしょう。でも、自分の好きなあそびや好きな先生や友達の存在に気づき、「先生に会える」「砂場で遊ぼう」「友達と遊ぼう」という目的や楽しみが見つかると、その長い距離も少しずつ短く感じられるようになるのです。幼稚園の環境には、子供たちの興味や遊び心をくすぐる物や場所がたくさんあります。周りに目を向ける余裕が出てきたら、この男の子のようにお母さんの手から離れ一人で歩き出せるようになってきます。そして、どんどん楽しい事を見つけられるようになります。中門から保育室までの距離は、子供たちの心の踏ん切りや気持ちを落ち着かせる……そして、周りの様子に目を向けるためには、丁度いい距離のような気がします。まだまだお母さんと一緒でなければ、保育室まで行く事ができない子も、少しずつ少しずつ、遊んでいる友達や、小川やアスレチック、砂場やなかよし動物園etc.を見回せるようになり、なんだ、よく見たらこんなに楽しそうなものがいっぱいあるじゃないか!と気づけるようになります。上手に先生にバトンタッチできたら、私たちは、抱きしめながら、保育室までの長い距離をゆっくり歩き、その子の寂しさも心細さも受け入れ目いっぱいに溜めた涙をぬぐってあげて、楽しいものがよく見えるようにしてあげたいと思っています。

おうちの人がいない時間、いない場所だからこそ出来る事や育つ事があります。そんな時間を過ごして、帰っていく子供たちの表情は、朝とは少し違っています。きっと、おうちの人から離れて過ごすこの時間も、朝歩いて行く中門から保育室までの距離も、子供たちにとっては丁度いい心の距離なのだと思います。どうか、いろいろな様子のどの子供達の事も、見守っていてください。

心の断捨離(平成30年度5月)

桜、桜と喜んだのも束の間、待ちわびてやっと満開を迎えたかと思えば、春の雨風に花吹雪となり綺麗に散って行きました。満開の桜が見られるのはほんの数日、この儚さに他の花にはない美しさと魅力を感じます。

さて、新年度を迎えました。まだまだ幼稚園に慣れない新入園児達が、いろいろな様子を見せてくれています。幼稚園の中門では、お家の人と離れられなくて、先生に抱かれたまま手足をバタバタさせて必死に泣く姿や、「幼稚園なんか行かない!遊ばない!もう帰る!」と何でもイヤイヤと抵抗する姿、保育室に入らず鞄を背負ったままあちらこちらで遊ぶ姿……、大変ですが可愛くて新鮮に感じます。こんなふうに言うと心配されている保護者の方からお叱りをうけるかもしれませんが、それらはみんな毎年見られる光景です。見る物聞く物する事出会う人全てが、新入園児にとっては初めての事で、その状況を受け入れる心の準備ができていないのですから、至極当り前の事なのです。徐々に慣れ、幼稚園の楽しさに目を向ける余裕が出てきたら、この光景もいつの間にか見られなくなります。慣れるペースは、皆それぞれに違いますが、ゆっくりと見守っていきましょう。

そんな中、進級児達は初日から、登園してすぐに友達を作り園庭狭しと走り回っています、さらに、年長組ともなれば友達と遊んでいる時でも、次々に登園してくる新入園児達を保育室まで連れて行ってくれます。皆が皆そうではありませんが、どことなく進級児達の顔には余裕が見受けられます。そんな進級児達も昨年一昨年前は、同じように、お母さんやお父さんを恋しがり泣いていました。一年をかけて信頼関係を築き、お家の人以外に、心許せる人が出来てきて今があります。新年度に先生達が「去年までは、私にべったりだったのに、進級して担任が変わったら、コロッと新しい担任に鞍替えをしてしまう……げんきんなものだわ。」と、笑って言います。制服を着るのも嫌だった子が、普通に着て登園して来ます。なかなか保育室に入らなかった子が、登園したらまっすぐに入って行きます。ついこの前までは、昨年度の先生でないと心を許せないでいた子が、新しい担任の先生の名前を大きな声で呼びながら遊ぶ姿…。いろいろな場面で、“あの時のあの子はどこへやら…”と、昨年度の担任はこれも“成長”と、目を細めて見ています。

この春には、たくさんの卒園児達が中学や高校入学の報告に来てくれました。その時に幼稚園の思い出話をしましたが、そんな事を?と思うような事を覚えていたり、保育室の中に入り「わぁ!幼稚園の懐かしい匂いがする!」と記憶を甦らせたりしていました。「思うようにならなかったら、いつも泣きながら地団太踏んで大騒ぎしていたの覚えてる?」と聞くと「エッ?そんなの覚えてないよ~」と覚えている事や忘れている事等を笑い合いながら思い出話に花が咲きました。もう何年も経ったのに、あの頃いろいろな気持ちで過ごした幼稚園での思い出を心の奥底にちゃんとしまってくれている事に喜びを感じました。

園長先生が、もう長年この仕事をしているので、資料や自分の仕事で使っていた古い物を少し整理するために「断捨離をしないといけないわぁ~」と言って片づけておられます。新しい情報や仕事を取り込みやすくするためです。私はそれを聞いて、卒園児達の事を重ね合わせていました。彼らはこれまでにたくさんの人と出会い、いろんな経験をして来たはずです。人は、次から次へと入って来る情報や経験を取り込みながら年月を重ね、知識や心を豊かにして行きます。しかし、取り込むばかりでは、いつかパンクしてしまいます。大きな箱の中に乱雑に入れていた無数の情報や記憶や経験…そこに込み上げる思いの一つひとつを時々取り出して余分な角を削ったり滑らかにしたり、特に大切な物とそうでもない物を小分けしたり、物によっては捨てたりして、無駄な隙間を作らないように入れ直したら、そこにいいスペースが空き、また心の中に新しい物を入れていく……この作業を無意識にしながら、大人になっていくのだと思ったのです。『心の断捨離』です。子供達は、一年一年の経験を養分にして成長していきます。養分となる物を箱の一番下に敷き詰めてその上に一つまた一つと大切な物を積んでいきます。進級児達の“新しい先生への鞍替え”は、ちょっとしたこの『心の断捨離』なのです。新しいクラスの友達と先生とのこの一年のために、去年一年分の養分を整理しながら心にスペースを空けて迎えているのだと思います。

年中組になったある男の子にお母さんが「うめ組の時の千晴先生と、今度の愛里先生とどっちが好き?」と聞くと、「愛里先生!」と新しい担任の名前を言ったそうです。ついこの前までは、「千晴先生が大好き!」と言っていたのでお母さんはそのげんきんさに笑うと、その男の子はすかさず「でもね、その事、千晴先生には、言ったらダメよ。千晴先生に悪いから…。」と言ったそうです。大好きな人、大切な事、素敵な思い出が多ければ多い程『心の断捨離』をして新しいスタートを迎えるのです。私達は、遠い先の子供達の記憶に、断捨離をしながらも幼稚園の事を残してくれていたら……生きるための養分として心の底に宿してくれたらどんなに嬉しいだろうかと思うのです。そうなるように、日々子供達との生活を大切にして行きたいと思っています。この一年もどうぞよろしくお願いします。

ある一日(平成29年度3月)平成30年3月

節分を境に春が訪れるという事ですが、それは暦の上の事で、今年は全国的に記録的な大雪となり、しばらくの間は降雪情報から目が離せない日が続きました。

休眠打破──桜の開花の準備は夏の内に始まります。花芽の形成です。その後一旦休眠して活動を止め、冬の間にしっかり寒さにさらされます。春温かくなった時に休眠していたその花芽が成長して開花するのです。休眠の間が寒ければ寒い程……寒さに耐える程、気温の上昇と共に、早く綺麗に開花するというのです。今年の桜の開花は早いのかもしれませんね。

氷点下の日が続いていたある日の事です。職員室で仕事をしていると、職員室のガラス戸から可愛い小さなふたつのシルエットが、職員室前のテラスを行ったり来たりしているのが見えました。あまりにも可愛いシルエットだったので、そ~っと隠れて様子を見ていました。満3歳児(さつき組)の男の子ふたりでした。どうやら、2階にある年長組の保育室に繋がる非常用外階段を上がりたかったようでした。ひとりの男の子は、普段上がってはいけない階段だと知っているので、「いけないんだよ!そこを上がっちゃあダメなんだよ!」と一生懸命に止めようとしています。その声を聞かぬ振りしてもうひとりの男の子は階段を上がって行きます。そのやり取りがなかなか終わりそうになかったので、「あらら、どうしたの?」と職員室から出て行き、声をかけると、既にひとりの男の子は上まで上がっていました。上から私を見下ろす顔がキョトンとして可愛かったので、つい笑ってしまい、「そんなに上がりたいの?何かおもしろいものでもあるのかな?」と言うと、私の笑った顔を見て(まんざらダメでもなさそうだ)と思ったのでしょう。引き止めていたもうひとりの子も私の顔を見ながら、じわじわとその階段を上がって行きます。きっとふたり共階段を上がりたかったのです。いけないと知っていても、興味津々だったのです。私が「じゃあ、葉子先生が一緒に行ってあげよう。」と言うと、一気に駆け上がりました。3人で探検です。2階にある年長組の部屋を通って年中組、年少組へと楽しそうに小走りで園内を周りました。そして、やっとさつき組の前まで帰る事ができました。途中、たくさんの先輩に「どうしたの?どうしてここに来たの?」「どうして葉子先生と一緒なの?」と声をかけてもらっていました。皆、小さなさつき組さんが可愛いので、自分の身体を小さくして話しかけてくれました。事情を話すと、「ふ~ん、そっかそっか」と頭をなででくれる子もいました。ある年長組の子は「あのね、こっちからじゃあなくて、向こうの階段からならいつでも来ていいんだよ。」と正しい道を教えてくれました。年中組の子は「これ、見てごらん」と言って、部屋に作って置いてある物を手を引いて見せてくれました。歓迎されている気持ちになって、ふたりの男の子は満足気でした。その後、さつき組の担任の先生にその事を話すと「おかえり」と笑顔で迎えてくれました。「どこ行ってたの!!」と叱るのではなく、「今度、みんなで行ってみようか」と言ってくれました。そして私に「きっと、お姉ちゃんが年長組にいるから2階に行ってみたかったんだと思います」と言いました。先生は、その子達の事や行動をちゃんと理解していたのです。

幼稚園の園庭は、子供達が朝登園してしばらくは、元気に遊ぶ声で賑わいます。10時頃になると、保育室に入りそれぞれにクラスで目的のある活動をします。園庭は少し静かになります。そこを狙ったかのように遊び始めるさつき組。それまでは、使いたい遊具や遊びたいスペースも、勢いある先輩達に圧倒されてできなかったりしますが、誰もいなくなる時間こそが小さなさつき組さんにとっては存分に遊べる時間のようです。ストライダーだって、坂道を見つけてブイブイ走らせます。雪どけの園庭だって泥んこになって遊びます。小川や山で尻もちをつきながら遊びます。仲良くしたり喧嘩をしたり身体や服を汚したり濡らしたりしながら、お腹が空くまで遊びます。担任はというと、時に近くから…時に遠くから…全体を見渡し子供達の声に耳を大きく傾けて見ています。見守っているのです。困った事が発生した時には子供達が「みほせんせ~い!」と助けを求めに行きます。求めて行きたい時には必ずそこにいてくれるのです。

その時、ここは、なんて温かい環境なんだろうと思いました。子供達にとっては、未知な物、未知な事がたくさんあります。未知のまま素通りするのではなく、あえて出会わせ色々な事や色々な人と関わり、そこで知り、そこで考えるいい機会にしてあげる事が『教育』であり、子供にとっては『学び』だと思います。幼稚園はその学びが保証された場所だと考えています。“見守る事”“子供の事を知って守る事”“先を読んで守る事”が必要なのです。良い事も悪い事も思う存分に遊び込むうちに、色々な人や出来事によって教えられます。「先生はここで見ていてあげるから、やってごらん。とにかくやってみてごらん。」という眼差しを子供達に向け続ける事で、子供達は、安心して自ら経験しようとします。学べるチャンスを手にする事ができるのです。幼稚園には、満3歳児から5歳児までの子供達が生活を共にしています。それぞれの年齢に合った未知なる物や経験に出会い成長していきます。先輩に憧れて真似をしてみようと挑戦したり、後輩の気持ちを汲み取りいたわりながら教えてあげたり助けてあげたりしながら、共に大きくなっていくのです。そんな生活を幼稚園全体で見守る──この環境こそが幼児期の子供にとって必要な学び舎だと思います。

間もなく、その学び舎で生活をしてきた年長組の子供達59名が巣立って行きます。生きる上で大切な“人としてのベース”をこの幼稚園の様々な経験の中で培ってきた子供達です。このベースの上に人生の休眠打破ができるだけのたくましい力を積み上げてくれる事を祈りながら、私達は、これまでと変わらず同じ気持ちでずっと、見守っていきたいと思っています。