心のおまもり(平成30年度1月)2019年1月

 明けましておめでとうございます。“平成最後の……”といろいろな場面で使われるフレーズですが、正に、平成最後となるお正月をどのような気持ちで迎え、過ごされたでしょうか?今年の4月30日で『平成』の幕が閉じられ、5月1日から新元号が施行されます。その日がじわじわと近づいている事に、平成を振り返り次の時代への心づもりをしながら、様々な感情が湧いてきます。そういった話が特別な思いで家族とできたとしたら、新しい年を迎える気持ちもいつになく引き締まったものになるのではないかと思います。子供にはまだわからないと思うのではなく、『平成』と次の元号を生きる次世代の立派な人材の一人として、幼い子供達なりにちゃんと理解できるように話をしてあげて欲しいと思います。今年も皆様にとって明るい幸せな年になりますように……。そして、どうぞよろしくお願い致します。

 さて、先月行った音楽発表会では、子供達のそれまでの頑張りや充実感と当日の達成感と一人ひとりの成長を感じ取っていただけたものと思います。どのクラスにも取り組みの中に心温まるドラマや可愛いエピソードが詰まった発表でした。表舞台に立つ子供達には感動的ですが、実は裏舞台でもそこにはない感動をみる事が出来ます。緊張や興奮、友達と交わすエール、お世話をしていただくPTA執行部さんと協力隊のお父さん方の声かけ、そして、先生達の子供達の全てを包み込む温かく強く深い繋がり──これらを目の当たりにし全てが感動でした。そんな幾つかある出来事の一つにこんな事がありました。二日間ある本番の一日目、それまでの練習では全く心配していなかったのに、何かの気持ちの調子が万全でないままステージを迎えてしまった年長組の男の子がいました。ステージの幕が開いて先生の指揮が始まると、普段通りの素敵な演奏が聴かれるはずでした。しかし、決まった小節の初めや終わりに鳴るはずの楽器の音が聴こえてきません。それは、彼の担当するパートでした。私も傍で励まし続けましたが、なかなか普段の気持ちを持ち直す事ができませんでした。時々、少しだけ自分で手を動かし小さな音を出しましたが、あの時の彼はそれが精一杯でした。クラスの子供達は、その事態がわかっていて、実に一生懸命に彼をカバーしながら、心配しながらも演奏を続けました。それはそれで感動でした。発表会終了後、彼のお父さんとお母さんに伺うと、そうなる思い当たる事はいろいろあって、ちょっとしたきっかけで、万全な状態にならなかったようでした。きっと彼の中でもはっきりした原因が説明できず、張り切る気持ちと裏腹に緊張や不安が入り混じっていたのでしょう。「どうして?」と聞かれても…「○○だから…」と言えるものではない何かと必死に戦っていたのかも知れません。普段通りにできない事を悔しく思いながら、あのステージの上で自分と葛藤していたのです。そして、二日目を迎えました。「今日こそは、普段の彼のままで、みんなと演奏させてあげたい。」と担任をはじめみんながそう思っていました。そして、ステージに上がって来た彼の顔は昨日とは全く違い、友達とワイワイ言いながら嬉しそうにスタンバイしたのです。そして、見事に演奏をやり遂げました。クラスの子供達も達成感で一杯だったようでした。それから、幕が閉まってすぐに彼が私に「今日は、頑張れた!どうしてかわかる?」と聞いてきました。昨日とは打って変わって晴れやかな表情でした。「どうしてだろう??」と聞き返すと「あのね、朝ね、手のひらに“人”っていう字を3回書いて飲み込んだからだよ。お父さんが教えてくれたんだ。そうしたら頑張れるって言って。」──お父さんと幼稚園に向かう車の中で、そんな話をしてもらったようでした。前を向いて運転するお父さんは、きっと時々彼の反応をチラチラ見ながら、大げさではなくサラッと…でも心中は祈るような気持ちで、その時の空気を大切にしながら話されたのではないでしょうか?私は、「お父さんが教えてくれたんだ。」と健気に話してくれる彼が愛おしくて可愛くて、つい抱きしめてしまいました。自分でも説明できない不安な気持ち、昨日のステージの経験が、彼の中で辛い思い出にならないように、むしろその経験をバネに変えて欲しいと願う気持ちで一杯だったので、「できた!」と嬉しそうにお父さんとのやりとりを話す顔に色々な気持ちが湧いて来ました。「どうして?」と聞かれても「○○だから」とはっきりとした原因や答えが出せない時に、その原因を探られ必要に迫られたら、気持ちを切り替えるきっかけを失います。彼のお父さんは、あえて、そこには触れず「いい事を教えてあげよう」と昔から言い伝えられているこのおまじない(科学的根拠があるようなないような…迷信)を彼に教えてあげたのです。それは、彼にとってよりどころとなる“お守り”になったのだと思います。そのおまじないによって、自分の中の何者かが元気よく力を出して自分を奮い立たせてくれる──そう思える事ができたのでしょう。その時の父子を包む空気がとても温かかった事を想像して、素敵な父子関係だなぁと胸が熱くなりました。「がんばれ!がんばれ!」よりも、彼にとっては静かに“お守り”を心の中に渡してもらえた事で、いろいろな想いを解きほぐせたのでしょう。

後日お父さんに聞くと、「あの日(一日目)、あまり朝食を食べていなくて、お腹が空いていたのも原因かなと思って、二日目の朝は大きなツナマヨのおにぎりを一つ作ってやったんです。それを食べさせた後、車の中で……」という事でした。彼にとって、お父さんが作ってくれたその大きなおにぎりとおまじない──それは、愛いっぱいの『心のお守り』だったのです。

“難しい事”が”楽しい事”に…(平成30年度12月)

紅葉した山々を見渡し、秋に浸りながらも、クリスマスソングを耳にし口ずさみ、そうかと思えばお正月のお節や年賀状の注文書に数を記入している……なんて気ぜわしいのでしょう。一つひとつの事をじっくりと楽しみ味わいながら過ごしたいのに、世の中のムードについつい流されてしまいます。まぁ、この気ぜわしさも、この時期らしさを味わっているという事なのでしょう。そんな中でも、幼稚園の子供達は、相変わらず落ち葉に埋もれて秋を満喫しています。大人があれもこれも…と感じる忙しさとは違い、一つの経験の中で、いろいろな事を考えながら、一生懸命に心と身体を忙しそうに動かし遊び込みます。

そして、今、子供達には頑張っている事があります。ご存知の通り、来月行われる“音楽発表会”の練習です。現在は、本番と同じようにステージ上で年少組はクラス毎に踊りを年中年長組は合奏をそして、それぞれに学年では歌の練習をしています。少し前までは、ホールのフロアーに楽器を並べての合奏練習でした。そしてさらにその前は、4つの保育室に打楽器、木琴、鉄琴、アコーデオンそれぞれパート別に置いて、パート練習をしていました。練習を重ねて行きながら、今週ついにステージで本番さながらの練習に入りました。子供達は、このステージに立つ事をずっと楽しみにしていました。「あのステージに立つために……」と自分がそこへ立っている姿を想像して頑張っていました。先生達の話術により、このステージは憧れの『神聖なる場所』となっていたのでした。

 実際に楽器に触れたり、踊ったりしたのは運動会が終わった頃からですが、具体的に踊りの動きを考えたり楽譜を作ったり、幼稚園としてどんな音楽発表会にして行こうかという構想は、夏ぐらいまでに先生達の頭の中では練られていました。その時点では、まだ子供達がどんなふうに頑張るかが見えていなくて不安材料もたくさんありましたが、確かにわかっている事はこの経験で子供達が大きく成長できるという事だけでした。その後この不安は日に日に自信につながって行きました。子供達の中にも最初は、自分が思っていた以上に難しくて今までした事がない事に戸惑ったり気持ちが向かなかったりしていた子もいました。そんな時、先生は何度も何度も励ましたり、工夫したりしてその子その子が頑張れるように考えて行きます。この頃が先生も子供達も正念場です。ここで、「ぼく、もうやめる」「ぼくにはできない」と思うか「もっと上手になりたい!」「もうちょっと頑張ってみる」と思うかで、成長への扉が開くか開かないかが変わって来ます。どのクラスを覗いてみても、少しずつ変わって行く発表会に向かう子供達の生き生きと頑張っている様子で先生達のその思惑が手に取るようにわかりました。「出来たじゃない!凄い!」「よく頑張ったね!」「かっこいい!」「もう少ししたら、もっと上手になるよ」「どんどん素敵になるね」と褒めたり励ましたりして、子供達のやる気と持てる力を引き出していました。

 この正念場を越えれば、今度は自分の事だけではなく、友達の頑張りに目を向ける余裕が出てきます。パートが決まり、その楽器を一生懸命に練習する友達を傍で見ながら、「○○ちゃん上手だね」「○○君頑張ってるね」とお互いに認め合うようになります。同じ楽器を任されている子供達は一緒に「もっとこんなふうにしたらいいんじゃない?」とか、時には手を抜く様子が見られたらその友達に「○○君、もっとまじめにやってよ!」と注意し合うシーンもみられました。上手くできた時にはハイタッチで喜び合ったり、他のクラスの演奏を聴きながら、自分と同じ楽器をしている友達をジーっと見て、自分とどこがどう違うのか、もっと自分も頑張ろうと刺激を受けたりして子供なりに研究をします。こうなって来ると、“難しい事”がもはや“楽しい事”に変わって来ているのです。“難しい”と思うのはこの先がどうなるのか……“できる自分”の姿が想像できなくて不安だからです。何となくできそうな自分が見えて来たら“楽しさ”に変わります。いつか必ずできるようになる!と思えるようになったり、そう感じさせてもらえる言葉をもらったりする事で、“できる自分”を想像し自分を信じて頑張れるようになります。自信を持つ事で“難しい事”がそのままずっと“難しく辛い事”にならず“希望”となり、その過程を“楽しい”と感じるようになるのです。

 先月の『葉子せんせいの部屋』でも書きましたが。“難しい事にチャレンジする強い心と身体”──自分の力より少し高いハードルを越えようとする時、そこに“楽しさ”が見い出せた時にこそ成長があると思うのです。音楽発表会では、楽器や踊りや歌の技術を得る事も大切な学びですが、私達が育てたいのはそこ一本ではなく、この間に芽生える個々の精神力や表現力、自信、そしてクラスの友達や先生との間に生まれる関係の中で協同性や感性豊かな心です。“難しい事”にチャレンジしようとクラスのみんなで向かう過程があって本番を迎えます。今の子供達は不安が自信に変わり、一回りも二回りも強く頼もしくなっています。お家の人達に観ていただける本番は『一発勝負』ですが、実は、本当の意味の勝負で既に子供達は勝利を得ているのです。音楽発表会当日は上手下手ではなく、子供達と先生との間に見えない糸で結ばれた信頼関係を感じ、その事を感じ取っていただけたら嬉しいです。そして、これまでの子供達の頑張りに“勝利の拍手”をたくさん送ってあげてください。

先輩の背中を追いかける(平成30年度11月)

猛暑だ!酷暑だ!と言っていた夏が嘘のように、朝晩が肌寒くなり、青々としていた園庭の木々も赤や黄色に色づき始めました。秋空の色や漂う空気の香り……色々な所に秋を感じるようになりました。こうして、少しずつ寒さの厳しい冬へと季節は移り変わって行きます。春から夏へ、夏から秋へと季節の変わり目に見せる自然の美しさを五感で味わえる日本に住んでいる私達は何て贅沢な事だろうかと幸せを感じます。

さて、先日は晴れ渡る秋空の下、秋季大運動会を行いました。たくさんのご家族の皆様から応援をいただきながら、子供達は実に楽しく園庭狭しと走ったり踊ったりしました。運動会当日は、みんなとても張り切っていて誇らし気でした。当日だけではなく、それまでの運動会に向かう活動の中で、子供達は“個の成長”と“集団の中での成長”をたくさん見せてくれていました。

運動会では学年毎にその年齢にふさわしい……もしくは、それより少しハードルをあげた種目に、チャレンジする気持ちで取り組みます。無理なく簡単にできる余裕も大切ですが、これから成長して行く上で必ず必要となる“挑戦する強い心と身体”を育てるためには、子供達の持つ今の力より少しだけ努力や忍耐を要する事に向き合う経験を用意してあげる──ここに運動会のひとつの意味を持たせます。応援してもらったり認めてもらったりしながら、自分で、“もう少し、あと少ししたらできそう。”“ちょっとだけできた!”“もう1回やってみよう!”と、少しずつ自信とチャレンジする勇気を持ち、達成する喜びを味わうのです。子供達は本番までに、そういった“個”としての心の成長を一人ひとりが得て来ました。

満3歳児クラスの子供達にとって、ルールを理解しながらたくさんの人を前に一人で走る事は、個から世界を広げて行動できる自覚と勇気の芽生えの成果です。年少組の子供達は、クラスの友達を意識しながら競争したり一緒に同じ事をしたりする楽しさを味わいながら、広がった世界の中で仲間と刺激し合い自分発見をしてきました。年中組の子供達は学年の仲間達と一緒に一つの事を作り上げていく経験から、競争心や闘争心を持つ楽しさを表現できるようになりました。そして、年長組は、できないかもしれなかった事に挑戦する勇気を得て“集団”の楽しさや大切さを実感しました。その中で、“自分発見”と“自己開拓”につなげていきました。運動会ではこれらを積み上げて来た姿を見てもらって、たくさんの人達に拍手で讃えていただきました。学年毎に取り組む中で、集団でこそ得られる成長があったのです。

そして、園庭で頑張っている姿や楽しそうな姿には、自然と子供達が集まって観ていました。特に年長組の鼓隊演奏の練習には、満3歳児から年中組までたくさんの子供達が年長組を取り囲み、見入っていたり真似てみたり拍手を送って応援したりする姿が見られました。難しそうな事に頑張っている先輩の姿を眩しく感じたに違いありません。いつも一緒に遊んでくれている○○兄ちゃんや○○姉ちゃんが、真剣な顔で頑張っている姿に尊敬の気持ちも抱いた事でしょう。僕達もいつかは、あんな事ができるようになるんだ!なりたいな!と憧れながら観ていました。そして、それを感じとりながら練習をしている年長組の子供達もまた自信を持ちます。どうだ!かっこいいでしょう!凄いでしょ!という先輩としての自覚や自信に繋がって行きます。クラス対抗リレーをしている様子にも後輩達が必死で手をたたいて応援します。こうした応援したりされたりの本番までの毎日は、子供達をその気にさせ、もっと!もっと!と欲を出して自ら頑張ろうという気持ちにさせてくれました。

運動会が終わってから、満3歳児の子供達が部屋の中で、おもちゃのマイクを片手に跳び箱の上にふたりで立ち、「わたしたちは、いちばんになるようにがんばります!どうぞおうえんしてください!れい!」と、年長組の園児代表挨拶を真似ていました。年少組の子は体操台に上がって、代表さながらに体操をしていました。年中組と年長組は一緒になって障害物競走の対抗戦を自分達で楽しんでいました。子供達にとっての運動会の楽しさは、あの日に始まりあの日に終わったのではなかったのです。

更に、園庭をよく見ると、異年齢で遊ぶ姿がたくさん見られるようになりました。小さな学年の子の我がままを聞き入れてくれたり優しくいたわってくれたりして、後輩を思いやる先輩達と、先輩を慕いその背中を追いかける後輩達とが良い関係で生活できるようになってきているのを感じます。そんな年長組も、一年前は憧れの眼差しで先輩達を見ていました。こんなふうに、いつかは私達もそうなりたいと思わせてくれる様々な事が、経験の中で引き継がれて来ているのです。先輩が頑張る姿を見せてくれるだけで、後輩達が憧れて成長していきます。先輩達は後輩の憧れの眼差しを受けてもっと頑張ります。子供達は、ちゃんと頑張っていた仲間達を学年を越えて認め合えていたのです。幼稚園の全ての仲間と一緒に頑張ったり楽しんだりする事で、応援し合える事で、集団だからこそ得られる成長がある事を実感します。

運動会が子供達にもたらしたものは、この経験の中で“個”“仲間”“集団”を意識し、心と身体を成長させる力でした。この経験はきっと子供達のこれからの自身を支えていく力になる事を信じたいと思います。

私ってどんな子?(平成30年度10月)

2学期が始まってからはっきりしない天気が続き、肌寒さを感じる日があるかと思えば汗ばむ日もあり、衣替えをするにも躊躇してしまいます。だけど、そんな中でも、間違いなく秋を感じさせてくれるようになりました。空の色、風、園庭の木々、小川の冷たさ……幼稚園に居ながらにして、それを感じる事ができる幸せを子供達にたっぷり味わわせてあげたいと思っています。

数カ月前に、娘が学校に提出する進路についての書類に悩んでいました。“趣味・特技”“自己アピール”の欄にどう書こうか?という事でした。“趣味・特技”については、本当に自分の熱中できる事や好きな事を書けばいいのでしょうが、特別に秀でている訳でもないし、趣味と言い切っていい程の趣味もない──“自己アピール”に至っては、自分に自信がなければ文章に書きにくい、気が引けると言って筆が進まなかったようでした。「私ってどんな人なんだろう?逆に自分を知っている周りの人に聞いてみたいわぁ」と言うのです。

夏休みには、市内の中学生が職場体験に来てくれました。事前オリエンテーションの時に将来の夢を尋ねると、「まだ決めていない」と言っていた生徒さんも何人かいました。そのためにも、職場体験は、いろいろな職場を見て体験して将来を決める選択肢を広げるいいチャンスでもあるので、幼稚園のプレイルーム(預かり保育)で様々な経験をしてもらいました。

また、大学の先生と話をする機会があって、自分に何が向いていて将来自分がどんな職業に就きそこでどんな仕事をしていきたいかという希望を抱けないまま、入れる学部を選んで入学している学生と将来の自分像を描いて入学している学生とでは、生活ぶりも学ぶ姿勢や結果も大いに違うという事を言っておられました。

その時その時の娘や中学生や大学生の事を想像すると、どこか自信の無さを感じさせられるのです。いえ、これは、その子達に限った事ではなく、誰でもそんな時期があったと思うし、もしかしたら未だ自信など持ててないままここまで生きて来たという大人達もたくさんいるでしょう。「あなたの特技は?自己アピールを!」と言われた時、私だったらどう答えるだろうかと考えたら、やはり悩んでしまいます。生きて来た人生の中で、自信があった事でも、何かのきっかけで打ち砕かれたり、新たに自信が持てる事に出会って、また自信喪失になったり…を繰り返しながらここまで何とかやって来ているのかもしれません。その過程の中で、いろいろな人からの評価や励まし等を受けながら、“自分って…??”と我を見つめて来ているような気がします。人は、自分の中に、何か柱となるものがあれば、生きる道を見つける一つのポイントになる事もあります。自分に何ができるのか?どんな事をしたいのか?を見つける決定打につながっていくのではないかと思います。それが、幼稚園の楽しい生き生きとした生活の中で、子供達に、その柱のほんのひと部分を作らせてあげられる時がある事を感じます。

ある日の午後、さくら組の保育室の中で、何人かの男の子が何やら面白い物を一生懸命に作っていました。実験道具を作って実験室ごっこをしていたのです。実験でジュースを作る!と、実験さながらの手つきと、博士気どりの眼鏡を作り、助手役(?)の友達を率いてのその実験風景は、楽しくて感心するやらおかしいやらで、しばらく見入ってしまいました。そのちびっ子博士は、いつも発想豊かに、いろいろな事を考えて作ってあそびにしていく男の子だというのです。一緒に実験を楽しんでいる友達からも憧れられる存在らしいのです。きっと彼は、自信をもって「僕は何かを考え出す事が好き!」と言うでしょう。また、クワガタやバッタ、小川にいるザリガニを捕まえたり、それで遊んだりする事に夢中になっている子供達に、その生き物についていろいろ聞いてみると正しいかどうかはわかりませんが、大きな声で、競い合うように「あのねぇ、それはねぇ……」とそれらしき答えを返してくれます。きっと彼らは自信をもって「僕は、昆虫や魚が好き!」と答えるでしょう。困っている友達や小さな学年の子にいつも優しくしてくれたり、お世話をしてくれたりする女の子達は、「いつもありがとうね。あなたは、とっても優しい子だね」と言ってもらえているうちに、自分の中の優しさに気づかされ自分の要素の一つにして過ごす事ができるでしょう。できなかった縄跳びや鉄棒をできるまで何度も何度も頑張る姿や、友達と一緒に難しい事に挑戦していく姿に注目してもらって、達成した時の快感を自ら得る事で、自分の中の強さや粘りに自信を持つようになるでしょう。

子供達には、“あなたのそこが素晴らしい!”“あなたのそんなところが大好き!”と言ってあげる事が必要だと思うのです。そして、そこはきっと誰もが認めてくれる自信を持っていい所だよ…と言ってあげる事──そう自分で感じさせてあげる事がどんなに、その子の将来の道標になる事か……。そして、熱中できる事に出会えたり増やしたりできる環境の中で自分を発見して、自分の好きな事や“自分らしさ”に自信をもって人生を彩って行って欲しいと願うのです。幼児期にはまだまだ自分ってどんな子だろうかと自己分析なんてできませんが、「私、○○するのが好きだから…」とか「得意だから…」と言えるものが自分にあれば、それが、将来を見据える自分の中の柱となって行くのではないかと思うのです。

手出し口出し(平成30年度9月)

今年程、暑さを危険だと感じた夏はなかったのではないでしょうか?酷暑、酷暑と報じられ、気温が30度台になる事が当たり前の毎日でした。夏休み中、プレイルーム(預かり保育)にやって来る子供達には、「水分補給」を連呼し、頻繁にお茶を飲むように勧め、外遊びの仕方や部屋での過ごし方にも配慮をしながらの40日間となりました。もうそろそろ、この暑さの勢いも落ち着いて来て欲しいと思っているのですが、本格的な秋の訪れはいつ頃になるのでしょうか?

さて、この長く暑い夏休み、皆様はどうお過ごしになり、どんな思い出をつくられましたか?きっと、2学期が始まった今日から、しばらくの間、子供達からいろいろな思い出話を聞かせてもらえる事でしょう。

我が家では、大学に進学して家を離れている娘がお盆に帰省するというので、それまでに、物置化している子供部屋を整えておいてやろうと大掃除を試みました。すると、懐かしい写真や手紙や中学高校時代の採点の部分がしっかりと折り隠されているテスト(笑)が本棚からたくさん出て来ました。このテストを含めマル秘の物が出て来てはいけないのとあまりにもいろいろな物がたくさんあったので、本人と一緒に整理しようと思い直し、全てを整える事は断念しました。しかし、赤ちゃんの時から高校卒業までのアルバムに収まり切れていなかった写真にはつい見入ってしまいました。産湯に浸かっている様子、親戚の人達に囲まれている賑やかそうな写真、歩き始めたばかりの頃行った家族旅行、姉妹で遊んでいる日常、幼稚園の友達と先生、小中高の運動会体育祭修学旅行…そして、卒業式等々──。懐かしくて微笑ましくて時間も忘れて見ていました。そんな数々の写真を見ると、わずか二十数年しか経っていないのに、その頃と現在とでは随分色々な事が変わっています。私が年をとって来ているのは勿論ですが、子供達のためにと作った砂場もブランコももうありません。娘達を可愛がってくれた私の祖父母も母も天国へ逝ってしまってもういません。その逆に、親戚も新たに増えてお付き合いの仕方も変わって来ました。そんな写真を見ながら、その時その時に思っていた事を振り返っていました。赤ちゃんの頃は育児の事で悩んだり、仕事と子育ての両立、大きくなればなったで、学校の事、友達関係、進学等々、振り返れば何もなくここまで来たわけではなかったと感慨深いものがこみ上げて来ました。娘が辛かった時には、私達家族も辛かったし、娘達が楽しい時にはみんなが楽しかった。一つひとつを解決してきて経験して来て今がある事をあらためて感じたのです。

よく、“あの頃が一番良かった”と昔を思い出しながら言う事がありますが、その時はその時で、悩みがありとてもその時が一番良いだなんて思えないものかもしれません。実際私も、“早く大きくなってくれないかなぁ”と思いながら育てて来たような気がします。大きくなって手が離れたらどんなに安心で楽な気持ちになれるだろうかと。でも、大きくなったらなったで、小さい頃とは違った悩みや心配事が増えて来ました。親の私がどうにかすれば解決する悩みと、私が何かをしたからと言って解決しようもない…事の成り行きを見守るしかない悩みとの比率が変わって来ているのを感じます。そしてこれから先は増々、子供自身でしか解決できない事ばかりになって来ます。そして私達親の心の中には成長の喜びと共に寂しさが生まれます。今まさに、段々とそちらに向かっている事を感じながら、子供の成長のためにと親が必死になっていられるのは本当にわずかな時間だという事がわかって来るのです。

娘がお盆に、「私が辛かったあの時、お母さんが言ってくれたあの言葉で凄く楽になった。」とか「お母さんとよく言い争った頃が反抗期だったのかな?懐かしいね」とか「あの時に、お父さんと喧嘩のように話をした事が今はすごくよくわかる。」とか、かつてを思い出しながら話してくれました。その時その時で必死に悩んで一生懸命に育てて来た事がよみがえります。そして、その頃悩んでいた事が、最近になってからの悩みよりも軽く感じ“なんであんな些細な事で頭抱えていたのだろう?”とつい噴き出してしまうような事もあります。だけど、その時は必死だったのです。その時の一生懸命な子育てを子供なりに感じていてくれて、あの時のお母さんの言葉が…あの時にお父さんが手を差し伸べてくれたから…と少しでも感謝の気持ちを持ってくれながら大きくなって来たのだと思います。そして、そうして一生懸命に悩み考えそして解決しながら幸せに楽しく過ごして来たこの過程は、子供達のどこかに滲みているはずです。いずれ子供達は自分の力で生きて行かなければなりません。親が“手出し口出し”できるのは、長いようでもほんの僅かな時間です。大きくなるにつれて、手出し口出しをしなければならない時期、してもいい時期、しなくてもいい時期、してはいけない時期、そして最後は必要とされない時期に関わり方が変化していくのを感じ、どこか寂しさを覚えます。今現在の子育ての醍醐味を存分に噛みしめてください。今しか味わえない苦労もまた幸せである事をずっと先でわかる時が来ます。そう言う私は、そろそろ娘達から“手出し口出しをされる側”に近づいて来ています(苦笑)。